第34話 途中で投げ出さないで、最後までやり遂げる

「今回のお悩みはフィソステギアさんからです。『いろんなことが気になって、とりあえずチャレンジしますが最後までやり遂げたことがありません。どうしたら最後までやり遂げることができますか?』だってさ。一旦離れちゃうと再開までの道のりが遠いこと遠いこと」

 ある日の放課後。

 雑談部の部室ではお馴染みになった光景が広がる。つまり、桔梗が誰とも知らない人の悩み相談を華薔薇に解決してもらおうと持ちかける。

「いろんなことにで手を出すのは悪いことじゃない。好奇心旺盛ということよ」

「あれま、今回は珍しく否定しないのな」

 桔梗の想像では最後まで成し遂げないと意味がないじゃない、投げ出すなんて愚かね、といった言葉を覚悟していた。

 当てが外れて拍子抜けである。

「そっか、好奇心は猫をも殺すけど、華薔薇の理不尽な怒りも殺すのか」

 上手いこと言った、と桔梗がドヤ顔をする。これを気に食わない華薔薇は言葉を付け足す。

「最後までやり遂げたことがない、はっ、目標が高すぎて、環境が整ってなくて計画が杜撰で集中できてないのよ。本能の赴くままに生きるバカなのかしら?」

「ごふっ、すまん、俺が余計なことを言ったばかり、フィソステギアを傷つけてしまった」

 華薔薇の口が悪いのはいつものこと、特段桔梗が気に病むこともない。

「そもそも、いろんなことにチャレンジして失敗をいくつも経験しているのに、やり遂げる方法にチャレンジしてないのが不思議よ。どうしてできない状態のまま、新しいことにチャレンジするのよ? できないに決まっているじゃない」

 華薔薇には不思議でならない。できないままなのに新しいことにチャレンジする意味が。

 運転免許を持っていないのに、自動車の運転をするようなもの。事故が起こるのは当たり前。

 事故を起こさないためには教習所に通って運転免許を取得するのが先だ。恙無く行動できるようになってから、挑戦しないと失敗する。

「つまり、やり方を学びなさい、ってこと?」

「そうよ。説明書を読まずに組み立てても、どれがどこの部品か分からないでしょ。説明書が必要なくなるのは、何度も経験してからよ」

 人間は得てして自分ならできると思い込む。自分は特別だ、自分には必要な能力が備わっていると錯覚する。

 残念ながら最初から完璧にできるのは一握りの天才だけだ。自分が天才だと思うのなら、説明書は捨ててしまおう。

 少なくとも、最後までやり遂げた経験のないフィソステギアは天才とは違う。どこに才能が眠っているか分からないが、チャレンジしたことをやり遂げる才能がないのは確かだ。

「それじゃあ、どうしろってんだ? 何かをやり遂げるための説明書はどこにある?」

「本屋にでも行けば、その答えとなる教科書は売っているわよ。だから、フィソステギアは本屋に行きましょう」

「そっか、本屋か。本屋は何でも揃ってるもんな。よし、フィソステギアには本屋に行ってもらおう。ってなるかぁ!」

 桔梗の盛大なノリッツコミが炸裂する。やはり雑談部はこうでなくては、と華薔薇は内心ほくそ笑む。

「人間の悩みのおおよそが本屋に行けば解決できるとしても、ここは雑談部だろ。フィソステギアの悩みを解決する雑談しようよ」

「はぁ、仕方ないわね。それじゃあ、今日は目標をやり遂げるために押さえるべきポイントを雑談しましょう」

 いつものごとく華薔薇は雑談を始める。


「当然だけど、最後までやり遂げるには目標の設定が必要不可欠。ゴールが決まってないと、いつまでも走り続けないとならない」

「そうだろうな。ジグソーパズルは完成したら終わりだけど、お金持ちには際限がないみたいなことだろ」

 終わりがなければ、終わりで終わらせることができない。最後が決まっているなら、やり遂げたら終わりだ。しかし、お金持ちになりたいなら、どれだけお金を持ったら目標を達成できるのか不明だ。

「だから最初に目標を決めることが肝要。そして、その目標は具体的であること。ダイエットが目的なら痩せたいではなく、5kg痩せるにする。自分が望んでいるものを明確にしてくれる。曖昧なままだと人は進めない」

