第28話 vs悪霊

 家に戻る前に、俺は駅前のデパートへと向かった。

 目的は“刃物”だ。

 本当なら御子のように、悪霊を一刀両断するような力を持った妖刀が欲しいところだが、そんな物が手に入らないのは分かり切っている。

 なら少しでも、切れ味がいい上等な得物が欲しかった。


 調理器具のコーナーへ行き、包丁売り場を眺める。

 材質は──セラミックやステンレスより、刀に近い鋼の方がいいだろうな。

 一番高いのは3万円、か。

 さすがに、上等な物というのはそれなりの値段がするな。

 俺の家の包丁は確か──セラミック製で、2000円か3000円くらいだったはずだ。大体10倍もするのか。


 普段の俺なら包丁程度にここまで金をかけるのは馬鹿らしいと思っていたところだが、事情が事情だからな。命より大事な物はない。


「すみません、これとこれが欲しいんですけど」


 3万円の包丁と、予備として2万円の包丁を購入して、デパートを後にした。



 家に帰宅し、購入した包丁を眺める。

 鋼で出来た包丁は鈍い銀の光を放っており、日頃使っている包丁とは別格の輝きを放っている。まるで本物の刀のようだ。

 値段分の差はある。うちには勿体ないくらいだ。


 包丁の横に御子から貰った塩を並べる。準備は整った。


 桶を用意し、その中に水を汲む。

 そして、塩を全て入れた。

 完成した塩水に、包丁を浸ける。


 これで──塩の力が包丁にも移った、はずだ。

 塩水から包丁を取り出す。

 濡れた水が反射して、より切れ味が増しているように見えた。

 最も、本当にこれで効果があるかどうかはある意味“賭け”だ。御子が居ない以上、専門的な知識は何もない。


 だが、何となくだが──これで合っていると思う。

 今は俺自身の予感を信じるしかない。

 時計を見ると、17時に差し掛かろうとしていた。

 もうじき陽が落ちる、ここから先は奴の時間だ。


「来るなら……来い」



 ◇



 それから時間は流れ──現在、夜中の2時、“草木も眠る丑三つ時”という時間帯だ。

 もうあの影がいつ出てきてもおかしくはない。

 丸一日以上、睡眠を取っていないが、目と頭は冴えていた。

 コーヒーと栄養ドリンクをたらふく飲んだのが効いたようだ。睡眠中に襲われてしまっては洒落にならない。


 直に、あの影は姿を現すはず。

 しかし──昨日、いや今までと比べて、不思議と恐怖はあまり感じていなかった。

 多分、これは武器の有無が大きいんじゃないかと、俺は思う。


 すぐ傍に置いてある、塩水に漬けている包丁に視線を向ける。

 今までの俺は完全に御子頼みで、無力な存在だったが、今は最低限の自衛能力はあるはずだ。

 いつまでも狩られるだけの存在じゃない。こちらにも“牙”はある。

 そう考えると、勇気のような、立ち向かえる感情が湧いてきた。


 カチッ──カチッ──


「……ッ! き、来た……!」


 突然、照明が点滅を繰り返す──そして、停電をするように、完全に光が消えた。

 視界が闇に覆われる。だが、何も備えをしていないわけじゃない。

 足元にある災害用のライトの電源を入れる。カチリと、暗闇に一筋の光が射した。


 その光の先には──あの影がいつの間にか佇んでいた。


 距離は大体5メートルほど離れているのだろうか。

 その姿に一瞬、心臓が跳ね上がるような感覚を覚えるが、すぐに冷静になり、包丁の柄を握る。


「お前と会うのも、もう四回目だ。いい加減に、慣れたんだよ、こっちは。そろそろ……終わりにさせてもらうからな」



「……………」



 会話を試みるが、返答はなかった。まあ最初から期待はしていなかったが。

 御子の真似をするように、包丁を逆手で構える。

 だが、慣れてきたとはいえ──やはり、影から放たれている冷気にも似たようなオーラは目を逸らしたくなるほど、恐ろしい。

 全身に鳥肌が立ち、包丁を握る右手が震える。

 その震えを抑えるために左手で支えるように持った。


「……ッ!」


 先に動いたのは──俺の方だった。

 このまま睨み合っていると、先にこちらの精神が参ってしまう。

 その前に、ケリを付けたかった。

 包丁を頭上に振り上げ、それを思いっきり、影に向けて投擲をするように振り下ろす。


 シュンッ


 包丁が空を切る音と同時に、発泡スチロールが割れるような音が響いた。

 影の方を見ると──包丁で与えた切り傷が、斜線のように、綺麗に影を切り裂いていた。


 効いている。この包丁は──奴に通用する。

 しかし、その瞬間、足元に何か違和感があった。


「うっ!?」


 俺の足首を──影が掴んでいた。

 ギュッと、圧迫感を感じる。かなりの力だ。


「はっ……離せ!」


 足首の影を、包丁で切り裂く。

 パンを切るように、影は綺麗に切断された。

 その瞬間、俺は姿勢を崩して、その場に倒れ込む。


 な、なんだ。おかしい。脚に力が──入らない。

 奇妙な感触だ。思わず視線を足元に向ける。


「……ぐっ」


 掴まれた足首を見て、絶句してしまった。

 その部分は黒く変色しており、まるでカビが生えているように、俺の身体を侵食している。


 や、やばいぞ、これは。脚に力が入らない。立てない。

 すぐに影の方を確認する。


 奴が──俺に──覆いかぶさろうとしている姿が目に入った。


 残り数秒も掛からずに、影は俺の上にのしかかる。

 そうなれば終わりだ。足首だけじゃなく、全身の身動きが取れなくなる。

 どうすれば──っ。


「う、うおおおおおおおっ!」


 手元に偶然あった“ある物”を俺は影に向かって投げつけた。

 それは──塩水だった。包丁に浸けるために置いていた桶に入った塩水だ。


 バシャッ


「…………」


 塩水を全身に浴びた影は動きを止める。

 よくよく観察すると、全身を僅かに痙攣させていた。

 効いている──間違いなく。もう少しだ。


「こ、このっ!」


 上半身に力を入れ、起き上がる。

 そして、弱っている影に目掛けて、包丁を突き付けた。



「…………」



 影は──全身を大きく捻じ曲げるような動きを取り──消えた。

 それと同時に、足首も軽くなり、動けるようになる。


「はぁっ……はぁっ……」


 手応えは感じた。

 確かに、包丁越しに──感じた。止めを刺した感触というやつが。

 勝ったのか、俺は──あの影に。


「あ、あはは……ははは……や、やったぞ……! 倒した……!」


 思わず、勝利の高笑いをしてしまった。

 あの影を自力で倒したという達成感と充実感で、心が満たされる。

 御子がいなくても──やり遂げることが出来た。



 ズズッ



 だが、その時、全身に悪寒を感じた。

 なんだ。今の妙な音は──音が聞こえた玄関の方に目を向ける。



「…………」


「…………」



 嘘──だろ。

 そこにいたのは──倒したはずの、影だった。


 しかも、一匹じゃない。

 

 二匹だ。

 

 同時に二匹の影が──立っていた。

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