第9話 双子たちと怪盗の短くも長い夜①

 フラメール邸のリビングに突如現れた謎の闖入者。

 そいつは玄関を潜るなり銃を構えると、ルーサーたちに銃口を向けこう言った。


「お前たちが預かった賢者の石を取りに来た。さあ、こちらに渡してもらおうか」


 そいつは、雪山でゲリラ戦でも仕掛けようというような真っ白な戦闘服を身に纏っていた。フルフェイスのヘルメットを被っているためにその素顔は見えない。そのせいか声もくぐもって聞こえ、性別の判別すらつかない。身長は百七十センチほどか。すらりとした細身の体型ではあるものの、そこらのゴロツキくらいは軽く素手で叩きのめしてしまいそうな迫力がある。

 まあ、奴は今素手ではなく銃という名の凶器を持っているわけだが……。

 

 それに、奴の周囲には奇怪な蟲の軍勢が控えている。


『ミュィィィイン』


 鉄製のドアをその枠ごと平らげてしまったシロアリの群れ。むしろそれが一番厄介だった。そいつらはルーサーたちを取り囲むようにリビング内を飛び回り、天井を一面白色に染め上げている。蟲、蟲、蟲が蠢くおぞましい光景だ。

 そしてそんな絶望的な光景を前に、ついに少女たちは悲鳴を上げた。


「いやぁあああああ、蟲ぃぃぃぃいッ!?」

「なにこれキモッ! やばいッ、キモッーーッ!」


 双子たちは真っ青な顔でぞぞっと身を掻き抱き、生理的悪寒の集合体とも言うべき蟲の群体から慌てて逃げ回る。きゃーきゃーという少女たちの悲鳴と蟲の羽音とで、リビングはたちまち騒がしくなる。

 双子たちの騒々しさは、強盗一人押し入ってきたくらいでは揺るがないらしい。


 だが、


 ——パンッ! と、銃声が鳴り響いた。

 強盗が銃を発砲したのだ。銃弾が天井に向かって放たれたあと、リビングにはハッと息を止めたような静寂が訪れた。


「こちらの要求は一つだけ。今すぐ賢者の石を渡せ。でなければ、お前たちの中から死人が出るだけだ。幸い、二人までは殺してしまってもよさそうだからな」

「……っ!」


 実に効果的な脅しだった。

 双子たちの顔には今、はっきりとした怯えの色が浮かんでる。

 初めて直面する死の恐怖。明確な殺意と凶器を突きつけられ、少女たちは金縛りにあったかのように固まっていた。


「ところで、そっちのお前はなんだ?」


 強盗は銃口をルーサーに向け言った。

 まさか同業者ですとは言えまい。目的が同じだと分かったら邪魔者は殺してしまおうと考えるに違いないからだ。しかし、答えなければこの中で最も優先順位が低い存在として真っ先に排除されてしまうだろう。一体どうしたものか……。

 

「どうした、答えろ」


 ルーサーが答えにきゅうしていると、その答えは思わぬところからやってきた。


「この人は、えと——私たちのお父さんですっ!」


 なにをとち狂ったのか、アンはルーサーに身を寄せてそんなことを言った。聞き間違いでなければ「お父さん」と。冗談にしても性質たちの悪い冗談だ。


「おい、お前なにを——」

「そうそう、そうだよ。この人はあたしたちのお父さんだよ!」

  

 するとメアリも、アンに追従するようにルーサーの腕に抱きついた。それから、「ね、お父さん」と上目遣いに肩を揺すってくる。

 

 ……よくもまあぬけぬけと。この双子たちのしたたかには驚かされてばかりだ。


「ニコラ・フラメールは行方知れずと聞いていたが、そいつは本当に父親なのか?」

「本当に決まってるじゃん! お父さんじゃない人が家にいるはずないでしょ?」

「だが、それならなぜその男は縛られている? どう見ても拘束されているだろう」

「……えっ? えっと、それは……」

「これは、そう。趣味だよ! こうやって可愛い娘たちにロープで縛られるのがお父さんの趣味なんだよね? もうっ、お父さん。だからやめといた方がいいって言ったのに。あの人ドン引きさせちゃってるじゃん」

「……勝手に変な性癖を付けるな」


 所詮はただのでまかせだ。こんな茶番を相手が信じるはずがない。現に強盗はいぶかしんだ視線をルーサーに注いだままだ。こちらに向けられた銃口もまた……。


「そうなのか? お前は自分がニコラ・フラメールなのだと、そう言うんだな?」


 強盗の口調には、答えを間違えたら即引き金を引きかねない威圧感があった。銃を持つ手に一切の迷いがない。奴は必要があれば問答無用で人を殺せるのだろう。

 

