第10話 双子たちと怪盗の短くも長い夜②

 ——バチッ、と。

 メアリの額から一筋の電流がほとばしった。


「待て、メアリ!」


 メアリは勢いよく飛び出すなり、両手を正面に構えた。照準を合わせる先には強盗の背中。電気を帯びた魔力がメアリの元に集まっていき、青白い光が彼女を包む。そして彼女は詠唱を以て必殺のイメージを具現する。


峻険しゅんけんなる隼よ! 天に頂く雷鳴を呼び覚まし、大地を穿つくさびとなれっ!」


 メアリは魔術を使う気でいた。鉄の鎧をも焼き焦がす雷槍をぶっ放し、無防備な強盗の背中にその槍を突き立てる……つもりだった。だが——、

 

「——えっ?」


 強盗の動きは早かった。消えた、と。そう錯覚するほどの早さで転回した強盗は、床を蹴ったと同時にメアリの眼前に現れた。そして、奴はメアリの喉元を片手で掴み取った。


「……ぁッ、ぐ!」

「メアちゃん……ッ!」


 強盗は、メアリを片腕で宙に持ち上げながら言った。


「言ったはずだ。余計なことをしなければなにもしない、と。自分から死を選択するとは愚かな子だ」

「……この、放っ……ッ、息が……ぁっ、か……ッあ……!」


 喉元に噛んだ強盗の指が、牙のようにメアリの細首に食い込んでいた。

 メアリは宙吊りの格好でジタバタともがきながら、苦痛に喘いでいる。だが窒息を待たずとも、奴なら片腕で少女の首の骨をへし折るくらいは可能に思えた。

 

 ルーサーは咄嗟に立ち上がろうとしたが、両手両足に巻き付いたロープがそれを許さない。おまけにロープは階段の柱にも巻き付いていて、まずはここから脱出することから考えなければならなかった。

 ……だからさっさと解放しろと言ったのに!


 時間がない。ルーサーはアンに切断してもらおうとも考えたが、彼女は彼女で別のことでいっぱいいっぱいだった。


「——放してください!」


 あろうことかアンは、自分一人で強盗に立ち向かおうとしていた。


「メアちゃんを、放して……ッ!」


 アンはメアリの窮地を目の当たりにして、頭に血が上っていた。

 そんな彼女の怒りに呼応してか、家具の陰に潜んでいたぬいぐるみたちがぞろぞろとリビングに顔を出す。

 

 ナイフやフォークにハサミにロープ、鋭く尖った爪や牙。一見ファンシーな外見をしたぬいぐるみたちが、それぞれの武器を持ち寄り、一人の人間を取り囲んでいる光景はなんともシュールで、それ以上に不気味だった。


「お願いぬいぐるみさんたち! あの悪い人をやっつけてっ!」

『アァァイ、キィィィイル、ユーーーッ!』


 奇妙な叫び声と共に、ぬいぐるみたちが一斉に強盗目掛けて飛び掛かる。

 その決着は、一瞬のうちについた。


「喰い荒らせ、ナノボット」

『——ミュィィィィィイイン!』


 天井を飛び回っているだけだったシロアリの群体が、強盗の合図で一斉に動き出した。武器を手に取り強盗に立ち向かうはずだったぬいぐるみたちは、甲高い鳴き声と羽音を引き連れた白の軍隊にあっという間に呑み込まれた。

 

 一匹一匹が持つ牙は大したことはない。だが、それが幾千ともなればミキサーにも匹敵するあぎととなる。無数の牙で生地を噛み千切り、腹を食い破り、綿を食い荒らし、腕も足も目玉も頭も根こそぎ平らげる。武器を振るう暇などない。ナイフもフォークも奴らの腹に消えた。シロアリが通り抜けた道には、毛糸一つ残ってはいなかった。


「そんな……っ、私のぬいぐるみさんたちがみんな……食べられちゃった」

 

