第58話 自覚


 部屋の扉が閉まり、唐突に足音が静かなものに変わり気配が遠ざかっていく。


 一人きりになって尚、私は壁から目が離せないでいた。

 いい加減、壁にに穴が空きそうだ。


 空けないけれども。


 宿から気配が消えた事を確認し、壁に手を添えて額を壁に当てそっと息を吐く。


 いくら心を鎮めようとしても鎮まるものではない。


 あれは、何だったのかと努めて冷静に思い返す。エラン達と別れ、部屋に入り、ベッドに着いた途端に寝入ってしまった。


 何か夢を見ていた気もする。


 それから不快な感覚に意識が浮上して、その不快を塗り潰すような熱に灼かれた。


 目が覚めたらすぐ目の前にザイがいた。


 記憶はある。

 記憶はあるが、あの時の私は意識がふわふわして定まらず、まともな判断ができていなかった。


 ザイはあの時の私を酔っ払いと評したが、まさにそれだったのだろう。


 不意に昨夜の感覚を思い出し、肌が泡立つ。



 ごつり、



 壁に頭を打ち付ける。

 

 恐る恐る伝わってきた熱は最後の方は半ば八つ当たりのように、神核へとぶつけられ、ねじ込まれた。


 最初は確かに祈りの体をなしていた筈なのに、最後はなにもかもかなぐり捨てたような想いだった。


 神核に灯った熱は次第に量を増し燃え広がるそれは荒々しいものではあったが、決して不快なものではなかった。


 むしろ心地よく、はしたなくももっともっとと強請ってしまった事を思い出し、顔に熱が昇り、額を壁に押し付けて尚引かぬ熱を冷ますように頬に両手を当てる。


 望むままに与えられたそれはとても一言では言い表せない。


 私に対する清濁併せたあらゆる想い。それは何も角を捧げた相手に対するだけのものでは収まらない。


 

 何より強く感じたのは焦がれる程の恋情。



 そう、あれが本当の恋というものなのだろう。

 話を聞き、己が身に湧いたものとは雲泥の差だ。

 私の中に生まれた感情はアレの上澄みですらない。


 あれほど熱く激しい情念を私は知らない。

 捧げられた事もない。


 焦がれ、求め、手に入らぬものへの苛立ちと怒り。己に向けられないものへの渇望と他者への嫉妬。それでも根底にあるのは変わらぬ執愛と忠誠。


 形はどうあれ一心に、一途に、ひたすらに、私だけに向けられたそれは神核の傷を癒すには十分なものだった。


 ゆるくはだけた己の胸元へと目を落とせば、忌々しい傷はほぼ塞がりかけている。


 今回のような危機的な状況に陥った経験はないが、通常はたかがヒトの子一人の想念でこうはならない事ぐらいは解る。何せ己が身だ。


 獣人の女アリアの爪は思った以上に神核を深く抉り、且つ込められた呪いが神核の再生を阻害した。触れる事すら不可能であった神核たましいにそれを成し得たのはあらゆる条件が揃ってしまったが故だ。


 そんな傷ついた御使いの神核たましいを癒す事は容易ではない。


 込められたアリア自身の悪意に完全に拒みきれなかった呪印の影響。それらは「癒え難い傷」という形でこのに残った。


 それがどうした事か、自身を苛んだ呪いと悪意はさっぱりと拭い去られてしまっている。残滓すらない。


 たった一晩だ。


 念の強いオーガの血を加味したとてこれはないし、呪いに長けた純血のオーガでもこうはいかない。


 創生・・の時より世界を育て、支えてきた御使いの一柱として信仰の対象となった事もある。


 だが、かつての彼らの純粋な祈りを撚≪よ≫り合わせたとしてもかなりの時間を要した筈だ。そこから自ずと導き出される答え。



 ザイの私に対する執着と想念はかつてのヒトらの信仰心すら上回る。



 その事実に思わず遠い目になる。


 実に度し難い。



 敵であれ味方であれ何とも厄介極まりない存在≪おとこ≫だ。


 それでも常に側で尽くしてくれているザイを遠ざけようとは思わないのは結局のところ、己が心の内に入れてしまっているからだ。

 そこに今まで気付けずにいたのが敗因だったと今なら思える。


 ザイの行動ひとつに心が揺れ、荒れるのは心を許しているからに他ならない。



『欲しいのは、俺の想念だけか?』



 そうザイに問われた時にムッとした。


 それを問う段階はとっくに過ぎている、


 ザイは私のものなのだから。


 当然のように己の中から出てきた答えに思考が止まった。


 余計な事を口走らぬよう、口を閉ざすだけで精一杯だった。


 なん……だと……。


 愕然とした。



 なんだそれぇ……、


 


