残念美人さんと化け物
人の話声と、頭の上を忙しなく歩く足音で目が覚めた。
大きめの格子窓が付いた板壁と、対面の壁は壁一面の戸板が開けっぱなしのお陰で、電気は点いていないが陽の光だけでも、建物の中がよく見える。
未だ寝ぼけ眼の俺は、上半身を起こし、首だけを動かして建物の中を見渡す。
木の香りが微かに残る木造建築だ。昨夜の見立て通り、俺は学校の体育館程の広さの場所で、しかも雑魚寝状態で寝かされていた訳だ。
流していた視線が止まる。
気になったその場所には床の間があって、そこに時代劇でよく使われていそうな、和風の鎧と、長短の刀が一振りづつ飾られており、その後ろには刃先の違う槍が三本と、天井に届きそうな長弓と矢のギッシリ詰まった矢筒が立て掛けてあった。
そして更に目につくのが、その上。床の間の上に吊るされた巨大色紙が圧倒的な存在感を放っていた。
『一刀、一矢、一殺』と、極太の筆で殴り書きのように書いてある。
道場訓のような物だろうか?
武器、鎧に道場訓って、体育館より剣術道場だなコリャ。
多分予想通り。周りの壁には木刀やら弓矢やら刃の無い槍。槍と言っても、これはただの長い木の棒だが、それらが幾つも壁に留め具で掛けてあった。
うん。これでここが、どこかの剣術道場なのはわかった。……でも、何か違和感が残る。……何かが、足りない。何かってーーあっ!
「……!?」
電気が無い! 蛍光灯がないんだっ!!
当たり前にあるはずの蛍光灯が、天井には付いていなかった。
何で? う〜ん……あー、アレか、まだ建設途中でこれから付ける予定だとか。……イヤイヤ、有り得ないだろ! 電気だけ後から付けるだなんて。
「はい、完成しましたぁーソレではまた後日、蛍光灯だけ設置に伺いますぅー」なんて平気で言う大工さん、いないだろ! まず先に電気付けんだろ!
……何かが、おかしい。
顎に手を置き鋭い眼光で、改めてこの違和感を考察し始めた。フと、周りの人達にも違和感を感じる。
顔や腕、足などに止血ようの布を巻かれた怪我人達が薄い
隣に寝ている男性も、頭から顔半分を血の滲む布が巻かれていて、見ていて痛々しい状態だが、痛みに悶える声や呻き声は不思議と聞こえてこない。しかも、ここに居る全ての人が着物姿。 ……着物?
雑魚寝状態で、見ためからして不衛生な環境の中、着物姿でほぼほぼ放置されている津波被害の人達。
それを目の当たりにして、トイチは呟く。
「呉座に汚れたままの格好って、いささか怪我人に対して、雑過ぎやしないかい? しかも仕切りも無いし、プライバシーってモンも無い! ……全員、着物姿ってのもなんか引っかかるし」
なにが、どうなってるんだ?
訳が判らず口を尖らせたトイチは、疑問符を頭上に乗っけて首を傾げていた。
見えてる物が、やっぱりおかしい。
津波被害も不明のままだし、避難所としても物が無さすぎる。何もかもがおかしい。
「…………」
でも……。着物姿の人達だって、たまたま全国ツアー中の旅の一座と、たまたま同じ避難所でかち合っただけかも知れないってか、多分そうだな、うん。
「ふう〜〜〜〜〜〜〜」
無理矢理な理由で何とか自分を誤魔化し、深い深呼吸で思考を切り替える。やるべき事を整理する。
まずは、みんなの安否確認と津波被害と被災状況把握、人命救助のお手伝いに避難所の運営全般のボランティア、まだ他にもあるんだろうけど、少し考えただけでもやるべき事が山積みだ。
目に映るものを忘れるように思考を巡らす。
身体に痛みも無いし、呑気に寝てる場合じゃないしな。そう思いたって上半身を起こすべく床に両手をつくも……。
“ コテンッ ”
「……ッ?」
左に体が倒れた。
んっ? ……左手がおかしい。力が入らない、感覚が無い。昨日の夜から、軽く疼痛はあったが。視線を落とす……。
「………マジか」
絶句した。左手が無かった、左手が肘から下が無くなっていた。
横倒しのまま目を剥いたトイチは焦りだす。冷静を装った思考に暗雲が立ち込める。
「俺の左腕……」
感情を忘れたように呟いていた。切断された箇所は薄く血の滲む白い布で、かなりキツく巻かれていて、痛みが感じないのが不思議なぐらい酷い怪我に見えた。
顔色がみるみる青ざめていく。
ハァッ? えっえっ!……なんで、なんで左手が無いの! ……どうする? どうしたらいいの?
