第30話 【降霊魔法】

「ファティさん! 早く逃げますわよ!」

「でも、お師匠たちが……!」

「あなたがシスを助けたい気持ちは分かります。でも、私たちが向かった所で何ができるんですの! 邪魔にしかなりませんわ!」


 レティシアの正論に、ファティは唇を噛み締めた。

 その通りだ。その通りなのだ。


 ここでの最適解が、レティシアと共に逃げることだということが分からないほどファティは馬鹿ではない。ただ、逃げてしまって、あとは震えながらダンジョンの上で師匠が帰ってくるのを待っていればいい。


 そんなこと、誰に言われないでも彼女自身が一番知っている。


 けれど。

 けれど、だ。


「私は、決めたんです。あの時、お師匠に拾われた時に」


 ファティはぎゅっと手を握りしめる。

 それは、彼女の決意の証で。


「後悔しないように、って」

「ファティさん……」

「お父さんとお母さんが流行り病にかかった時、私は医者を呼べなかったんです。私たちは、“忌み人”だから、来てもらえないと思って何もしなかったんです。……だから、2人は私の前で、死んだんです」


 ファティが手を握りしめる。

 強く、強く。何よりも強く。


「だから、もう後悔したくないんです。あの、紫の服を着た人は強いから……! 私も、何かをしたいんですっ!」

「……何が、できますの」

「レティシアさん。私は、門を開きました」

「……それは」

「魔法が使えます。どうか、レティシアさん。私に魔法を教えて下さい!」

「……そんなこと」


 そんなこと、できるはずがない。

 レティシアはその言葉を途中までで、飲み込んだ。


 魔法とは、学問だ。

 一朝一夕で身につくようなものではない。


 少なくともある程度の素養と、時間は必須だ。

 故にそれが確保できる貴族たちの間で長い間、専有されていたのだから。


「無理、ですわ。そんなこと」

「ど、どうしてですか!」

「あなたに魔法を教えるのは、構いません。状況が状況ですが、この短い間でも使えるようになる魔法もあるでしょう。でも、それは。簡単な魔法でしかないです。この戦況を覆すどころか、そもそもシスたちのいる場所に届かせることもできないような、そんな魔法でしか無いんですよ。ファティさん」

「……で、でも! な、何か無いんですか!」

「無いんですッ!」


 レティシアの叫ぶような声で、ファティは黙った。


「無いんです、ファティさん。魔法は、そんなすぐに使えるようなものじゃないんです……。シスも、わたくしも……ずっと、ずっとずっと練習し、実戦にでて戦い続けてようやく今の魔法が有るんです。そんな簡単に身についたら、苦労はしないんです」


 レティシアのそれは、ファティを攻めるような言葉ではなかった。彼女が攻めていたのは、自分自身だった。本来であれば、あの戦いの場には自分もいたかった。アイリと同じ様にシスを支えたかった。


 だが、シスは彼女を足手まといと判断した。


 それが、何よりも悔しかった。


わたくしだって、助けれるものならシスを助けに行きたい。でも……。私でも、力不足なんです。だから、ファティさん。引くんです。私たちは、ここで」

「でも……。でも……っ!」


 血がでるほど両手を握りしめて、ファティは下を向いた。


「でも……。私は……!」

「……あまり、人を困らせては行けないよ。ファティ」


 両目に溢れんばかりの涙をためて、うつむいたファティにそっと優しい声がかけられた。それは優しい男の声。どこから現れたのか、細い体に今にも消えてしまいそうなほどに覇気のない瞳。


「あ、あなたは……誰ですの? というか、どこから入ったんですの!?」


 Aクラスダンジョン『死都オルデンセ』は、シスたちを除いて最下層どころか10階層までも攻略されていない。そんななところに、そんな覇気のない男が現れるなどレティシアには信じられなかった。