 情けない気持ちになると同時に頭の中はぐるぐると空回りしていた。


 今まで散々悩みに悩み、焦っていた自分が馬鹿馬鹿しく思える程に、あっさりするりと己の内から出てきた答えに泣きたくなった。


 ザイはあんなに小さな頃から求めてくれていたというのに。

 さっさと受け入れていればもっとザイの可愛い時期を堪能できたのではないか。


 シナリオなどという面倒な事は考えず、きょうだい達から承認をもぎ取りさっさと皇国を更地に変えてあの愛らしさと成長の様を見守っていれば良かったのだ。


 損した、損した、損した!!


 それが我が敬愛する神からの天啓である事も忘れ、己の我儘ひとつで国を滅ぼせる筈もないことも念頭からなくなるほどに錯乱した。


 その錯乱具合をザイの前で表に出さなかった自分を心の底から褒めたい。


 これが現実逃避なのはわかっている。

 理不尽な悪態だとも理解している。

 それでも何某なにがしかに八つ当たりをするしか自身を落ち着かせる術が見当たらなかった。


 その胸の内に渦巻くのは後悔だ。


 あの時、いつものように・・・・・・・深く考えなければよかったのだ。


 ザイにはずっと我慢を強いてきた。

 それでも私しかいないのだと、諦めず、力をつけ、その身を危険に晒してまで私と共に在る事を望んだ。


 側にある事以上のものは押し付けて来る事なく、辛抱強く待ってくれた。


 その結果があの想念だ。

 欲を発散する事もなく、ただ自身の奥へ奥へと押し込めこごり熟成された熱く甘く、苦みを帯びたそれ。その想念は誰の為でもない。私だけのものだ。


 そう自覚した胸の内に湧く感情。



 これは『悦び』だ。



 ザイに対して抱く後悔は本物だ。なのにあの想念が「結果」として目の前にあると思うと心が躍る。


 良いも悪いもその全てが私へと向けられた想念。ザイの全てが私のものだ。

そこでふと、己の裡にあるそれに気付いた。



 矛盾。



 初めて感じた筈のそれを不思議に思う。


 『私』という存在はこれほど複雑だっただろうか?


 惑う事も迷う事もなかった。この世界の為に此処にあり、天に昇る事すら思いもしなかった。

 これは欲ではない。身体が己のものであるように、神核が己自身を構成するものであるように、当然の事であったから。


 好ましいと思ったモノの血が絶えようと、種が消えようと、国が滅びようと、哀しく思いこそすれ後悔も未練もなかった。

 それらはこの世界の成長の過程に過ぎない。


 もしそれがザイであったなら、と考える。


 惜しいと思う。後悔もしよう。未練もあるかもしれない。


 ザイは私自身にとっての特別だ。


 これは私にとって初めての「欲」ではないだろうか?


 そう思うと様々なものが腑に落ちる。


 当たり前のようにそこにあり、当たり前すぎて全く気付けなかった。欲したモノは自ら手の内に勝手に収まっていた。欲する自覚すら与えてくれなかった。

 だからこそどれだけ悩み、焦ったとしてもどうにもならなかったのだ。


 既に受け入れていたのだから、受け入れるとっかかりもある筈もない。


 そうなれば今度は新たに覚えたばかりの欲が出る。

 ザイが奥に押し込め隠すそれが欲しい。

 あれで神核を満たし味わいたい・・・・・


 ざわり


 それに呼応するように場の空気が騒めいた。

 目の端に映る自らの髪の黒が薄っすらと色を落としているのがわかる。


 こくり、とのどが鳴った。


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乞うべき愛は誰が為 かずほ @feiryacan

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