最終話 もう一度、きみと生きるために。

「……い、おい? 温羅、起きろ!」

「ん……?」


 体の感覚が戻ってくる。背中に固いものがあたっており、誰かが体を揺さぶる。

 温羅はぼんやりと目を覚ますと、目の前にいる人物に焦点を合わせた。


「須佐男……」

「大丈夫かよ、温羅。お前、泣き腫らしてるじゃないか」

「え? ……本当だ」


 はっきりとしない意識の中、温羅は自分の頬が濡れていることを知る。目覚めてなお流れ続ける涙を手の甲で拭い、苦笑した。


「ごめん。──ところで、どれくらい向こうに行っていた?」

「最初にオレが言った通り、半日後。今は夕刻だ」


 須佐男の言う通り、日が西に傾いている。もうすぐそれも沈み、夜が訪れるだろう。

 温羅は木の幹に預けていた体を起こし、伸びをした。そうすることで、ようやく戻ってきたのだという実感が湧く。


 息を吸い、吐く。体に風が吹き抜け、悲しみが落ち着いていく。

 そんな温羅に、須佐男は言いづらそうに言った。


「ごめん」

「何が?」

「……依頼主を阿曽媛だと言わなかったこと。もう一度、悲しませることになっただろう?」

「……確かに悲しかったよ。だけど、それ以上に生きる目的が出来たから」

「なら、よかった」


 ほっと胸を撫で下ろして安堵の笑みを浮かべ、須佐男は先に行こうと足を踏み出す。彼の背中に、温羅は問う。


「それで? お前の力はどうなんだ」

「お蔭様で、また少し強くなったよ。もっと鍛練を積めば、あの大技をもう一度使えるようになるかもしれないな」

「期待しているよ」


 温羅は微笑み、立ち上がる。木々に囲まれた一種の聖域である池も、夜になれば足元が見えずに危険だ。

 そろそろ降りよう。温羅の提案に、須佐男は首肯した。


「そういや、神殿に阿曽と大蛇が来てる」

「阿曽、と大蛇が……?」

「そうだ。遊びに来たんだと言ってたぞ」


 温羅の心の動揺に気付くことなく、須佐男はからりと笑って先を歩く。「合流して、食いながら話そうぜ」と言う須佐男に、温羅は曖昧な返事しか返せないでいた。


 阿曽は、阿曽媛と魂を共有する少年だ。所謂、生まれ変わった存在である。彼の中で、媛は眠りについている。

 温羅は須佐男の話を聞きながら、何処か上の空だった。阿曽が媛から夢の世界で何かを聞いていないか、気がかりだったのだ。



 温羅と須佐男が高天原に戻ると、阿曽と大蛇が二人を迎えた。そのままいつものように剣の鍛練を数刻行い、汗だくになる。


「強くなってるな、阿曽。日子ひるこさんが稽古をつけてくれるのか?」

「そうなんだ。でも父さん、手加減しないからアザだらけになるんだよ」

「それだけお前に期待して、お前と一緒にいるのが楽しいんだろう。兄貴の我儘に、付き合ってやってくれ」


 川の水で体を清めながら、須佐男が阿曽に言う。すると阿曽も、わかってるよと笑った。

 二人の姿を何となく見ながら、温羅は清めた体に衣を着ていく。しかし手元が疎かになり、帯を落としてしまった。

 それを拾った大蛇が、呆れながら手渡してくれる。


「どうしたんだよ、温羅。何か、いつもよりぼーっとしてないか?」

「そう……だな。少し、思うところがあってな」

「ふぅん?」


 何かを考えている風な温羅の横顔を見ていた大蛇は、もしかしてと昼間に月読つくよみから聞いていたことを口にした。


「そういや、須佐男の力を強めるための訓練に協力したんだって? 月読さんが申し訳なさそうにしてたぞ」

「―――っ」

「……それで、何かあったんだな?」


 一気に赤面した温羅の様子を見て、大蛇は察する。勿論、月読から事の次第は全て聞いている。それでも、温羅自身が何を『見た』のかはわからない。

 しかし、温羅が過去を変えていないことだけは確実だ。何故なら、過去の結果が変われば、四人が仲間になることはなかったのだから。


 大蛇は、起きたことを言うべきか否か考えている温羅に向かって、苦笑いを見せた。


「別に、話せって言ってるわけじゃない。お前が戻ったことで変わった未来はないんだから、きちんとすべきことをしたってことだろ。……ぼくらは、温羅がここにいてくれるから、何も心配はしていない」

