第10話 愛炎奇縁

「あっおはよう、よかったらどうぞ」

「えっ?あっありがとうございます?」

教室に着くなり飛び込んできたのは、生徒一人ひとりになにやらフライヤーを配る火耶の姿だった。無論一馬も教室に入るが早いがフライヤーを渡された。

「今度私が出る舞台のフライヤーなの。これ自体に割引クーポンがついてて、あとここの皆なら学割でさらに2割引されるから、最終的に5割引くらいになると思う。あっよかったらこれ!」

「あ、あざっす??」

一馬にフライヤーの詳細を説明する間に今度は翔が教室に来たのに気がつくと、火耶は素早く振り向き一馬にしたのと同じように翔にもフライヤーを渡す。アミーって背後にも目があるなんて言及されてたっけ?と思うくらいの動きのよさだ。

フライヤーに目を通すと、まずパワフルな筆文字で書かれた舞台のタイトルが目に入る。『炎恋―八百屋お七―』というタイトルのようだ。展望台のような場所から燃える街を見下ろす少女が描かれたフライヤーの下方には、写真付きでキャストの紹介がある。どうやら主役のお七という少女の役を火耶が演じるらしい。ここ最近土日は校内におらず、それどころか平日も週2、3日くらいしかいなかったのはひとえにこの舞台の練習等々だったのだろう。

「ええっ松木当真(まつきとうま)も出るの!?」

「鹿島輝樹(かしまてるき)とか古河須磨(こがすま)もやぞ…大御所だらけやんか」

海生と卓がそれぞれ呟く。今をときめく若手イケメン俳優やキャリア50年超の大ベテランまでがこの舞台に集結するようだ。こうまでいくと逆にどうやったら呼べたのか気になってくる位で、一馬の中で火耶が一気に遠い存在になってしまった気すらした。

「江戸時代に実在した、好きな人と一緒にいたいがために自分の家はおろか街じゅうに放火しちゃった女の子が題材の話なんだけど、理事長が飼ってるクロミちゃんが言うには、昔その女の子にアイムとアミーが一緒に憑いてたんですって」

「いろんな意味でそんなことあります!?」

自分が学園に来た初日、クロミもといアイムから「恋する乙女に憑りついて街を燃やし尽くしたことがあったが、放火は当時から重罪だったため宿主も最終的に燃やされた」とは聞いていたが、その女の子が火耶が出演する舞台の主人公であるお七だったこと、アミーも同時に憑依していたことは知らなかった一馬は驚きの声をあげる。国によっては女神と評されるほどの強い力を持った放火マニアの悪魔と、負の感情全般を司る炎そのものの姿をした悪魔が憑依していたとなれば、被害も甚大だっただろう。

「相当レアケースだけど、ひとりが2柱以上を宿すこともあるみたいよ。今のところここにはいないそうだけど」

一馬と火耶が話すすぐ側で、卓がなにかをブツブツ呟いている。

「いやこんな豪華なメンツがこの値段で観れるんならやっすいもんやけど…」

「主演がいるこの場で金絡みの話すんの、ちょっとどうかと思うんすけど」

翔が釘を刺すと、卓は慌てて軌道修正を図る。

「お得感とかじゃなくて採算の話や。こんな景気よくクーポン配って大丈夫なんか?」

「それは県でやってる文化振興事業から助成金があるみたいだから大丈夫なの。自由になるお金が少ない小中高生も文化芸術に触れやすくするためとかなんとかで」

「ほーん」

こういう事業がうまくいけば私みたいな人間の活動の幅も広がるし、とややゲンキンなことを言う火耶。

「皆都合はあるだろうけど、観に来てくれたらうれしいな。じゃあ私これで!今日も遠し稽古なの」

フライヤーを配るだけ配って教室を出て行ってしまった火耶を、残された面々はフライヤーと交互に見つめていた。


翌々日の放課後、学内のバス停にはお得に大御所俳優が観られると踏んだ卓と、どちらかというとイケメン俳優の松木当真が目当ての海生と、もともと舞台芸術に関心がないわけではない一馬と、一馬に引きずられてきた翔の4人が集まった。

