第43話 彁混神

 まあ、どうでもいいか。

 蓮くんが無事なら、私の命なんて。

 それより、今はこいつをどうにかすることを考えないと。


 その時、上が何か騒がしく感じた。

 視線を向けると──大量の鳥が空を飛んでいた。まるで、何かから逃げ去るように。

 いや、ただ逃げ回っているわけじゃない。道を分けるように、一か所だけ、避けて飛んでいる。

 そこには──“彁混神”がいた。


 飛べるのか。あいつ。

 じゃあいくら逃げ回っても無駄だな。追いつかれるのは時間の問題。

 距離は稼いだし、ここら辺でいいか。


 脚を止めて、背後へと振り返る。

 私の止まったのを見ると、彁混神は翼のような部位を動かし、地上に降りてきた。


「…………」


 降り立った衝撃で、軽く地表が震動する。

 かなりの体重があるのか──っ。


 あぁ、違うか。

 震えているのは私の方だ。

 深呼吸をして、息を整える。

 震えは──止まった。良し。


 真正面から、彁混神と対峙する。

 こいつが──あの教団が呼び出した“神”か。


 その姿は全身が漆黒で覆われている。

 身長は2メートル以上、3メートル未満ってところだろうか。細身だが、筋肉質な体型だ。

 後背部には翼と長く垂れた尻尾のような部位が付いており、頭部は頭蓋骨が丸出しになっている。

 眼球は確認出来ない。眼孔は黒く穴が開いているだけ、視覚があるのかどうかも分からないな。

 いや、容姿はどうでもいい。問題なのはそいつが放っている吐き気を催しそうになる存在感。

 あの教団が使途していた影とは比較にならない殺意の塊。全身から私を殺すという宣言を放っているようだ。


「……ふっ」


 何が神だ。あまりの馬鹿らしさに。鼻で笑ってしまった。

 どう見ても、その風貌は“悪魔”に近い。


 それにしても──こいつの正体は一体なんだ。なぜ、私達を追ってきた。

 明らかに、降霊術だとかで呼び出された存在ではない。

 私は専門外だけど、西洋の術の類だろうか。それにしても、こんなバケモノを呼び出せるなら、もっと有名になっていてもおかしくはないはず。

 こいつを一言で表すなら、異質とでも言うべきか。

 そいつから滲み出ている気配は生者でも死者のそれでもない。

 個体かどうかも怪しい。中に何が詰まっている。


 災害が起こる寸前に、鼠や鳥の小動物がその都市から離れるという異常行動を見せたという事例は数多くある。

 さっきの例を見ると、それはどうやら事実みたい。

 ってことは事象に近い存在。歩く災害、災厄──わざわいってことか。


 恐らく、あの集団自殺が彁混神を呼び出す儀式だったという推測は当たっているはず。

 百以上の命を犠牲にして、妊婦の腹を媒体にして産み落とされた怪物。

 生から産まれたのではなく、死から産まれた──“堕死者”ってところか。

 そうなると、死の概念があるのかも怪しい。致命傷を与えたとしても、死ぬかどうか。



「…………」



 彁混神は興味深そうに、こちらを観察している。

 意志疎通は──出来るって見た目じゃないか。あれで言葉が喋れたら、そのギャップに大笑いしてしまうかもしれない。

 じゃあ、遠慮なんてすることないか。

 命があるかどうかは知らないけど、こいつが死から産まれたってのは確かだ。なら、元に戻してやればいい。

 私の断ち切る力で、確実に、死に還してやる。


 バッグの中から瓶を取り出す。

 まずはこれが通じるかどうか、試す必要があった。


 蓋を外し、それを彁混神に向かって放り投げる。

 彁混神は躱す素振りも見せずに、瓶は直撃した。

 さて、どうだ。


「────ッ」


 一瞬、僅かにだが、彁混神の身体が揺れた。

 どうやら、少しは効くみたい。

 あの瓶の中に入っているのはこの日本で一番の霊能力者“眼帯の巫女”から取り寄せた特注の聖水だ。一本10万円もした。

 まあそれでも、値段分の効能はある。そこはさすがと言うべきか。

 そこら辺の霊なら、一滴浴びるだけでも即消滅するくらいの威力はある。

 だけど、それを直撃しても尚、平然と彁混神は立っていた。


「……面白い。じゃあもっと、試してあげる」


 水はまだまだある。

 どこまで耐えられるか、根競べと行こうじゃない。

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