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 実家は実家だと思えないほど厳粛なムードで俺達を出迎えて、当然帰宅している父親が背筋を伸ばしながら俺達を待っていて、明星は初めましてこんばんはとこの野郎と思うほど朗らかに言ったけれど父親は案外聴き慣れた調子でこんばんは明星くん話は聞いちょんけんと言って俺と明星を居間ではなく仏間と続く和室に通した。父親だけだった。母親も祖父母も弟もいなかった。妹は職場が大分県ではあるけれど遠いので一人暮らしをしているらしく、どっちにしろ実家にはいないようだった。母親がすみやかにお茶を持ってくる。そのまま退室するかと思いきや父親の隣に座る。父親はちらりと隣を見たが何も口にすることはなく、話は聞いちょんけんともう一回言う。あっこの人緊張してるのかと俺はわかるけど母親と明星は多分気付いておらず、母親は父親の顔色を覗うようにするし明星は涼しい顔でお茶を啜り始めるし、大丈夫かよと自分の心配をすべきところで父親の心配をする。父親は咳払いで間を持たせてからまずは明星へと目を向ける。

「明星くん」

「ん、はい」

 明星の丁寧語は何回聞いても背中がむずむずする。

「俺は君ん口から聞かせち欲しい思うちょんのや」

「大河さんの話をですか?」

「そう、どげな知り合いや?」

 父の問いに明星はちょっと不意をつかれた顔をして、

「飲み会で知り合いました」

 と無難に答えた、かと思ったが

「でも大河さんが来ると聞いて出向いた飲み会なので、大体はオレが悪いってことでいいですよ」

 経緯をほぼ飛ばして結論だけを話した。やりやがったなこいつと思いつつ父と母を見る。二人は石のように黙っていたが、やがて父親が息を吐いて俺に目標を変えた。

「大河。はっきり言うち悪いけんど、今すぐ受け入れち祝うこたあ出来ん」

「ああ、うん、そうやろうけど」

「でも、お前は俺ん大事な息子やけん努力してえ」

 そういうのがけっこう重くて、とか言っちゃ駄目だなとつい黙ってお茶を飲む。そもそも努力ってなんだよと思う、思ってしまう。それ自体はいいことだろうけど努力して息子の性趣向を受け入れるってもうなにかが途絶ぎみじゃないか? と俺は違和感をもやもやと腹の底に溜め込み始めて勘当だ出て行けってばっさり切られたほうが、まで考えたところで明星が俺の太腿をとんとん叩いた。目だけ向ける。明星は笑う。嫌な予感がする。

「それね、もっとはっきり言って欲しいんですよ」

 喋りだした明星を両親が見る。

「ぶっちゃけけっこう引いてるじゃないですか。オレ別にそれでいいと思うんですよね、そりゃあ確かに大河さんとしては将来的に見ても受け入れて貰って今まで通りが望ましいんだろうけど、そこにあるのって親愛とか思いやりとか絆っていう見た目綺麗な純真だけじゃなくて、不和とか蟠りとか遠慮は当然残っていてそこも人間関係には当然だと思えるけど、でもそうなった場合一番我慢するの多分この人なんですよ」

 明星はこの人と言いながら俺の肩を叩く。俺はびっくりして明星の顔を凝視する。

「答えが出ない話になんで答え出そうとするのかオレわからない方なんで、じゃあ取捨択一しようかと思うんだけど当然大河さんが我慢しまくる環境は悪以外の何物でもねえけんほいだら駆け落ち同然に立ち去るほうがマシなん、おっと、すみません移りましたね方言。なんにせよ話しても駄目そうなんでお暇していいですか? あ、これお土産です」

 卓上にさっと乗せられたのは水族館で買ったお土産のクッキーだ。俺はマジかこいつと思いつつ、でも言葉をとめなかったから観念して恐る恐る両親の顔を見る。二人とも再び石のように黙っていたがやがて父親が正露丸を飲みすぎたときよりも苦い顔をして俺を見る。

