第1章 『獄門島狂想曲』 5話 「教会の女神官」

 ドアが開き事務所に訪れたのは、やたら薄汚れた厚手のコート姿の大男だった。

 四十代ぐらいの頭髪が寂しい大男だが、柔和そうな印象の人物だった。

 男の名前はエニルといった。

 首にタオルを巻き、農夫のような格好をしているが腰には銃を装備し、姿勢の正しさからも彼が絶対、ただの農夫ではないのがうかがい知れる。


「おや……、この子は?」

 事務所に入ってきて、すぐにリアンを見つけて驚くエニル。

 明らかに場違いな、燕尾服を着用したリアンを見つめる。


 リアンが、エニルに軽く会釈してくる。

 エニルが挨拶を返してから、キャラヘンたちの様子をチラリと見て、すべてを察する。


「ああ……。なるほど、またですか……」

 呆れたように、エニルはそんなことをいう。

 やはりこういったミスは、この島ではそう珍しくないようだった。



  *  *  *



「じゃあ、リアンくんは一週間、教会でお世話になるってことで」

 キャラヘンとエニルが手早く、そう話しをつけてくれている。

 短時間で話しが進行したところを見ると、本当にこの謎のミスは多いようで、対処も手慣れた印象を受けたリアン。

 しかも彼らは、リアンが気になることをいっていた。


(教会? オールズ教会なのかな?)


 リアンが、ふたりの話しを聞きながらそんなことを思う。

 「オールズ教」は、この物語の舞台である、「エンドール王国」の国教だった。

 唯一神オールズを信仰する、エンドール王国でのみ布教されている、まだ歴史的には浅い宗教だった。

 エンドール王国出身のリアンだが、実はあまりオールズ教とは縁がなかったのだ。


「リアンくん、そういうことだから。今日から教会で、しばらくの間お世話になってくれるかい」

「はい、わかりました」

 キャラヘンの言葉に、リアンは素直に従うことにした。


 教会でのしきたりとか、そういったものには無知だったのだが、周囲の環境に空気のように溶け込めるリアンは、意外と初めての環境でも、適応するのが得意だった。

 この島のオールズ教会が、どういった場所なのかはまだわからないが、特に不安もなかったリアン。

 一週間刑務所に送られて、囚人と同じ牢屋に入れられるわけでもないのだから。


「じゃあ、さっそく出発しようか」

 エニルを先頭にして、リアンやキャラヘンが事務所から外にでる。


「正直、リアンくんに羨ましさを感じるよ……」

 外に出ると、いきなりキャラヘンがそんなセリフをポツリという。

「え? どうしてですか?」

 リアンが、驚いたように訊き返す。

「ん? い、いかんな、思っていたことが口に……。ハハハ、今のは忘れておくれ」

 キャラヘンは、失言を悔いる感じで苦笑いしながらいう。


 外では荷車を牽いたロバがいて、看守たちがそこに積み荷を積み込んでいる。

 食料品らしいが、けっこうな量がある。


(教会にいる人は、そんなに多いのかな?)