公演の場所は盤馬駅からペデストリアンデッキで直結の、広告最大手たるG-プロモートがスポンサーとなる大劇場だ。格式高い劇場での公演だが、舞台の当日券は火耶のいう通りフライヤー持参と学割で本当に本来の値段の半額くらいになった。確かにこのくらいなら学生でも手が出しやすい。

「なんか俺引率みたいやんか…」

「なんかごめんなさい」

「いやええんやけどな」

とっさに卓に謝る一馬。

だらしなくさえなければ私服で大丈夫だと思っていた卓と、こういう場所は最低限制服でないといけないと全員が思っていた後輩3人の図は、遠目に見たら校外学習に来た学生とその引率の教師にも見える。

入場後一馬と海生が買ったパンフレットを、教科書を忘れた隣の席の同級生に見せてあげるそれに似たような形で4人見ていると、最初のページにネタバレにならない程度に書いてあるあらすじが目に入る。


『時は寛文、火事と喧嘩が華と言われた江戸時代。八百屋の娘であるお七は自宅兼店舗を火事で失い、新居が完成するまでの間暮らすことになった寺で下働きの吉三郎と出逢う。彼の掌に刺さったトゲを抜いてやったことから二人の交流が始まり、やがてお七は恋に落ちる。しかし皮肉なことに喜ばしいはずの新居の完成が、二人の障害となってしまう。吉三郎を忘れられないお七の恋の炎は、思わぬ形で燃え上がり、彼女を、街を、飲み込んでいく。』


「しかしまあえらい話やで、江戸時代に生きた『アミー』を現代の『アミー』が演じるんやもんなあ」

「こういう偶然の重なり方、すごいですよねえ」

72柱の高位の悪魔たちは、偉人であれ極悪人であれ、はたまた市囲の人間であれ、様々な人間に憑依し歴史の陰に存在し続けてきた。世界規模の話でこんな偶然が重なるのは、72柱もいるとあってはなかなかないだろう。

「そろそろ始まるみたいだけど、スマホ切った?」

海生に話しかけられて一馬は我に返る。つい卓と話し込んでしまい開演5分前のブザーにも気が付いていなかったようで、慌ててスマホの電源を切った。



「そうだ…また焼け出されればいいんだ…簡単なことじゃないか…そうすればまた会えるはず…ああ楽しみだ!あははは!」

新しい家に引っ越したお七が、恋い焦がれる吉三郎にまた会うには自宅を燃やして寺に転がり込めばいい、と気づく場面で第一幕が終わる。燃えやすいものを集めようとゆらゆら部屋を彷徨う火耶演じるお七の姿は、逆光になるように照明が当てられていたこともありより不気味で、陰影をフルに活かすジャパニーズホラーの妙が全てあの場にあった。

「…あかんあかんあかん怖すぎやろ。夢に出るわ」

休憩時間になり、客席のライトが点いて10秒後くらいに卓が呟く。

「小中高生に芸術に触れる機会をとは言うけど、あんなの観たら子供泣くだろ…」

「ほんとそれだしなんなら車田がもう泣きそう」

「…」

一馬と翔の感想も卓とほぼ同じであった。海生は両手で顔を覆い背中を丸め、喋らないというよりは喋れないといった様子だ。海生だけではない。20代前半だろうカップルは強張った顔を互いに見合わせ「うわー…」とだけ呟いているし、50代くらいだろう男性のひとり客は自席で放心している。それだけ火耶の『強くて恐い女』の演技には目を見張り人を引き付けるものがあるのだ。


第二幕は大御所・古河須磨が演じる商店街の重鎮たる老婆とお七の舌戦の場面からスタートした。放火の動機にも、もちろん犯人がお七だということにも気づいている人物、という設定のオリジナルキャラクターのようだ。手段が目的になりかけているお七に全てを焼き尽くす気かと諭すが、思春期特有の反骨精神もあり結局は止めることができず、老婆は「信濃の鬼女の再来じゃ」と嘆く。