「まて、まて、まて、まて、今日やる事は何だったー!……考えろー。頭を整理しろー」
そう声に出し、見なかった事にしようとするが、どうしても無い左手に目を奪われてしまう、意識を奪われてしまう。
「モンジ! モンジ! ……バカモンジ、無視すんなっ!!」
怒りをあらわに叫ぶ声。室内で誰かを呼ぶ声が、澄んだよく通る声が響く。
ダンッダンッダンッと、床板を強く踏み鳴らす足音が近付いてくる。
パコンッ、衝撃で視界がブレた。後頭部を叩かれたのだと気づいた。
急襲に苛ついたトイチは、残った右手で後頭部を
「はぁ?」「はぁ? じゃないわよ、モンジのくせにっ!」
かぶせ気味に怒鳴られた。勢いに押され、怒りも一瞬で霧散した。
「だから、モンジじゃ無……」
「呼んだらキチンと返事をしなさい! バカモンジ!! ……ソレで、どうなの?」
モンジじゃ無くトイチだって言おうとしたけど、また、かぶせ気味に怒られた。……もういいや、モンジで。
怒ってる風だが、それでも眉間に影を走らせ、心配そうに見つめてくる女の子。……昨日の夜、添い寝していた女の子ーーでは無い。
「あ、あぅ……」
「痛いの?痛くないの?どっち?」
急な事で、口をパクパクしていたら撒くし立てられた。
「……痛みは無いので、大丈夫です」
「……あっそう、腕は焼いて止血してあるけど、ソコからバイ菌が入って大変な事になるから、キチンと……etc.」
クドクドと説明してくる女の子……。凄い美人さんだ。艶やかな腰まである黒髪を一つに纏めて、丸みを帯びた卵顔の彼女。
それに、モチモチしてそうな白い肌に日本人離れした濃い目鼻立ち、紅を付けてない唇も赤く膨らみを帯びている。
とてもスレンダーな体型に、明るい
俺は見惚れていた。
「聞いてんの! 頭だけじゃなくて、耳まで馬鹿になったんじゃないの! ったく!」
美人さんなのに毒を吐きまくる彼女に……残念な美人さんって本当にいるんだな、と心の中で呟いてしまう。
「あ〜、も〜、面倒臭い! 私は忙しいの! アンタの相手ばっかりしてらんないの!!」
目を吊り上げたまま、眉間に皺を刻みながら残念美人さんは。
「それっ! そこ!」
仁王立ちのまま指さしで、俺の寝ていたすぐ側、小さく折りたたまれた紙袋の束を示す。
「化膿止めと痛み止めの薬だから、食後に必ず飲みなさい! わかった!」
腰に手を当て、残念美人さんは少しだけ表情を和らげて。
「元気になったら、早く家に帰りなさい。……イエ姉も、死にそうなぐらいアンタの事心配してるんだから」
「あと、必ず、必ずよ!ハト爺の所には顔を出しなさい。その手、何とかしてくれるから……。わかった!」
勢いに押されて、首をブンブンと縦に振っていた。
「加合様の薬は特別なんだから」
そうウインクと一緒に一言を残して、フンッと鼻息一つ付いた彼女は踵を返し、またダンッダンッダンッと他の怪我人の元へと向かっていった。
嵐みたいな女の子だったな……。だけど、見た目が何処と無く『神代さん』似ていたかもしれない、中身や雰囲気は全然似てないけど。
それよりイエ姉が待ってる家に帰れって、どゆこと? それより津波でアパートは大丈夫なんだろうか?
ますます混乱してしまった。
皆んなの安否、被災状況、俺の怪我やアパート、心配事の種は尽きない。
そこで、今更ながらに自分の格好に気付いたんだが。
「どゆこと」俺も私服や患者服では無く、みんなと同じ着物姿をしていたから、驚いててしまった。
……はぁ? なんで? なんで着物なんだよ! 俺の服は? 俺の服はどこよ!
