第39話 美魔女  Adriana De Beers


 処刑三日目の夜だった。夜番の小間使いが去った後、デビアス伯爵夫妻が密かに地下牢にやって来たのである。王家に最も近しい親族だから王宮には自由に出入りしているのだが、この夜は秘密の地下道を抜けて王宮に忍び込んだ。


 伯爵は一階の扉を守る衛兵に命じた。


「ニムエの許可は得ておる。お前はもう下がって良いぞ。だが、誰にも我々のことは漏らすでない、わかったな!」


 地方の豪族を牛耳る伯爵の権勢を知らぬ者はいない。巷では内戦を引き起こした張本人という噂さえある。気圧された衛兵は、ひと言もなくその場を立ち去った。


 カルデロンは四十代半ば、小太りで口ひげとあごひげをたくわえた傲岸な男である。妻のアドリアーナは隣国ポイタイン王国の出身で、二十代後半、伯爵より背が高く、見事な黒い巻き毛に緑色の目をした派手な顔立ちの美女だ。

 伯爵は匠の前で仁王立ちして薄ら笑いを浮かべた。


「公爵様ともあろうお方が、地下牢で磔にされるとはな!それも幼馴染の王女に処刑されるとは、運命とはわからないものだな」


「ニムエは矢を使ったのね。あの子らしいわ。しっかり急所ははずしてる。弓の腕は確かね!」


 アドリアーナは矢を一本ずつ触っては、わざとらしく手で弾いた。緑色の目には残酷な輝きを湛えている。匠が歯を食いしばって痛みをこらえるのを見て面白がっていた。


「こんな夜中に何をしに来たんだ?」


 匠は弱々しい声で尋ねたが、内心では二人に拷問されると直感していた。ニムエはやり場のない怒りをぶつけているだけだが、この二人からは残虐な悪意がありありと感じられる。


「サウロンを殺してくれた礼を言いたいと思っておったのだが、貴様がニムエに捕まったせいで、王位がわしの手からこぼれ落ちてしまったではないか!こうなったからには、甥を殺した罪を少しばかり思い知らせてやりたくてな」


 カルデロンは憎々しげに匠を睨みつけ、アドリアーナに向かってうなずいて見せた。


優男やさおとこのくせにしぶといわね。六本も矢を射ちこまれている割りには元気そうじゃない?いたぶりがいがありそうね!」


 すでに耐え難いほど苦しいのに、さらに拷問されると悟った匠は、恐怖と絶望で目の前が真っ暗になる。

 アドリアーナは上着のポケットから、小さな布製の包みを取り出して、これ見よがしに匠の目の前に差し出して広げた。十センチほどもある長い針の束が入っている。


「どう?こんな針なんて、矢に比べたらどうってことないでしょう?」


 美しい顔に残忍な笑みを浮かべて、針を一本抜き取ると目の前に突きつける。思わず顔をそむけると、アドリアーナは甲高い笑い声を上げた。


「安心して。目を突き刺すような野蛮な真似はしなくってよ!それにお前が怯える姿を見る方がずっと楽しめるもの !」

と言うなり、矢で固定された匠の右手を掴み人差し指を握った。


「この針を爪の下に刺しこんであげる!指先は敏感なの。矢で射られるのとどっちが苦しいかしらね?」


 真紅の口紅を塗った下唇を舌で舐め回している姿は、心底楽しんでいるとしか見えない。心身ともに人をいたぶって楽しむその心根に、匠は身の毛がよだつほどゾっとしてすくみ上った。

 内戦の間、数々の残虐な振舞いを目にしたが、どれも追い詰められた人間の狂気がもたらした悲劇だった。けれども、アドリアーナは何かが違う!内戦の後、他国からやって来て伯爵の後妻におさまった女が、まさかこんな残虐な性格とは思いもよらなかった。


「やめてくれッ!」


 ニムエの前では抑えていた苦痛の叫びが口からほとばしり出た。矢で一気に貫かれた時よりはるかに激しい痛みを覚える。傷は直径ほんの一ミリ程度なのに、脳天が焼き付くような激痛に叫ばずにはいられない。身をよじる度に、身体を射止める矢が傷口を刺激して全身が苦痛の波に見舞われた。


