第8話 天使の顔をした悪魔のような②

「ぬっふっふー、さあてどんな仕返しをしてやろうか」


 そこには悪魔がいた。

 目元はにやにやと、口の端はにんまりと嫌らしく歪んでいる。少女らしからぬ悪戯小僧のような顔をしたメアリが、仁王立ちの格好でルーサーを見下ろしていた。


「お前にはいっぱい恥ずかしい目に遭わされたからな。このメアちゃんを敵に回したことをたっぷりと後悔させてやる! まずはー」

「おい、ちょっ……待て!」


「——くすぐりの刑だぁあああ!」


 弱った獲物を前にした狩人が一度引いた弓矢を解いてくれるはずもなく、メアリは両手をわきわきとさせながらルーサーに飛び掛かる。……が、


「待って、メアちゃん!」


 意外なことに、助け船を出してくれたのはアンだった。ルーサーの肩に乗っていたぬいぐるみが、カウンター気味にメアリの顔に飛びついたのだ。


「——むぐっ! ちょっとなにすんのさ、アン! こっからがいいとこなのにっ!」

「ごめんねメアちゃん。でも、この泥棒さんには先に訊いておきたいことがあるの。だから、まだ待って。お仕置きならそのあとにいくらでもしていいから。ね?」

「ちぇっ、しょうがないなー。五分間だけ面会を許可します」

「ありがとうございます、看守さん」


 メアリは顔に引っ付いたぬいぐるみをひょいと摘まみ上げると、自分の肩に乗せて腕を組んだ。そんな姉の姿に微笑しつつ、アンはルーサーに顔を向けた。


「……訊きたいこと? 俺にか?」

「はい。泥棒さんに訊きたいのは、これのことです」


 そう言って、アンはポケットから“それ”を取り出した。


 赤い石だ。人差し指くらいの長さで、横幅も大体それくらいの紡錘形ぼうすいけい。上部には紐を通すソケットが付いていて、ペンダントのように加工されている。身近な物で例えるならば、へたの付いた唐辛子だろうか。とはいえその質感は固く、ちょっとやそっとのことでは傷一つつかないであろう強度を誇っている。


 わざわざ“それ”がなにかと問うまでもない。それは、賢者の石だった。


「どうして泥棒さんはこの石のことを知ってたんですか? これを盗んでどうするつもりだったんですか? この石のことを、あなたはどこまで知ってるんですか?」

「それを知ってどうなる? 大体、俺が答えてやる義理がない」

「もし答えてくれたら、さっき撮った泥棒さんの写真を消してあげるっていうのはどうですか? それなら泥棒さんにとって悪い話じゃないと思います」

「どうせこれから捕まるんだ。そんな写真一枚消したところでなんの意味もねえよ」


 それもそうだ、とアンは唸る。

 次に彼女が口を開くまで少しの間があった。逡巡する素振りがあったのち、アンはこう言った。


「それなら……もしも見逃してあげるって言ったら、どうですか?」

「……交渉のつもりか?」

「つもりじゃありません。ちゃんとした交渉です」


 この少女は一体なにを考えているんだ? 

 もしやまたなにかの罠か?

 

 ルーサーは身構えつつも、反対に彼女に訊ねてみる。


「犯罪者を一人野放しにしてまで、そうまでしてお前になんのメリットがある?」

「私は知りたいだけなんです。この石の……賢者の石のこと。どうしてお父さんはこれを私たちに託したのか。お父さんは、私たちになにも教えてくれなかったから。だからお願いします。知ってることがあるなら、全部教えて欲しいんです」


