第57話 酩酊


 ザイはひたすら神核へと己の祈りを捧げる。

 勝手が分からず、ただフェイ自身の負担にならぬよう。ザイの想いを込めた願いがこの傷を癒すなら彼女の神核へ届けと願う。


 身じろぐ気配に身体を起こせばうっすらと目を開けた。


 そこからフェイ様子がおかしかったのだ。


 原因などすぐに察せようというものだ。純粋な祈りなど、土台無理な話だ。

 長年焦がれた女の柔肌を前にして、真摯な祈りなど出来よう筈がない。


 だが、フェイの快癒は心からのものだ。

 そこに少々邪念が混ざった。それだけの事だ。


 ザイは結局そう結論付けた。


 初めて目にするフェイの様子に困惑するしかなかった。


 そんなおかしなフェイの言うところの

『おっかなびっくり』というのは恐らくザイが神核へ捧げた祈りの事だろう事は察せられた。


 ザイは今、ベッドに横たわるフェイの上にのしかかっている。

 旅装の巫女の服は脱がされ、薄衣一枚。胸元は神核の傷が見えるように肌けられている。


 可愛い悲鳴の一つでも上げてくれればこちらもやりようはあるものの、生憎とこちら方面でフェイが取り乱す姿は見たこともない。


 常であればこの状況を訝しむ声が上がる筈がそれを気にかけている風でもない。

 ただ、ぼんやりとザイを見つめている。


「フェイ」

「なんだ?」


 やはりどこか意識がそこにないような声が返ってくる。


「続けるが、いいか?」

「うん? ……うん」


 状況を理解しているのかいないのか、フェイはとりあえず、といった風に頷いた。



 §



 ザイの舌がゆっくりと注意深く傷口へと這っていく。

 それに私はひたすら耐えた。


 ザイの舌から伝わり、注がれるそれはとても熱く,濃く、神核の芯を震わせる。


 御使いへの清廉な祈りではない、狭間の巫女への畏怖を含んだ敬念でもない。

 ただ、私という一つの存在に対する多くのものを撚り合わせた複雑な想念だ。


 頭がくらくらした。


 神核の傷をぞろりと舐められる度に神核が、熱を持ち、身体が火照りを見せる。


 傷を吸われ、身体が跳ねる。


 今までに感じた事のない熱いそれをどう受け取っていいのかがわからない。

 私の意思などお構いなしに神核は勝手にその想念を取り込んでいく。


 もっと、もっと欲しい。


 神核をそれだけで満たされたならどれほどの快さが得られることだろうかと想像し、身が疼いた。


 神核に口づけ、傷を舐める男を見下ろせば、深紅の瞳、金の瞳孔のその奥に押し隠した激情が見え隠れしている。


 それも、ほしい。


 ぼんやりしたふわふわとした思考のままザイの頬へと手を伸ばす。


「ザイ」


 ザイは答えずじっとこちらの目を見つめている。フェイの次の言葉を待つように。


「それも、おくれ」

「……どれだ?」


 小さな笑いが口から漏れる。

 何がおかしいのかわからないのに何故か可笑しい。


「お前の奥にしまっているそれ、熱くて、強い、ずっとお前が仕舞い続けている、それもおくれ」


 ザイは視線を逸らす事なくじっと見る。


「アンタが望むなら。」


 思わず頬が緩む。


「でも、今は駄目だ」

「なぜ?」

「正気のアンタからその言葉を聞きたい」

「私は正気だぞ」


 むっとして言い返せば、『酔っ払いの常套句……』とか聞こえた。失礼な。


 額をこつり、と合わされ、額に、頬に唇が降って来る。


「ザイ」


 強請るように見上げれば、ザイが苦し気に眉を寄せる。


「…………今は、これで我慢しろ」


 そういって、ザイは私に深く口づけた。



 §



 呼気と共に甘い吐息が漏れる。

 瞳がと戻り潤みを見せる。

 このまま事に及びたい欲望を全力で押し留め、その柔らかい唇と小さな舌を味わう事に腐心した。


 これだけでも大した進歩だ。

 これ以上を望み、勝手に事に及べば先はない。

 フェイは頑固だ。一度決めた事を覆すのは難しい。


