第2章(その2)


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 聖地奪還……そう言ってしまえば聞こえはいいが、早い話その実態は、略奪と劫掠にまみれていた。

 ナイゼル自身、聖地とはそこまでして奪還しなくてはならないものなのか、と疑問に思わなくはない。だが砂漠への遠征行は王国の決定であるから、軍籍のある者はこれに従わねばならぬし、兵役のある庶民達も、貧しい農村から大慌てでかき集められ、戦地へと送り出されていったのだった。

 そのような無名の若者どもが死地へ赴くというのに、騎士たる自分が果たして座して見送るだけで、本当に良いのか……それが、彼が戦場へと赴いた大きな理由の一つだった。

 ナイゼルは名うての剣士であったが、王国軍の軍人ではなかったので、遠征軍に参加するとなれば志願という形を取らざるを得ない。だが敢えて立ち上がり、死を賭して戦うものとくつわを並べる、そのことこそが人々の上に立つものの責務であるはずだと、若き騎士であったナイゼル・アッシュマンはそう固く信じていたのだ。

 だが、現実は彼を失望させるばかりだった。

 呪われた異教徒というが、そんな彼らも実際のところはその土地土地の純朴な農夫や遊牧民達に過ぎなかった。彼らもまた、彼らの神の元平和に暮らしている善良な者達だった。それをただひたすら、神の名の元に、散々に虐殺に虐殺を重ねていったのだった。

 特に苛烈を極めたのは、彼ら異教徒の住む城塞都市カラルフラルの攻城戦だった。異教徒達が城壁の内側に閉じこもって籠城するのを、遠征軍が包囲した。城壁は堅牢だったが、内部に突入してしまえば崩れるのは早かった。異教徒のうち軍勢と言えるのは、城壁を守っていた一握りの兵士達ばかりで、あとは武器を手にしただけの名もなき群衆に過ぎなかったのだ。

 戦いは一方的だった。武器とは言っても、刀はそれらしい形に叩き出された鉄の板に過ぎなかったし、槍と言っても同じように鉄の切れ端のようなものが棒の先にくくりつけてあるだけだった。騎馬で蹴散らせば、あっという間に総崩れになった。

 あとは戦いというより、ただの虐殺だった。武器――というか、何かしら棒きれのようなものを持っていれば敵兵であるとと判断して、片っ端から斬って捨て、馬蹄で踏みにじった。そんな男達をある程度蹴散らすと、あとは女子供だ。逃げまどう彼らを追いかけ始めると、そこから先は戦ではなかった。

 異教徒どもを皆殺しにしろ! ――遠くでそんな叫び声が聞こえてくる。誰ともなく、そこかしこから合い言葉のようにそんな唱和が響いた。略奪者達が駆け抜けていったあとを、ナイゼルは騎馬に乗ってとぼとぼと続いていく。

 目を覆わんばかりの惨状とは、まさにこの事だ。僧侶達に言わせれば異教徒など人間ではなく、服を着た猿のたぐいであるというから、純朴な兵卒どもはそれを素直に信じて、正義と信じながら無闇に殺戮と略奪を繰り返していく。そこかしこに、無惨に切り刻まれた死体の山が築かれてゆくのだった。

 さらには、僧侶達に言わせれば異教徒を一人でも多く殺すことが、それだけ神の恩寵を受ける事になるのだという。武器を持つ者はこぞって殺戮に腕を振るう。抵抗する者しない者、なんの区別もなく切っ先が届く限りに動くものをみな斬り捨てていく。

 それでも、それが正義と信じて整然と機械的に殺戮をこなしているうちはまだ良かったと言えるのかも知れない。遠征軍はやがて統率された軍隊としての様相をうしない、猛り狂った野盗の群れと化していく。財貨があれば奪い、女とあれば狼藉を働き、事が終われば刃をくれてやる――そんな光景がそこかしこで繰り広げられていた。ナイゼルはやがて馬を下り、そんな地獄の底のような光景に包まれた町を、とぼとぼと歩き回り始めた。無惨に切り刻まれた死体を見ても、もはや何も心が動かない。面白半分に四肢が切断されていても、そのようなものもあろうかと通り過ぎていくだけだ。年端も行かぬ子供たちが切り刻まれ、折り重なって死んでいるのをみて、もはやもっともらしく嘆く事さえ出来なくなってしまった。名分が成り立ちさえすれば、人というのはそこまでの事が出来るものなのか――。

 汚泥にまみれた赤子の亡骸を見おろしながら、ナイゼルは絶望のままに立ち尽くすより他に無かった。

 そのままよろよろと路地を曲がっていくと、乗り手を失った一頭の騎馬が所在なさげにナイゼルの横を通り過ぎていった。その馬がやってきた先で、一人の若い兵士が、若い女に覆い被さっているのが見えた。女が抵抗しないのは四肢の腱を切り刻まれてもがく事も出来ないせいか、脇腹の深い傷が元ですでに息絶えているせいか……表情がうつろなのはあまりに非道な目に会わされたせいで心を失っているからか、それとも本当に事切れてるからなのか。その女の腹をみて、それが妊婦であるという事を知って、それまでただ凄惨な光景に打ちひしがれていたナイゼルは、反射的に動いていた。

