第9話 暗躍

「珍しく平和でしたねえ」

「道に迷った人が5人、落とし物を届けに来た人が9人、特段事件性がある感じの案件はなかったな。ここ最近のことを考えると、逆に不気味な位だが」

盤馬駅の東口から歩いて数十歩の盤馬駅前交番内。仕事に一段落ついた大上正美(おおがみまさみ)とその上司に当たる初老の警察官がコーヒーを飲みながら談笑している。

3年程前を境に市内の治安は悪化の一途を辿っており、盤馬市を管轄する警察機関は多忙を極めるあまり陰で墓場と言われる程にまでなってしまっていたが、今日はそんな場所にも束の間の安息が訪れていた。

「何事もないのが珍しいなんて、私たちも相当麻痺してきちゃってますね」

「しかも最近はなんか引っかかる事件ばっかだもんな。この間のバイクのだってそうだよ。新品でもねえバイク1台につき6桁すぐに出せる人間どこにいるんだ、おかしいだろ」

「それもですし、そんなにバイク欲しくてなおかつお金があるんだったら自分で普通に買えばいい話なんですよね。不良グループに盗ませるんじゃなくて」

不良グループが全員窃盗容疑でお縄についたことでいったんは解決した連続バイク盗難事件だが、グループのリーダー格が言っていた「人に頼まれてやった」という部分については、彼が黙秘を貫いていることもあり謎として残ったままであった。もはや依頼主に相当資産があるということ以外は現状分かっていない。

初老の警察官がふうっと軽くため息をついたと同時くらいに、入り口から女性の声で「あの…」と聞こえてきた。

「どうされましたか?」と大上が応対する。基本的にこういうことは若手の務めだ。

「ここで相談すべきかどうか迷ったんですけど、正直どこにもとりつく島がなさそうだったものですから…」

見た感じだと30台前半だろうその女性に大上が椅子に腰掛けるよう促すと、失礼しますといって腰を下ろした。やや遅れて大上も同様にすると、その女性は「私(わたくし)こういう者でございます」と勤務している会社の名刺を二人の警察官に渡した。


『株式会社G-プロモート 秘書課 榊原喜美(さかきばらきみ)』


「広告最大手じゃないですか、立派な会社に勤務されてますね」

その女性…榊原が籍を置くG-プロモートは、2年程前に老舗広告代理店『五洋(ごよう)廣告社』が社名を変えたものだ。現在は『大海企画』とともに広告代理店の二大巨頭と位置付けられている。

「皆さんそう言いますが、ここ最近は個人的には全く立派とは思えなくて…」

謙遜なさらなくても…と大上が言うと、やや被せぎみに榊原は続けた。

「社名を変えて半年ほど経ったころから、社長が突然横暴になったんです。楯突こうものなら地方の支店に半ば左遷のように飛ばされたり、酷いときは手や足が出たり…まあつまりは、目に余るほどのパワハラをするようになりました」

そういう話はここではなくてまず会社の人事か労基局じゃないのか、という言葉をオブラートに包みつつ、初老の警察官が榊原に尋ねる。

「会社の人事部ですとか、労基局とか、そういう所には相談はされたんで?」

「しましたけれど、人事部は皆社長を糾弾したら自分の首が飛ぶと怯えてましたし、労基局はしばらくして改善傾向がない場合にはまた連絡を下さいといった様子でした」

「他にどこかに相談は?」

「暴力に晒されて怪我をした社員もいますし、傷害事件として扱ってもらえないかと思って、盤馬署にも電話してみましたが、まず会社の人事部に、と言われまして…」

そして途方に暮れた榊原が、変な話ここが一番話が早いのではと思って駆け込んだのが交番だった、ということだった。

「それに今日ここに来る直前、同期の経理部のメンバーから聞いたんですが、220万前後の金額がよくわからない用途で使われていたんです。これも下手したら横領になるんじゃないかって」

榊原の発言の要点をおさえたメモを仕上げながら、大上が言う。

「確かにパワハラだけであればまずは社内で解決を図れ、という話になっていたと思いますが、横領の可能性もあるとなればことが大きく動く可能性もございます。その場合、榊原さんに事情聴取をすることになる可能性もございますので、その時はよろしくお願いいたします」

「わかりました、その時には全面協力致します」

席を立ちありがとうございましたと一礼すると、榊原は駅前の繁華街方面に歩いていった。


先程のメモをまとめていると、ふと上司に声をかけられる。

「おい大上」

「はい?」

「さっきの秘書さん、定期入れ忘れてないか?」

「ああ!!」

先程まで榊原が座っていたデスクの上には、淡い水色のパスケースが置いてあった。定期券はなくても最悪現金さえあれば電車には乗れるが、免許証やクレジットカードなどを一緒にパスケースに入れているケースもあり、こうなると紛失がきっかけで社会的な死を意識することになる。

