第7話 天使の顔をした悪魔のような①

 目が覚めるなりルーサーは、自分が拘束されていることに気付いた。

 

 ここはフラメール邸のリビングだった。どうやら気を失っている間に移動させられたらしい。ルーサーは両手両足をロープで縛られ、二階へと続く階段の親柱に括り付けられた状態で座らされていた。随分と固く縛っているようで、後ろ手に組まされた腕を動かそうとすると肉に食い込んだロープが擦れて痛い。

 

 それと、アレも無くなっていた。

 頭に被せていた目出し帽だ。

 

 陽と陰の世界を行き来する泥棒にとって、自分の素顔というのは通行手形パスポートにも等しい。まだ世捨て人になりたくなければ決して晒してはならない犯罪者の急所ウィークポイント。それをルーサーは見事に晒してしまっていた。

 

 ……まったく、なんてザマだ。

 頭を掻き毟りたい衝動に駆られたが、それはできない。代わりにルーサーは、自分に影を落とす少女を恨めし気に見上げた。

 そこに、メアリは立っていた。


「おっ、やっと起きた。……ねえ、アン。こいつ起きたみたい!」

「ほんとっ! よかった、このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思ったよ」

「まー、その時は庭の花壇に埋めるしかないんじゃない?」

「嫌だよ! そんなことしたらお庭でお花もお野菜も育てられなくなっちゃうよ! メアちゃんだって、泥棒さんの肥料で育ったお野菜なんて食べたくないでしょ?」

「うえー、想像しただけで気持ち悪い。じゃあ明日のゴミと一緒に出すとか?」

「そんなことしたら異臭騒ぎで大騒ぎだよ……」


 まだ悪夢でも見ているのだろうか。天使と悪魔が猟奇的な会話をしているのが聞こえてくる。どちらが天使でどちらが悪魔なのかは、この目で見てもよく分からない。


 一つはっきりとしているのは、

 そんな史上最悪の双子たちが今自分の目の前に存在している、ということだ。


「……生きてる人間の前で死体遺棄の相談か? 趣味が悪いぞ」

「心配しなくても大丈夫ですよ、泥棒さん。あなたはちゃんとお巡りさんに逮捕してもらいますから。でも、その前に一枚。——はい、チーズ」


 カシャリ。

 というシャッター音と共に、眩いフラッシュが正面から浴びせられる。


「泥棒さんの素顔はこの『パラコル』にばっちり収めました。だから、逃げようだなんて考えないでくださいね? そんなことしたらこの写真が明日の新聞に載ることになるんですから」

「抜け目ないな……」


 アンの手には携帯電話が握られていた。

 数年ほど前からこのくにで普及し始めた小型の通信端末で、遠距離間の通話やメールの送受信ができる他、カメラの機能も付いている。俗に『パラコル』と呼ばれている代物で、産業革命真っ只中の現代を象徴するハイテクだ。

 端末にはその製造メーカーでもある『パラドック社』のロゴが印字されている。


 忌々しい科学の尖兵め。写真を撮りたいならカメラを持てばいいだろうに。

 ルーサーは不貞腐れた顔で、自分に向けられたパラコルのレンズを睨みつける。


「だが、所詮は子供の浅知恵だな。逃げる時にその機械ごと写真を奪われる、とは考えないのか?」

「ふふっ、こっちはあくまで保険です。もしもあなたが逃げるような素振りを見せた時には、私のがちゃんとお仕置きしてくれますから」


 パンパン、とアンが両手を叩く。

 すると、ルーサーの周囲で何者かが蠢く気配があった。


『——クイッ、キイィィッ!』


 気付けばルーサーは、そのお友達——ぬいぐるみの集団に囲まれていた。


 鋭い爪や牙が生えた奴、フォークやナイフを持っている奴、ハサミをチョキチョキと鳴らしている奴、ロープの切れ端を使って縄跳びをしてる奴、ルーサーの肩に乗ってただじーっと横顔を覗き込んでくる奴……とかく不気味な連中がぞろぞろと。