こめかみを力一杯揉む事で、混乱する思考を無理矢理鎮めると、とりあえず元気に動けるって事で自分の事は、今だけ後回しにした。
やるべき事をやろうと重たい腰を上げる。
まずは、避難所の中をグルッと確認したが見知った顔はいなかった。
別の避難所も、片っ端からあたって見ようと土間に並べてある自分の靴を探そうとするが……。
靴は一足も無く、全て草履だった。
靴が一足も無い。……全て草履って。……はぁ?
なんだか、起きてから訳の分からないことが多すぎて、もう、どうでもよくなって来た。
トボトボと裸足のまま避難所を出たが、更に衝撃的な光景を目の当たりにすることに、なったんだが。
街が……消えただと! 住んでた街がマルっと無くなってたんだ。道路も家も建物も全部、マルっと無くなっていた。
アパートより高台にある、ここからの景色に俺はーー絶句した。
海は眩しいぐらいに綺麗だ、ヨシヨシ。三日月形の入り江も、記憶通り滑らかに弧を描いてる、ヨシ、ヨシ。岬まで続く木々も緑豊かで、ヨシ、ヨシ。……で、俺んちはーー何処?
見知った美しい自然の景色、惚れ込んだ景観があるんだが。
当たり前にある筈の物が、この景色から消えていた。それは近代的な建物にアスファルト、電信柱と
……ナニが、どうなってる! 津波の所為なのか? いやまさか。
そこに、一直線に駆けてくる軽い足音が聞こえた。
「……タッタッタッタッタッタ。ッガシッ!」
口を開けたまま、銅像のように固まっていた俺の背中に、何者かが飛び乗って来たんだ。
「うおっ! ……だれ?」
思わず叫び声を挙げた。前傾姿勢で何とか耐えれたけど。誰、誰、と確認しようとしても、首が回らない……真後ろが見え無い。フクロウじゃないしな。
ただ、俺の首に巻かれたその火傷跡の残る白い細腕と、腰をガッチリ掴む擦り傷だらけの細長い足を……忘れるはずがない。
……イエ。彼女の腕にソッと触れて、その名を囁いた。
「んぐっ、……ふ、ふぐっ……うっうっ…うっあぅっあっあぁ〜〜〜。あぁ〜〜〜〜。ぁあぁ〜〜〜〜〜」
小刻みに震えながら、感情露わに泣く彼女。背中に伝わる彼女の温もりに、その火傷跡に、間違い無く夢で見た彼女だと確信した。
「大丈夫、大丈夫だから」
そう言いながら、彼女の腕を
子供の頃から見ていた夢。優しくて逞しい彼女、少し天然でおっちょこちょいで、いつも前向きで寂しがりで、そして誰からも愛される彼女。
俺はいつか会えると信じていた。夢なのに、夢の中だけなのに……それでも俺は彼女に逢いたかった。
「……イエ姉。……やっと、君に会えた」
だから、そう囁いていた。そしてイエ姉に会えて確信したんだ。
これは全部夢なんだって。
「ホンット、モンジの事となると大袈裟なんだからイエ姉は! ……死ぬほどの怪我じゃないって教えたのに!」
剣術道場の前で、一部始終を見ていた残念美人さんが、呆れ顔でそうボヤく。
「まぁー、まぁー、微笑ましい事ではないか。……あの二人は、子供の頃からあんな感じだしな」
気配も足音も無く隣りにいたこの男に、残念美人さんはギョッとするが、その
「
そう言って、繁忠と呼んだ男を睨む。
「はっはっはっ。スマン、スマン。……ワシは
と、繁忠は岩を張り付けた様な無骨な顔を崩す。
「うるさい! 繁忠のクセに生意気なのよ!……それより何? 何か用事があって来たんでしょ!」
ほんのり赤らめた顔で絹が聞き返す。すると、繁忠の緩んでいた顔つきが一変、武人の顔に戻った。
「……今夜、
「……わかったわ。……それで、アソコのバカはどうするの?」
と、絹は顎で姉弟を指す。
「あとで、ワシから話しておく」
そして、繁忠は鋭い目つきでモンジを見据えると。
「……アレは、とんでもない化け物だ」
繁忠の呟き。しかし小さな呟きは、絹の耳には届いていなかった。
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