第12話 デビルオンアイス

10月のとある月曜日、教室に集まった女子たちはみな一様に寝不足気味だった。

「つい勉強ほったらかして見ちゃうんだよね…フィギュアスケート…」

この季節になると徐々にウィンタースポーツがオンシーズンになる。室内での実施が可能なフィギュアスケートはシーズン入りも早めで、ちょうどこの時期に各種大会がスタートする。いまやテレビで放送すればそれなりの視聴率が取れるほどに人気が出ており、毎週のように国内外問わず何らかの大会の生放送が組まれていた。

海生も寝不足女子の例外に漏れず、まめにあくびをしながら席に着く。ほったらかしたと言いつつもすべての選手を見届けてから勉強はきちんとしたのだろう、両目が若干腫れぼったい。この頃トレンドの『所作の優雅な線の細いイケメン』の見本市のようなものなので、一馬としてもまあ気持ちは分かる。そもそも顔面偏差値が違いすぎて、住む世界も違う気すらしてくる。

「でもあんなの見たらうきうきしちゃってもう無理だよねえ、特に黒瀬恵司。シニアの大会に本格参戦して早々国内トップクラスの選手と互角に渡り合ってるんだもん。これで4回転なにかしらマスター出来たら大会荒れそう」

もともとの性分に憑依している悪魔の性質が合わさり、スポーツのこととなると熱が入る翠もいつも以上に興奮気味だ。そういえば翠と野球を観に行った際に「特段好きな選手がいたり好きな球団や実業団があったりするわけではないが、黒瀬恵司はわりと好き」と言っていたのを思い出しつつ、一馬はスマホでスポーツニュースを見る。

高等部全生徒で朝のホームルームを終えた後、1年生は1限目が理科だったので理科室に移動したが、教師の福山までもがスケート寝不足でふらふらしていた。



「やべえ…」

その次の次の日、教室に入るなり深刻そうな面持ちで一馬のもとに来たのは翔だった。

「やべえってなにが」

「月曜に女子が盛り上がってた黒瀬恵司っていたじゃん…スケーターの…さっき廊下歩いてるの見た…」

「マジかよ…」

女子が騒ぐといけないからこっちもあまり騒ぐな、そっとしといてやれ、という翔の意図を視線から感じ取った一馬は控えめに驚く。

五星学園は理事長の調査で72柱をその身に宿すと判明した若者を集めているのだが、新学期に合わせて一挙に調査をするのはさすがに無理があるので、このような中途半端な時期に転入生が来ることがある。また皆往々にして悪魔から何かしらの才能を授かってはいるが、このレベルの有名人は五星学園での生活が短いとはいえ、一馬も翔も女優である火耶以外に出会ったことはなかった。

「マジで顔小さい、あと細い。蹴り入れたら折れるぞ」

「入れようとすんなよ」

「言葉のあやだよ」

お前まだ俺のこと誤解してんの?と翔が一馬に悪態をつく。

しかし件のスケーターの練習拠点は四国だとテレビで語られていた。シーズン入りたてで拠点を移すのは負担にはならなかったのだろうか。確かに新縦浜にスケートリンクはあるので場所に困ることはないとは思うが、まずそもそもの移動距離が半端ではない。