 荷物の量から、そんなことを思っていたリアン。

 すると……。



「あっれ~! その可愛い子は、誰ですか~?」

 いきなり若い女性の声がして、そっちを見るリアン。


 ヌーナンたち看守と談笑していた、リアンからは死角になって見えていなかった場所にいたのは、長い金髪の綺麗な女性神官だった。

 女性神官は、初対面のリアンに向かって無邪気に手を振ってくる。

 まだ二十代前半の若さで、若干身長が高く大柄だったが、間違いなく美人の部類に入る女性だった。

 しかし、どこか間の抜けた声と仕草で、女性的な容姿に反してかなり幼く思える。

 女性神官は麦わら帽を被り、首から掛けている懐中時計を大事そうにいじってる。


 さっそく、リアンの側にドカドカ駆けよってきた女性神官。

 興味深そうにリアンの周りを犬のように回り、値踏みをするかのような行動を取ってくる。

 しかも、くんくんと匂いまで嗅いでくる。

 初対面の人からされる、初めてのリアクションにリアンは戸惑って固まってしまう。


「あ……」

 リアンはドキリとする。

 留置所からこの島に到着するまでの間、リアンは数日間風呂にも入らず着替えもしていないのだ。

 年頃の少年が女性に匂いを嗅がれて、強烈な羞恥心を覚える。

 たちまち真っ赤になるリアン。


「アハハ、真っ赤だ! 可愛い~! わたしはヨーベル・ローフェだよ!」

 リアンの正面に立ち止まると、女性神官はそう元気に挨拶してくる。

 匂いのことについて、何もいってこないのがリアンは気になってソワソワする。


「こちらがローフェ神官だよ。島のオールズ教会で、暮らしておられるんだよ」

 エニルが、教会があるらしい方向を、指差して教えてくれる。

 港からは木々に阻まれ、肝心の教会は見えなかった。



  *  *  *



 キャラヘンとバークがローフェ神官を交え、リアンがやってきた経緯と事情を説明している。

 いつの間にか、空はどんどん曇ってきていて、今にも雨が降りそうだったので、説明もかなり早口のキャラヘン。

 しかし、あれだけ疲れていたキャラヘンだったのに、ローフェ神官と話す時は相当元気になっていた。

 身振り手振りを交え、終始笑顔を絶やさないキャラヘン。


 キャラヘンとローフェ神官の、じゃれ合いのような会話が終わるのを待っているが、終わりそうもなかった。

 仕方ないので、リアンは荷車を牽くロバのそばに歩いてみる。

 大人しくて利口そうな、やや年老いた印象のロバだった。

 リアンはロバの首をなでると、なんだか途端に安心したような気持ちになる。

 故郷で飼っていた、家畜たちを思いだしたのだ。



「おっ待たせちゃ~ん! リアンく~ん!」

 キャラヘンとの会話を終えたローフェ神官が、リアンのそばに小走りでやってきた。

 何故かローフェ神官はいきなり、リアンのほっぺたを軽くつねってくる。

 ローフェ神官なりの、緊張を解きほぐす挨拶なのかもしれない。

 特に痛みもないので、されるがままにしておくことにしたリアン。


「おおっ! この子に興味を持つとは、なかなかのセンスです! ほらセザン、この子はリアンくん! 可哀想な、迷子の男の子ですよ。はいっ! ご挨拶!」

 ロバを紹介してくるローフェ神官。

 セザンと呼ばれたロバが、リアンに向けて軽くいななく。

 ようやくリアンのほっぺたから、手を離してくれるローフェ神官。


「どうしてこの島にきたの? ひとりだけで? アムネークからきたんですか?」

 リアンの返答を待たずに、矢継ぎ早に質問してくるローフェ神官。


 あまりのテンポの早さに、リアンが答える隙がまるでない。

 というか、さっきまでキャラヘン副所長たちから、話しを聞いていたはずだったと思うのだが? と思う。

 リアンは、ローフェ神官のキャラクターに困惑する。


「アハハ、パーティー帰りなの?」

 リアンの着ている燕尾服を指差して、さらに聞いてくるローフェ神官。

 少し間が開いたので、リアンが答えようとする。

「えっと……」


「酔っ払って、ここ行きの船に、乗り込んだんですね~! 君、やりますね!」

 やはりリアンの話しを聞く間もなく、勝手に話しが進む。

 リアンは終始、妙に饒舌な神官のテンションに圧されていた。

 うれしそうに話しかけてくるローフェ神官は、首から掛けてる懐中時計の鎖を持って、ブンブン振り回してる。

 何かいろいろ、危ない感じがしたリアンが、言葉にしにくい不安に囚われる。



 リアンたちは、教会に向かって港を出る。

 舗装された緩やかな勾配のスロープを登ると、そこから先は未舗装の土道が、ふた手に別れて伸びていた。

 そのまま北上すればジャルダン刑務所に向かい、東に向かうとオールズ教会に到達するという。

 リアンは港を出た先にある、道を分岐する中央部分に位置していた岩山が、実はずっと気になっていた。


 北の方向に見える、ジャルダン刑務所の巨大な壁以上に、港にいた時から興味を引いていたのだ。

 岩山に掘られた巨大な彫刻群が、異様な雰囲気を醸しだしていたのだ。


(これ、なんだろうか……)


 奇妙なバケモノたちが、岩山には彫刻として彫られていた。

 特に中央で目を引くのが、ひときわ大きな異形のバケモノだった。

 背中から無数の腕が生え、それぞれの手が凶器を持ち、罪人らしき人々を殺害しているというおぞましい彫刻だったのだ。


 リアンが岩山の彫刻を眺めていると、後方からクラクションが鳴らされる。

 キャラヘンが、部下のヌーナンの運転する車で刑務所に帰るらしく、港からでてきたのだ。

 リアンの横に車をつけると、キャラヘンが窓を開けて彼を手招きする。


「ローフェ神官、とっても賑やかな人だけど、悪気はないから。一週間、彼女の話し相手になってあげておくれ。彼女ずっとひとりで、寂しかったってのもあるだろうから……」  

 キャラヘンが、リアンにこっそり話しかけてくる。


 その言葉に驚くリアン。

「ひとり?」


「あら? 内緒話しですか~? 何? 何?」

 ローフェ神官が興味を持って、リアンのそばにやってくる。

「一週間楽しくねって、いってたんですよ。ローフェ神官も、リアンくんのお世話、よろしくお願いしますよ」

 キャラヘンがそういうと、左手を使って敬礼を返すローフェ神官。

 右手は、首から掛けた懐中時計をまだ振り回してる。


 その様子を見ていたリアンだが、彼女の神官とは思えない言動と行動に、若干の不安を覚えだしていた。

 しかも、キャラヘンは気になることをいっていた。

 教会には、もっと神官がいると思っていたいたのだが、ローフェ神官ひとりしかいないという。


(この人が、ひとりで?)


 リアンは失礼にあたると思いつつも、目の前のローフェ神官を疑惑の目で見てしまう。

 彼女のその背後には、岩山に彫刻された、おぞましいバケモノの姿があった。


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作品のヒロインの登場になります。

覚えてもらえるとありがたいです。

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