甘いキノコ

 キノコ蒐集家の佐藤さんは、友人の吉野さんと二人でキノコ狩りに山へ出かけた。

 山道を歩いていると、途中で道が二手に分かれている。


「吉野さんはこっち、僕はこっちで。二手に別れましょうか」


 佐藤さんは左の道を指し右の道を指し言った。


「分かりました。じゃあ、日暮れ前にここで落ち合いましょか」


 と吉野さんが応じた。

 それで二人は別々の道へ入って行った。



 佐藤さんが山に入ってみると、キノコがあるわあるわ、そこここにキノコが生え茂っていた。

 空気は湿り気を帯び、木漏れ日からうっすらと霧がかかっていることが分かる。


「うん」


 佐藤さんは早速、籠の中にキノコを入れ始める。

「このところ雨がちだったからか、キノコがよく見えるな」

 中には見たことのない種類のキノコもあったので、壊さないように丁寧に拾い集めた。

 あっちにもキノコ、こっちにも。と、そうして霧の中、夢中になってキノコを拾い集めていると、やがて日が傾き始めた。


「そろそろ戻らんと、日が暮れるな」


 佐藤さんは山を下りることにした。



 佐藤さんが合流地点に戻ってみると、空が赤くなりかけていた。まだ吉野さんの姿は見えない。佐藤さんは路傍の倒木に腰掛け、吉野さんの帰りを待った。

 しかし、待てど暮らせど吉野さんが戻らない。


「遅いなぁ、吉野さん。もう日が沈んでしまう」


 さては穴場の場所でも見つけて帰り時を見失ったか、と佐藤さんは考えた。


「くく、吉野さんらしいや。……さて」


 佐藤さんはゆっくりと腰を上げ、吉野さんを探しに行くことにした。幸い、荷物には懐中電灯もあるし、携帯コンロやちょっとした食材もある。これらは近くのキャンプ場でキノコの試食に使おうと持ってきたものだが、もし捜索が長丁場となっても食うに困ることはないだろう。

 佐藤さんは再び山の中へ入っていった。



「おーい! 吉野さん!」


 時折、大声で呼びかける。整備された道などなく、歩きやすそうな場所を探し、草を掻き分け歩いていく。

 そうして歩き続けていると、ピンク色のザックが落ちているのを見つけた。


「あれは……」


 ザックのところへ駆け寄り、改める。


「やっぱり」


 ザックは吉野さんのものだった。辺りを見回すと、緩やかな斜面になっている。すぐ脇に、何か引き摺られたような跡が見えた。


「……」


 跡は斜面の上から伸び、佐藤さんのいる地点より下へと続いている。その先は草木で分かりづらいが、急斜面になっていた。

 佐藤さんは意を決して斜面を降りていく。足を滑らせないように、一歩一歩、着実に進む。

 周囲はジリジリと闇に包まれていく……。


「うおっ!」


 途中、佐藤さんは粘土質の土に足を取られ下へ数メートル滑落した。


「ああああっ! ああ!」


 小さな木に衝突し、そこで佐藤さんはようやく止まった。ゴロゴロと土塊や石が流れ落ちていくのを見送る。

 それからまた一歩ずつ歩き始める。


 そうしてしばらく歩いた後、佐藤さんは谷底に辿り着いていた。


「おーい! 吉野さん!」


 声を振り絞って叫ぶ。だが、返事はない。懐中電灯を振り回し、辺りを探る。


「!」


 光の先に佐藤さんは何かを見つけた。駆け寄ってみると、それは紫色の奇妙なキノコの群れだった。


「これは……なんだろう?」


 慎重に一つ手に取り、佐藤さんはそれをためつすがめつ観察した。香りを確かめるため、鼻のあたりに近づけて嗅いでみる。するとえも言われぬ香りが鼻いっぱいに拡がった。


「……味もみておこう」


 佐藤さんはフライパンと携帯コンロを取り出し、フライパンを火にかけ始めた。それからバターをナイフで切り落とし、キノコと和えて炒めた。しばらくすると、バターとキノコの焼ける匂いがあたりに立ち込める。頃合いを見計らって、佐藤さんはキノコを一口食べてみた。


「これは、はは、辛いキノコだ、ははは」


 佐藤さんはまた一口、また一口とキノコに齧りついた。キノコは気がつくとなくなっていた。


「もっと食べてみよう!」


 佐藤さんはもう一つキノコを採って、バターで焼き始めた。ジュウジュウと水の爆ぜる音を聞きながら、キノコが焼けるのを待った。


「そろそろかな」


 そういって佐藤さんはキノコを一口で食べた。そうして口いっぱいに頬張ったキノコをしばらく咀嚼し、飲み込んだ。


「今度は苦いキノコだ」


 何かゴミが混じっていたのかもしれない。そう思い、佐藤さんは今度は慎重に確かめてからキノコを鍋へ放った。またキノコの焼ける音を聞き、頃合いを計る。そしてまたキノコを食べた。


「おっ? 今度は、酸っぱいキノコだ。ということは……」


 何かに気がついた佐藤さんはもう一つキノコを採ってそれも食べてみた。


「ハハハ、やっぱり! 今度は塩っぱいキノコだ! どんどん味が変わる! 次は甘いキノコに違いないぞ」


 果たしてキノコを食べてみると、それは苦いキノコだった。諦め切れずに佐藤さんは次々とキノコを食べ続けた。辛い、塩っぱい、酸っぱい、辛い、塩っぱい、辛い、苦い、……。