「シーズン中なのにすごい決断したよなあ」

「でもぼちぼち拠点移したいみたいなことは言ってた気がするから、渡りに船だったんじゃない?」

そう感嘆のため息交じりにつぶやく一馬にかぶせ気味に続けたのは翠だった。こういう情報の速さには本当に感心するとともに、一馬と翔に少しの不安感がよぎる。

――こいつ一番ほっとかなさそうだ。

先ほど「そっとしといてやれ」を視線だけで共有したのと同じように、やはり視線だけで漠々たる不安感を共有する一馬と翔。

「…もしかして学校中追っかけまわしそうとか思ってたりしてないよね?ね?」

「いやいやいやいや」

「いやいやいやいや」

念を押すかのようにね?を繰り返す翠の目は笑っていない。1年生男子2人は狩人の獲物になるのを避けるべく、不安視している事柄を全力で否定する。

「さすがにそういう分別はあるって。ファンならなおさらその人の生活の一部になろうとしたり、見返り求めたりしちゃダメだからさ」

ファンの鑑。推し事の金言。

翠の言葉を心に刻みつつ、一馬と翔はまたとりとめのない会話に戻った。


カタカタカタカタ…

「やうやう白くなりゆく山ぎ…なんか最近地震多いなあ…」

午後最初の古文の授業中、教科書を読んでいた女川が途中でそれを止め、小さな地震に怯えはじめる。教科書を読んでいる時や全校集会で話す機会がある時はいわゆる『イケボ』なのに、普段はともすれば小心者寄りで頼りなさげな声なので、そこだけ実に勿体ない。

「まあこの学校は新しい方だし、耐震基準もしっかりクリアしてるけど、皆も普段から防災は意識しような?」

男子2人が「はーい」と言ったところで、今度は先ほどよりも大きく強い地震が校舎を襲う。本棚に入っている本が落ちはじめ、清掃用具の入ったロッカーの扉は勝手に開き、箒やバケツがドサドサと出てくる。

「いやいやちょっとまてでかいぞ!」

女川が本格的にうろたえる間にも揺れはどんどん強まっていく。いったん教室内の全員で机や教卓の下に隠れ、揺れをやり過ごす。それ自体は30秒ほどで収まったが、膝から下がふわふわするような気味の悪い感覚だけが残る。

「久々にビビる感じの揺れだったな…」

女川が教卓の下から這い出して、念のため開口部を確保しようと窓を開けようとすると、なにやら大きな赤い目がふたつ、窓の外から教室内を覗いていた。

「うわーーーーーーーー!?」

イヤホンで聞いたら気絶しそうなほどの声量で叫ぶ女川。それに反応するように大きな赤い目もぬるりと動く。

その目の持ち主は不気味な舌をチロチロさせながら、教室内の様子をうかがっている。正体は下級悪魔に憑りつかれ、巨大化・狂暴化したアオダイショウだった。カラスの大軍やミズカマキリも不気味だったが、その大蛇の不気味さはそれらの上をいっており、妖怪や怪獣の類を思わせる。

どう応戦すべきかをそれぞれ考え始めた辺りで、廊下から理事長の「ああちょっときみ!」という声が聞こえてくると同時に教室の扉が開いた。理事長に校内を案内してもらっていたらしいスケーターの編入生・黒瀬恵司が入ってきたのだ。

彼はそのまま教室の何にも目もくれず、ベランダの方に走っていく。心なしか雲のような、霧のようなものを纏っているようにも見え、ある種の神秘性や神々しさを感じさせる。

――冷気を伴った霧が晴れると、そこにはフィギュアスケーターもかくや、といった水色が基調の煌びやかな衣装を纏い、ガラスのような材質の剣を持った天使のような美少年が居た。むしろもはや天使であった。

