第30話 再会

 数日振りに彼女の声を耳にして、一気に現実へと引き戻される。

 い、生きていた──御子は──無事だった。

 最初に感じたのは安堵だった。最悪の可能性だけは回避することが出来ていた。


 その瞬間、御子はこちらに向かって、一直線に走って来た。

 彼女の右手には──例の包丁が握られている。

 時間にして、数秒にも満たないはずだが、彼女の一連の動作は一つ、一つがしっかりと視認できるほど、スローな動きに見えた。


 包丁を取り出した御子はまず、二匹いるうちの左の影の脳天に、包丁を突き刺した。

 そして、流れるように包丁を抜き、右の影に向かって水を払うように、包丁を何度か振る。


「大丈夫? 蓮くん? 怪我はない」


「あっ、あぁ……」


 まだ影が目の前に居るにも関わらず、御子は俺を心配するような目付きで尋ねてきた。

 その直後、影は──周囲の空間に拡散するように散り、消えてしまった。

 た、倒したのか。あの一瞬で。あんなに苦戦した相手を。

 やはり、御子は俺なんかとは比べ物にならないほど、規格外だ。レベルが違う。


「良かった……ごめんね。一人にしちゃって」


 俺に怪我がないことを確認した御子は──抱擁をしてきた。

 彼女の特徴的な長髪が顔に当たり、こそばゆい感触がする。


「えっ……み、御子……?」


 その行動に、俺は素直に驚いてしまった。

 彼女から抱擁されたのは初めてのことだった。いや、身体を触れられたのすらも、初めてだ。


「……っ!? あっ、ご、ごめん」


 御子自身もその行動に驚いたのか、すぐに離れた。

 その顔はどこか紅潮しており、目を逸らすように、床付近に視線を向けている。

 俺も恥ずかしくなってしまって、同じように、どこか虚空を眺めていた。

 な、なんだ──この空気は。さっきまで、死にかけていたのに。


「み、御子……ありがとな。助けてくれて」


「う、うん。言ったでしょ。蓮くんは私が守るって」


 妙に甘ったるい空気に耐えられなくなり、俺から雰囲気を切り替えるように話した。

 温度差で少し頭がどうにかなりそうだった。


「で、でも……今までどこに行ってたんだ? この数日間、連絡が取れなかったじゃないか」


「あぁ、うん。そうだね。ちょっと話すと長くなるから……お茶でも飲みながら、話そうか」


 ◇


「それで……どうしてたんだ?」


「うん、まあ簡単に言うと……あの日、蓮くんと別れた直後、私も影に襲われたんだよね」


 紅茶を飲みながら、御子は自身に起こった事情を話し始めた。


「私の方に来たのは蓮くんと違ってしつこいタイプでさ、夜も昼間もお構いなく、四六時中付き纏ってきて……私といると、逆に蓮くんが危険だと思って、距離を取ることにしたんだ」


「そう……だったのか」


 やはり、と言うべきか。御子も影に襲われていたのか。


「まっ、今と同じように、簡単に撃退自体は出来たから、そこまで苦労はしなかったけどね。連絡が取れなかったのはそっちより……ちょっと、準備をしていたからなんだ」


 御子はその視線を、自分の足元に置いてあるボストンバッグに向ける。

 あれは──御子と一緒に、同居していた時に、彼女が自分の家から持ち出していたバッグだ。中身は着替えなどの日用品だったはず。


「それ……何が入ってるんだ?」


「蓮くんも知っている通り、まだこの呪いは終わっていない。だから、私も──相応の準備をしてきたんだ。その準備に、少し時間がかかってね。今の蓮くんなら……あの影に襲われても、私の“血”が混じってるし、大丈夫だと思ったんだけど……結構ギリギリだったね。ごめんね。危ない目に遭わせて」


「ん? 血……?」


 何気なく、御子が言った“血”という言葉が引っ掛かった。

 どういう──意味だ。


「あっ……」


 しまった。という感じで、御子は自分の口元に手を当てる。

 な、なんだ。その反応は──まるで、言ってはいけないようなことを言ってしまったかのような。


「あーうん……じ、実はね。蓮くん、何度か私の手料理食べたでしょ? そ、その時に……私の“血”を、料理の中にちょっと混ぜてたんだ」


「……え?」


 料理に──血を?

 御子が作った手料理の味を思い出す。

 言われてみると──確かに、妙な“苦味”があった。


「な、なんで……そんなことを?」


「念の為に、ね。万が一、私が居なくなった時に──蓮くんでも最低限の抵抗が出来るように、力を分け与えたつもりだったんだけど……き、気持ち悪かったよね。ごめん」


 御子はしゅんと、さっきまでの態度が嘘だったかのように、しおらしくなっていた。


「い、いや……いいよ。俺のことを思ってやってくれたことなんだし」


 知らぬ間に、彼女の血を飲んでいた、か。

 抵抗感がないと言えば──嘘になるが、嫌悪するまでは行かなかった。

 実際、その恩恵を受けていたと思われる場面は幾つかあった。

 最初、あの影と遭遇した時のように、金縛りで身体が動かないということは一度もなかった。今思えば──きっと、血のおかげだったのだろう。


「それより、今はあの影が同時に二匹も襲ってきたって方が問題だ。これってつまり……あの老婆みたいに、影を操っているが複数いるって思ったんだが、どうだ?」


「うん、それで合ってると思うよ。実は私も……その調査も同時にしてたんだよね。で、見つけた。あいつらの正体を、掴むことが出来た」


「ほ、本当かっ!?」


 さすが御子だ。

 この数日間、影に襲われながらも、対抗手段を模索しつつ、正体まで特定しているなんて──必死に自分だけを守るのに精一杯だった俺とは大違いだ。


「それで、誰なんだ? その正体って」


「説明するより、見てもらった方が早いかな。ちょっと、パソコン借りるね」


 御子はノートパソコンを立ち上げ、防犯カメラのアプリを立ち上げた。

 そして、時刻を十数分前に合わせる。


「映っている……のか?」


「蓮くん。今日、私が……どこから来たと思う?」


「ど、どこからって……そりゃ、玄関から……っ」


 あれ──その時、妙な点に気付いた。

 御子はアパートの階段を上って、俺の部屋に来た。

 もっと言えば、俺のアパートの前を通って、部屋に来たんだ。

 つまり──あの老婆と同じく、犯人達がカメラに映るほど接近していたなら──鉢合わせていたんじゃないだろうか。


「み、見たのか……? 直接、あいつらを」


「うん、バッチリね。あぁ、ちょうどここら辺かな」


 カチリとマウスを鳴らす。

 パソコンの画面には──昨日と同じ黒いモヤのような物が覆っていたが、数秒後、そのモヤが急に晴れ、見慣れた景色が映った。

 そこに映っていたのは──10人近くはいるだろうか。老若男女の集団が、俺のアパートの前に集結している姿だった。

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