 それは純粋な願いのように思えた。

 打算や虚栄とは無縁の純粋な好奇心、あるいは使命感のようなものが彼女の瞳には宿っている気がした。メアリの方を見てみれば、彼女も似たような顔をしている。

 知りたい、と。ただその一心で向けられた期待のまなざしがここには二つあった。


「……分かったよ、教えてやる。敗者としての義務くらいは果たしてやるさ」

「本当ですかっ!」

「ああ。だがそうは言っても、俺も大したことを知ってるわけじゃないけどな」

「まあまあ、そう気負わなくってもいいからさ。気軽になんでも言ってみ」


 ……っ、このガキは。ルーサーはメアリの態度に釈然としない感情を抱きつつも、少女たちの期待に応えるべく口を開いた。


「まず、情報筋については教えるつもりはない。そういう商売だからな。だがそこで俺が聞かされた話によれば、そいつには『全てを手に入れる力』があるって話だ」

「全てって、例えば億万長者になれるってこと? 毎日遊び放題、酒池肉林?」

「まあ……、そういうのも含めた全てなんだろうさ」

「でもでも、それっておとぎ話の話ですよね? どんな願いでも叶えてくれる魔法の石。賢者の石。そういうお話は他にも幾つか読んだことがあります」

「ああ、所詮はおとぎ話の夢物語。だからお前らの父親は、そんな魔法の石にあやかってそいつを『賢者の石』って名付けたのかもしれない。ただの推測だがな」


 賢者の石。アンはその言葉を反芻しつつも、まだ実感が湧いてこない様子だった。 


「全てを手に入れる……。この石に、そんなことが可能なんでしょうか?」

「さあてな。ニコラ・フラメールが実現した賢者の石は超導魔力の結晶体、つまりは魔導炉マギアだ。なんらかの目的があって作られたことは確かなんだろうが、俺もそこまでは知らん」

魔導炉マギアって、普通の人でも魔力を扱えるように加工した物のことですよね。お風呂の給湯器とか電球の中に入ってたりする。……この石もそうだって言うんですか?」

「ああ、間違いない。だが、一般に流通してる魔力電池とは違う。それらとは比べ物にならないくらいの、桁違いの魔力がそいつには込められているはずだ。なんでも街一つの動力をそれ一つでまかなえるほどのもんらしいからな」


 魔力とは本来、普通の人間には扱うことのできない原始の力。だが、一人の魔術師の手によってその常識は覆った。地・水・火・風といった自然界に流るる元素の力を引き出すための触媒、すなわち魔導炉マギアが作られた。それが今から十年ほど前。

 今ではその技術は魔術師の手を離れ、科学によって量産されるようになった。 

 魔術から科学への変移。科学による魔術の再現。それこそが産業革命の始まりだ。

 

 アンが語ったように、魔導炉マギアはごくごく一般的な代物として使用されている。

 街の街灯、鉄塔のアンテナ、店のレジスター、パラコルなどに使われる魔力電池。工場やプラントの主動力たる蒸気機関。空を航行する飛行船や邦を跨いで移動する列車、車やバイクの駆動炉エンジン……などなど。

 その活躍の場は幅広く、今や魔導炉マギアは人々の生活には欠かせない必需品となっている。


 そして、賢者の石はそれらとは一線を画す代物だ。高度な技術を持った魔術師が手掛けた純度の高い上質な魔導炉マギア。それは、それ自体が一つの魔術としての機能を持っていると言っても過言ではない。

 双子たちが手にしているのは、そういう代物なのだ。


 ……だが、ルーサーには一つだけ気がかりなことがあった。


 つい先ほど賢者の石を手にした際に感じた違和感。双子たちとのやり取りから感じた違和感。あれは一体なんだったのだろう。もしや賢者の石とは自分が思っているような代物ではないのではなかろうか。今自分が目にしているその石はもしかすると……。

 

 そこまで考えたところでルーサーは、「……いや、もう俺には関係のないことだ」と沸いた疑問を頭から振り払った。


「この石に、そんな力が……」


 アンは自分が手にしている物の価値に気付いたようで、恐る恐るといった仕草でその表面をつついている。対してメアリは、「そうだ!」と身を乗り出して言った。


「ってことはさ、おじさんにも『手に入れたいモノ』があったってこと?」

「……俺にか? なんでそんなことを訊くんだ?」

「だってそういうことでしょ? 賢者の石を手にした人は全てを手に入れる。そんなおとぎ話を信じたから、おじさんはうちに来たってことでしょ? ドロボーまでしておじさんが手に入れたかったモノって、なんなの?」