しかし翼は灰色で、頭上の天使の輪はやや刺々しく、レラジェ以上に目立たないが角もしっかりあった。

「…結局どっちなんだあいつ?」

「この学園の生徒なんだから72柱の悪魔以外ないだろ」

「天使の見た目してんのもいるのか…」

翔と一馬が交互に言葉を発する。ひとえに悪魔といいつつも、高位のものとなれば姿かたちも千差万別なのだ。

「クローセル、オン・ジ・アイスだ!」

そういって恵司、もといクローセルがベランダから飛び立ち戦闘を開始すると同時くらいに、海生がいきなり走り出す。

「車田さん!?」

そして女川の悲鳴に近い声を背にしながら、そのまま教室を飛び出して行った。

「シーズン中のスポーツ選手に一生ものの怪我なんか残ったらおおごとです!」

「それはそうなんだけど、君は戦闘できないんだから、危ないから…安藤君はそういう出方するのやめない!?」

「飛んだ方が早い!!」

ビオトープの時同様にベランダの柵の上に立ち上がった翔は、そのまま悪魔アンドラスの姿に変身するとすぐさまそこから飛び立った。

「本当ひやひやさせるな…あ…」

教卓の側まで戻ってきた女川の目に入ったのは、自分も教室を出ていこうとする一馬の姿だった。

「行ってらっしゃい!!!!!!」

「行ってきます!」

登校する子供を見送る母親のように一馬を見送った女川は、もう完全にやけくそだった。

「今年来た編入生、基本的に言うこと聞かないのなんなんだよぉ…」

いや別に学外に迷惑かけてるとかじゃないんだけどさあ…と、ひとり教室に残された女川は教卓に突っ伏し項垂れていた。


外に出ると、授業中に海生と同じ理由で飛び出しただろう翠がだいぶ先を走っている。そして走りながら変身すると、服装と髪型が変わり、小さな角が現れ、耳が長く伸びる。骨格や体のパーツの変化が少なく、ながら運転ならぬながら変身もできるのは、人型タイプの悪魔の強みだ。

そのまま適当な位置でいったん止まって、クローセルに当たらないよう細心の注意を払って矢を放つが、巨大化した影響か鱗もより強固になっており、刺さらずにはじき返されてしまう。

「ああクソ!」

目の前に推しがいることなど今やわりとどうでもいいのだろう。おおよそ女子らしくはない八つ当たりをしながらレラジェは矢をつがえ直す。

上空ではクローセルとつい先ほど合流したアンドラスが、時折大蛇に攻撃を加えながら飛び回る。できるだけ校舎から遠くに誘導するつもりのようだ。その最中、どちらの方を向いたらいいか分からなくなった大蛇に隙ができると、クローセルがその舌をガラスのような剣で斬りつける。その箇所は出血などはしなかったものの、みるみるうちに凍り付いていく。

彼の持つ剣はガラスではなく氷の剣で、斬りつけたものを凍らせる力があるようだった。

「なんかそれいいな」

「…どうも」

自身も剣は持っているが、氷というクールな響きの属性が付与されているとなるとわくわくするものがあるのだろう、アンドラスはクローセルの剣をさらりとした調子で褒めた。

レラジェの援護射撃もあり、大蛇をゴミ置き場近辺まで追い詰めることに成功すると、クローセルはその周りの地面に氷の剣を突き刺しながら走る。氷の剣が刺さった場所からは次々と、小さな樹氷のようにも見える氷のスパイクが現れていた。

「とりあえず、これで動きは止められるはず…だと思いたいな」

「矢さえ刺さればどうとでもなるのに…」

クローセルとレラジェが次の決め手を打ち出せず、攻めあぐねていたその時だった。

――ゴッ!!

突如上から巨大な木槌が降ってきたのだ。

それは大蛇の頭を直撃したが、その後一瞬でバラバラになり無数の木の枝になってしまった。

「やっぱりゴミに出す木の枝だとすぐダメになっちゃうな…」

そう語るのはアムドゥシアスだった。基本的に戦闘には向かないため、ブエルと共に適宜隠れながら合流しにきたようだった。

「これお前がやったのか?」

「植物を曲げ伸ばしできるなら、落ちてる木の枝にもなにかしらできるんじゃないかなって思ってやってみたけど、壊れやすいのを除けばいい感じだ」

アムドゥシアスはアンドラスからの質問に答えると、指揮者が楽団を指揮するような動きでバラけた木の枝を集め直す。そしてそれを今度は武器の形にはせずに、1本1本をマシンガンの弾丸のように飛ばしはじめた。

アムドゥシアスが小枝マシンガンで大蛇を牽制している間、ブエルは合流するまでの間に戦闘風景を見ながら練った作戦をクローセルに伝えに走った。

「…なるほど!」

ブエルの耳打ちを受け、クローセルは彼を支援する形で矢を撃ち込んでいたレラジェに、水が流れるホースを渡す。

「ホースっていったいこれで何が…」

訳が分からない、と言いたげなレラジェをよそに、クローセルはそのホースに氷の剣の切っ先で触れると、その流れのまま剣を前方に掲げる。

「きゃあーーー!?」

次の瞬間、男勝りで体育会系な悪魔の全くらしくない悲鳴が響き渡った。それもそのはず、自身の持つホースからは水ではなくおびただしい数の小さな氷弾が発射されていたのだ。