―まあ最高ランク級の悪魔が2柱も憑いていたようなので、間違ったところはないのだが。

そしてついにお七は初回はボヤ程度に終わってしまった新居への放火を成功させると、その火は当時の住宅事情もあり一気に街を飲み込んでいく。

「うおっ」

一番端の通路際の席に座っていた翔が小声で驚く。観客席後方の扉から、炎を表現した赤やオレンジの薄く長い布を持った黒子と、火消し役の俳優たちがどっとなだれ込んできた。彼らがエネルギッシュなダンスを見せる傍らで、舞台上に火の見櫓のセットがせり上がってくる。

一馬の従姉の明菜が成人式の時に着ていたものと似た色味の赤い振袖を着た火耶…ではなくお七が、そのセットのてっぺんまで勢いよく登っていく。「きれいだけど時間が経つと苦しいって感想しか出てこなくなった」と明菜が語っていた振袖のままあの動きができるようになるまでには、相当な時間と苦労がかかっただろう。優雅に見える白鳥も、水面下では必死にバタ足をしているという話を一馬は思い出していた。

「あっしの邪魔をするものみーんな、燃えちゃえばいいんだ!あの人のそばに居れるなら、あっしはもうなんにもいらない!」

1階席全体を使って表現された燃える街を見下ろしながら高笑い混じりに叫ぶお七を、奉行所の役人と数人の火消しが捕らえるかといったところで、真っ赤な照明が第一幕の終わりと同じように逆光になるよう当てられる。

―お七の火刑を知った松木当真演じる吉三郎が、彼女の新居だった場所で泣き崩れ、老婆に支えられるシーンで終幕となった。


「すごかった…すごかったけど怖かった…」

終幕後海生は半泣きでリュックを前に抱えて歩いている。題材が題材とはいえ救いのなさすぎるストーリーと火耶の迫真の演技は、少々精神的に堪えたようだった。

「でも出演者も演出も音楽も、全部すごかったな…お前みたいに詳しくはないけど」

「来てよかっただろ?」

翔はというと初めて本格的な舞台を観たのもあってか、一馬にしきりにすごいと語っている。

「チラシと学割で半額位になったけど、これ本来の額普通に払ってもええなあ。俺ちょっとパンフ買うてくるわ」

「あっ俺も!」

急遽パンフレットを買うことにした卓と翔が売店へ駆け出していく後ろ姿を、一馬と半泣きの海生は軽く手を振って見送る。

「…車田お前今日寝れる?」

「それは失礼すぎない…?」

心配の方向性が突飛な一馬を、海生がデリカシーの欠如と戒めていた。



「…出待ちしてくれるほど熱心なファンがついたのはいいけど、するなら外で邪魔にならないようにって聞いてなかったの?」

楽屋を出て関係者通用口へ向かいながら火耶がつぶやくと、ゴミ箱の中から下級悪魔が顔を出す。やぶれかぶれになって火耶に襲い掛かったそれは、次の瞬間熱風を浴び干しブドウのようにシワシワになった。

「ここにはルールも守れないお馬鹿さんしかいないわけ?」

火耶の居た場所にはいつの間にか炎の髪を持ち裾が燃え盛るドレスを着た悪魔・アミーが立っている。お馬鹿さん呼ばわりに逆上したのか、下級悪魔はギャンギャン吠えながら隠れていた物陰や換気扇の中からぞろぞろと出てきてそのままアミーの方に向かっていくが、やはりというか熱風に向かっていく形になり、先程単独で襲いかかった下級悪魔と同じく干しブドウと化した。

「このくらいで倒れてくれる相手でよかった。本当に火事になりかねな…あれ?」

変身を解除しようとしたアミーの目の前に、劇場のチケット売り場や売店、軽食販売所などに配置されていた、小学生ほどの大きさのロボットが迫ってきていた。簡単なコミュニケーションなら可能で、劇場だけでなく介護や医療の現場にも急速に拡がりを見せている話題のロボットだ。おかしな点があるとすれば、各々が経路案内の看板や入場規制や列整理に使われるロープ付きのポールなどの武器を持っていることである。表情の表現のために目に相当するLEDが仕込まれているのだが、それが2、3度赤く点滅したかと思うと、足元のキャスターのスピードを上げ、全速力でアミーの方に向かってきた。その動きは今までに散々目にしてきた、下級悪魔に憑りつかれた生き物の動きそのものであった。

