第32話 黒い雨

 900秒。


 きっかり、900秒経ってシスとアイリの入った『アイテムボックス』がかき消えた。


「…………勝ち、逃げなど……許し、ませんよ」

「……お前、本当に人間かよ」


 そこには、何も残っていなかった。

 『死都オルデンセ』の最奥を飾っていた巨大な城も、その周りにある廃墟の城下町も、一切合切消し飛んで、ただの巨大なクレーターと化していた。


 だが、その中に頭部とかろうじて脊椎部分まで再生したヤマトが地面に転がっていた。


「……なんで、人の形を保ってんだよ」

「神から、もらいました。2度目の人生は……そう簡単に死なない、ようにと」

「お前、転生者だったのか」

「……ええ、まぁ……。もはや、今となっては意味のない、ことですが……」


 ヤマトの再生は、進んでいなかった。

 恐らくは、彼をこの世に繋ぎ止めるためにその不死性が使われているのだろう。


 だが、それももう時間の問題だ。

 街そのものを消し飛ばすほどの爆発の中心にいて、していない方がおかしいのだから。


「……“鏡櫃”。私は、真面目に……生きようと、思ったんです。金も、名誉も、要らない。ただ、誰かと結婚して子供を設けて……前世では手に入れられなかった、当たり前の幸せが……欲しかったんです」

「……そうか」


 爆風によって、最下層の天井に舞い上がった粉塵がどす黒い雲を形成していた。


「村の……村の、幼馴染と、結婚しました。そしてすぐに1人娘が生まれました。……ああ、嬉しかった。嬉しかったんです。ようやく、自分にも普通の生活が……当たり前の、人間になれると……思ったんです」


 焼けた皮膚が、じわりじわりと再生したのに止まった。


「あの娘、が3歳になった時でした。隣村に、行くと……でかけたきり、帰ってこなかった。心配になった、私は……村人たちと、探しにいきました。私は、恐るべきことを……知りまし、た。人は、あそこまで獣になれるのだとは、思わなかった」

「…………」

「妻は、強姦されて……死んでました。何故、死んだのか、無い四肢を見れば……すぐに、分かりました。娘は……娘の、体は……足しか、見つかりませんでした。番犬が、食べたのだと……あいつらが、言ってました」

「……だから」


 シスが問いかける。

 

 ぽつり、とその時3人に黒い雨粒が一滴空から落ちてきた。


「だから、殺した。みんな、殺しました。生きたまま、1つ1つ皮を……剥いで、肉を削いで……みんな、殺しました」

「…………」

「村には、いられなかった……。だから、《人斬り》として……魔術結社の下で、人を蘇生する術を、探りました。彼女たちに、ただ会いたいがために……」

「……そうか」


 同情なんて、しない。


 シスは強く奥歯を噛み締めながら、《人斬り》を見た。

 同情なんて、しないと決めた。


「……“鏡櫃”。私の人生は、間違いだったんでしょうか?」


 ぽつりと、問いかけられた《人斬り》の言葉にシスは黙った。

 しばらくの沈黙を埋めるように、黒い雨が降り始めた。


「……お前の、人生は間違いだ」


 そして、ゆっくりとそういった。


「人を殺すべきじゃなかった。お前は妻と娘の仇を討って、そのことを忘れて平和に生きればよかった」

「…………」


 そして、互いに沈黙。


「なんて、言ってほしいのか?」


 ゆっくりと紡がれたシスの言葉に、ヤマトは目をつむった。


「……そう、ですね。そう言われたら、私の心も……少しは、憂うでしょうね」

「間違いだらけの、俺が……お前の人生に、良いも悪いも言えねえよ。……でも」

「でも?」

「お前は、強かった。それが、1つの答えなんじゃねえの」


 それが、謝った選択だとしても。

 間違いの選択肢だとしても。


 その男はそれを選び、通した。

 ならば、それは。


 ヤマトはわずかに目を開くと、そっと伏せた。

 彼の残っていた脊椎部分が、静かに粒子となって消え始める。


「……シスと、アイリさんに……お願いがあります」

「聞くだけ、聞いてやるよ」

「……娘、の名前を……覚えて、おいてくれませんか。私は、良いです。妻も、生きた。でも、あの娘は……あの娘は、まだ3歳だった。この世に、生きた証があったのだと……そう、残したいのです」

「お任せください! 私、一度覚えたことは忘れないことで有名なんです!」


 シスの返答よりも先に、アイリがそういった。


「……ありがとう。娘の名前は、『ひまり』。覚えて、くれますか」

「……ああ」


 シスは深く頷いて、


「可愛い名前だな」


 ぶっきらぼうに、そう言った。


「自慢の、娘でしたから」


 ヤマトはそう言うと、天を見上げた。


「ああ、本当に。……悔い多き、人生でした」


 そして、笑った。


「本当に、黒い雨が……降るんですね」


 ヤマトはそう言うと、静かに目をつむって……死んだ。

 雨の中、ヤマトの死体が黒い粒子になって消えていく。


 そして、後には何も残らなかった。


 雨は次第に勢いを強め、熱された大地と触れて蒸発していく。


「……帰るか」

「そうですね」

「ファティが、待ってる」

「あい!」


 シスはそう言って、アイリと共に足を進めた。

 決して、後ろを振り返ることなく。


「……なぁ、アイリ」

「どうしました?」

「もし、俺が……探索者を辞めたら、どうする?」

「んー」


 アイリはシスの言葉にこてっと首を傾げると、にっこり笑った。


「『迷宮都市ここ』でお店でも開きましょう!」

「店、かぁ。探索者相手に商売すんのか?」

「ですです。引退した最強探索者の店……これはいけますよ!」

「悪くないな」

「でしょ?」

「まぁ、でも……今はやめられないな」

「ファティさんもいますしね」

「ファティと言えば、あの『ファイアボール』なんだったんだろうな」

「レティシアさんじゃないですか?」


 真白のアイリに黒い雨が降り注ぐのに気がついたシスはそっと自分の上着をアイリに渡した。


「わっ、あったかい」

「……レティシアがあんな『ファイアボール』使えるかな」

「もしかしたら、ファティさんかも!」

「……まさか」


 シスは静かに笑った。


「それは無いだろ」

「ま、外に出てから聞けばいいだけの話ですよ!」

「そうだな」


 シスとアイリが、『死都オルデンセ』の出口にたどり着いた。


「アイリ」

「あい?」

「俺はまだ……足掻いてみるよ」

「お? ネガティブなマスターが珍しくやる気を出してますね。今度はどこ行きますか?」

「Sランクダンジョンだろ」

「おー! 良いですね!!」


 アイリはにこりと笑うと、ダンジョンから出ようとしている自分のマスターの手を取った。


「どした」

「ほら、まだしてもらってないですよ」

「……あ?」

「ご褒美のちゅーですってば!」

「あー。そういえば、そんなものもあったな」

「ほら、ほら」


 アイリは目をつむって、唇を突き出す。


 シスはそれに、気恥ずかしそうに目を伏せると、


「一回だけだからな」

「分かってますってぇ!」


 そういって、シスは腰をかがめて。

 

 ――互いの唇の熱が、降りしきる雨の冷たさをかき消した。

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