第4節(その3)

「ええい、ままよ……!」

 そのまま、竜の背に思い切ってしがみつくのだった。

 竜はベオナードを振りほどこうと身をよじる。ベオナードは無我夢中で鱗の隙間に手や爪先をかけたままぐっと踏みとどまり、剣を抜いて、そんな鱗の隙間に切っ先を突き立てるのだった。

 竜の口から、苦悶の咆哮があがる。

 そのまま竜が大きく身をよじると、ついにベオナードは踏ん張り切れなくなって身を滑らせる。首に突き立てた剣を握った手を放すまいとするが、柄には彼の全体重がかかる格好となり、重みに耐えきれずに剣は根元から折れてしまった。

 鎧姿のベオナードが、大の字のまま真っ逆さまに石畳の上に叩きつけられるのを、逃げ惑う他の兵士たちは呆気に取られてみているしかなかった。結果的に身代わりとなったベオナードに逃げるように促された例の近衛兵が、正騎士の身を案じ慌てて駆け寄る。何人かの兵士たちが、ベオナードを助け起こそうと駆け寄っていくのを、アドニスは茫然と見守ることしかできなかった。

 彼女がふと見上げた視線の先に、ベオナードが竜の首に突き立てた切っ先が見えた。

 自分でも意識してはいなかったかも知れない。彼女は我知らず、呪文を唱え始めていた。

 ベオナードは背中をしたたかに打ち据えたが命に別状はないようだった。若い兵士らに助け起こされ、いささか頼りない足取りで竜から離れようとする。他の兵士たちも、そんな正騎士の号令にあわせてその場から退避しようという中、アドニスだけが竜をしかと見据えたまま一心不乱に呪文を唱え続けていたのだ。

「何をしているんだ! 踏みつぶされてしまうぞ!」

 ベオナードが無理やりに、彼女の印を組んだ手を引いてその場から引きはがそうとした。次の瞬間、上空に雷鳴がとどろき、大粒の雨が兵士たちの頭上に降り注ぎ始める。

 天候が崩れる気配など何もなかったので、突然の荒天に兵士たちはうろたえた。上空で何度か稲光が見えたかと思うと、アドニスの詠唱の声が次第に声高に、やがては半ば叫ぶようにまくし立てたかと思うと、ついには一条の雷光が、轟音とともに彼らのいる城塞に落ちたのだった。

「――!」

 人々は息を呑んだ。

 その雷撃が直撃したのは、ベオナードが竜の首に突き立てたあの折れた剣の切っ先であった。

 竜の首が内側から赤く光ったかと思うと、一瞬のうちに竜の首がまさに大きく張り裂けるのが見て取れた。

 竜は断末魔の叫びをあげながら、やみくもに翼を広げ、その場から飛び立とうとする。アドニスは大粒の雨に打たれたまま、さらに詠唱を続けると、もう一撃の雷鳴がとどろき、竜の傷口になお刺さったままの剣の切っ先をもう一度強く穿つのだった。

 ひとたびは空に浮かび上がった竜の巨躯が、最後の一撃を受けて空中でぐらりと傾く。

「落ちるぞ!」

 兵士たちがわらわらと逃げ惑う。竜の巨体は、首と胴が離れ離れになって、そのまま城塞の脇の少し開けた石畳の広場に別々に墜落した。

 人々は呆気にとられながら、物言わぬ姿になった竜を遠巻きに見守っていた。

 アドニスが詠唱をやめたためか、それともただのにわか雨だったのか、雨はやんで、湿った風がずぶぬれになった人々の間を通り過ぎていく。

 我に返ったベオナードが、部下たちを見まわす。

「皆、無事か?」

 兵士たちが思い思いに声を上げる。ルーファスも近衛兵も無事だったが、ベオナードの部下のうち三名ほどが、あえなくも竜に踏みつけられ、身体があらぬ方向にねじれたまま絶命してしまっていた。それとは別に一人、立ち上がれずに苦悶のうめきを上げる兵士がいた。

「どうした?」

「彼も竜に踏みつけられてしまったようです。足が折れています」

「誰だ? ……マーカスか。おい、しっかりしろ」

 足が折れているのは分かったが、身にまとった鎧がへし曲がっているのを見ると足ばかりか胴の辺りも圧迫された形跡があった。足の折れた部位を固定してそっと運ぶように指示し、一行は隊列を整え、その場をあとにすることにした。

「竜はあのままでよいのか?」

「今は負傷者を助けるのが先だ」

 近衛騎士の問いを聞き流すように、ベオナードは部下たちに指示を下す。重傷なのは竜に踏みつけられたマーカスのみだったが、擦り傷を負ったり、中には腕の骨を折ってしまったものもいて、早急に手当てが必要だった。

 アドニスが魔導で呼んだ雨雲はすでになかった。治療のため怪我人を村に退却させるようにベオナードが命じる。落命した者たちの亡骸も収容すると、一同はてきぱきと隊列をまとめ、そのまままっすぐに城門を目指していくのだった。



(第5節につづく)

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