F19:結婚式
一年後、グアム。
僕達は格安のパッケージツアーでこの地にやって来た。日本では桜が咲いている時期だというのに、飛行機から出ただけで真夏のような暑さになる。それだけで何かテンションが上がりそうだった。
「あっついねぇ」
「あっついねぇ」
僕は古田さんと並んで降り立ち、互いに顔を見合わせて笑う。暑い。それを確認し合っただけなのに、何か楽しく思えるのだから不思議だ。
いや、それだけではない。花を見る。山を見る。海を見る。街を見る。何も特別なことではないけれど、古田さんと一緒にそれを行っただけで、それらはとても楽しくて、嬉しい事象へと変わる。それはずっと変わらない。いや、日に日に強くなっているような気さえしたから。
ありがとう。ありがとう。そんな気持ちを、幸せをくれた彼女に、ある日そう感謝を言葉にしたところ、彼女もまた僕と同じように感じていると教えてくれた。嗚呼、それではこんな日々はきっと僕達が年老いて、しわしわのお爺さんお婆さんになっても変わらないに違いない。ずっとずっと幸せな気持ちでいられるに違いない。そう確信した僕は、結婚というものに何処か二の足を踏みそうになっている自分を乗り越えて、古田さんへプロポーズをした。
今日は僕と古田さんの結婚式。その為に僕達はグアムへとやって来ていた。僕も古田さんもはじめてこの地にやって来た。初めて見る景色、初めて味わう食事、英語だらけの世界も含めて、色々な初めてを彼女と一緒に体験していきたい。今回だけでなく、これからもずっと。そう思っていたところ……
「いつまでそこに止まっているんだよ。はよ降りろ。後ろがつかえてんだよ」
僕は仙波先輩に背中をつつかれていた。そう、仙波先輩がいた。今回のグアムへの旅行は僕と古田さんの結婚式が目的だが、親族がいない僕側の関係者として仙波先輩の一家3人が来てくれていたのだ。
おっと、失礼。来てくれたことに感謝しつつ、僕達は通行の邪魔にならないようにどいた。
「で、こんな所で何をしていたんだ?」
仙波先輩は僕達の横を通りつつ、そう訊いてきた。僕は古田さんと共に歩みを進めながら、どう答えたら良いものかと考えた。
何をしていた? 何をしていたって訊かれてもねぇ。
「日本は春なのに、グアムは暑いねぇ。まるで夏のようだねって確認し合ってました」
「で? グアムは日本よりずっと南にあるんだ。そのくらい、来る前から分かっていただろ?」
「ええ、地図帳を見れば一目瞭然ですね。でも、それだけです」
「はああああ?」
マジでそれだけかよ。マジでそれだけかよ。
ぶつぶつとそう言い出した仙波先輩に、僕は言った。
「グアムは暑い。それだけのごく当たり前のことですが、夫婦2人で体感するそれだけで楽しく思えません?」
「ああ?」
仙波先輩は僕にジト目を向けつつも少し考えてから、分からなくもないと言った。ただ。
「2人ならば上手くいくだろうって確信はあったが、此処までとはな。バカップル、いやバカ夫婦爆誕、混ぜるな危険だったか。あっついねぇ? お前等程ではないわ」
余計なコメントがついていたが。
ホテルに着いた。結婚式は次の日の午前で、僕達新郎新婦は明日の結婚式に向けての打ち合わせが夕方から入っていた。同行してくれている古田さんのご両親である義父・義母と来てくれた一家の人達、仙波先輩一家はその間、ディナーショーを楽しめるお店に行っている。頭の片隅で少し羨ましいなという気持ちを抱きつつも、明日の結婚式を最高のものにする為に僕は古田さんと共に打ち合わせに臨む。
とは言え、そんな堅苦しいものにはならない。古田さんもにへらと笑って言う。
「ディナーショーかぁ。何か楽しそうでちょっと羨ましいわね」
「まぁね。でも、僕達もいつか行ってみればいいさ。今日限りでもう見れなくなるものじゃないんだし。それより今は明日の結婚式を最高のものに出来るよう頑張ろう」
「ええ、そうね」
僕達は少しだけ顔を見合わせて、そして少し笑い合った。それからは打ち合わせに集中し、良い話し合いが出来た。
その集中があったおかげなのか、打ち合わせは意外と早く終わった。ただ、僕達はその日はもう仙波一家にも古田一家にも会うことなく、2人で2人の部屋に戻った。早めに休んで、明日の式に備えようという算段だった。
窓越しに外の景色を眺めると、月明りの下で風に揺れているヤシの木が見えた。遠くに目をやると、ネオンの光を放つ夜の街が見えた。
「良いと言うか、面白い景色よね。これと同じような景色、日本では絶対に見られないし」
「そうだな」
隣で並んで夜景を眺めている古田さんを感じながら、僕は引き続きグアムの夜景を眺めていた。東京ではまず見られないヤシの木、広い右側走行の道路、日本語が殆どないのは勿論、看板のデザインなんかも日本のものとは全く違う。別の国の、別の景色だ。
それは言われなくても分かる。しかし、と僕は隣りに少し目を向ける。そこには明日正式に僕の妻となる古田さんがいる。彼女の横顔が見える。前は肩くらいだった髪の長さも、ウエディングドレスを着るのに向けて長くしたいとのことで、今では背中の半ばくらいまでになっている。少し栗色の彼女の柔らかい髪の毛は、どんな長さでも僕は大好きだ。
彼女の横顔も見る。穏やかな目付きの彼女のこの顔が、僕はいつからこんなに愛おしく感じるようになったのだろう? そのキッカケは分からない。だが、テレビや動画で観るどんな芸能人よりも僕はこの顔がいい。一番いい。世界で一番いい。
