第51話 エメラルド・フォールズ The Mark Of Truth


 サウロンの死の真相は思い出せたものの、サマエルはその後の出来事を断片的にしか覚えていなかった。


何者かに身体を抱え上げられ、馬の背に乗せられた気がする。男女の話し声がしたのをかすかに覚えている。二人ががりで左右から支えられ、運ばれた・・・轟音ごうおんが耳に残っているのは、滝に近づいていたからに違いない。その途中、公爵は何者かの肩口に回した右手で、無意識に触れた物をしっかり掴んでいた。


 不意に宙に投げ出され、身体が空中を落下して行く。途中で木の枝か何かに引っ掛かって一瞬止まった後、身体が横転して再び空を切って落ちて行った。背中と腰に激しい衝撃を受け、呼吸ができなくなった・・・



 タリスに肩を叩かれて、公爵は我に返った。目を開けると涙が溢れ出て、唇の震えが止まらない。耐え難いほど辛い想いに胸が詰まった。

 サウロンは衝動に駆られて、次々に村の娘たちを襲い凌辱して殺害した。その所業をどうしても止められずに苦しんでいた。でも、誰ひとり彼の所業にも苦しみにも気づかず、娘たちを守ることもできなかった。その場にいながら、サウロンが死を選ぶのを止められなかった!


「自分を責めないで下さい」


 タリスは俺の肩に片手を当てたまま、サマエルを見上げて優しく言った。その言葉で公爵は泣いた。たまらなかった・・・


 タリスは無言で背伸びをして両手で公爵を抱きしめた。サマエルは立ちすくんでうつむいたまま、タリスの肩に顔を押しつけて号泣した。 二十歳はたちの自分が十五歳ぐらいの少女に、母親にしがみつく子供のようにすがっているのも気にならなかった。


 幼い頃、海難事故で両親を失い、心にぽっかり空いた穴を抱えたサマエル。同じく内戦で両親を失い、若くして国を守る重責を背負ったサウロンとニムエの兄妹。

 うち続く戦乱で目の当たりにした凄惨な出来事の数々は、サウロンのような強靭な心の持ち主にも気づかないうちに深い傷を負わせた。まして自分のように人一倍感受性の強い人間は、この世の悲惨な現実にとことん打ちのめされてしまう・・・


 しばらく外聞がいぶんもなく泣き続けていると、心の底でもう耐えられないと、何年も感じ続けていた苦しみが、公爵の心から不思議と和らいでいった。サウロンの死を巡る一連の出来事の耐え難い苦悩も薄らいでゆくようだった。 サマエルが泣き止むと、小間使いの少女は耳元で優しく声をかけた。


「あなたが手を尽くしても、自害は止められなかったでしょう。サウロンには、英雄としての矜持きょうじがありました。心に巣くった闇を、自らの手で葬り去る道を選んだのです」


 そうだったのか・・・サウロンが死の間際に見せた凄みのある笑みは、心の闇と相打ちに持ちこんだ戦士としての充足感だったに違いない。でも、犠牲者もサウロンも命を失った悲惨な結末を思い、どうにも気持ちのやり場が見つからない・・・

 サマエルが悲しみを堪えていると、タリスが優しく声をかけた。


「あなたは並外れて繊細で敏感です。他人や生き物たちの苦しみまで、我がことのように感じてしまいます。これからも人の何倍も苦しむでしょう。けれども、自分を受け入れて癒すことができれば、眠っている力が目覚めるでしょう」


 意味がわからないながらも、サマエルは目を閉じて、ひたすらタリスの言葉に聞き入っていた。


「サウロンはその力に薄々気づいていました。だから、あなたを呼び寄せて秘密を打ち明けたのです。自分を殺して強く生きるのは、あなたの道ではありません」


「この少女は人の心も読めるのだろうか?」

と、思ったサマエルは、ようやく我に返りタリスの肩から顔を上げた。


「心を読んでいるのではありません。いずれあなたにもわかります」


 穏やかな口調でそう言うと、タリスはエプロンのポケットから小さな物体を取り出して公爵に手渡した。


「崖下のシンクホールの脇で、意識を失ったあなたが手に握っていました」


 デビアス家の紋章が刻まれた銀製の飾りボタンだった。公爵が狩猟小屋とその後の記憶を失ったのは、デビアス伯爵夫妻が原因だったのである。


「あの二人はあなたに濡れ衣を着せ、殺害して死体を隠してしまえば、王位が転がりこむと計算したのです。そのため、王女の王位継承の条件に、封印されていた血の掟を持ち出しました。エメラルドフォールズに放りこめば、死体は永久に見つかりませんから。帰らざる滝と呼ばれているぐらいです」


 淡々と語るタリスの言葉に思い当たる節があった。


「そう言えば、ランポで公爵家の領地を走り抜けた時、村には伯爵家の従者がいたっけ。知らせを受けた夫妻は、王家の狩猟小屋と見当をつけに違いない。こっそり小屋に忍び寄ったんだね。じゃあ、君は小屋から逃げ出したのに戻って来たの?」


 タリスはうなずいた。


「森のはずれから様子を窺がっていました。ランポは伯爵夫妻を知っていますから、二人が小屋に近づいても騒ぎませんでした。窓から小屋の中を覗いた伯爵は、あなたの薬草鞄からブラックロータスを取り出して、中に投げ入れたのです」


「そうだったのか・・・そして、意識を失った僕をエメラルドフォールズまで運んだんだ・・・でも、僕はどうして助かったんだろう?」


「前夜の雨のおかげです。日も沈みかけていましたから、増水した川岸には迂闊に近づけません。止むを得ず崖からあなたを投げ落としたのです。シンクホールに落ちなくても、あの危険な場所に近づく者はいませんから、死体は見つからないと踏んだのでしょう」

 

 エメラルド・フォールズの高さは五十メートルで、滝の水は巨大なシンクホールから地下に直接流れ込んでいる。崖下はあちこちが陥没した軟弱な地盤が広がる。


「カルデロンは焦っていたに違いない。夕食までにサウロンが城に戻らなければ、不審に思ったニムエが捜索隊を出すから」


 タリスはうなずいて言った。


「はい、国王の遺体はあの夜、 捜索に出た従者たちが発見しました。血まみれのあなたの上着や持ち物もその時に見つかり、上着のポケットには伯爵が仕こんだブラックロータスの空の小瓶が入っていました」


「サウロンの死を公にする前に、ニムエはカルデロンを城に呼び出して相談する。伯爵はその前に屋敷に戻りたかったんだ。留守中に王宮の伝令が訪ねて、従者がランポの一件を伯爵に報告したと口を滑らせでもした日には、二人して狩猟小屋に出かけた事実がバレるから・・・自ら手を下して僕の死体を森に埋める手もあったけど、獣に掘り出されるのを警戒したんだろう、今頃、さぞかし悔やんでいるに違いない」


 少なくともニムエの王位継承だけは滞りなく進むだろうと、サマエルはほっとしたのだが、ふとある疑問が胸をかすめた。シンクホールに落ちるのは免れたが、五十メートルも転落すれば、命は助かっても重傷を負っていたはずだ。

 それなのに、隣国の村で目を覚ました時、サマエルの身体には傷一つなかった。


 今と同じだ!


 公爵はまじまじとタリスの顔を見つめた。


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