 食べども食べども甘いキノコは食べられず、とうとう佐藤さんはキノコの群れを食べ尽くしてしまった。


「ああ、甘いキノコが食べたい!」


 佐藤さんは甘いキノコを求めて彷徨き始めた。すると、


「うおおおい! おおおい!」


 とどこからか呼ぶ声がした。


「吉野さん? 吉野さん!」


 佐藤さんが声のする方へ灯りを向けると、ガサガサと草木が蠢いた。


「吉野さん!」


 音のした方へ近寄ると果たしてそこにいたのは猪だった。


「なんだ、猪か」


 猪が去っていくのを見送ると、またすぐ近くから草木を揺らす音がした。また猪か? 佐藤さんがそう思い懐中電灯を差し向けると、そこには赤い人型のキノコが立っていた。


「キューン」


 甲高い声で訴えかけるようにキノコ人間が鳴く。


「うわ」


 突然の遭遇に佐藤さんは後退った。キノコ人間はゆっくりと、全身を揺らしながら近づいてくる。


「ミ゛ャーォウ、キューン」

「うわ、わ」


 佐藤さんは背中に硬い木の感触を覚えた。これ以上、後退できない。


「ウゥァーォウ、ウルルルル」


 佐藤さんの目の前にキノコ人間が立った。キノコ人間は奇妙な鳴き声を上げながら、忙しく手足を動かした。


「ウゥァーォウ、ウルルルル」


 彼なのか彼女なのか、キノコ人間が動くたび、佐藤さんの鼻腔を甘い匂いがくすぐった。


「甘い匂い……。食べたら甘いかもしれない……」


 佐藤さんの中で、先程まで食べていたキノコの味が蘇る。甘いキノコを求めてやまない舌になる。

 佐藤さんはナイフを取り出すと、素早くキノコを切り始めた。キノコの肌は無抵抗にナイフを受け容れていく。


「ミャ゛! キューン! キューゥン!」


 キノコが手足をバタバタと振り、悲鳴を上げる。


「キューン! キューゥン!」


 佐藤さんは構わずナイフを入れ続ける。サグリ。サグリ。


「コココココァァォォオ、コココ、コ……」


 キノコが動かなくなり、悲鳴も聞こえなくなった頃、脇には切り分けられたキノコの山が出来上がっていた。

 佐藤さんはそれを鍋に入るだけ入れ、火にかけた。時間をおいて、ジュー、とキノコの肉の焼ける音がしだした。

 鍋の中ではキノコの小片が踊っていた。佐藤さんはその中の一切れを掴み口に運んだ。ゆっくりと噛みしめる。


「甘い……!」


 キノコは甘かった。その一口を皮切りに、佐藤さんは黙々とキノコを食べ、焼き、食べを繰り返していった。最早、吉野さんのことなど頭の片隅にもなかった。


 いつまでそうしていたのだろうか。気がつくと佐藤さんは眠っていて、目を覚ましたときには辺りは白んでいた。

 佐藤さんの全身は汗に塗れ、衣服は辺りに散乱していた。荷物を探ろうと不意に伸ばした手が何か柔らかいものに触れた。

 ギョッとして振り向くとそれは吉野さんだった。佐藤さん同様、何故か衣服は着ておらず、今は安らかに寝息を立てていた。


「吉野さん!」


 吉野さんを揺り動かす。吉野さんの目が薄っすらと開き、それからニヤニヤ笑いへと転じた。


「ハハハ、佐藤さん。何やってるんです、そんなぁ裸で」


 釣られて佐藤さんも笑い出した。


「ハハハ、いや吉野さん。あなたもですよ、裸ぁ」


 吉野さんは目を丸くして自身を見やる。


「ええっ! はは、参ったなあ、ははは」

「ははは!」



 それから二人はひとしきり笑い合った後、いそいそと服を拾い集め、着替えなければならなかった。

 というのも、二人がいたのは最初に約束した合流地点、つまり山の入口であり、人通りのある場所であったためだった。

 着替えが済んでからぽつりと吉野さんが言った。


「それにしても佐藤さん、どこへ行っていたんです? 私がここに戻ってきても、全然帰ってこなかったじゃあないですか」

「えっ。僕は吉野さん、あなたが来ないから探しに行ったんですよ」

「それじゃあ、入れ違いですか? 日暮れ近くまで待ったんですが」


 吉野さんが首を傾げる。


「いや、僕も日が暮れるギリギリまで待ちましたよ」


 佐藤さんが抗弁する。


「うーん。不思議ですね」

「いや、全くで」


 二人して納得したような、していないような顔で頷きあった。


「不思議といえば。僕は眠る前、人間大のキノコというか、キノコ人間に会ったんですよ」


 と佐藤さんが言った。


「えっ!」


 吉野さんが声を上げる。


「どうしたんです?」

「いやぁ、私もそのキノコ人間に会ったんですよ。赤いキノコ人間に! こう、山ん中で佐藤さん探してて、突然、バンと現れるもんですから、こう、びっくりしちゃって」


 堰を切ったように吉野さんが喋りだした。


「ああ、私もです。恐ろしかった」


 吉野さんの言葉に佐藤さんが頷くと、吉野さんも釣られて頷き合った。


「でも何でかなあ、あのキノコ。美味しかったですよね」

「美味しかったです」


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キノコ @chased_dogs

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