「うふっ、どう?少しは堪えたみたいね?ニムエの甘っちょろいやり方とは比べ物にならないでしょ?ほらっ、ほらっ!」


 アドリアーナは嘲笑しながらさらに針を押し込み、絶叫する度に匠の身体はびくっびくっと反り返る。


「いくら叫んでも外には聞こえないわよ。これなら一週間でも生かしたまま責め抜いてやれるのに、ニムエは本当にウブね!どうなの?ひと思いに殺してって、慈悲を乞う気になって?」


 冷酷な笑みを浮かべると、アドリアーナは差しこんだ針を指で弾き始める。


「やめてくれ、お願いだ!よしてくれ!」


 弾かれる度に痛みで身体が痙攣してかみ締めた唇が切れる。口中が血まみれになり、塩辛い味と濃厚な血の匂いにむせる。

 アドリアーナは笑い出した。


「あらまあ、綺麗なお顔まで血まみれね!真っ赤な血の色が、お前の素敵な金髪によく映えてよ!わたしったら、お前に惚れ直しそうだわ!」


 カルデロンも冷酷な光をたたえた目で、じっと陰惨な光景を眺めて薄笑いを浮かべていた。夫婦そろってサディストの似た者同士なのである。


「気絶しちゃダメ!まだまだ本番はこれから!」


 針を弾くのを止め、ぐったりした匠を眺めながら、アドリアーナは長針をもう一本取り出した。髪の毛を掴んで顔を上げさせると、鋭く長い針を見せつけるように目の前に突きつける。


「ほらっ、よく見るのよ!綺麗でしょう?今度は左手に使ってやるわ。もっとゆっくり深くまで刺してやるから、せいぜい泣き叫ぶのね !」


 含み笑いを浮かべてさも楽しそうに囁きかけてくる。


「お願いだから、もう止めてくれッ!なぜ、こんな事をするんだ?」


 匠は息も絶え絶えに懇願するしかなかった。

 

「ふふっ、なぜかしらね?国王を殺した時の記憶が無いと言うのは、本当だったのね・・・」


 口を滑らせたアドリアーナは不意に黙りこんだ。カルデロンが人差し指を立てて制止したからだ。二人には何か隠しごとがありそうだ。匠は気になったが、もはや考える力も尽きていた。


「どう、覚悟はできて?」


 アドリアーナは匠の左腕を抱えこんで矢に固定された左手を掴む。匠が拳を握って指をかばおうにも矢が邪魔になって無理だ。易々と人差し指を握られて伸ばされてしまう。舌なめずりをせんばかりのアドリアーナが、針を爪の下に当てがった。


「好きなだけ叫んで抵抗していいのよ!あら、そうだった、矢が食いこむから動きたくないのね?でもコレを刺しこまれたらのたうちまわるしかなくてよ!」


 左手を掴んだままわざと針を突き刺す寸前で止め、匠の怯えた表情を楽しそうに観察している。間近に迫るアドリアーナの美貌は邪悪な喜びで歪んで正視に堪えない。

 

「行くわよ!」


 針の先端が人差し指の爪の下に入り込みチクッと痛みが走る。あの恐ろしい激痛に備えて身体が硬直した。じわっと押しこまれて匠は叫んだ。


「止めてくれ!頼むから!お願いだーッ・・・」

 

 後は絶叫だけで言葉にならない。足先まで反り返って磔にされたまま悶える身体に矢が容赦なく食いこんで苦痛にまみれる。


「これでどう?遠慮なく泣き叫んでいいのよ!ほらっ、ほらっ!」


 数ミリずつ押しこんでは止め、指で針を何度か弾いてはまた針を刺し込んでくる。その度に悲鳴を上げて悶え苦しむのをうっとりしながら眺めて嘲笑った。


「ふふっ、そんなに辛いの?いい気味だわ!それじゃ、ひと思いに殺して下さいってお願いしてみる?」


 匠はアドリアーナを見返して、言葉もなく思わずうなずいた。丸二日以上磔にされた上に、こんな拷問を受けるぐらいなら死んだ方がましだった。


「いいわ、望み通り殺してあげる!でも、まだダメよ。無傷の指が八本もあるでしょう?」


 恐ろしい女だ!身体を貫いた六本の矢より、爪の下に差しこまれた二本の針の方が耐え難い。それなのに、すべての指に刺しこむつもりだ。


「それにね・・・殺す前にお前に尋ねたいことがあるのよ。サウロンはあの小屋でいったい何をしていたの?」


 不意をつかれた匠は一瞬苦痛を忘れた。


 まさか二人はサウロンとあの少女のことに感づいているのでは・・・?


 

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