 滑稽なしぐさで腰を振っているその若い兵士を、女から無理矢理に引き剥がした。周囲に脱ぎ捨てられていた鎧が宝石で飾られた豪奢なものであったから、相当に位の高い貴族の子弟であることは想像に難くなかったが、その時のナイゼルはそんな事もお構いなしだった。

 何をする、という抗議の声も無視して、ナイゼルは兵士の横っ面を力任せに引っ叩いた。固い手甲もそのままだったから、痛烈な一撃であったに違いない。

 剣の切っ先を叩き込まなかっただけまだましだ、とばかりにナイゼルが次なる拳を叩き込もうとしたその瞬間、両者の間に割って入るように、一本の矢がさっとナイゼルの眼前を通り過ぎていった。

 一拍の間をおいて、ナイゼルはしまった、と舌打ちした。

 ひとつには激情に駆られておのが身を狙う者の存在に気付かなかったこと。ひとつには、そのまま若い騎士を放っておけば、彼はその矢の標的になっていたであろうということ。結果的に、ナイゼルに殴りかかられたことでその若い騎士は逆に一命を取り留めてしまったのだ。

 矢が外れたとみるや、物陰から武器を持った男達が一斉に躍りかかってきた。異邦の兵士同士で殴りかかった事情など彼らには知る由もなかったし、知ったとして同情など一切しなかっただろう。ナイゼルもそこは訓練された戦士であるから、挑みかかられればそのまま刃を振るって反撃に転じるより他にない。敵は数で勝ったが、結局は武器を手にしただけの、多少は勇敢な市民達に過ぎなかった。

 むしろ、そんな彼らを切り伏せるナイゼルこそが悪者であった。そうやって群がる異教徒達を切り捨てているうちに、若い騎士の従者と思しき一団がこちらに駆け寄ってきて、ナイゼルに加勢した。

 その若い騎士が、遠征軍に参加していたサリック王子であるということに、ナイゼルも遅ればせながら気がついていた。順位は低いとはいえ王位継承権を持つ者に殴りかかるなど、それだけで死罪に相当する行為だった。当然、サリック王子もお付きの者どもに、ナイゼルを殺せと声高に命じていたが、下帯を解いて下半身が丸出しなのを見て、従者達も状況を察した様子で、ナイゼルには早急にその場を立ち去るようにと促すばかりだった。

 国元へ帰れば、相応の罰を受けなければならないのかも知れなかった。

 けれどその時のナイゼルには、そんな事はとても些細な事のように思われた。この場で彼ら遠征軍が行った殺戮の数々――ナイゼル自身もそこに当事者として居合わせた事は、神の恩寵に見放されるには充分であるように思えた。 

 カラルフラルが陥落し、遠征軍の占領下に収まると、ナイゼルは負傷兵らと共に帰国の途についた。こんな現実はこりごりだった。故郷が懐かしかった。特に愛するコーデリアが。

 信じるものは一つずつ失われていった。刃を血に染めるたび、おのが祖国への信頼が揺らぎ、神への信仰が揺らいだ。神の名の下に幾多の死体を積み上げてきたが、恐らくはその積み上げた山の分だけ、ナイゼルには裁きがいずれ下るだろう。戦地へ赴く事に反対した父が正しかった。憂い顔で、行くな、と懇願したコーデリアが正しかったのだ。

 だが気まぐれな運命のせいで、彼女はナイゼルの手を離れてしまった。

 かといって、故国には彼の居場所はなかった。王子の命を結果的には救ったナイゼルだったが、実はサリック王子はナイゼルに横っ面をひっぱたかれたさいに偶然にも鼓膜を損傷し、片耳が聞こえなくなってしまっていたのだ。王子の戦場での行いが決して褒められたものではなかったからこそ、ナイゼルは罪を問われずに済んだのだが……だが人にそういった事をとやかく言われるのも嫌だったので、耳の事は「御身をお庇いするのに必死で、思いがけず」という形でナイゼルの方から公式に詫びを入れ、それを理由に恩賞の全てを辞退してしまった。

 家督も継がねば目立った私財もなく、王都に滞在する彼はまるきり放蕩の徒に過ぎなかった。風の噂に二次遠征軍が組織され、程なくして出征の旅に出ると聞いたとき、彼は再び志願していたのだった。最初のような高邁な目的など何もない。ただ、この地を離れ遠く旅に出る、その口実が欲しかっただけだった。



(次章へ続く)

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