第38話 処刑 Arrow

 まるで夢遊病者のように、言われるがまま扉まで歩いて背中をつけて立つ。ショッキングな出来事が続いて、心はとっくに麻痺して現実感を失っていた。過酷な現実を拒否する脳の防衛機能が生み出す離人症状、とかすかに残る現世の匠の意識がささやく。


 この場所で密かに処刑された者たちの血で、扉の下の石畳はところどころ赤黒く染まっているが、内戦後に新調された扉は傷ひとつなく、ニスの香りが残っていた。蜀台が扉の上と左右に取り付けられ、蝋燭の火が扉をほのかに照らしている。


 冷たく無表情なニムエを見るのが辛くてたまらず、匠はうつむいた。

「両手を広げて、手の平を開いて!」 

 ニムエが鋭い声を発する。無感覚になった心に恐怖が湧き上がった。いくら頭で覚悟したところでどうにもならない。広げた両腕が小刻みに震えて止まらなかった。思わず目を固く閉じ、息を止めていた。


「顔を上げて!」

 ニムエの声が静まり返った回廊に響いた。匠が大きく息を吸って目を開けると、王女は五メートルほど前方で弓を引き絞って狙いをつけていた。その姿に、匠は一瞬恐怖を忘れた。何て、美しいんだろう・・・

 隣国で出会った時と同じように、我を忘れて見入った。投げやりな気持ちが薄れて、あこがれと恋心が鮮烈に蘇ったのである。

 匠が見惚れているのに気づいたニムエは、唖然として小さく叫んだ。

「このに及んでまだそんな目で・・・!絶対に許さない!苦しめ抜いて殺してやるからッ!」


 図らずもニムエの怒りに油を注いでしまったが、もしかしたら無意識にそうしたのかも知れない・・・無表情で冷ややかなニムエではなく、怒りに燃えていても自分をまっすぐ見つめる姿を、最後に心に焼き付けておきたかった。

 

 ニムエの憎しみよりも、無関心の方が遥かに辛かったから・・・

 

 ニムエは弓を引き絞った右手を目の位置まで上げ、慎重に狙いを定めた。しばらく生かしておくために、誤って大動脈を傷つけて致命傷を与えないよう気を配る。

 匠は反射的に目を閉じて頭を扉に押しつけた。衝撃に備えて無意識に息を止め歯を食いしばった。

 

 風を切る乾いた音と同時に右手の平に鈍い衝撃が走った。肉を貫いて骨が切断される不気味な軋りに、激しいうめき声が漏れて全身が硬直した。無意識に右手で矢を握ろうとした途端、裂かれた骨に激痛が走り、手の平がドクドクと脈打ちうずき始める。

 あまりの苦痛に身体が勝手に反応して、左手で矢を握って抜こうとするがびくともしない。反射的に矢軸を折ろうとした右手に激痛が走って動きが止まった。血が流れ出してぽたりぽたりと石畳に落ちる。匠はうめきながら地団太じだんだを踏みたくなるほどの痛みに耐えていた。


「あきらめるのね!その矢は折れないわ!」

  

 その声に向き直った匠は喘ぎながら扉にもたれかかった。二の矢をつがえて弓を引き絞り再び狙いを定めるニムエを見て声をふり絞った。

「ニムエ、聞いてくれ!・・・」


「一矢で殺して欲しいの?生憎ね、止めを刺すのは罪を償わせてからよ!兄上と戦って殺したのなら名誉ある死を与えたわ。でも、薬で無防備にして殺すなんて!嬲り殺しにしたって飽き足りない!」


 匠は唇を噛みしめた。慈悲を乞うつもりはなかったのだが、ニムエはもはや聞く耳を持たない。何を言ってももう信用してくれそうもない。


 せめて一度だけでいい。本当に好きだと伝えたい・・・

 苦痛におののきながらも、頭の中にはニムエへの一途な想いが駆け巡っていた。


「観念するのね!」

 ニムエは冷たく言い放つと顎をしゃくって左手を広げるよう促した。匠は目を固く閉じて息を詰めて衝撃に備えた。左手が恐怖に震えるのを必死で抑えながら。



 二本目の矢を射こまれた後は、立っているのもやっとだった。全身から冷や汗が吹き出し、苦痛の波が襲ってくる度に唇を噛んでうつむき、うめき声を抑えて耐えた。崩れ落ちたら最後、両手に体重がかかってもっと激しい痛みに見舞われる。