「駅と逆方向に歩いて行きましたから電車に乗るわけでもなさそうでしたし、たぶん遠くまで行ってないんでちょっとさっきの方探してみますね!自転車借ります!」

「気を付けていけよ」

初老の警察官は勇んで自転車を駆って交番を出た部下をややぶっきらぼうに見送ると、先程の榊原の発言とバイクを盗んだ不良グループのリーダーの発言を反芻する。

「…バイク事件で被害に遭ったバイクは11台、で1台盗むごとに20万と言われた、あの会社で不審な使われ方をした金額は220万前後…」

いやまさかなあ…と呟きながら、冷めたコーヒーをマグカップごとレンジで温めなおした。


榊原が歩いていった方向に自転車を走らせると、やがて街灯も人通りもまばらな細い通りに出た。警察官である前に女性である以上、大上に恐怖感がないと言えば嘘になる。それに榊原と行き違いになってしまっても困るので、なるべく手早く榊原を探そうと思っていた矢先だった。

ゴム製品が燃えたときのような、それでいて無臭の黒い煙が見え、その方向から「助けて!!」という悲鳴が聞こえてきた。その悲鳴は先程まで交番にいた榊原の声とそっくりだった。

大上は一言「これって…」と呟くと、自転車のギアを上げてその方向へ急行していった。


「やはりそうでしたか…今助けますからね、榊原さん!!」

大上が煙の方向にたどり着くと、そこにいたのは気を失っている榊原を抱えた、黒い煙とスライム状のなにかの集合体のようなものだった。煙とスライムを足して2で割ったようななにかはどうにかして人間の形をとろうとしているのか、ぐねぐね動きながら二本の足のようなもので立っている。

その足元からはざっと30体ほどの顔がついた黒いスライム状の化け物…下級の悪魔が顔を出した。そしてそのまま大上に襲いかからんというところで、彼女のいた場所にもまた別の悪魔が現れる。

「このマルコシアスの目が黒いうちは、どんな悪事だろうとやらせはしません!!」

立派な羽根飾りのついた帽子のつばと軽装の兵士のような服装の裾からは、狼の耳と尻尾がそれぞれ覗く。大上は72柱がうちの1柱で指折りの正義感を持つ狼の悪魔・マルコシアスを宿したパンデモネアだったのだ。

マルコシアスは向かってくる下級悪魔を、手にしたレイピアで片っ端から突き倒していく。あっという間にあれほど沸いていた下級悪魔はきれいさっぱりいなくなり、ついに榊原を抱えた煙を纏ったスライムの所までたどり着く。

「悪の化身め、覚悟!!」

レイピアを構え躍りかかるマルコシアスを、煙を纏ったスライム状のなにかは触手を伸ばし打ち払う。

「うっ!?」

マルコシアスは小さな公園の生け垣まで吹き飛ばされるも、警察学校で一通り学んだ柔道の経験を活かし受け身をとりすぐさま起き上がる。そして深く息を吸い込むと、気絶している榊原を火傷させないよう気を付けながら黒煙に向け炎を吐いた。接近戦は危険と判断したのだ。

「ごほっ…観念してお縄についたらどうです!?」

咳き込みながら黒煙に啖呵を切るマルコシアス。炎を吐くのは自身の口内にも短時間ではあるが重度の火傷のような痛みが走るので、奥の手である。

終わり際の金魚花火のように、火の塊がボタボタと地面に落ちる。その中から現れたのは、尚も榊原を抱えたままの、無傷の化け物だった。

「なっ…」

自分の攻撃がまるで通用していなかったことに、マルコシアスはさすがに焦りを覚える。そんな彼女をよそに、黒煙を纏うなにかは聞き取りにくい声で言葉を発しはじめた。

『ワ… …ナハ……ラキ…ル…』

「もっとハッキリ喋ったらどうなんですか!!」

がなるマルコシアスの言葉などどこ吹く風といった様子で、その黒煙を纏うなにかは続ける。

『ワガ…ハ…バラ…エル……グリ……ゴ…ガ…ヒトリ…コ…カラ……モ…ケル…』

喋り終えると黒煙は自身が抱えていた榊原の体を包み込む。マルコシアスも煙を吸わないよう外した帽子で鼻と口を覆い隠しながら、右手でレイピアをしっかり構える。

熱風が吹き付け、かすかに肌が焼かれていくのを感じる。

「あっ!」

煙が辺りからすっかりひくと、そこにはしっかりと立っている榊原の姿があった。どうやら意識は戻ったようだ。

「よかった…意識が戻ったんでげふっ!?」

変身を解いて榊原に近づく大上だったが、その瞬間に鳩尾にパンチを入れられる。

「榊原さん…?」

ふらふらしながらなんとか態勢を立て直そうとする大上。いくら女性とはいえ警察学校で鍛え上げられてから実務にあたっている警察官を、内勤職の女性がパンチ一発でここまで追い込めるとは考えにくく、大上には疑問しか残らなかった。

