第29話 夢か現か幻か

「な、なんで……」


 その絶望的な状況に、先程まで宿っていた闘志は完全に意気消沈してしまった。

 あ、あり得ない。こんなことは今までなかったはずだ。

 影が日に何度も現れて、しかも、同時に二体現れるなんてことは──今までに一度もなかった。

 まさか──最悪の可能性が脳裏に浮かぶ。


 最初から、俺の家に現れた悪霊の影は同一個体ではなかったのではないだろうか。


 御子が最初に突き刺した影も、包丁でバラバラにし、塩をかけて撃退したやつも──同じ個体ではなく、最初から、全て違っていた。

 もし、そうだとしたら、全ての前提が覆されることになってしまう。


 最初はあの老婆が俺に呪いをかけていたという前提条件の下で、俺達は様々な調査をしていた。

 そして最後は老婆の死で解決したと思われた。

 だが、現在は呪いの元凶である老婆が既にこの世からいない状況でも、影は俺を襲い、何らかの影響が御子にも及んでしまった。

 また、影も一匹だけではなく、最低でも三匹──いや、もっといてもおかしくない。

 それだけの影をあの老婆が全て使役していたとは考えにくい。


 つまり──“そういうこと”なのだろう。

 この呪いの騒動の真実に、思わぬ形で辿り着く形になってしまったが、今はこの状況を脱するのが先決だ。


「…………」


「…………」


 二匹の影は玄関を完全に塞いでおり、まるで俺の退路を断っているように見えた。

 ど、どうする。どうすればいいんだ。

 またやり合うのか? 一匹でもかなり苦戦していたのに、更にもう一匹を相手に出来るか?

 答えは──否、だろう。残された選択肢は一つ、窓からの逃亡だ。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、背後を確認する。


 一応、万が一の手段として、窓から飛び降りて逃げる──というのは考えていた。

 だが、これは本当に最終手段だ。ここはアパートの二階、高さは大体5メートル前後もある。

 上手く受け身を取れば、無傷で済むかもしれないが、当たり所が悪ければ最悪死に繋がる高所。

 着地に失敗しても、骨折は逃れられないだろう。そんな状態ではすぐに部屋から出てきた影に襲われてしまう。

 悪い方向に考えていては──キリがなかった。それ程までに、追い詰められている。


 やるしかない。もう時間は残されていない。

 身体を起こし、急いで窓に駆け寄る。

 鍵はあらかじめ掛けておらず、引き戸を開けるだけで外に出られるようにしていた──はずだった。


「っ……!?」


 引き戸を開けようと、力を込めるが、窓は開かなかった。

 左方向に付いてある鍵を確認する。鍵は──掛かっていない。


「は、はは……マジかよ」


 思わず、呆れ笑いが出てしまった。

 どうやら、窓から逃げることは叶わないようだ。何か奇妙な力で、固定化されてしまっている。

 背後を確認する。二匹の影は──間近に迫っていた。


 一巻の終わり、絶体絶命、万事休す。

 俺の頭の中にはそのような言葉で埋め尽くされていた。終わりだ。

 手にはまだ、包丁が握られているが──とてもではないが、抵抗する気も起きなかった。

 塩水も既に使ってしまっている。武器はこの包丁一本のみ。仕留められるのはどれだけ頑張っても一匹のみだ。

 その一匹を仕留めている間に、恐らくもう一匹の方に呑まれてしまうだろう。

 それに、もし万に一つも、この状況を打破出来たとして──更に増援が来ないという保証はどこにもない。

 この部屋に閉じ込められてしまった時点で、もう勝負は決していた、ってことか。


 俺も頑張ったつもりだったが、相手の方が一枚上手だった。

 ──最初から“一人”で敵う存在ではなかったのだ。


 そう、影が複数存在するということは──それを操っている存在も、複数居るということになってしまう。

 あの老婆はそのうち一人にしか過ぎなかった。一連の呪いによる殺人は──集団で行なわれていた可能性が高い。

 名付けるなら“呪殺サークル”とでも言うべきか。

 ははっ、我ながら、非常時になんて馬鹿馬鹿しいことを考えているんだ。殺される寸前だっていうのに。


 二匹の影は俺に向かって、手のような部位を伸ばしていた。

 残り数秒もしないうちに、その手は俺に触れるだろう。

 恐怖と諦観の感情が合わさり、俺は──その場で死を受け入れるように、目を瞑ってしまった。


 走馬灯のようなものが脳内に流れ込む。

 最後に浮かんできたのは──御子の存在だった。

 彼女は今でも無事だろうか。いや、彼女のことだ。上手くやり過ごせているに決まっている。

 ただ、俺が殺されたと知ったら、御子はどうするんだろうか。後追い自殺、なんてするタマでもないか。

 きっと、俺を殺した連中に対して、復讐をするはず。そう思うと──どこか、安堵してしまった。

 この街で進行している呪いは俺の想像以上に、根深い物になっているのだろう。今まで何人、何十人、下手をしたら、何百人の規模で犠牲者が出ているかもしれない。

 そんなことは──決して許してはいけないはずだ。誰かが、裁かなくてはならない。

 御子、任せるような形になって悪いが、後は頼んだ。俺や、他の人達の無念を──晴らしてくれ。


 最後に──もう一度、会いたかったな。



「──御子」



 ドンッ



 その時、何か金属音が衝突するような音が響いた。

 突然の事態に、目を開き、何が起こったのか確認する。

 影は──目の前に俺がいるにも関わらず、玄関の方に視線を向けるような動きを取っていた。


 なんだ──何が起きた。

 俺も影が向いている方に、視線を向ける。

 玄関の扉が──開かれていた。

 外から生温い風が部屋に入って来る。

 誰かが──立っていた。


 俺は──そのシルエットを知っていた。




「蓮くんっ!」





 そこに立っていたのは──夢かうつつか幻か、消えていた御子だった。

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