第4話 信じられない

翌朝、腫れた目をこすりながら1階へ降りる。リビングには食欲をそそる匂いが充満していた。朝も早いのにテーブルに並んでいたのは僕の大好物のフレンチトースト。香ばしさと甘さのダブルパンチ。とろとろのフレンチトーストに黄金に光るハチミツをぐるりとかける。てっぺんに輝く溶けバターとの相性は抜群で僕を幸福感で満たす。


嫌々学生服に袖を通し、ベルトを締める。母さんは僕が制服を着ていることに驚愕の表情を浮かべる。僕の目を真剣に見つめ言う。

「ごめんね、そうた。母さんもう限界なの。これ以上そうたの傷つく姿をみることは耐えられない。だから母さんの勝手なの、そうたが気に病まないでほしい。学校には欠席連絡を入れました。学年主任の先生は事情を知ってらっしゃって気にせず休んでほしいって」

目が点になる。だが母さんの心遣いが嬉しかった。僕が助けを求められないこと、抱え込んでしまうことを分かっていてくれた。さすがに突然のことだったため母さんが有給休暇を取ることはできなかったが無理やり2時間の時間給を取得したと母さんは笑った。睡眠時間を削ってまで僕の大好物のフレンチトーストを作り、欠席連絡を入れ、僕が不安にならないように仕事を遅らせる母さんの姿に昨晩から涙もろくなった僕は号泣してしまう。


僕に口が酸っぱくなるほどに戸締りの重要性をこんこんと説いてから出勤していった。僕はとんだ親不孝者だ…。父さんと兄ちゃんに謝罪する。畳に頭をこすりつけ泣き叫ぶ。こんな僕を天国から見てくれている2人はさぞ失望したことだろう。真意を聞こうにも2人には2度と会えない。いっそのこと僕も連れて行ってほしかった。何故人気者の父さんと兄ちゃんがいなくなってしまい、何の役にも立たない弱虫の僕が残されたのだろう。父さんが最期に遺してくれた言葉さえも実践できていない。

『母さんを幸せに、笑顔にしてくれ』

母さんは僕と2人きりになってから日に日に落ち込んでいった。父さん子の僕を慰めようと母さんは遊園地や水族館に連れて行ってくれた。連日目の下にクマができていた。母さんの努力の甲斐あってやっと僕が笑顔を見せるようになった頃には母さんの体は限界を超えていた。仕事場で1人倒れていた母さんは救急車で病院に運び込まれた。母さんまで失ってしまうのかと怖くて僕は小学校を休み毎日2駅分ほどかかる病院までの道のりを自転車で往復した。から元気を見せる母さんに怒ったことも今となっては遠い記憶。というよりさっき母さんに言われて思い出した。

「そうたはもう覚えてないかもしれないけど私が倒れて入院したときね

“母さん、僕は子供だし頼りないかもしれないけど、素直に話してよ。父さんと兄ちゃんが死んじゃったとき母さんも悲しかったはずなのに僕のために頑張ってくれたことは知ってるから。今度は僕の番だよ”

って言ったの。母さんも同じ気持ちよ」

嬉しそうな笑顔だった。こんな僕のことを信じてくれている。恋人はおろか1人の友達もいないこんな僕を。

ぎゅっと拳をにぎって立ち上がる。A4用紙にペンを走らせる。決意を込め必死に動かす。

『信じてくれる人を裏切らない。弱虫も泣き虫も汚名返上する。』

部屋の壁に貼り付け、血判を押す。幸いにも昨日の怪我で血はあちこちから流れ出ている。完成した決意を満足げに眺める。いつもの乱雑な字とはうって変わって丁寧な字が並んでいる。


静寂を破るようにインターフォンが来客を知らせる。母さんから誰か来ることは聞いていない。おそるおそるモニターを見る。黒色の野球帽を目深に被り、耳には高価に見えるピアス、カジュアルなグレーのスーツに身を包んだ男が一人。顔は一切分からないはずなのにこの人に対する恐怖心は自然となかった。ガチャリと扉を開ける。と、その人は中に入り扉を後ろ手で閉める。見知らぬ男と一対一で向い合せになる。男は帽子を被ったまま頭を深く下げる。90度近いお辞儀。

「はじめまして。未練配達の者です。そうたさんですね」

ぴたりと名前を言い当てられてたじろぐ。

「怖がらないでください。僕はどちらかと言えばあなたの味方ですよ」

そんな胡散臭い説得ほど意味のないものはないだろう。

「お父様からあなた宛てに届け物を預かっているんですよ。信じてませんね、まあ無理もないですね。何年もまえに亡くなっているんですから。本当はもう少し早く届くはずだったのですが道に迷ってしまいまして」

脇に挟んでいる黒塗りの木箱を僕に渡してくる。宛名には僕の名前が贈り主には見間違えようもない父さんの字で名前が書いてある。唖然としている僕を横目に男は

「では僕の仕事はここまでです。あ、言い忘れていました。そのチケットをご利用の際は裏面の注意事項もきちんとお読みください。ではいい時間をお過ごしください」

そういったかと思うと一瞬のうちに男はいなくなった。かわりに小さな紙が落ちている。ボールペンで殴り書きがされていた。

「お父様はそうたさんが大好きですよ」

メモをポケットに押し込み、木箱をそっと開ける。中には封筒が1通。中には未練配達特殊チケットなるものが入っていた。男の言葉が脳裏に浮かぶ。裏返すと事細かに注意事項が書いてある。なかでも目をひいたのは

(本チケットは1回限り有効です。会いたい人に会える時間はあなたの目が覚めるまでですが夜明けまでの時間は確実に保証されます。会える人数に限りはありません。)

という文章だ。あの男は確かに言った、お父様からだと。僕は無我夢中で注意事項を読み頭に叩き込む。机に仕舞い込んだままだった万年筆を取り出し丁寧な字で必要事項を記入しいていく。午後8時から有効だと知り今日の就寝を早めるためにシャワーを浴びる。まだまだ日は高くその特別感がまた嬉しい。落ち着こうとテレビゲームをやっても30分も経てば飽きてしまう。諦めてそわそわと期待感に胸をふくらましたまま1日を過ごす。午後6時、いつも通りに帰ってきた母さんと夕食を食べ7時半には自室にこもった。寝付きの悪い僕は十五分前にベットに潜り込む。何年ぶりだろう父さんと兄さんに会うのは。興奮しきっていて寝られるわけなんかない。と思っていた。だが昨日も満足に寝られていない僕の体はすぐに睡魔に飲み込まれていった。

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