第3章 敗走、そして放浪

第3章(その1)



「今から思えば、戦死の誤報は私を恨みに思っていたサリック王子の差し金だったのかも知れない」

 焚き火をじっと見つめたまま、ナイゼル・アッシュマンはしみじみとそうつぶやいて、そして自嘲気味に笑った。

 他の第三者の話であれば、誤報の件については、気の毒な話だがそういう事もあろうかと聞き流していたかも知れない。あるいは戦地での体験も、人づてに聞き知ったのであれば、そのようにむごい話もあろうものかと形ばかりに心が痛む素振りを見せるにとどまっていたかも知れない。

 だがいずれも、当事者の口から直接的に語られたことで、アルサスにとってもそれは相応に衝撃的な話として受け止めざるを得ないのだった。

「それで、その後故郷には……?」

「そのとき以来、一度も戻っていないな。……そう、子供は無事に生まれたそうだ。二次遠征軍の出発の直前に、手紙を受け取った」

 男の子だったそうだ、と彼はぽつりと付け加えるように言った。

 その子供がそののちに夭逝したわけでもあるまいに、過去形で語られてしまうのは、つまるところナイゼル自身にとってそれがとっくの昔に、遠い過去の出来事になってしまっているということの証左なのだろう。

 故郷に帰っていないのは、事情があってやむにやまれず帰ることが出来ていないのではなく、もはや帰る必要をナイゼル・アッシュマン自身が見出していないのかも知れない、とアルサスはちらりと思った。


     *     *     *

 

 二度目の遠征行で、もはやナイゼル・アッシュマンは何に絶望することもなかった。

 一次遠征軍が制圧した城塞都市カラルフラルは、その後の本格的な遠征の拠点として、整備が着々と進められているという話だった。元は交通の要衝であり、将来的に聖地奪還が完了すれば、いずれ異教徒の手にあった時以上の賑わいを取り戻すことは想像に難くない――もちろん聖地奪還が本当に実現すれば、だったが。もはや故郷に帰るつもりもなく、渇き果てたその土地こそがおのれにとっての新天地なのだと、ナイゼルは自分に言い聞かせた。そこへ行けば何かなすべき事が見つかるのではないか、という漠然とした期待が、ナイゼルにも無かったわけではなかったのだ。いずれ必要になることもあろうかと、人足として旅団に同行していた草原の民の者をつかまえては、現地で通じる言葉などを習ったりもしていた。

 だが、話はそううまくはいかなかった。

「アッシュマン卿。貴方は聞き及びましたか」

「……何を?」

「カラルフラルです。先に行ったはずの伝令が戻ってこない。どうやら、敵軍に包囲されたらしい、というもっぱらの噂ですぞ」

 彼はその報を、何故か友軍の騎士から噂話として、そのように聞かされたのだった。

 王都から森林地帯を抜け、草原へ。同盟関係にある遊牧の民らの手引きで、砂漠の入口に建設されたナルセルスタの砦にたどり着くまでの行程が十日間ほどであっただろうか。そこから城塞都市カラルフラルまではおおよそ一ヶ月、不穏な噂を聞き付けたのはその旅程の半分ほどの途上であった。

 一次遠征軍に比べると、友軍の雰囲気にも少なからず違いはあった。一次軍は徴兵の農民が多く、また聖地奪回という目的からどこか殉教めいた物々しい重苦しさがあったのだが、すでに敵地に拠点を確保したのちの二次軍は、かの地で戦功を挙げることで一旗あげようという、野心的な志願兵らの姿がよく目立つように思われた。意気揚々、血気盛んなのはけっこうだが、悪く言ってしまえば一次遠征軍以上に烏合の衆めいた印象が強かった。

 そんな一行であったから、肝心のカラルフラルが包囲されたという報せに、にわかに浮き足立ってくるのは致し方のない事だったかも知れなかった。やがて、そのカラルフラルがついに陥落したとの報告が本格的に届けられるに至って、二次遠征軍は当初の目的と旅程の到達点を、同時に失うこととなるのだった。

 そもそも、そのような報せがまずは噂話として流れてくるというのも妙だっただろう。拠点を一つ制圧したとはいえ敵地を行軍するのであるから、物見遊山とはわけが違う。だが二次遠征軍の陣容は軍隊の遠征というよりは旅団の集まりといった風で、警戒感がまるでなかった。肝心のカラルフラルの様子など、そういった必要な情報が速やかに届けられるような体勢すら整っていなかったのだった。

 陥落の報せに、人々はとてものんびりとしていられる状況ではないと知った。

 だが、かと言って今すぐカラルフラルに取り急ぎ救援に向かうでもなく、敵の追撃を避けるため後退を決断するでもなく、遠征軍は取り敢えず無為無策のままに、前進を続けていたのだった。

 一体どうなっているのか、とナイゼルは疑問に思ったが、彼とて部隊を指揮するような立場でこの遠征行に参加しているわけでもなく、何かしらの討議に参画するよう声をかけられる事もなかった。これはまずい事になる、というナイゼルの不安は、残念ながら的中することになるのだった。