 ルーサーはわずかに言葉に詰まった。だが、その問いのなにが自分の中で引っかかったのか。それは自分でも分からなかった。


「俺は泥棒だ。盗む価値があると思ったから盗もうとした。そんだけの話だよ」


 なんだつまんない、とメアリは頭の後ろで手を組んで口を尖らせる。つまらなくて悪かったな、とルーサーは睥睨へいげいする。

 

「でもさ、そんな価値がある物なら他に欲しがる人もいそうだよね」


 すると今度はなにか思い当たった素振りで、メアリはそんなことを口にした。


「どういうこと、メアちゃん?」

「だからさ——」


 と、メアリは人差し指をぴんと立てて言う。


「他にも賢者の石を狙ってる人がいてもおかしくない、ってことだよね?」

「……あっ」


 メアリの推理は正しかった。そして実際に彼女の想像は当たっていた。


「うーん、それなら隠し場所ももっと考えた方がいいかなあ。とゆーか、この家にいること自体危険なんじゃ……」


 だが、そのことに気付いた時点で彼女たちはすぐに次の行動を起こすべきだった。 

 悪い奴というのは往々にして、最悪のタイミングでやって来るものなのだから。


「——おい、お前ら。今すぐ俺の縄を解け!」


 ルーサーはハッと顔を上げるなり、双子たちに向かってそう叫んだ。しかし、唐突な豹変ぶりに二人はきょとんとしている。


「ど、どうしたんですか急に? そんなの駄目に決まってます!」

「そうだよ。さっきまで大人しく負けを認めてたのにどうしちゃったのさ。あ、もしかしてトイレに行きたいとか?」

「冗談を言ってる暇はない。こいつは、お前たちのために言ってるんだ」

「だから駄目だって言ってるじゃん。おじさん、自分の立場分かってる?」

 

 ジリリ、と呼び鈴が鳴ったのはその直後のことだった。

 三人の視線が、玄関に集まる。


「あれ、お客さんかな? でもこんな時間に……」

「もしかして警察じゃない? あたしたちの騒ぎを聞きつけて誰かが通報したとか」

 

 いや、それはない。

 なぜならルーサーはこの家に侵入する際、外にどんな音も衝撃も漏れないよう結界を張っておいたからだ。だから、この家の騒ぎに外部の人間が気付くはずがない。

 しかし、そのことを彼女たちに伝えている時間も余裕もない。


「えっと、一応出た方がいいよね? メアちゃんは泥棒さんを見てて。私が出るよ」

「待て、出るな。外にいるのは警察じゃない。だから、先に俺を解放しろ」

「んもう、なんなんですかさっきから。言いたいことがあるならちゃんと説明してください!」


「敵だよ」

「……えっ?」


「——敵が来たんだ。お前たちのな」


 それからしばらくの沈黙があった。

 誰も応えないと分かったのか、二度目の呼び鈴が鳴ったあとわずかな間があった。

 そして、“そいつ”は玄関のドアを開けて入って来た。


『——ミュイィィィィィィン』

 

 違う。開けたというのは正確ではない。

 きっとその現象は、食い破られたというのが正しい。

 

 玄関はリビングと面していて、ルーサーたちからそのドアはよく見えていた。

 三人の目には、ドアの表面にプツプツと孔が空いていくように見えた。初めは針の孔ほどに小さい孔だったものが、徐々に広がっていき、他の孔と繋がり、さらにドアを蝕んでいく。やがて孔は一つの巨大な空間となり、ドアは跡形もなく消え去った。


『——ミュイィィィィィィン』


 ドアを食い破ったのは、蟲だった。全身鉄で出来た機械のシロアリ。それが無数。

 奇妙な鳴き声を発しながら、シロアリの軍勢はリビングへと押し寄せてくる。


 そして、その蟲を引き連れやって来た者こそが真の敵だ。


 全身真っ白な戦闘服を身に纏い、ヘルメットで素顔を隠した性別不詳の何者か。奴は、ホルスターから引き抜いた銃を正面に構え、平坦な声でこう告げた。


「お前たちが預かった賢者の石を取りに来た。さあ、こちらに渡してもらおうか」


 一難去ってまた一難。はたしてそれは一体誰にとっての試練なのか。

 とかく双子たちと怪盗の夜はまだ終わらない。 

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