第2章 地底世界へ

05、優雅なコダンパスⅦ飛行

 リフと別れた後、エシルバは年始の長期休暇を過ごすためトロレルにある別荘地へ向かった。

 トロレルは地底にある巨大な世界で、北半球と南半球で分かれている。南半球は人間が踏み入ったことのない未開の地と言われる場所で、北半球に三大国のうち一つのトロレル王国があるという。


 一度でも訪れたことがある人はトロレルを見て「地底の宝箱だ」と言うそうだ。それほどまでに美しいとされる国に、エシルバはまだ一度も行ったことがなかった。


 使節団が所有する巨大浮遊船舶のコダンパスⅦに乗船したエシルバは、丸二日はかかるという道中をのんびりと過ごすことになった。


 使節団の中でトロレル別荘に行くメンバーは限られている。鬼の教官シィーダー、監視官のアムレイとジオノワーセン、太眉のルバーグ、真面目なウルベータ、それからエシルバの師ジグだ。ポリンチェロやカヒィ、ジュビオレノークもリフみたいに実家や親せきの家へ帰っているので会うのは休暇明けになるだろう。


 乗船して真っ先に向かったのはウルベータの個室だった。ノックをすると彼は快く出迎えてくれた。エシルバは真っ先に例のサイトを見せた。重要な話はそこからで、事件のことを話して彼の父親になんとか働き掛けてもらえないかと頼み込んだ。


 ウルベータはなにを話すでもなく、いきなり空中電卓を表示させ「九十万」と打ち込んだ。


「この数字がなにを表すのか、君には想像がつくかい?」


 これには面食らって考え込んでいると、ウルベータは時間切れとばかりに顔を上げた。


「北キャンバロフォーンで起こっている年間の失踪者数だよ」


「こんなに?」


 驚きというか、ショックを受けた。それでも、ウルベータはいたって冷静に語り掛けた。


「僕の父は捜査局の局長だから、いろいろ話は聞くんだ。北だけで見ると、ざっと九十万といわれている。一日当たり、二千五百ってところかな。その中の大半は親族による誘拐、例えば離婚した家庭に多いけど子どもの奪い合いだったり、悪質な人身売買業者、はたまた個人の変質的犯罪者。中には家出、病気による徘徊、なんて場合もあるけど、それらはごく少数だ」


 生々しい内容に気分が悪くなって眉間にしわを寄せた。でも、ここで目を背けるわけにはいかなかった。リフと約束したんだ。”僕が手を打つ”――と。しかし、リフの妹の場合は、悪質なケースに分類されるのではないだろうか? 妹だけが誘拐され、放火までされた。親族の誘拐だって考えられないはずなのだから。


「正直、すべての事件を平等に調査できているかと言えば、そうとも限らない。次から次へと、新しい事件が入ってくる。それに、父は局長であって現場のことをよく知る人間ではないんだ。その下の刑事辺りに頼れる人がいないか、話だけは通してみるよ」


「ありがとう……ウルベータ。少し誤解していたことを謝らないといけない。捜査局はわけもなく動いてくれないと思っていたんだ」


「半分正解で、半分間違いだ。彼らも君と同じ人間だからね。職業の違う人から見ればお堅い役人って感じだけど。大切な家族がいて、友人がいて、仕事を頑張っている。大切な人を失った身内の苦しみは、むしろよく理解しているはずさ。君は謝らなくていい。それどころか僕は驚いたよ」


 エシルバは不思議そうに笑顔を緩めた。


「これは勇気ある行動だ。思っていても、行動に移せる人と移せない人がいる。でも君は違う。誰でもできることじゃないよ」


「ありがとう」エシルバはしっかりと応えた。「でも、リフが僕に相談してくれなければ、僕はこのまま気付けなかったかもしれない。勇気ある行動をしたのはリフの方さ」


 彼は少し間をおいてからにっこり笑い掛けた。「エシルバ。あぁ、ところで……」


 ウルベータは急に真面目くさった顔になった。


「捜査が打ち切られた事件ファイルのことを業界用語でシャルマックって言うんだけど、君の話を聞く限り、リフの妹の事件には謎が多い。単なる失踪ではなさそうだし、もう少し踏み入った捜索をしてもいいのではと僕も思ったわけだ。だけど、大きな組織を動かすというのはとても難しい。時間はかかる。だから――」


 ウルベータは珍しく言葉を選んでいるようだった。


「それでもいい。大きな一歩だから」


 とエシルバはウルベータを見つめ返した。ウルベータはしっかり受け止めたという顔になってうなずいた。


 エシルバは船内の廊下を歩きながら、ぼんやりと考え事の続きを始めた。リフはこれまで周囲に遠慮して言えなかったのだろう。でも、つてをうまく使って行動すれば、少しでも事態は好転する可能性を持っているということを、これで証明できた。もちろんこれらは不正でも、くだらないそんたくとか寸度でもなく、困っている友人のためになにかしたい、という気持ちだった。


 エシルバは自分の部屋に戻ってすぐ、リフに朗報と題した報告を入れることにした。返信はすぐにきて、ウルベータには頭が上がらないというような内容のメールだった。実際ウルベータが言う通り結果が得られるまでには相当時間がかかりそうだったが、なにもしないよりはましである。

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