第5話 カマカミ

 半ば強引に、俺は御子と共に大学の図書館に訪れた。

 これまでの授業は全て出ているから単位を取る分には困らないと思うが、まさか、こんなことで授業をサボる羽目になるとは。

 彼女は蔵書検索のPCで何かを調べると、最近出来た新館の2階へと向かった。


「蓮くん、私の専攻って何か知ってる?」


「……いや」


 彼女と距離を取るようになったのは二年の後期からであり、ゼミが始まる三年になってからの動向は知らなかった。


「そう。私ね、今、民俗学関連のことを調べてるんだよね」


 民俗学、というと地方の文化やその成り立ちについてのことだろうか。

 成程。俺よりずっと専門知識があるはずだ。

 彼女は何か本を探しながら、俺に話しかける。


「一応、スマホで検索しても良かったんだけど、こっちの方が詳しく載ってるから……あった。これだ」


 そう言うと、彼女は棚から一冊の本を取り出した。


「その本は?」


「“カマカミ”ってやつに関する本かな」


 ──いきなり、当たりか。

 やはり、御子に頼ったのは正解だった。


 閲覧用のデスクに移動すると、彼女は本を広げ、解説を始める。


「“カマカミ”……正確な漢字が分からないと、どんなのかは分からないけど、一応それと同じような物は存在するんだよね」


 その開かれたページには──不気味なお面のような写真が載っていた。


「これは……鬼か?」


 断定は出来ないが、俺はそのお面を見て、直感的にそう感じてしまった。

 牙のような歯を見せ、怒りの表情をしているその形相は節分の時に見かける鬼のお面とよく類似している。


「そう見えるよね。でもちょっと違う」


「これは“窯神かまがみ”。東北地方、それも岩手県から宮城県にかけての地方でしか祀られていない物でね。元は火の神の竈神かまどがみから来ていると言われているんだ」


 窯神に竈神──聞き覚えのない言葉だ。

 いや、竈神は何かの漫画で見たような気がしなくもないが。


「この竈神ってのはまあ簡単に言うと、文字通りに竈、火を扱う場所で祀られている神。窯神と呼ばれているこのお面も、今でも台所とか炉に置かれているらしいよ」


 火の神──か。

 確かに、火という存在は人類にとっては恐怖と信仰の対象として、世界中にその逸話が残っている。

 歴史の授業でもそんなことを勉強したことがあったな。

 日本神話だと“加具土命”が有名だ。


「この写真は一例で鬼のような顔をしているけど、中には笑顔や穏やかな顔をしているお面もあって、その種類は多種多様──でも、分かるのはここまで。この窯神は……発祥が不明なことでも、有名なんだ」


 その瞬間、全身に悪寒のようなものを感じた。

 発祥が不明──ということはどのような経緯でこの神が信仰されたのか、分からないということか。


「分かっているのはその名前を竈神から取っている、ってことだけ。なんでこのお面を神と見立てて祀るようになったのかも、そもそも東北地方の一部でしか信仰されていないのも、文献が残されていない」


「……こういうことを言うのも何だが、不気味だな」


 あまり神として祀られている存在にこのような言葉を使いたくはないが、本心だった。

 何より、あの影が唯一喋った単語がこの“カマカミ”だったという事実が一番恐ろしい。


「まあそうだね。でも、民俗学だとこういう発祥が分からないって事例は珍しいことじゃないんだよ。この手の風習って言うのは口伝で伝えられるってパターンが多いから、文献が残されていないのも多い。言葉っていうのはそれだけ忘れられやすいものってこと」


「…………」


「それは私達の文化でもそうでしょ? 数十年前に流行語になっても、今じゃ死語になっていて、多くの人間が意味を忘れ去ってしまったり」


「……そうだな。その通りだ」


 “死語”とはよく言ったものだ。

 命が宿っていない文字や言葉にも、寿命というものは確かに存在する。

 本来の意味を誰も知らない──これが、それらにとっての“死”なのだろう。

 現在では悠久的と思われている言葉も、いずれは失われ、誰もその意味を知らなくなる。

 どこか、悲しい話だ。


「これが私の知ってるカマカミ。でも、これが蓮くんが聞いたカマカミと同一の存在なのかって言われると……微妙だね。カマは農具の鎌とも解釈出来るし、私は聞いたことがないけど“鎌神こっち”の可能性もある」


「……成程」


「他にも『カ』と『マ』、それぞれが独立とした意味を持っているかもしれないし、地名とか、それこそ解釈は無限にあるって言えちゃう」


「例えば、どんな感じだ?」


 御子自身の考察を知りたいと思い、俺は尋ねる。


「うーん……それっぽい当て字を考えるなら、『カ』は災いの『禍』かな。そうなると『マ』も同じ不吉な物を表す『魔』で……こうなるかな」


 『禍魔神』という文字をスマホに打ち込み、彼女はそれを俺に見せた。

 何というか、凄く禍々しい感じがする文字列だ。

 だが、不思議とその文字はどこか、説得力があるように見えてしまった。

 あの影が喋った唯一の言葉だ。このぐらいの意味が込められていてもおかしくない。


「カマカミに関しては私も色々調べてみるよ。気になるしね」


「あぁ……頼む。俺も、分かる範囲で調べてみる」


 その後、俺達は陽が沈むまで図書館やネットを使ってカマカミについて調べてみたが、有益な情報は何も得られなかった。

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