「ありがとう、大蛇」

「構わない。……おい、須佐男。食い物の支度するから、手伝え!」

「あ? ああ、わかった」

「おい、大蛇……」


 まだ髪から水を滴らせる須佐男の腕を掴み、大蛇が神殿の方へと歩いて行く。無理矢理同行させられた須佐男だが、大蛇の耳打ちで意図を理解し、自分で歩くことにした。

 温羅は大蛇を引き留めようとしたが、彼は歩みを止めない。阿曽も予想外だったらしく、ぽかんと二人の背中を見詰めていた。


「……」

「……阿曽、少し話さないか?」

「良いよ、温羅」


 温羅と阿曽は並んで、川原にあった大きな石に腰を下ろす。

 先に口を開いたのは、阿曽だった。


「須佐男から聞いたんだ。温羅が、阿曽媛の願いで過去に行ったって」

「ああ。……まさか媛の望みだとは思わずに驚いたけど、過去が変わっていなくてほっとしたよ。もし何かを変えてしまっていたら、阿曽とも須佐男とも大蛇とも、会えなかったかもしれない」


 自分一人の選択が、他の誰かの未来を変えかねない。その恐ろしさは今になって温羅の身に襲いかかり、身をすくませる。

 しかしそれ以上に、温羅は阿曽にだけは話しておかなければ、と媛のことを話題にした。


「阿曽媛が、別れ際に言ったんだ。……『もう一度生まれ変わったら、傍にいさせて欲しい』って。わたし自身もそうなれば良い、と思わずにはいられなかったよ」

「温羅……」


 幾つもの願いがあった。そのどれもが、温羅自身が抱き続ける願いと同じものだった。傍にいたい、触れたい、共に生きたい。叶わないとわかり切っている事柄ばかりのことに呆れながらも、いつかを希求する。


「……阿曽媛が、言ったんだ。『わたしとあなたの魂は、別れ始めている』って」

「別れ始めている?」


 首を捻る温羅に、阿曽は「わかりづらいよね」と苦笑した。


「つまり……、俺が次に生まれ変わったら、阿曽媛はもう、俺の中にはいないんだ。媛は媛一人として、

「―――!?」


 無意識に胸元を握り締めて衣にしわを作る温羅に、阿曽は言う。だから、と。


「来世、絶対阿曽媛を迎えに行ってあげてよ。それで、今度こそふたりで生きて欲しいな。……それで、また俺と友だちになって欲しい」

「勿論だよ、阿曽」


 泣き笑う温羅は、しっかりと頷いた。


「今度こそ、彼女と共に生き切る」

「うん。それまでは、俺で我慢してよ」

「我慢じゃないさ。阿曽も須佐男も大蛇も、誰が欠けても悲しいから。……運命の相手っていうのは、何も伴侶のことだけを指すわけじゃない。わたしにとっては、三人も運命の人たちだよ」

「ありがとう……俺も一緒だ。行こう、二人が待ってる」

「ああ」


 一足先に歩き出した阿曽の後ろ姿を見ていた温羅は、振り返った阿曽に名を呼ばれて歩き出す。二人で横に並び、笑い合って前に進む。


 人の一生と、鬼の一生は違う。圧倒的に鬼が長命で、置き去りにされることの方が多い。だからこそ、人と鬼との恋は禁忌とされた。互いが傷付くことをわかっている悲しい出来事は、ない方が良いと定められていた。


 それでも、温羅と阿曽媛は出逢った。出逢い、愛し合い、そして死に別れた。

 仲間に裏切られ、半身を失って独り生きてきた温羅。家族を捨てて温羅と共に生きることを選び、最期は温羅の半身を守ることに捧げた阿曽媛。

 二人の悲恋の物語は、一度区切りを迎えた。


 再び、ふたつの運命が交わる。その時を、温羅は信じて生きていく。

 もう一度、愛する人と生きるために。


                                   ―了―

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もう一度、きみに触れたい。 長月そら葉 @so25r-a

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