第8話 野菜炒めと手掛かり

 三年間、苦楽を共にした部屋だが、実際に自殺現場の話を聞くと──どこか、愛着さえあった壁の染みや傷が不気味に見えてしまう。

 元からあまりこの手の話は気にしない方だったが、当事者になってしまえば話は別だ。

 前の住人である犬飼聡、さんはこの部屋でどのような最後を遂げたのだろうか。

 今はそれだけが頭を離れない──俺も、彼と同じ末路を辿ってしまうのだろうか。


「ね? 聞いてよかったでしょ」


「……そうだな。間違いない」


 御子はいつもと変りない態度で、俺に語り掛ける。

 それに対して、俺は確認が出来ないが、酷い顔をしていると思う。


「ちょっとお腹空いちゃったね。まだ夜ご飯食べてないし、私が何か作るよ。冷蔵庫、借りていい?」


「……悪いな」


 御子は立ち上がり、台所へと向かって行った。

 それから20分程、包丁で野菜を切る音や何かを炒める音が部屋に響いていた。


 俺はおもむろにテレビを付ける。

 特に、見たい番組があるわけではない。ただ、少しでも“音”を増やしたかった。

 静かになると、またあの影が現れて、襲ってくるような気がしてならない。


 はは──こりゃ、だいぶやられているな。我ながら、情けない。


「お待たせ。蓮くん。口に合わないかもしれないけど」


 御子が出来上がった手料理を運んできた。

 野菜炒めのような料理で冷蔵庫に僅かに残っていた肉も入っている。


「……ありがとな。いただきます」


 野菜炒めを口に運ぶ。

 少し苦味があるが、美味い。白米がないのが勿体ない味だ。

 御子が料理上手なんて──知らなかった。五分も経たないうちに、野菜炒めを食べ終わる。


「ご馳走様。美味かったよ」


「そう? 良かった」


 その時、御子の指先にちらりと絆創膏のような物が見えた。

 あれ──今まで、あそこに絆創膏なんて貼ってあったか。


「その絆創膏……どうしたんだ?」


「あっ! こ、これ?」


 慌てた様子で、御子は腕を後ろに回す。


「あ、あはは……ちょっとドジやっちゃって、包丁で切っちゃったんだ」


「大丈夫なのか?」


「うん、全然大丈夫だよ。薄皮一枚切っただけだし、蓮くんのためなら……こんな傷、何ともない……蓮くん。安心していいよ、何度も言ってるけど、私が絶対に貴方を死なせないから。この命に代えても、ね」


「──ありがとう、御子」


 御子の優しさが今の俺の精神メンタルには一番効くのかもしれない。

 彼女が危険人物だということを忘れてしまうほど、今は誰かの支えが必要な状況だった。


「大石さんの話を聞いて、何か分かったことはあるか?」


 少しの静寂にも耐えられなくなり、俺は御子に話題を振る。


「そうだね。まず、蓮くんも思ってる通り、前の住居人、犬飼聡はあの影に殺されたと見て間違いないと思うよ。でも、それは蓮くんがこの部屋に越して来たこととは関係ないかな。良くも悪くも“偶然たまたま”ってやつ」


「……?」


 御子が言った“偶然”という言葉が引っ掛かる。

 この部屋の住人が二連続で呪われているということは確定している。

 ということは、この部屋自体に問題があるのかと俺は考えていたのだが、違うのだろうか。


「ほら、さっきも言ったでしょ? この部屋やアパート自体に問題があるなら、私がすぐ気付くんだよ。それに、もしこの部屋が元凶だとしたら、他の住民に影響が及んでいないのも不自然だと思わない?」


「…………」


 一理、ある。

 確かに、御子はこのアパートには問題はないと言っているし、何より、犬飼聡さんや俺以外に誰もあの影や赤ん坊の声を聴いていないというのはおかしい。

 つ、つまり──本当に、偶然だったのか。俺がこの呪いの被害に遭ってしまったのは。


「一番の収穫は呪いを受けた結果、自殺したってことが分かったことかな。これでまた新しく調べることが増えたし、何か手掛かりが見つかるかもしれないよ」


「……どういうことだ?」


「呪いの影響が“自殺”なのが共通事項になってる可能性が高いってこと。つまり、この街で最近自殺や変死をした人達のことを調べて行けば──ヒントが見つかる可能性が高いね。犬飼聡についても、もっと詳しく調べた方がいいし」


「そ、そうか……! そういうことか!」


 目から鱗だった。

 これまで手掛かりはあの影が残した唯一の言葉『カマカミ』のみだったが、犬飼聡のように、呪いによって命を絶ってしまった人達の情報を探せば、彼らが残した欠片の中に、解決の糸口が見つかるかもしれない。



「まあ何にしても、急いだ方がいいってのは確かだよ。大家が言ってたでしょ? 赤ん坊の声を聴いた二週間後に死んだって」



「……っ」


 二週間、御子が俺に異変を感じたと言っていた時期だ。

 確か──初めて赤ん坊の声を聴いたのも、大体二週間近く前だったことを思い出し、心臓を締め付けるような圧迫感が襲う。


「とりあえず、今日からずっと蓮くんの家に泊まろうと思ってるけど、いいかな」


 その提案を断る理由はどこにもなかった。

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