「今日はこれまでよ!明日は両肩を貫いてやる!その後は太腿よ。六本の矢で串刺にしてやるから!」 

 弓を下ろして匠に近づいたニムエは、いきなり激しく扉を蹴りつけた。その震動で泣きたくなるほどの激痛に襲われ、思わず我慢していたうめき声が漏れた。うなだれた匠の髪をつかんで顔を上げさせる。

「よくも兄上を!」

 頭を扉に強く押しつけると、ニムエは怒りを爆発させて繰り返し何度も扉を蹴りつけた。匠の身体は苦痛にのけぞり、喘ぎながらうめき声を振り絞ってのた打ち回る。

 が、間もなく苦痛のあまり、忽然こつぜんと意識を失った。



 失神から覚めた時、ニムエの姿は消えていた。気絶していた間に脇の下にロープが巻きつけられ、扉の左右にある金属製の輪に結わえ付けられている。意識を失って倒れた拍子に、手の平の傷が裂ければ失血死につながる。長く生かして苦しめるための工夫を凝らしていた。

 意識が戻ると同時に蘇った苦痛にさいなまれて、匠は身もだえした。絶え間なく続く苦痛と、いたたまれないほどの孤独感に涙がしたたり落ちる。


「どうしてこんなことに・・・」


 懐かしい人々や景色が苦痛に霞んだ裏に蘇る。海難事故で行方不明になった両親、幼馴染の友人たち、公爵家の執事や召使い、王家や貴族の知り合い、慕ってくれた犬や馬たち・・・そしてサウロンとニムエ。

 匠の目からとめどもなく涙が溢れ出て止まらなかった。


 しばらくすると、小間使いが生乳に果汁を混ぜた飲み物を持ってやって来た。声を振り絞って話しかけても、無言で飲み物を与え身体の世話をすると、そそくさと立ち去ってしまった。

 小間使いが去ると、不気味に冷たい空気に包また回廊は蜀台の灯りを揺らす風もなく、この場所で息絶えた囚人の怨念が漂っているようだった。立ったまま傷の痛みに耐えながら時折うつらうつらとしては、苦痛に目が覚めてしまう。時間が途方もなく間延びして夜は延々と明けそうになかった。



 しかし、それはまだ序の口に過ぎなかったのだ。二日目、三日目とさらに二本ずつ矢で射抜かれると、ニムエの前でも、もはやうめき声を抑えるのは無理だった。

 近距離から恐ろしい音を立てて飛来し骨を砕いて筋肉を貫き通す。激しい衝撃に身体がのけぞり、新しい傷口から血が流れ出して衣服が真っ赤に染まっていく。矢を伝って一部は石畳に滴り落ちる、そしてすぐに新たな耐え難い苦痛が襲ってくる・・・


 苦痛と恐怖に耐えながらも、匠は二日目、三日目とニムエに話しかけようと試みた。だが、顔を上げて口を開こうとすると、王女はいらついて眉間に皺を寄せて不機嫌に言い放った。

「お前はただの囚人よ!兄上を殺した犯人とは、口も聞きたくないわ!」

 

 そして何度も扉を激しく蹴りつける。その度に骨まで軋むほどの激痛が走り、叫び声を抑えようと歯を食いしばって耐えているうちに、匠は最初の夜と同じように不意に意識を失った。

 夜はほとんど一睡も出来ず、 喘ぎながらひたすら苦痛に耐えるしかなかった。感染症かショックで発熱、出血による貧血も手伝って、時折、意識が朦朧もうろうと霞んでいく。その束の間、いくらか苦痛は和らぐ。が、すぐに激しく痛みがぶり返して、波のように絶え間なく襲って来るのだった。


 最後の矢を射こまれた日の夜遅く、追い討ちをかけるような災難に見舞われる。


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