その気持ちに嘘はなく、かつ何の誇張もないので、僕はその気持ちのまま少しかがんで彼女にキスをした。
「夜景が見えないよ?」
古田さんは苦笑いを浮かべる。
「僕はこっちの方が良くてさ」
「ふふ、バカねぇ。でも、私も政樹さんと見る景色だからいいのよね」
彼女はそう言って、キスを返してくれた。そして、すぐに2人でまた笑い合った。何かが特別おかしかった訳ではない。変なことがあった訳でもない。ただ、ただ、心の底からしみじみと思っていただけだ。
幸福だと。
ドキドキする。緊張が止まらない。何の効果もないと分かりつつも、僕は手のひらに人と3回書いて飲み込んだ。失敗したらどうしよう? 不安はあるが、それでも逃げ出したいという気持ちは一切なかった。これは僕が、僕達が望んだ式なのだから。
荘厳な音楽が流れ、まずは僕からの入場。僕は式場内に入ると軽く見渡し、仙波一家と古田一家が揃っていることを確認した。そして、ゆっくりとした足取りで奥にいる牧師の許へと行った。打ち合わせ通りに。そして、新婦がやって来るのを待つ。打ち合わせ通りに。
あれこれ考える間もなく、新婦の入場となる。古田さんはお父さんと共に入場し、僕がやったのと同じようにゆっくりとした足取りでこちらへやって来た。ベールを被った古田さんの表情は見えない。だが、隣にいるお義父さんの顔は緊張で強張っていた。
ああ、きっと僕もそれと同じ表情をしているのだろう。そう思うと、少し肩が軽くなった気がした。
古田さんは僕の隣に並び、僕はお義父さんから彼女の手を受け取る。少しだけ笑顔を浮かべ、彼女のことは任せて下さいと伝えるように。
讃美歌が歌われ、牧師が聖書を朗読し、祈りを捧げてくれた。そうすると、キリスト教式結婚式で一番有名なシーン、宣誓となった。
「貴方は病める時も健やかな時も彼女を愛し、癒し、真心を尽くし、死が2人を別つその時まで固く貞節を守ることを誓いますか?」
といったことを英語で訊いてきたので、僕は迷わず答えた。緊張せずに。
「I do」
だって、これはいつも通りのことだ。僕は彼女の姿を見る度、共にいるといつも、こんな彼女と共にいられて幸福だ、これからも共にありたいものだと願っている。誓いますか? ああ、いつも誓っているとも。
古田さんも神父向けバージョンを英語で訊かれ、彼女もまた迷わず答えた。
「I do」
誓いの後は指輪交換。僕はしっかりと古田さんの方を向いた。とても綺麗なウエディングドレスでとても綺麗な姿をしているが、此処にいるのは僕が良く知った古田さんだ。顔はまだベールに隠れているが、それでも誰かすぐに分かるくらいによく知った古田さんだ。
指が震えることもなく、僕達は指輪交換を終えた。新婦から新郎へ、新郎から新婦へ。
それが終わると結婚式のキス。僕はベールを上げて、古田さんの顔を真正面からしっかりと見た。少し照れ臭そうではあるが、彼女は穏やかに、幸せそうに微笑んでくれていた。その顔一つで、僕はしっかりと理解出来ていた。僕が夫でいいのだと。僕だけが彼女の夫であるのだと。
自信をもってそう断言出来た。だから僕は迷わず、彼女にキスをした。形式なのでいつもより軽いものではあるが、彼女が僕の妻なんだ、僕が彼女の夫なんだという気持ちを込めて。
キスを終えると、牧師が僕達は夫婦であると宣言し、僕達は結婚証明書に記名し、それによって結婚式は終わりとなった。僕は妻と腕を組み、バージンロードを歩いて退場する。時折彼女と視線が合ったが、まだ式場内なので会話はしない。言葉はない。しかし、彼女がこの式を喜んでくれていたことだけは十二分に分かる。それだけで良かった。嗚呼、それだけで最高の結婚式だったと思えた。
あの最低最悪な結婚生活を、糞ビッチとのことを思い出すことは、今となっては殆どない。それをきっと、過去を乗り越えたのだと言うのだろう。そう、僕は最低最悪を乗り越え、今此処にいる。
僕は妻と2人顔を見合わせ、微笑み合いながらチャペルのドアを開けた。この先にあるのはただの南国の景色ではあるけれど、開けた瞬間の僕にはこれから広がる僕達の未来のように思えた。
これから嬉しいことや楽しいことだけではなく、苦しいこと、悲しいこともたくさんあるだろう。僕達に降り注ぐだろう。だが、このチャペルのドアのように僕達は2人でドアを開いて進んでいく。乗り越えていく。それをいくつもいくつも積み重ねたその旅路の果て、老いて死が2人を別つその時に僕はこう思うに違いない。最高の結婚生活だったと。
まだ始まったばかりなのに、そうなるに違いないと僕は不思議と確信していた。カーンカーンとチャペルの鐘の音が響き渡る。鳥が飛んでいく。全てがそんな僕達を祝福してくれているように見えた。
嗚呼、何度でも思える。何度でも妻に伝えたい。
僕は幸福だ。
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<後書き>
前回のF18も含めた後日談2つ挟んで終わりです。これで終わりでございます。
最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。
感想もありがとうございます。返信はできてないですが、全て読んではいます。
では、またいつか。別のお話でお会いしましょう('ω')ノ
渡辺政樹の最低最悪な結婚生活 橘塞人 @soxt
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