 やがてカラルフラルを命からがら抜け出してきた者達が、街道をひたすら北上し続け、いずれ救援としてやってくるはずだった二次遠征軍と合流するに至った。同時に、それは彼らのすぐ後ろを追いかけてきた敵軍との遭遇を意味していた。

「出会え! 敵兵だ!」

 友軍との合流もそこそこに、二次遠征軍は本国を出立以来、初めての敵軍との交戦に入った。

 とにかくも、遠征軍の反応は鈍いの一言につきた。カラルフラル陥落の報せを事前に受けておきながら、それに対する備えがまったく出来ていなかった。カラルフラルを奪還した敵がそのまま追撃にやってくることは充分に想定できたはずなのに、旅団の進路を変更する事もなく、攻撃に備えて歩哨を増やすという通達すら出なかった。

 一次遠征軍はとにかくひたすらに、通りすがる町や村や砦のたぐいを次から次に侵略し続けていたゆえに、常に戦いに臨む体勢でいられた分戦いやすいと言えば戦いやすかった。……それは砂漠の民どもがそういった侵攻に対してろくな備えをしていなかったがゆえ、という事も言えたが、今はその攻守がまったく逆転してしまっていた。

 しかも、敗走してきた部隊との合流から、実際の交戦開始までは幾分間があったが、その間に敵軍はよほど念入りに斥候を放つなどして、旅団のうちの先頭部隊がどの程度の規模で、逃げた部隊と合流するとどの程度の戦力になって、それがどのような備えで自分たちを迎え撃つ気でいるのか、といった事をしっかりと把握しているようであった。

 しかも、ナイゼルのように砂漠の民の軍団と刃をあわせた事のある者など、ほとんど皆無に等しかっただろう。敵は旅団の側面を突くような形でいきなり襲いかかってきたかと思うと、そのまま敵味方入り乱れての壮絶な大乱戦となってしまった。

 敵軍の先頭に立つのは騎馬部隊であった。砂漠では一般的に暑い気候に弱い馬の代わりに、ラクと呼ばれる家畜が一般には広く使われていたが、こいつは足が遅い。砂漠で軍用に使われている馬は、厳しい気候をものともしないようながっしりとした大柄の品種だった。兵士達が分厚い甲冑のたぐいをあまり身につけていないのも砂漠の軍隊の特徴で、身軽な騎手に操られた巨躯の馬の群れの突進は、それこそ戦車の突撃のごときであった。それがこちら側の兵卒どもをあっという間に蹴散らし、あとから歩兵がやってきて曲刀でばっさばっさと切り刻んでいく。馴れない気候の土地で、奇襲を受けて浮き足立っている自軍の兵と比べれば、敵軍の整然とした陣容はまさに鉄壁であるかのようにナイゼルの目には映った。

 それでも、ナイゼルほどの使い手が騎馬を得て立ち向かっていけば、個々の兵士の練度までもが鬼神のごときとまではいかない。ナイゼル自身、そんな敵軍に斬り込んでいっては、向かう敵を次々に斬り伏せていく。

 だが、彼一人が奮闘したところで、戦局を大きく翻すことは出来なかった。

「敵だ……! 回り込まれたぞ……!」

 どこかから、そんな声が聞こえてくる。敵は追撃の部隊を敢えて二手に分け、一方を大きく迂回させて遠征軍の旅団の後方から挟撃をしかけてきたのだった。

 すべての要素が敵軍に有利に働いていた。表だっては誇り高き聖地奪還の途に赴く精鋭部隊であるというのに、ここまで簡単に総崩れになるのはナイゼルにしても歯がゆかったが……カラルフラルまでの行程はまったく安全であると彼らは油断し切っていたし、そもそもそのカラルフラルを奪回するだけの規模の兵力が敵にあったことも、そこからさらにやってきた追撃部隊がどれほどの規模で、どこまで自軍に肉薄していたのかも、まるで把握してはいなかったのだから。自分たちの方が敵地奥深くに入り込んだ侵入者で、地の利は相手の方にこそあるのだ、という事にすら思いが至ってなかったのだ。

 ひとたび陣容が崩れてしまえば、立て直すのは難しかった。聖地奪還のために立ち上がった義勇の徒、と言えば聞こえはいいがその多くは一般の兵卒どもであり、専門的な厳しい軍事教練を豊かに重ねている者はごく一部、ナイゼルのように実際に戦地に赴いた経験のあるものとなるとさらに少なくなる。そんな彼らに、その場に踏みとどまれと言うのも酷な話だったかも知れない。

 あとはただひたすらに撤退戦であった。敵に追撃されるがままに、遠征部隊は略奪を繰り返し進撃してきた道のりを、そのまま敗走するがままに逃げ続けるしかなかった。追いすがる敵を満足に迎え討つことも出来ず、本隊とはぐれ置き去りにされてしまった部隊も少なくはなかった。神の御名を唱えながら意気揚々と進軍していたはずの彼らは、今は罵りの言葉とともに、散り散りになって砂漠のどこかへと消えていったのだった。

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