 兵隊を失ったアンは戦意を喪失し、呆然と立ち竦んでいる。圧倒的だった。白き襲撃者を前にして、双子たちは手も足も出なかった。


「双子というのはこうまで似るものか。揃いも揃って現実が見えていない」


 強盗はメアリを片腕でつるし上げたまま、アンに銃口を向けた。そしてその額に照準を定め、カチリ、と撃鉄を起こす。


「世界はいつでもお前たちに微笑んでくれるわけじゃない。覚えておくといい」


 そう呟いた直後、強盗は躊躇なく引き金を引いた。——パンッ、と乾いた銃声が響き、弾き出された薬莢が床をカランと叩く。

 

「————」


 あまりのことに、アンは自分が撃たれたことにも気付いてはいなかった。

 気付けば床に倒れていた。避けなければ、という考えすら及ばなかった。どうして自分が仰向けに倒れていて、どうして天井を見上げているのかも分からなかった。

 そして、


「……ぁ、……」

 

 どうして泥棒さんが自分の身体に覆い被さっているのかも。


「…………あれ、泥棒さん……? なにが……どうして……」

「どうもこうもない。間一髪、って奴だ」


 銃弾は当たらなかった。咄嗟にルーサーがアンを押し倒したからだ。あとコンマ数秒遅れていたら、その弾は自分に当たっていたかもしれない。身を挺して庇う覚悟はあったが、傷を負わないに越したことはない。まさに、間一髪という奴だった。


「なるほど、父親と言うだけはある。口だけではなかったか」

 

 強盗の口調は平坦なままではあったが、微かに笑ったように聞こえた。


「錬金術師と聞いていたが、手品師の才能もあるらしい」


 階段の辺りには、ルーサーを縛っていたロープが脱ぎ捨てられている。ルーサーの両手は自由になっていた。だが、両足に巻き付いたロープは健在。そこまで解いている時間はなかった。ルーサーは、足を縛られた格好でアンに飛び付いたのだ。

 強盗の目にはそれが酷く滑稽こっけいに映ったのかもしれない。だからと言って嗤われるいわれもないが……。


「お気に召したか? だったら、早いとこうちの娘から手を離してくれ」

「このままこの子の首の骨を折ると言ったら?」

「その時は代わりに二つの物を置いていってもらう。一つは賢者の石。もう一つは——、お前の命だ」


 直後、ルーサーはから抜き取ったリボルバーの引き金を引いた。


「……ッ、く!」


 銃弾は強盗の腕を掠めた。強盗は顔をしかめ、メアリを掴んでいた手を放した。支えを失ったメアリは、床に尻もちをついて不時着する。


「げほっ、げほ……っ! ……うぇェ……口ん中、血の味がするぅ……っ!」


 メアリは喉を押さえてむせせてはいたものの、意識はちゃんとあるようだ。 

 タフな子だ、とホッと息を吐く。


「っ、メアちゃん!」

「待て!」


 アンはメアリの元に駆け寄ろうと立ち上がったが、その前にシロアリの群れがぶわっと湧き上がった。強盗は血が滲んだ腕を押さえ、ヘルメット越しにルーサーを睨む。


「……ッ、やってくれる……!」


 このまま襲って来るか? ルーサーはリボルバー片手に身構えるが、奴にこれ以上ことを構える気はないらしく、強盗はシロアリを引き連れ玄関から出て行った。


 追いかけるべきかと一瞬迷ったが、シロアリに食い破られたはずのドアがシロアリの手によってのを見て、ルーサーは足を止めた。

 

 ……あれはやはり、ナノボットか。厄介な物を連れてやがる……


「この、待てっ! ……逃げるなっ!」


 一方、メアリは懲りずに外に飛び出して行ったが、その時にはすでに強盗はバイクに跨っていた。しんと寝静まった旧市街にエンジン音が轟き、追い縋ろうとする少女の手を振り切って奴の乗ったバイクは走り出した。