「モノに憑りつくなんてこと、今までなかったはず…ちょっと!」

ロボットのうち一台が振り下ろした看板をどうにか避けると、アミーはそのまま壁伝いに後ずさりを始める。主な戦法が接近戦ではなく、かといって実際に炎を使って戦えば放火魔役が火事を起こすという二重の意味で洒落にならない事態になる。そのうえ顔に傷がつく可能性もある。

そうして戦闘に逡巡しているうちに、ついに袋小路に追い込まれてしまった。

ロボットは大きく武器を振りかぶると、せめて顔に傷はつけまいと背を向けてしゃがみ込むアミーに襲い掛かる。

――バチンッ!!

「…えっ?」

停電から復帰した瞬間に蛍光灯から出るような音とともに、看板を持ったロボットがごとりと地面に倒れる。

「間に合ってよかったわ…」

「…シャックス!?」

下級悪魔がロボットの中から出てきて霧散するのを確認したシャックスは、動かなくなったロボットを邪魔にならない場所に移動させながら言う。

「売店でパンフ買うてたら、あのロボットがぞろぞろ地下に移動してくのが見えてな。なんやと思ってあと追ったらこれや」

「私の能力はこういう場所だと使えないから、助かったわ。でもどうやってやったの?」

ほっとした様子のアミーの問いに、シャックスはニッと笑いながらマントを鳥の翼に変え、青い羽根を見える範囲の蛍光灯すべてに向けて飛ばし始める。頃合いを見てからステッキをかざして青い羽根を回収すると、残る2台のロボットにその先端を向けた。

「お前らもこうや!」

杖の先端から先ほどと同じバチンという音がすると同時に、残りの2台も動かなくなり、その中から現れた下級悪魔が霧散していった。最初に動かなくなった1台も含む全ての液晶部分に『electrical short』と表示されているので、おそらくそういうことだろう。

「もしかしてさっきのバチンって音…」

「電気や。停電にならん程度に蛍光灯から電力を拝借して、それをひとつにまとめてドーンや!あと増援が来んうちにここ出た方がええで。おれも後輩待たせとるし、この辺でお暇さしてもらうわ」

じゃな!と変身を解いた卓がもと来た方向へ駆け出していく。彼の姿が見えなくなるのを確認してからら火耶も変身を解除したところで、ふと声をかけられる。

「…そうかいそうかい、お前さんも『アレ』を『飼ってる』クチだったか」

火耶に話しかけたのは共演者でもあった大御所女優・古河須磨だった。

――いつかはこういうことが起こるとは思っていたが、思いっきり見られてしまった。

火耶の顔には焦りと不安の混ざりあった表情が浮かぶ。つい先ほどまで放火魔を演じ、セットの上で高笑いをしていた人間と同一人物といったところで、誰も信じなさそうだ。

「心配しなさんな。誰かに口外するつもりも、ましてこのことを週刊誌に売るつもりも毛頭ない。むしろあたしはあんたみたいな人間の味方だ」

「…どういうことなんでしょうか?」

火耶が問いかけると、須磨は見るからに高級そうなカバンから手帳と筆記用具を取り出し何か書き始めた。書き終えると、そのページを破いて火耶に渡す。

書かれていたのは須磨のスマホの番号とメールアドレスだった。

「いろんな意味であんたが気に入ったよ。個人的に連絡を取り合いたいとまで思った共演者は久方ぶりだ。なんなら家にあげたっていい。あたしの連絡先はさっきのメモに書いてあるから、必ず登録しておくんだよ」

「あっ、あの…!」

質問に答えていただきたいんですが、と火耶が言う前に、大御所は関係者通用口へ向かって年齢を感じさせない足取りでどんどん歩いて行った。

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