 しかし、そんな緊張感の中でルーサーに答えを惑わせたのは、やはり双子の存在だった。

 

 自分の傍に寄り添った二人の表情を見たその時、ルーサーはハッとした。

 二人は震えていた。彼女たちにぎゅっとしがみつかれた両方の腕から、その震えは伝わってくる。翡翠色の瞳には期待が込められていた。二人は助けを求めていた。わらにでも縋る思いだったのかもしれない。自分たちの聖域を踏み荒らした泥棒に一縷いちるの望みを託すほどに、彼女たちはその奇跡を必要としていた。

 メアリとアンは、ルーサーにその役割を求めていた。


「俺は……」


 彼女たちを助けてやる義理はない。だが、そんな少女たちの願いを「知るもんか」と無下にできないのが、ルーサーという男の性質たちだった。


 ルーサーは強盗を睨み上げ、銃口を真っ直ぐに睨みつけて言った。


「ああ、そうだよ。俺がニコラ・フラメールだ。こいつらの父親だ。だからこれ以上可愛い娘たちを怖がらせるのはやめてくれないか?」


 ああ、これは撃たれるかもしれないな、とルーサーは覚悟した。

 しかし、そうはならなかった。

 

 強盗は少しの間考え込んだあと、銃口を下ろした。そして、


「そうか、製作者本人がいるのなら話は早い。じゃあ説得の仕方を変えよう。娘の命が惜しければ賢者の石を渡せ。……これでお前は満足か?」


 強盗は改めて銃口をメアリへと向けた。

 メアリはビクリと肩を震わせ、ルーサーにさらに身を寄せる。だが、味方をつけたことで少しは恐怖も和らいだのか、彼女の目には再び対決する意志が戻っていた。


「そこまでして、なんであんな石を欲しがるんだよ。やっぱり『手に入れたいモノ』があるわけ?」

「質問は受け付けない。イエスか、ノーか。それ以外の言葉は必要ない」

「ふん、ロボットみたいな奴……」


 同感だ、とルーサーは内心首肯する。

 そしてこういう手合いは総じて融通が利かない。変に腹の探り合いを演じるよりは、頭でっかちな脳みそにも分かるように行動で示してやる方が確実だ。


「分かったよ、賢者の石はお前に渡そう。それでお前は満足してくれるんだろう?」


「……えっ!」

「んな、ちょっとなに勝手に!」


 突然の裏切りに、双子たちからは当然の如く非難の声が上がる。


「こんな奴に渡すなんて正気? あたしたちのお父さんはそんなこと言わない!」

「そうですよっ! 魔術師さんなら魔術師らしく戦ってください!」

「無茶を言うな。いくら魔術師でも鉄砲で撃たれたら死ぬ。命あっての物種って言うだろ? あんな石ころのために命を落とすなんざ馬鹿のすることだ。賢者の石の一個や二個、またお父さんが作ってやるから今日は我慢しなさい」

「誰がお父さんだ! 調子のんなっ!」

「さっきからなんなんだお前は……。とにかく今は俺がお父さんだ。だから、ここは俺の顔を立てて大人しくしていてくれ。お父さんには娘を守る義務がある」

「……むむっ。それっぽいことを」


 多少は心に響いたのか、メアリは渋々といった様子で矛を収めた。それでもまだ納得はしていなさそうだったが……。


「アン、石はお前が持ってたな。奴にくれてやれ」

「……でも、そんなことしたら」

「今はどうやっても奴には勝てない。賢者の石を守るためには、これが今できる最善なんだ。お前ならその意味が分かるな?」

「今できる、最善……」


 どうやらアンは、ルーサーの意図に気付いたようだった。賢い子だ。

 アンはこくりと頷くと、懐に隠してあった賢者の石を強盗に手渡した。


「……これで、私たちにはなにもせずに帰ってくれるんですよね?」

「お前たちが余計なことをしなければ、な」

「約束、ですよ……?」


 強盗はアンから受け取った賢者の石を手のひらで転がし、「間違いない」と呟いたあと、左の胸ポケットの中にそれを仕舞った。そして、目的を果たした強盗はそれ以上はなにも言わずにきびすを返し、玄関へと歩いて行く。あと数秒後には危機は去る。


 だが、


「……やっぱ、駄目……っ、逃がすもんか……!」


 そんな不届き者を黙って見過ごせるほど、彼女は物分かりがよくなかった。 

 ルーサーの隣で燻っていた雷雲が、ゴロゴロと唸り声を上げていた。

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