若き科学者と魔女 第3話
それきり「ごめんなさい」を繰り返すタイソン女史は、あたしたちをうろたえさせた。廊下だって静かなら、アッシュとあたしはとにかく女史をなだめて部屋へ入る。その車庫どころじゃないスイートルームの、アルテミスシティごと月の地平が見下ろせる大きな窓は迫力満点。眺められる位置に置かれたソファへ女史を腰掛けさせた。
力が抜けたみたいにすっかりうなだれてしまった女史は、どれほど優秀でもやっぱりあたしと同じ歳の女の子で、低い所で大人っぽくまとめた髪が今ではすっかり、ちぐはくに映ってる。
「こごめんなさい……ザルのことはきっと全部、わたしのせいなんです」
あたしが隣へ腰を下ろしたとき、今にも消え入りそうなそうな声で言った。
「なのにドラゴンの事は何も知らない。そうポリスへ嘘をついた、ってことかな」
視線をあわせるアッシュが、困ったような面持ちで前へと屈み込む。
「本当にごめんなさい。まさか助けてくれた魔法使いさんまでここへ来るなんて思っていなかったから。大丈夫、バレやしないって」
体ごとうなずき返すタイソン女史は、絞り出してた。
「どうしてそのような嘘をつかれてしまったのですか」
だからって尋ねたあたしに責める気持ちはこれっっぽちもない。きっとそんなことをしてしまうには、同じくらい大きな理由があるに違いない、って思ったから。
「それは……」
言いかけたタイソン女史が言葉を切った。ほんの少し持ち上げられた顔は、そこから一点をしばらく見つめる。
「襲われたわけが知れたら、秘密がバレてしまうと思ったから……」
硬い声は独り言のようで、証拠にあたしが、秘密? と繰り返したとたん、女史はあたしの手を取り振り返る。
「あのときは本当にありがとう。感謝してるわ。気持ちは本当よ。でもあなたはわたしが襲われてたってことをポリスに言ってしまうのよね。ならポリスはきっとそのワケを知りたがるわ。突き止められてしまえば何もかもがおしまいになる」
だからやめてと、女史は目で訴えていた。できやしないと分かっているからこそ、恨めしそうに睨みもする。
「タイソン女史」
そんな顔へあたしが出来ることと言えば、正直になることだけだ。
「女史は何か誤解されているのではありませんか」
強く握りしめるイソン女史の手を、あたしはやんわり解いていった。
「あたしたちは女史の秘密を暴きに来たのではありません。あたしはあたしがドラゴンの仲間だという疑いを晴らしたくて、彼は働く魔法使いのための調査に伺ったまでです。そのためにも女史の口から、ドラゴンから助け出したのはあたしだと、仲間じゃないことを証言していただければそれでよくて」
ならアッシュも後を継ぐ。
「君の秘密をどうこうしようってわけじゃない。ただ君には、君が発端で企業と魔法使いの間に大きな問題が起きるんじゃないかって噂が流されてる。その真相を知りたいだけだ。それともそれが君の秘密、ってわけかな」
聞き入る女史の横顔は、それこそ初めて聞く話に驚いた風だった。反応にアッシュはもうがっかりしてる。まぁ、なんて頭を掻くと、ついでみたいにこうもタイソン女史へ続けていた。
「ザルの事が君のせいだというなら、ドラゴンは失敗した。つまりまた君の前に現れる、って可能性は高いんじゃないのかな。それでもポリスに黙っておくのは賢明だとは思えないけどね」
とたん解いたはずの女史の手が、再びギュッとあたしの手を引き寄せ握る。そこには少しの震えも混じっていて、放っておけない、あたしにそう思わせた。だって魔法使いとその魔法は、いつだって困っている人を助けるためにあるとおばあちゃんからも、マギ校でだって教わってきてる。それに女史にはあたしの疑いだって晴らしてもらわなきゃならないんだから、ドラゴンにさらわせるわけにはいかなかった。
「何かお力にはなれませんか、タイソン女史」
もう手は解かない。あたしはタイソン女史の目を覗き込む。
「今聞いた話で、俺は噂とドラゴンにも何か関係があると思っている」
アッシュも口添えてくれた。見守りロボなんてカクカクうなずくと、懸命にタイソン女史を促してる。でもむしろ女史はぎゅっと唇を噛みしめて、困惑した表情をした。そりゃあそうよね。急に現れた知らない人に頼るなんてとても難しい。そこに自分の秘密があったなら、なおさらだと思えていた。
すっかり夕方になったドームは、アルテミスシティ―から反射された光に赤く染まってる。遮る窓へ電気は流されると遮をかけたように曇って、あたしたちは薄暗くなった部屋で影みたいに濃く沈み込んだ。
