第37話 地下牢 Dungeon 

 執務室の裏口から王宮の裏階段をたどって、ニムエは匠を追い立てるように地下牢へと連れ去った。トロセロはやるせない気持ちを噛みしめるように暗い表情で、デビアスは傲岸な顔を不機嫌そうに歪めて、それぞれの想いを胸に秘め部屋を後にした。

 扉の外で見張りについていたダニエルは、伯爵と将軍の表情から公爵の処刑が決まったと悟り、二人が階下へ立ち去るやいなや執務室に駆けこんだ。我を忘れて宰相に詰め寄った。

「父上!なぜですか?なぜ、ニムエ様を止めないのですッ?公爵様はウソを言う方ではありませぬ。父上もよくご存じでしょう!公爵様はプロの薬師くすしです!サウロン様を殺害しようと企んだのなら、ブラックロータスを吸いこむようなへまをするでしょうか?」

 思い余って一気に思いの丈をぶつけた。

「幼馴染の公爵様を自らの手で処刑されたら、ニムエ様の心は闇に閉ざされてしまうのではありませぬか!?」


 宰相は片手を上げて息子をなだめた。

「ダニエル、お前がニムエ様を案じる気持ちはよくわかる。だが、今は他に打つ手がないのだ。国王様の喪に服するという口実で、三か月も王位継承を引き延ばした。これ以上、王位を空白にしてはおけぬ。サウロン様亡き今、ポイタイン王国は虎視眈々と侵略の機会を狙っておる。血の掟が全うされれば、カルデロン殿もニムエ様の王位継承を呑まざるを得ない。わかるな?」


 正義感の強いダニエルは、容易には引き下がらなかった。

「無実かも知れないのに、記憶が戻るのも待たずに、公爵様を処刑するのですか?父上らしくありませんぬ!カルデロン殿は、ニムエ様を追い落として王座に就きたいだけです!三か月前も、貴族たちはニムエ様の王位継承を望んでいました。伯爵様さえ横やりを入れなければ、何も性急に公爵様を処刑する必要もなかったのに・・・父上、カルデロン殿が持ち出した預言書の血の掟とは、いったい何なのですか?」


 激高したダニエルの言葉に、宰相は息子の肩に両手をかけて、ついに意を決したように言った。

「落ち着くのだ、ダニエル!お前は預言書のことは知らぬ方が良いのだ・・・だが、これだけは伝えておく。決して口外してはならぬ。良いな?」


 ダニエルが怪訝けげんそうにうなずくと、宰相は息子の耳元に何やらささやきかけた。ダニエルは精悍な黒い瞳に驚愕の色を浮かべて、父親を見返した。

「そんな・・・そんなことが起こり得るのですか?それが運命だと言われるのですか?もし、本当なら・・・」

 しかし、父親が人差し指を口に当てるのを見て口を閉じた。一礼すると足早に部屋を出て行く。その顔には驚きと疑念、そして一抹の安堵の色が浮かんでいた。


 宰相は椅子に腰を下ろして、腕組みをすると考えに耽った。

「デビアス伯爵が預言書に書かれた血の掟を持ち出した時は、この先どうなることかと思ったが・・・公爵が捕らえられて伯爵の目論見は崩れた。しかし、なぜああも強硬に仇討ちを求めたのか?」


「伯爵は犯人が見つからぬと確信していたのではあるまいか?」

 宰相ははたと思いついた。

「いずれにしても、あの預言書に描かれた赤と青の円形の紋章は、これから起きる出来事を象徴していることだけは間違いない」


「今は何もしないのが最良の選択なのだ!」

 宰相は息子に告げた言葉を、自分に言い聞かせた。傍目には卓越した実務家で、およそ預言など一顧だにしない現実主義者に見えるが、宰相は人智を超えた神秘的な力の存在を密かに知っていたのである。

 信じる事と知る事は、まったくの別物だと言うことも・・・


 オパル王家は代々アテナイアの名を受け継ぐ。初代統治者としてギリシャのアテネから派遣されたエカテリーナ女王にちなんで。エカテリーナが故国から持ちこんだ預言書が、この地でラテン語に翻訳されたと伝えられている。

 その書は王家直系の子孫に代々受け継がれ、その隠し場所は国王にしか知らされていない。ところが、ラテン語の古びた書物などにはこれっぽちも関心のなかったサウロンは、プロスペロに無造作に隠し場所を教えた挙句、管理は任せると丸投げしたのだった。

「サウロン様は、不慮の死を予期しておられたのやも知れぬ・・・」

と、プロスペロは思った。



 王宮の地下牢は、王家に背いた政治犯が収容される場所である。内戦が終結すると同時に、収容されていた人々は全員解放された。サウロンが命じた恩赦が、宰相の助言によるのは言うまでもない。国内に遺恨を残しては、若き王が国を治める妨げになりかねないと配慮したのである。

 しかし、アトレイア公爵が地下牢に収監されることはない。サウロンは公式には事故死で、したがって犯人も公開処刑でなく、秘密裏に闇に葬り去られる。

 ここは代用処刑場なのだ。


 匠を先に歩かせて裏階段を降りたニムエは、地下牢へ通じる扉の前で小間使いと落ち合った。小間使いはニムエに弓と二本の矢を手渡し、ラム酒の瓶と丈の長いグラスを持って二人の後に続いて石の階段をくだる。

 地下牢を囲む回廊の壁には数メートルおきに燭台しょくだいが取り付けられ、小間使いがあらかじめともした蠟燭が、煤にまみれた石壁をぼんやり照らしていた。

 地下牢の中は暗がりに霞んで、すえたかび臭い匂いが充満している。外は初夏の爽やかな季節を迎え、庭園に咲き乱れる花の香りが漂っていると言うのに、地下牢はまるで真冬のように冷え込んで、閉じこめられていた人々の苦痛と怨念がこびりついているようだ。


 石畳の回廊の一角に地下二階に通じる入口があり。頑丈な木製の扉で閉ざされている。扉の手前でニムエに促された小間使いは、グラスにラム酒を八分目ぐらい注いで蜀台の明かりの下に置いた。ニムエは二本の矢を下向きにグラスに入れ、倒れないように矢羽を石壁に立て掛ける。

 感染症を防ぎ敗血症ですぐに死亡しないよう矢を消毒した。はりつけ用の矢には、小型で鋭い返しのある矢じりが付いている。動脈を傷つければ出血多量でショックを起こし、長く生かして置けなくなる。ハンマーで太い釘を打ちこめば、動脈を確実に避けて磔にできるが、女の力では難しい。弓を使えば簡単で、ニムエの腕前なら狙いをはずす恐れもない。


 二本の矢をグラスから抜き取り、しずくを振り落として右手に握り、壁に立てかけて置いた弓を左手で取り上げた。

 

「お前は下がっていいわ。就寝前にこの者の世話に来て頂戴。昼番の者には明日の朝から来るよう伝えて。それから、この者の処刑は他言無用よ。今夜から衛兵に一階の入り口を見張らせる。出入りできるのは私とお前たちだけよ」

 ニムエの指示を聞いた小間使いは一礼すると、ラム酒の瓶とグラスを持ち立ち去った。回廊にはニムエと匠だけが残った。ニムエはサウロンの形見の三日月刀を抜いて、匠の両手を縛ったロープを切り離した。


「行って!」

 鋭い声で木製の扉を弓で指し示した。


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