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 オデッセイでの長い冒険旅行が終わって帰ってくると既に都会の方が俺には馴染んでいたようで、人工の星とでも言えそうな電飾やら街燈やら規則正しく並んだマンションの灯りやらに帰ってきたなあと一息ついた。とにかく眠かった。明星は俺のアパート近くまで送るなり、そのうち連絡するからと何故か素っ気なく言って走り去った。名残もクソもない。でも何かしら変化したのだとは思う、思うことにして信じて俺は不在にしていた部屋のベッドにダイブする。当然爆睡する。有給分の休みはあと一日あったために遠慮なく寝る。起きると昼過ぎで明星からの連絡はなかったが朝陽からの連絡があった。心配していてくれたらしくその後どうだという内容だったが一応どうにかなりそうだと、どうにかなったって確定したらまた連絡をすると、色々ありがとうと最後に添えて返信した。生まれ変わった気分だなんて言ってしまえばとても陳腐だ。そしてそこまでの過激な変化だったかどうか俺にはわからない。ただ凪いでいた。出掛けてスーパーの弁当を買って、安売りされていない甘いアップルパイなんかを眺めていても、心臓を直接掻き毟りたくなるような焦りとか肺が勝手に動いているような息苦しさはなかったし、甘いものを食べたいわけでもないのに思わず買った。パイは晩飯になり、朝陽からは了解との短い返信があり、連休最後の一日は平和に過ぎた。

 翌日は出勤して、うみたまごで買ったお土産を社内に配った。これ食べて仕事やっつけよーとか俺っぽくない、どれかといえば明星っぽいようなことを言ってしまって恥ずかしかったが同僚も上司も笑って食べて美味いと喜んでくれた。見渡してみると中小企業だからか人同士の連携というか、表面化するくらいのひどい問題はない穏やかな職場なんだなと感じた。それで俺は駄目だなあとこっそり苦笑する。きっとみんな少しずつは駄目なんだろうけど、俺は特に駄目だった気がする。一人で勝手に切羽詰っていた気がする。そしてそれは有給をあっさり快諾した上司には見抜かれていたんだろうと思う。

 うみたまごで買ったクッキーをもりもりと頬張る上司に俺はやっと素直に感謝する。罪悪感とかではなく本気で本当にありがとうございましたと改めて告げておく。


 仕事をして、いつものスーパーに行く。帰って弁当やらおにぎりを食べて、ネット記事とか読んで寝る。道中で聴いたテーテテテーレレーみたいな曲調のクラシックの名前はなんなんだろうって調べてみるけど全然わからなくて不貞腐れたりする。その検索を行ったスマホにポンと新着メッセージが入ったりする。差出人の名前がやたらと光っている俺の後輩、いや、こ、恋人は、脳内でも恋人っていうの恥ずかしさが過ぎて数秒思考が止まる。

 とにかく明星はかなりいつも通りの調子でメッセージを寄越した。明日部屋まで行くから鍵開けてー。マジでこれだけだった。もっと他に何か言えよって催促する。お待たせしました? と疑問符で返ってくる。もういいよバカって思うけど俺は部屋の掃除とか始める。せっせと掃除機をかけてからテーテテテーレレーって感じのクラシックなに? って返事をする。五分くらい間が空く。その間に意味なくスマホのアイコンをみつめてふとカレンダーで目を留める。明星が諸々の理由で忙しくって来なくなった日から一ヶ月が経っている。とてもとても長い一ヶ月が終わって俺は、どうなるかわからないけれど今のところは満足してるよと次の一ヶ月を待ち始める。その間に届いた。音源のリンクが貼られて、多分これってメッセージが続いた。これだった。新世界より。なんだか沁みるタイトルだったけど心持ちってやつだけどテーレレー以外の部分を覚えていなかったけど、寝るまでの間ずっとそれを聴いていた。