その氷弾が大蛇に当たると、その箇所はみるみるうちに凍傷となりどす黒く染まっていく。元が変温動物なせいか、急激な温度変化で動きも鈍りつつあった。

「ちょっとなんなのこれー!?」

レラジェはレラジェで叫びながら、しかし的確に、消火器を火元に向けるように大蛇にホースを向け、氷弾を浴びせ続けている。

「うまくいってよかったあ…」

ブエルが安堵の溜め息をつく。

「矢傷を悪化させる能力が、矢以外にも応用できるんじゃないかなって思って。あの感じだと矢じゃなくても自分が『発射』したものなら何でも大丈夫そう。ボールとか。氷を作る力も、水の流れかたをコントロールできるなら取り回しよくなりそうだし」

「短時間でよくそこまで考えたな」

アムドゥシアスからの賛辞にブエルはいぇい、と笑いながら両手でピースサインを作る。

大蛇はというと、凍傷とそもそもの寒さとですっかり動けるだけの体力をなくしていた。

「演技中は喋るな!」

クローセルがそう言いながら大蛇の上顎から下顎までを氷の剣で貫くと、見る間にその全身が凍りつき、最後には砕け散った。


戦闘が終わり氷が溶けきった水たまりの中に、様子のおかしな箇所があった。公園等にある上向きに水が出るタイプの水飲み場のように、一か所だけ水が湧き出るところがあるのだ。

「…なんか少しだけど硫黄みたいな臭いしねえ?」

そう切り出したのはアンドラスだった。オオカミの要素を持つことが関係するかどうかは不明だが、変身後嗅覚が上がるようだ。

他のメンバーがその臭いの出所を確認するその間にも水の湧き方はどんどん派手になり、そのうちかすかな湯気が立ち上り始めた。

「…温泉だよこれ!!」

変身を解除し終えた海生が温かい湧き水の正体を見破ると、やれ温泉入り放題でお肌つるつるだ、ガチの温泉卵食い放題だとその場にいる全員が大いに盛り上がる。

「昔から自分に何かいいことがあったときとかに、近くになぜか温泉が湧くことが多かったんだ。ノービス日本王者になった日なんか、実家の裏山に温泉が湧いた」

それを聞いた翠は、自分が定期購読しているスポーツ雑誌のウィンタースポーツ直前特別号を思い出していた。

「雑誌で特集されてた気がするんだけど、実家ってその…」

「桐尻(どうじり)温泉の旅館。裏山に湧いた温泉を父が整備して開業したんだ…でそれは別にいいんだけどさ、この温泉今後どうするんだ?」

「………」

温泉に一度は大喜びしたが、使えるような状態にすることまではできない学生一同は、校庭の隅で途方に暮れる。

「理事長、早くマルファス見つけてくんねーかな…」

ネット百科事典で調べた建築家のような悪魔にに思いを馳せる一馬の声が、夕方の空に消えた。


*******************

ソロモン72柱 序列49番 クローセル

クロケル、プケル、プロセルとも。48の悪霊軍団を率いる地獄の侯爵。氷の剣を持つ天使の姿で現れ、水の温度や流れを自在に変えたり、恐ろしい洪水のような幻聴を聴かせたりできる他、自由七科について教えてくれる。

温泉を見つけるのも得意。



黒瀬 恵司(くろせ けいじ)

15歳でジュニアクラスのフィギュアスケーター。ジュニアではあるもののシニアの大会に本格参戦を開始し、トップクラスの選手とも互角に渡り合う。元々四国から拠点を移したいと思っており、編入案内は渡りに船だったようである。

上記のクローセルが憑依しており、変身するとまさに試合時のような水色が基調の煌びやかな衣装の天使の姿になるが、実際は悪魔なので翼は灰色だし角もある。

氷の剣で攻撃したものや場所を凍らせたり、水の温度や流れを変える力がある。

また何故か戦闘後温泉が湧くことが多い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る