 彼らは平然と、あたかもそれが自然なことであるかのように自立している。


 よく見ると、その中には大事そうに注射器を抱えたぬいぐるみの姿もあった。

 見覚えのある顔だ。そいつの顔を見た瞬間、首筋に針が刺さったままになっているような痛みを思い出した。それからドロリとした液体を注入された感覚も……。

 やはりあの悪夢は夢ではなかったのかと、ルーサーは顔をひきつらせる。


「やっぱりお前も魔術師だったんだな。それもまさか、人形遣いパペッターとは」

人形遣いパペッターだなんて大げさです。私はただ、このぬいぐるみさんたちにお願いごとを聞いてもらってるだけなんですから」


 人形遣いパペッター。その名が示す通り、人形を操ることを得意とする魔術師を指す俗称だ。

 物に触らずに物を遠隔操作する魔術、というだけであれば他に幾らでも例はあるが、彼ら人形遣いパペッターが扱う魔術はより専門的で、より高度な技術を要する。

 聞いた話では足の指を使って針穴に糸を通すくらい難しいとか、逆立ちしながら口で文字を書くくらい難しいとのことだったが、実際のところは不明だ。

 少なくとも、ルーサーには真似することのできない芸当だった。


 しかし、一つ気になるのは……。


「お願いごと、ね。俺はお前に詠唱する隙を与えたつもりはなかったんだがな……」

「だから、それも含めて事前にお願いしておいたんです。ぬいぐるみさんたちには私が呼ぶまで『待機してて』って。そして私が呼んだら『助けてね』って」


「そいつはつまり……、ってことか」


 驚愕に目を見開くルーサーに対して、アンは「えへへ」とはにかんでみせた。


 ……なんて邪気のない笑顔だ。

 この表情の裏側に秘められた意図にもっと早く気付くべきだった。この少女は初めから、ルーサーに勝つ気でいたのだ。


「まったくもー、そんな切り札を隠してたんならもっと早くに使ってよね。そうすればあたしたちが捕まる必要もなかったんじゃん。くすぐられ損だよ!」

「ごめんね、メアちゃん。でも仕方なかったんだよ。この泥棒さんが私のことを『魔術師なんじゃないか』ってずっと疑ってたから」

「そういえばなんかジロジロ見てたよーな。てっきりアンを狙ってるんだと……」


 メアリが言うような下心は誓っても「ない」と断言できるが、アンを疑っていたのは事実だ。だが、そういう時に限ってメアリが割って入ってくるものだから、いつしか注意がおろそかになっていた。当の本人にその自覚はないようだが。


「普通の泥棒ならなんとかなったかもしれないけど、相手はメアちゃんがやられちゃうような魔術師さん。普通に戦っても私なんかが勝てるわけないでしょ? だから、私でも勝てるチャンスが来るのを待ってたんだよ」

「それでやたらと協力的だったんだな。お宝を手にした瞬間になら俺が隙を見せると踏んで」

「えへへ、上手くいってよかったです」


 ルーサーは苦笑混じりにため息を吐いた。

 まさかここまで彼女が考えて行動していたとは。油断していたつもりはなかったが、やはり心のどこかでは相手を子供だと思って見くびっていたのだろう。

 彼女は無垢な表情の裏側に刃を潜ませ、その機会を虎視眈々こしたんたんと待っていたのだ。

 

「まったく参ったね。ガキ共にここまでしてやられるとは。……降参だよ」

「それって、あたしたちの勝ちってこと?」

「勝負をした覚えはないが、まあそういうことになるだろうな。お前たちの勝ちだ」


 ルーサーはこれ以上の抵抗は無意味だと考えていた。この状況を打開する方法は幾つもあったが、それを実行に移す気にはどうしてもなれなかった。

 要するに、諦めたのだ。


「そっか、あたしたち……ちゃんとお父さんとの約束守れたんだ」

「そうだよ、メアちゃん。私たち二人で守ったんだよ」


 空き巣に入って、その家に住む子供たちに撃退された。これ以上の屈辱はない。

 その事実だけでも、落ちぶれたコソ泥の心を打ち砕くには十分すぎる敗北だった。


 ……悪いな、ミルコ。残念ながらお前の期待には応えてやれそうにない。


 祝勝ムードに浮かれる双子を横目に、ルーサーは諦観ていかんした面持ちで天を仰ぐ。


「ってことはさあ——」


 するとメアリは、そんなルーサーの顔を覗き込んで言った。


「こっからは、メアちゃんたちの仕返しターイムってことだよね?」

「…………は?」


 この家には初めから天使などいなかった。自分はきっと悪魔の巣に空き巣に入ってしまったのだな、と。ルーサーはこんな家を紹介してきた情報屋の顔を思い出して、また恨んだ。

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