 翌日の夜にやってきた明星は俺の部屋の前で大人しく待っていた。

「あ、大河さん。お帰りー、甘いもの買った?」

 そしてとてもいつも通りだ。俺は苦笑しつつ右手に提げたスーパーの袋をがさりと持ち上げ見せ付ける。

「買ったよ、林檎のクレープ」

「すげーいいじゃん、早く中に入らせて」

「はいはい、つうか明星、もう鍵あげるから勝手に入っててよ。寒くなる時期なんだし」

「くれるならもらうけどいいの?」

 鍵を開けて中に入る。手探りで電気をつけて、明星に袋を渡してからまず小物入れを開ける。入居時に渡されていた特に使い道のなかった合鍵を取り出し渡すと、明星はちょっとうろたえた。ように見えた。

 えっマジでうろたえたな今。驚いてじろじろ見ていると明星は眉を寄せた。これもわりと初めて見る顔だった。

「オレにズッブズブで溺れてたときの方が可愛かったなー、惜しい」

 急に詰られる。明星はテーブルの前に座って林檎のクレープを取り出し、俺の弁当も出して卓上に置いてから食べ始めた。食べている間無言が続く。食べ終わってから明星は移動して俺の隣まで来た。セックスでもするのかと先にシャワーを浴びる旨を、伝える前にぬるっとCDを出された。

「新世界より、気にしてたから。親父の遺品CDの中漁って見つけたから貸してあげる」

「えっ、いやでも再生機ない」

「あー、じゃあそれも今度、貸してあげるよ」

「それだと明星が聴けないだろ」

「全部別のところに移してあるし車でも聴けるし、てか大河さん、オレは思ってたんだけどオレと大河さんって多分、体の相性以外ほぼよくないんじゃないの。オレの趣味って賭け事とか音楽とか二進も三進もいかなくなってる人間を傍観することとか良さそうな相手とのセックスとかなんだけど、それでも本当にオレが好きなの?」

「そりゃ、うん、お前がけっこうクズだってのもわかった上でその、」

「でもなあ、母さんは大河さんわりと気に入ったっぽいんだよね」

 えっ?

「えっ?」

 思考と声が直結してそのまま出た。明星はオレにCDを握らせつつベッドに凭れ掛かり、誰か連れ込んだの初めてだったしなあとぼやくように言ってから視線だけをこっちに向けた。旅行中よく目にした角度と位置と横顔だった。それだけでもう胸が詰まる感じがして、好きって色々意味はあるけどありすぎて分解できないし、恋愛って話になれば更に割り切れない常に不確定な代物になってしまうんじゃないかと急に思う。思った。明星の目がオレには相変わらずきらきら光って見えているせいで、理由なんて述べられる代物ではないと本能っぽいところが反応した。

 明星は体を起こす。まあ大河さんがいいならいいよ。そう言ってから流れるようにキスしてくる。そのままベッドにも流れるように入るかと思えば引いていく。鞄から二枚目のCDが出されて今度はなんだと眉を寄せれば、こっちは母さんからとあっけらかんと言い放つ。

「旅行の話とか、オレが思う大河さんの話とか聞かせたら、これっぽいって言ったから。まあ、今度は機械も持ってくるから一緒に聴こう。あと、うん、いつまで続くか知らないけどさ、善処はしようって気にはなってるから、頑張ろうぜ」

 反射のように頷きながら、俺は差し出されたCDを見る。タイトルがあまりに直球だったので言及は止めて、そろそろと明星に凭れ掛かってみれば普通に腰を抱かれてどぎまぎした。シャワー浴びてくるからと告げて離れて浴室に入ってやっとちょっと安心する。明星がちゃんと戻ってきたことに。善処はすると言われたことに。今度があると明言されたことに。


 息を吸う。吸い切ってから止めて、明星はどんな気分で俺が出てくるのを待つのだろうと考える。俺は甘いものを食べないし明星の好む音楽も知らないし賭け事もやった記憶がないけれど、溺れるほど好む気持ちは既にもう持っているので、わりと大丈夫なんじゃないかと思う。

 大丈夫にならなくても大丈夫だって。明星も多分そう言うし言わなくても言わせるように頑張るよ。

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