第44話 ありがとう

 ◇



「くっ……」


 あぁ、やっぱり──こいつ、強いな。

 瓶を全て使い切ってしまった。それでも、彁混神はまだ平然と立っている。


 戦って理解した。こいつは他の霊とは根本から成り立ちが違う。

 普通なら、霊は生者から発せられる力に弱い。それは自身が死者だから、それに反発する命というエネルギーに耐性がないせいだ。

 でも、こいつはそのどちらでもない。死から誕生したという矛盾を抱えた存在。

 だから、この手の道具の効果はあまりないともいえる。これなら、まだ物理攻撃の方が通りいいかも。


 なら、攻撃手段を変えるか。

 バッグから包丁を取り出す。


「…………」


 刃を見た瞬間、彁混神が僅かに反応したかのように見えた。

 ふーん。分かってるじゃん。これが、自分に通用するって。


 恐らく、生者と死者の境目の存在にも、私の力は通用すると思う。

 だって──私も、似たような生まれだから。

 どっちが真の“バケモノ”か、決めてやろうじゃない。


 胸に目掛けて、一直線に飛び込む。

 急所があるかどうか事態が怪しいけど、狙いは心の臓。これなら、全身に力が伝わるはず。

 でも、問題はここから。懐に潜り込むのが一番難しい。


 彁混神の一番の武器はその巨体だ。

 3メートル近い図体に長い手足、160センチにも満たない私だと、まともにやったら勝てるわけがない。

 でも、逆に言えばそれだけ。他の攻撃方法をこいつは持っていない。


 多分、本来のこいつの力はこんなものじゃないんだろうな。

 あの教団が操っていた影とこいつの気配はよく似ている。

 恐らく、あれはこの彁混神の力だ。どこか遠くから、力を分け与えていた。

 でも、今その力が使えないのは──この世界に慣れていないのが原因だろう。


 今のこいつは生まれたての赤ん坊と同等。だから、使える力が制限されている。

 逆に言えば、それでもこれだけ強いってことだ。本来の力なら、私どころか、この世界でこいつを仕留められるやつはいない。

 私にとっては絶好の好機チャンス。これを逃す手はない。


「…………ッ!」


 彁混神が拳を振り上げた。攻撃が来る。

 今までの攻防で、こいつの身体能力がどれほどの物なのかは見極めたつもりだ。

 その攻撃をまともに食らえば──いとも簡単に、私の胴体は切断されるだろう。

 でも、私だってそれなりの運動神経はある。あんな素人丸出しの大振りの攻撃なら、よっぽどのことがない限りは当たらない。


 ブンッ


 拳が空を切る音が響く。

 それにしても、眼球がないのに、どうやって私の位置を特定しているのか。

 聴覚、嗅覚、それとも、第六感に近い何かを使っていてもおかしくない。

 でも、だからどうした。ここまで距離を詰めれば、そのリーチを活かすことも難しい。

 後はその肉体に刃を突き立てるだけ。私の勝ちだ。



 ヒュンッ



 その時──再び、空を切る音が聴こえた。

 同時に、腹部に衝撃が走る。


「うっ……!?」


 全身に力が抜けて、吹き飛ばされる。

 呼吸が出来ない。何が──起こった。


 視界が揺れる中、彁混神が近付いてくる。

 その背後に、長く垂れていた尾がミミズのようにうねっていた。


 あぁ──そうか。尻尾か。あの尻尾で、攻撃したのか。

 これまで尻尾を使って攻撃してくる霊なんていなかったから、すっかり意識から外れてしまっていた。

 さっきの一撃で肋骨が何本か折れた。口から血を吐いたのを見ると、内臓も損傷している。

 足腰に力が入らない。数十秒はこの場から動けないか。


 あれ──もしかして、このまま本当に死んじゃうのか。私。

 覚悟はしていたつもりだけど、悔しいな。


 彁混神との距離は10メートルを切った。

 残された時間は十秒ほどだろうか。


 まあそれでも──蓮くんを逃がすことには成功したし、別にいいか。

 私は自分の役目を果たした。

 このままただ枯れるだけの人生だと思っていたけど、蓮くんと出会って、彼を守れて死ねるなら、これ以上に幸福なことはない。

 バケモノの私の命も、少しは役に──立てた。


 目の前に彁混神が立ち、その拳を振り上げる。

 今までの人生が走馬灯のように、脳内に駆け巡る。


 それでも、一番記憶に残るのは蓮くんと過ごしたこの二週間のことだ。

 彼の動作、時折見せる心配そうな顔、そして、笑顔。その全てが愛おしい。

 出来るなら、あなたと先の人生を歩みたかったけど──それは叶わないみたい。


 蓮くん、ありがとう。

 私、あなたと出会えて──幸せだったよ。





 バンッ




 その時、銃声が響いた。

 彁混神はその肉体を大きく揺らす。


 思わず、私はその銃声が聴こえた方向へと振り返る。


 そこにいたのは──拳銃を構えている蓮くんだった。

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