「くそっ、走ってでも追いかけてやるっ! ——ッ、ごほっ、えほ……!」


 メアリは叫ぶなり喉を押さえて、路上にうずくまった。ずっと首を吊るされていたようなものなのだから、動くだけでも辛いはずだ。

 慌てて駆け寄ったアンが、苦しそうに咳き込むメアリの背中を撫でてやっている。


「駄目だよ、メアちゃん。もうあんまり無茶しないで……!」

「でもっ、このまま行かせちゃったら賢者の石が!」

「やめとけ、行っても無駄だ。あいつとの実力差は分かっただろ? お前一人が追いかけたところでまた返り討ちに遭うに決まってる。大体、今から走って追いつくスピードでもないしな」

「それは……っ、でも……あれは失くしちゃいけないものなんだよ……」


 あの強盗に敵わないことは百も承知、それでも諦めるなんて以ての外、でも……。

 

 メアリは半べそを掻きながら、すでに見えなくなってしまった強盗の背中を睨みつけ、悔しそうに拳を握りしめていた。

 アンは、そんなメアリの手を優しく取ってこう言った。


「大丈夫だよ、メアちゃん。取り返すチャンスはまだきっとあるよ」

「……え?」


「——そうですよね、泥棒さん?」


 アンの瞳には半分の期待と、半分の確信が宿っていた。メアリもアンの視線につられて、はなをすすりながらルーサーを見上げた。

 

 ……また、この目だ。


「俺に妙な期待はするな。強盗は追い払ってやったんだ。それでよしとしろ」

「それなら、交渉させてください」

「嫌だね、俺はすでに自由の身だ。俺を縛る物はもうなにもない」


 ルーサーは、ぷらぷらと自由になった腕と足を振ってみせる。これで物理的に自分を拘束する物はなくなった。逃げようと思えばいつでも逃げられる。しかし、ルーサーはそうしなかった。逃げる、という選択肢はいつの間にか消えていた。


「もしも賢者の石を取り返してくれたら、泥棒さんの写真は消してあげます」

「おい、それはさっきも使っただろ。再利用するのはズルいんじゃないのか?」

「ズルくてもいいんです。言うことを聞いてくれないなら、明日にはみんなが泥棒さんの素顔を知ることになっちゃいますよ?」


 それは交渉とはとても言えないお粗末な、単なる少女の我儘に過ぎなかった。だが、そういう単純なお願いほど効果的だったりするものだ。


「……おじさん、お願い。あの石はあたしたちにとっては大事な物なの。だから一緒に、あたしたちと一緒に取り返して……!」


 メアリはルーサーの手を握って、そう言った。それがダメ押しとなった。

 

 ……甘いな、俺は。ルーサーは自分に言い訳でもするかのようなため息を吐き出すと、勿体ぶった口調で双子たちに言った。


「分かったよ、そこまで言われたら仕方ない。今日一日だけはお前たちの望むモノになってやるさ。娘の言うことにゃ逆らえない、優しい優しいお父さんにな」


 その一言に、メアリとアンはパッと晴れた笑顔をみせた。そして二人はハイタッチ。良いように乗せられた気がするが、まあいいだろう。寝覚めの悪いしこりを残すくらいなら多少の遠回りも仕方ない。全ては今夜いい気持ちで眠るためだ。

 

 ルーサーはパシっと頬を叩いて気合いを入れ直し、双子たちに向き直った。 


「ほら、追うならさっさと追いかけるぞ。ここまで来て宝を横取りされましたじゃあ土産話にもならないからな」

「あっ、そうですね。でも、今からでも間に合うかな? どこに行ったのかも……」

「そういえばそうだよね。なんも考えてなかったけど、どうしよ」

「どうもこうも、追いかけるしかないだろ」

「だからどうやってさ? 言っとくけどうちにはバイクなんてないよ?」

「そんなカラクリに頼らなくても、俺たちにはもっといいもんがあるだろうが」


 自信たっぷりに話すルーサーに対し、双子たちは揃って首を傾げていた。そんな二人の手を取って、ルーサーはにやりと笑った。


「今から俺が、お前たちに最高の景色を見せてやる。とびっきりの勝利の景色をな」 

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