「……大河、俺は親やけん、息子が大事や。でも、お前はそうやねえんか」

「いや……」

 お茶に伸びかけた手を阻まれる。明星は顎をしゃくり、言え、と目で訴えてくる。だから仕方なく、いや、もう我慢はやめようと、改めて両親を同時に見る。

「家のことは嫌いじゃないけど、重たいよ。長男がどうとか、男ならどうとか、嫁を見せて欲しいとか孫を抱きたいとか出世しろとか家庭をもって大黒柱にとか、ほっとけよってずっと思ってる。それとは別の部分で父さんとか母さんとか、家族のこと嫌いじゃないよ。元気でいてくれればって思う。でも帰ってくると、重いから、全然帰ってきたくないんだ」

 言い終わってからやっとお茶を飲む。そのまま飲み干して勢いで立ち上がる。明星を促して帰ると言えば二人は引き止めはしなかった。母親は黙っていたが、父親は立ち上がって玄関まで来た。夜空に星が無数にあった。普段は見えないだけで苛烈に光り輝いているのだと思った。車に乗ろうとしたところで父親は俺に一言謝って、明星には何を言おうか迷ったのだろう、まごまごした挙句に「大分弁似合うちょったど」と言った。なんだかんだちょっと抜けてはいる父親なのだ、憎み切れないからわかってほしくて来たのだろうと自分のことを少し知る。明星は大きな声で笑って、軽くなったら大河さん返しますよと軽口を叩いた。三人で少しだけ笑い、一応またいつかと別れた。玄関の引き戸を閉める音がやけに大きく悲しく響いたけど、引き摺る情がないわけじゃなかったけど、これで正しく死ねたと思った。理想的な長男にはなれないと、両親を目の前にちゃんと死んだ。それを促してここまで引っ張ってきた男はじゃあ帰るかと軽い口調で言う。結局お前の目的は何なんだよ、俺は死んだけどお前も死んだのかよ、気分で振り回した愉快犯でしかないのかよって、一通り詰る前に車は闇を裂いて走って走って雑草の生い茂る手入れされていない土地の前までやってきた。売地の看板は暗くてもわかるほど煤けていた。オレが住んでたところだよ。明星は呟くように言った。そしてエンジンを切りハンドルに突っ伏してしばらく黙った。虫の声と風の声がした。ライトも消されてあたりはじっとり暗くなって、その中で俺は少しだけ明星が明星じゃなかった頃を考えた。ここにあった家に住んでいた明星と昔に会って話していればと想像した。でも出来なかったし現在身動ぎすらしなくなった明星に対して気の効いた言葉がまったく浮かばなくて自分も結局黙っている間にエンジンは再びかかって車は走り出した。ヘッドライトが田舎道を白く真っ直ぐ突き進んでいった。CDはクラシックだった。俺は相変わらずなんの曲かもわからないし明星は黙っているし車はまた海側に辿り着いた。暗い海の上を光が滑っていた。漁船かフェリーか、なんとなく航路の無事を祈ってから、伸ばした手を明星の足に乗せた。隣は見なかった。多分明星も俺を見はしなかった。色々な光を跳ね返す海面は、星と寄り添っているようだった。

「明星」

「うん?」

「俺、明星が好きだよ」

 明星はしばらく黙って車を走らせた。人工的な光の多い都市部まで来ると、今日は泊まって明日帰ろうと静かな声で言ってから、足に置いたままの俺の手を急に握った。

「大河さん」

「な、なに?」

「落ち着いたら、また部屋に泊まらせてよ。オレはそう簡単に変わりはしねえだろうけど、まあ、やってみてもいいよ。一緒に死んでくれたお礼だからさ」

 それでいいよと反射で答えると明星は息を吐いた。らしくない動作で、もしかして安心したのかと思ったけれど年上なので言わずに秘めた。

 無理矢理の無言じゃなくこういう無言はあってもいいのだ。なので早く自分の部屋に、その前にホテルでさっさと明星とセックスでもなんでも、燃え上がって力尽きたい。

 これはこれでひとつの情死だ。

 ……多分。

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