「あなたの言うとおりです」
やがてほどかれたタイソン女史の唇は覚悟、って形をしてるようだった。
「うかがってあたしも今、そう思いました。それだけの価値があるからどうしても秘密を知られたくなかったんです。世の中の役に立つ。そのための秘密なら許されると思っていたんです」
そうして女史は握り締めていた手を引き戻してく。
「でもそれは間違いだったのかも」
うつむき気味だった顔はそのとき赤く染まった窓へ持ち上げられてた。
「企業と魔法使いさんとの間に大きな問題だなんて。じゃなくてももう昨日、騒ぎは起きてしまったのだから」
きっかけにして変わった雰囲気は別人のよう。いいえ、それがサイエンス協会から選ばれるほどの、本当の女史の姿なのかもしれなかった。濃い色の瞳に宿った光も鋭く、顔はあたしをとらえて窓から振り返る。
「力にならなければならないのはわたしの方だわ、ハンドレッド技師」
射抜かれてあたしは背筋を伸ばした。
「ありがとうございますっ、タイソン女史」
「きっとドラゴンが現れたのは、サイエンス杯に提出したわたしの研究が狙いだから。なぜなら」
言葉を切った女史はそこで一つ大きく息を吸う。
「研究は、わたしのモノじゃなかったからです」
とたんえっ、てだけじゃ足りないくらいの驚きが部屋中で弾けた。
「とっ、盗作だったのでございますか」
だから襲われた事をかくしておきたかったのね。思うまま、あたしとアッシュも目を合わせる。言って身を乗り出したロボも、カメラの目で絞りを閉じたり開いたりしてた。
「祖父が残していた研究を、私の名前でコンテストに……」
そうまでして世に出したかった研究は、同じように科学者だったおじい様が亡くなられた後、残された部屋で見つけたんだって話だった。
「とても画期的な研究なんです。完成したのはもう数十年前で、なのにどうして祖父は公表せずこの世を去ってしまったのか、理由が私にはわかりません。あの研究を伏せておくことの方が、わたしにはよっぽど悪いことをしているとしか思えなかったんです」
「だから自分の名前でコンテストに出した」
屈めていた腰を伸ばして立ち上がったアッシュは、タイソン女史の言葉を先回りしてみせる。うなずき返す二人のテンポは小気味よかった。
「出せば私も少しは有名人です。注目されて、実現の道が開けると思いました。でも、ひとつだけ気がかりが。おじい様はその研究を、誰かと一緒に進めていたようなんです」
もちろんそこまで聞いたなら、あたしの脳裏にだってピンとくるものはある。
「わたしの家系には魔法使いの血は流れていません。だから代々、科学の道を歩んできました。なのに研究の半分は呪文に関することで、具体的な記述は祖父の元に残されてなかったんです」
「一緒に研究していたのは魔法使いで、その魔法使いが残りを持っている。そういうことなんですね」
「はい。まだどこかにいるなら、わたしが発表した研究は盗用だと分かるはずです。でも研究は数十年前に完成して以来、記述は更新されていませんし、わたしが祖父の部屋で見つけるまで、求めて訪ねてくる人もいませんでした。だからもう誰も知りはしないと」
「だのにあのドラゴンは現れた」
アゴに手をあてがったアッシュが独り言みたいに呟いてる。
「やっぱり研究を横取りされたって、取り戻しに来たのかしら」
なら、ドラゴンを操る魔法使いとタイソン女史の仲を取り持つしかなさそうで、かつてはおじい様との関係がそうだったように、研究を新たに二人の物とするしかなさそうだった。そうすれば盗作ではなくなって、襲われる理由も消える。消えれば女史は安心してあたしのことも証言してくれるはず。期待を寄せて、あたしはアッシュへ視線を投げた。
……ん?
でもそうなるくらいのことなら、どうしてドラゴンは天井を破ってまでザルへ来たのかしら。穏便に交渉さえすればよかっただけなのに。
お祝いのため?
いえいえ、ちょっと待ってよ。それはない。
なんて繰り返していたら、だんだん自分のバカが呪わしくなってくるじゃない。印象付けてすぐにも答えないアッシュは、タイソン女史へとただ確かめていた。
「ちなみにその研究っていうのは、一体どんなものだったのかな」
なら「少し待って下さい」とタイソン女史は立ち上がる。月を離れるためまとめていた壁際のトランクへ歩み寄ると、開いてそこから分厚いノートを取り出しあたしたちへと差し出した。
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