 ここで機嫌を損ねる訳にはいかない。


 焦るな、と自身に言い聞かせる。


 徐々に白く柔い身体の力が抜けていく。


「あ……」


 唇を離せば名残惜し気な声があがる。


「………続けるぞ」


 濡れた瞳で息も絶え絶えなフェイにそういって傷口に指を這わせればぴくり、と跳ねる、


 口元に手を当て、そっと目を閉じ、フェイは小さく頷いた。


 そのしどけない仕草に歯を食い縛る。


「ザイ?」


 無意識だろう、甘い声音が耳を打ち、衝動が胸に迫り上がる。


 思わず恨みがましい目でフェイを睨み、ザイは己の激情をぶつけるように傷に強く吸い付いた。




 §



 翌朝、目を覚ました私ははベッドの上に座り込みながら、頭からシーツを被り、ひたすら壁と向き合っていた。



 なんだあれはなんだあれはなんだあれはなんだあれはなんだあれはなんだあれはなんだあれはーー。


 思考がひたすらループする。そのループから外れてしまえば恥も外聞なく叫びだしてしまいそうだった。


 あれではまるで、ではないか!


 いや、この身は確かに女のものだ。


 これ以上は考えたくない、だが、考えねばならない。昨夜の醜態というか、痴態というか、とにかくそれはまったく! 自分とはまったくかけ離れたものだった。


 身も世もなくザイの想いを求めた。口づけに込められた想いは神核に直接注がれたものの比ではなく、喉を灼く熱さに頭が痺れた。

 恐らく神核にアレを直接注がれてしまってはきっともっとおかしくなっていたに違いない。


 そう、おかしかったのだ。

 ザイの言葉通り、正気ではなかった。



 コン、コン、コン


 ノックの音に全身が跳ねた。

 こちらの応えも待たずにドアが開く。


「フェイ、入るぞ」


 そう、いつも通りに入ってきたザイの姿を今はまともに見れないまま壁をひたすら見つめる。

 存在を知らせるように立てる足音がすぐ背後で止まる。


 サイドテーブルにことり、とトレーが置かれる音がする。


「食事だ」

「…………」


 いつも通り返事を返せばいいのに、何を言っていいのかがわからない。


「…………ザイ」

「何だ」


 私はごくり、と喉を鳴らして口を開く。


「その、……昨日の、アレ……」

「ああ」

「私は正気ではなかった」


 一気に言い切った。


「わかってる」


 いつも通りの冷静な声音だ。だが、顔がどうしても見れない。きっと平然とした態度のままだ。だが、きっと少し、傷ついている。


 それに申し訳なさを感じると同時に別の疑問が浮かぶ。


 私はこうまでヒトの子の心情を慮るようなものだっただろうか?


 それを感じ取ってしまい、深く息を吐き、目の前の壁にごつり、と額をぶつけると、大きな手が壁と額の間に差し込まれ、頭から被ったシーツごと抱き竦められた。


「ザイ?」

「わかってる」


 耳にかかった吐息が、この身を抱くその身体が熱い。


「だから、正気のアンタに聞きたい。フェイ」


 常にない熱を含んだ声音にぞわぞわと背筋を痺れが駆け上がる。


 これは不味いな、と冷静な思考が顔を出す。

 昨夜の一件にザイも相当あてられている。


 出会って10年あまり。

 ザイは私が嫌な事は何もしなかった。

 興味すら抱かぬそれに無理矢理目を向けさせる事もなく、ただ従い、私を守り続け、己の忍耐の続く限り待ち続けた。


「欲しいのは、俺の想いだけか?」


 言外にこの身は不要かと言われている気がしてムッとする。


 咄嗟に言い返そうとして口をつぐんだ。


 息を吐いたザイの唇が首筋に押し当てられたまま止まる。

 すぐに身体ごと離れるとザイは何も言わず。部屋を出て行った。


 扉が閉まり、ザイの気配が遠ざかった瞬間、私は頭を抱え、天を仰いだ。


 胸中渦巻く嵐は今までの比ではない。


 今すぐこの場で絶叫したい。

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