第4話 食堂にて

 翌日、朝の9時に俺は目が覚めた。

 結局、あの後眠りについたのは朝の6時近くであり、実質睡眠時間は3時間ほどしかない。

 普通なら、眠気を感じて大学に行くのすら億劫になっていたところだが──今日は事情が違う。

 そりゃ、そうか。あんな目に遭って、快眠なんてできるはずがない。

 むしろ、眠れたのが奇跡なくらいだ。

 そして現在、駅から大学へと向かうバスに乗車中である。


「…………」


 ボーっと、窓の外の景色を眺めながら、昨日、いや厳密に言えば今日の悪夢を思い出す。

 未だに本当に夢なんじゃないかと思いたいが、間違いなく、現実に起きたということは割れた窓を見て痛感させられてしまった。

 ──窓も修理しなくちゃあな。これから夏だって言うのに、あれじゃエアコンを付けても全然涼しくならない。



 ◇



「じゃあ今日はここまで。いつも通り、出席カードを提出するように」


 二限の授業が終わり、俺は当たり障りのないことを書いて講師に提出する。

 これから一時間の昼休みだが、呑気に昼飯を食ってる場合ではないということを講義室の出口を見て察してしまった。


 そこには──御子が小さく手を振りながら、俺を待ち構えていた。

 同じ授業は取っていないし、この授業を受けていることも一言も言ってないはずなのに。


「……よく、ここにいるって分かったな」


「何となく、ね。じゃあさっそくお昼を食べながら今後について話そうか。蓮くん」


 これ以上、追及しても両者の得にならないと考えた俺は大人しく御子に連れられ、学食へと向かった。



 ◇



「……で、どうするんだ。あの影を祓うってのは」


「んーそうだね。実は今のところ、私からできることは何もないんだよね」


「……は?」


 彼女の返答に、俺は間抜けな声が漏れる。

 出来ることは何もない──だと。


「あぁ、勘違いしないでね。私は蓮くんの身の安全が一番大事だし、あいつを何とかするってのは最優先事項だよ。でもね。昨日も言った通り、あいつはちょっと特殊なタイプなんだよ」


 御子は黙々とあの影について語り始めた。


「普通の幽霊とか呪いってやつなら、その場から完全に消えるってことは絶対にない。幽霊でも、瞬間移動なんてできないからね。呪いなら、蓮くんの体内にその因子が残っているはず。でも、あいつは私が刺した途端に、煙のようにどこかに消えた。つまり、今のままだと手掛かりが何もないから、こっちから手出しができない状態、てワケ」


「……そうなのか」


 御子の説明に、俺は納得する。

 彼女の言うことが本当なら、あの影はその姿を現さないと対処が出来ないということになる。


「ん? 待てよ。ってことはつまり……もう一度、あいつが俺の部屋に現れて、襲われなきゃいけないってことか……?」


「まあそうなるね」


 ──最悪だ。

 また、あいつと対面しなくちゃいけないのか。

 全身に鳥肌が立ち、妙な寒気が襲ってきた。


「でも、安心していいよ。私が居る限り、蓮くんがまたあんな目に遭うことは二度とないから。私の力ってさ、独学で身に付けたようなものだから、どうしても探知とかそういうのに応用が効かないんだよね……ごめん」


 独学、という言葉がなぜか引っ掛かった。

 そういえば、まだ御子の“霊感”といった力のことについて聞いていない。

 冷静に考えるとおかしいことだらけだ。なぜ、あの何の変哲もない包丁で影を切ることが出来たんだ。



「御子。お前のその力って、なんなんだ?」



「…………」



 その時──御子の顔が険しくなったのを俺は見逃さなかった。

 これは不味い。聞いちゃいけないことだ。


「い、いや……ほら、あの包丁、影を刺したじゃないか。何か特別な力があるんじゃないかって」


 咄嗟に話題を包丁へ移す。

 御子の顔は元に戻る。良かった、これなら問題ないようだ。


「あぁ……この包丁?」


 すると、御子は手提げバッグから昨日の包丁を取り出した。


「お、おまっ──しまえっ!」


 慌てて俺はその包丁を仕舞うように指示する。

 ここは大学の食堂だぞ。そんなところで刃物を取り出すやつがあるか。

 そもそも、なんでこんなところにまで包丁を持っているんだ。職質でもされて、検査されたら一発で警察署行きだぞ。


「ごめん、ごめん。こんなところで出す物じゃなかったね。この包丁は……そうだね、うん。私の力の一部みたいな物かな。原理は分からないだけど、私が手にする刃物ってなぜか“そういうモノ”まで断ち切れるんだよね」


 彼女が持つ刃物は霊体を切ることが可能──ということだろうか。

 口振りから察するに、恐らく今まで何度か同じように幽霊やら呪いやらを切ったことがあるに違いない。

 一体、彼女の過去には何があるんだ。


 いや、これ以上の詮索は止そう。


 またどこで地雷を踏みかねるか分からない。今はこの関係を維持するべきだ。

 何か他の話題を──そうだ。まだあのことについて聞いていなかった。


「……そういえば、まだ一つ聞いていないことがあったんだ。“カマカミ”って聞いたことないか?」


 昨日、あの影が呟いた『カマカミ』という謎の単語を御子に尋ねる。

 “カミ”というものが付いている以上、この件とは無関係の言葉とは思えない。

 むしろ、一番重要なキーワードまであるのではないかと、俺は疑っていた。


「……カマカミ?」


「あぁ、赤ん坊の鳴き声がして、あの影が……俺を襲う直前に言ってたんだ。何か関係があるのかも」


「…………」


 その言葉を聞いて、御子はしばらく何か考え込むように、沈黙していた。

 そして一分後──ようやく口を開いた。


「蓮くん、三限目って授業入ってるよね?」


「三限目か? 一応、西洋美術の授業を取ってるが」


「じゃあ、申し訳ないけど、それサボってくれない?」


「今から、ちょっと図書館に行こうか」

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