「うぐっ!?」

今度は腰に回し蹴りが入る。大上はそのまま吹き飛ばされて道の右端に停めた交番の自転車にぶつかり、そのままどさりと道路上に落ちた。

自転車のかごからこぼれ落ちた黒い鞄から、大上が届けようとしていたパスケースを探し出すと、とくに大上を気にすることなく榊原は通りの奥へと消えた。

「(だめだ…意識はあるけど体がびくともしない…一体彼女になにが…)」

通りに横たわる大上は、なんとか意識だけは手放すまいと、動けないなりに楽な姿勢をとり、誰か助けが来るのをただ祈った。



「お巡りさん大丈夫ですか!?お巡りさん!!」

「あ…ううん…あれ?」

動けなくなるほどの全身の痛みが不思議と引いていた大上の目には、ライオンの耳や尾を持つ看護師のような服装の少女が映る。見る限り周囲には自分とその少女しかいないので、介抱してくれたのは少女だという判断は容易にできた。

「あああーよかったああー!」

上体を起こす大上を見て、少女は安堵の叫びをあげる。

「もしかして応急処置までしてくれたんですか?」

「はい。悪魔につけられた傷は悪魔の力でしか治せないって聞きますから…」

そういうとその少女は瞬く間に制服姿に変わる。襟がグレーのセーラー服だがリボンはループタイ状という変わったデザインではあるものの、大上にとってはなぜか懐かしく感じられる。

「悪魔のことを知ってるような口ぶりといい、その制服といい、貴女まさか…」

「はい、五星学園高等部の車田海生です。さっきの処置はブエルの力で」

「ありがとうございました。私は盤馬駅前交番の大上です。私その五星学園の開校時の編入生で、最初の卒業生だったんですよ」

まあOGってやつです、と大上が言う。

それにしてもこのタイミングで医療を司る悪魔・ブエルを宿した人間が居合わせたのは、本当に不幸中の幸いだ。このまま助けも来ずに通りというには寂しすぎる場所で動けぬまま夜を明かすことになっていた可能性を考えると、うっすらと背筋が寒くなる。

「よくここが分かりましたね」

「塾の帰りだったんですけど、うっすら黒い煙のようなものが見えたのと、あとなんだかそういう気配を感じたので…火事じゃないなって思って駆けつけたら、お巡りさんが倒れてたんですよ」

「そうだったんですか…」

ありがたいことに海生という少女が交番まで着いていくと申し出てくれ、大上はその好意に甘えることにした。歩くのに支えが欲しかったのもあったため自転車を押していくのは流石に自分でしたが、その間海生は大上を絶えず気にかけてくれた。


盤馬駅改札付近で海生と別れた大上はひとまず交番へ戻るが、ボロボロで帰ってきたのを上司にいたく心配された。とりあえずゴミ箱を避けきれず生け垣に突っ込んだと説明していったんは事なきを得たが、榊原が悪魔たちに襲撃されたこと、その後で黒煙に包まれた榊原の様子が交番内にいたときとは一変しおかしくなったことについては、言ったとてパワハラ云々以上に信じてもらえないだろうことが明らかだったため、大上も黙っていた。なにしろ世間一般からしたら悪魔は超自然的な、オカルティックな存在だ。そんなものがそこらじゅううじゃうじゃと、さらには自分の中にもいると言ったところで、おかしくなったと言われるのがオチだ。

とはいえ襲撃される前の榊原が話していたことと、それ以上に榊原まで悪魔のせいで様子がおかしくなったことは気がかりだった。

「いったん学園に連絡するか…」

「なんだって?」

ひとりごとでーす、と上司をかわした大上は、真剣な面持ちで個人用の手帳に今日の一連の事件のメモと『要連絡 五星学園』という赤く太い文字を書き込んだ。


*******************

ソロモン72柱 序列35番 マルコシアス

マルコキアスとも。30の悪霊軍団を率いる地獄の侯爵で、名前の由来はラテン語の侯爵とされる。グリフォンの翼と大蛇の尾を持ち口から炎を吐く雌狼の姿をしている。悪魔ではあるが正義感が強く、フェアプレーに徹すると約束すれば試合や受験などありとあらゆる戦いの場で召喚者をサポートしてくれる。

元々天使だったようで、いつか天界に帰ることを望んでいる。



大上 正美(おおがみ まさみ)

盤馬駅前の交番で働く女性警察官で、五星学園開校時に高校3年生で編入し、最初の卒業生のひとりとなった。今は市内の治安向上のため持ち前の正義感を爆発させ奮闘する毎日である。

上記のマルコシアスが憑依しており、変身後は軽装の兵士のような服装にレイピアを武器とし、狼の耳と尾を持つ男装の麗人のような姿。炎を吐く能力はあるものの自分も無事では済まないためレイピアでの攻撃が主体。

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