「話は、聞いていたよ。時間が無いんだってね」


 ファティは顔をあげて男を眺めて……そして、固まった。


「……嘘」

「ごめんね、ファティ。最初から、教えてあげればよかったんだね」


 そっと優しくファティの頭を撫でる、その男は。

 その男には、ファティの面影がある。


 いや、違う。

 逆だ。逆なのだ。


 その男の面影が、ファティにあるのだ。


「……おとう、さん?」

「良いかい、ファティ。【魔法】はその、お嬢さんが言うようにすぐに使えるようなものじゃない。だからね、使良いんだ」

「……使える人を、呼ぶ?」


 レティシアはファティの父親の言葉を繰り返しながら、首を傾げた。


「確かに、【降霊魔法】なら……。でも、この状況をどうにかできるかも知れませんわ。でも、シスと《人斬り》の間に入れるような人間なんて……そう、いませんわよ」

「うん。そうだ。あなたの言うとおりだ」


 儚げに男はそういうと、ファティの手を握った。


「ファティ。今から君の体に英霊を降ろす」

「……私の、中に」

「そうだ。でも、不完全だと思う。お父さんも、これはおじいちゃんから聞いただけでしかないから」


 そういうと、悲しげに頭を撫でた。


「多分、魔法は一度だけしか使えない。でも、その一発だけで十分な、そんな英雄をここに呼び出す」

「……【英雄降霊】」


 レティシアの呟きに男は頷いた。


「よく知っているね、お嬢さん」

「確かに、それなら……。で、ですが! あれをやるには、犠牲がいるはずですわ! 贄もなしに、英雄を降ろすなど」


 男はそういって、自分の胸に手を当てた。


「……う、そ。嘘! 嫌だ! やめて、お父さん!!」

「ファティ。僕は死人だ。一度死んだんだ。でも、あそこにいるファティの師匠は生きてるんだろう。なら、ファティ。前を向くんだ。いつまでも、死んだ人に囚われては行けないんだよ」

「やだよ……。やだ、死なないで!」

「お嬢さん。ファティに英霊を降ろした後、この子は魔力切れで倒れるでしょう。だから、この子を」

「……任せてくださいまし。もとより、そのつもりでしたから」


 レティシアの言葉に、父親は「ありがとう」と呟くと、ファティを見た。


「ファティのことを思って、《門》を潰したのは……いま思えば失敗だったのかもね」

「……行かないで、お父さん」

「ごめんね、ファティ。辛い思いをさせて。でも、お父さんもお母さんも……ずっと、ファティを見てるから」


 ファティを優しく抱きしめると、ファティの父親はすっと彼女の短槍を手にとった。


「ファティ、泣かないで。前を向くんだ」


 ぞわり、と周囲の魔力が男の中に吸い込まれていく。


「ああ。どうか……数多の英霊たちよ。我が愚行をお許しください。どうか、この娘のために力をお貸しください。我が、命を贄に捧げます」


 ファティと、ファティの父をつなぐようにして八の字の形をした漆黒の魔法陣が出現する。


「お父さん!」

「ファティ。もうこっちに来るんじゃないぞ」


 そういって、ファティの父親は自らの胸に短槍を突き立てた。


「お父さんッ!」

「……ッ!」


 ぼたり、と男の血が漆黒の魔法陣に落ちると、黒を赤に染めていく。


「ファティ、これは夢だ。夢のようなものだ。だから、忘れてしまいなさい」

「……そんなこと……できないよ!」


 そう叫んだファティの足元まで、魔法陣が赤く染まる。


「ファティ。次は、自分の力で……」


 そういった男の体が淡く光始め、粒子となって消えていく。

 【英雄】をこの世界に呼び出す代償は、多くを奪う。


 それは、世界のルールであるがゆえに。


「お父さん!」


 そう叫んだファティに応えるように、光がひときわ強く光り輝くと消えた。

 そして、ファティも胸を抑えながら前方に倒れた。


「……ファティさん!」


 慌ててレティシアが駆け寄ると、ファティがすくっと起き上がる。


「ファティさん、大丈夫ですの?」

「世の中には、まともな父親もいるんだな」

「……ファティさん?」

ファティじゃねえ」


 起き上がったファティの瞳が、美しかった水色の髪の毛が赤く染まっている。

 それは、魔法陣の影響だろうか。それとも。


「魔力量的には一発だけか。まぁ、一発だけで良いか。それで、充分だ」

「あなたは……」


 レティシアが問う。

 ファティの中に入っているのは、正真正銘の【英雄】。


 それが、いる。

 魔力の質も、自信も、先程のファティとは全然違う。


「俺か? さっき、そこの男と契約した。なんで男と契約しないといけないんだとは思ったが……まぁ、したもんはしょうがねぇからな」


 ファティは右の手をまっすぐ前に突き出すと、不敵に笑った。


「なぁ、知ってるか?」

「な、何をですの……」

「遠い世界には、ファイアボールだけで最強になった英雄がいるらしいぜ」

「……そんなもの、物語でしょう」

「じゃあ、。一発だけだ。目を離すなよ」


 そういうと、ファティは


「『装焔イグニッション徹甲弾ピアス』」


 世界を捻じ曲げるように、生み出された1発のファイアボール。

 それは、高速回転と共に次第に楕円形になると、ギュルル! と、音をならす!!


「『発射ファイア』」


 そして、一発の弾丸が放たれた。

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