 絵が上手くなりたいなら、基準が曖昧になる。どの程度のレベルに達したらいいかが分からない。人によって感性も違うので、上手い下手の好みが別れる。

 なので、コンクールに入賞するやSNSに投稿して10000いいねをもらうなど、具体的な目標を与える。

「まず何より、具体的で詳細なイメージを考えることが最後までやり遂げる第一のステップよ」

「ふむふむ、具体的な目標か。俺の場合だと、華薔薇をぎゃふんといわせることだが。ぎゃふんって何だ? 驚かせること? それともぐうの音も出ないようにすること? どっちも違う気がするな、華薔薇はどう思う?」

「知らないわよ。桔梗がどうなりたいかでしょ。私を屈服させたいのか、それとも返す言葉をなくさせたいのか。桔梗の願望次第よ」

 桔梗の荒唐無稽な目標に華薔薇は普通に雑談する。普通なら言い負かそうとしている人にアドバイスをしないだろうが、華薔薇は雑談なら内容を問わず大歓迎だ。

 そもそも桔梗が負かそうとしている相手にアドバイスを求めている。これも普通はあり得ない。

 桔梗の素直にアドバイスを求める姿勢が雑談部には必要かもしれない。

「明確な目標が決まったら次にするのは、やるべきことの洗い出しよ。ダイエットなら、1日1食の食べる量を半分にする。週に2回ジムに通う。目標達成には具体的で自分でイメージのできる行動が思い浮かぶかが成否を決める」

 資格が取りたいなら毎日30分勉強する。より効果を高めたいなら、勉強する場所、時間や日付を決めて詳細を詰めること。

「ふむふむ、それなら俺もできそうだ。華薔薇をぎゃふんと言わせるには口の上手い人から学ぶことが大切だ。やるべきことは、毎日頭のいい人と会話すること、だな」

 喋りが達者になりたければ喋るのが一番。幅広い知識を持っている人、専門的な知識を持っている人、ブラックジョークが上手い人、多種多様な人から話術を学べば、桔梗の口も今まで以上に回るようになる。

「いいんじゃない。習うより慣れろ、スキル習得の基本ね」

 桔梗の話術スキルが上がって華薔薇に損はない。むしろ雑談部が盛り上がる要素になりうる。

「明確な目標を決めて、具体的な行動を決めて、次に何をすると思う?」

「目標と行動が決まってんだろ、それなら実践あるのみだ!」

「ぶぶー、不正解。次にすることは障害を考えることよ。ダイエットなら、友人からの食事のお誘いやお菓子のお土産なんかね。障害を先に知っておくと対処法を考えられる。咄嗟に選択を迫られて、最良の選択肢を選び取るのは不可能」

 対処法を決めていれば、この場合はこうする、それはそれ、などと話に流されなくなる。

 人は言い訳する生物だ。友人に誘われたから仕方ない、と言い訳していたら、いつまでもダイエットは成功しない。

 先に想定することで目標から遠ざかる行動を減らせる。

 道具が壊れたらどうするか、参考書を忘れたらどうするか、嫌な上司のせいで時間を取られたらどうするか、これらを先に想定すれば適切な対処ができる。

「目標が決まれば、次にするのは計画を立てること。確実に行うためにはいつやるかをあらかじめ予定に入れる。月曜、水曜、土曜の朝に30分する。火曜、木曜、日曜に帰宅したらする。事前にいつやるか決めると、達成確率が2倍から3倍に高まるのよ」

「いつやるか決めるのか。俺なら、放課後になったら雑談部に行く、ってのも当てはまるのか?」

「雑談部で活動するのを達成したいなら、その行動計画は有効ね」

 既に桔梗は放課後に雑談部に来るのが習慣になっている。今さら予定を入れる必要はない。

「この『いつ』は時間で決める必要もない。何々という状況になったら、でもいいの。桔梗がつまらないことを言ったら、桔梗の醜さに耐えられなくなったら、みたいにね」

「おい、こらっ! 俺のイメージが著しく不当だ。もっといいイメージがあるだろ」

「はて?」

「おぃぃぃっ! 俺のイメージがぁぁぁ!」

 残念ながら華薔薇の脳内には桔梗の立派なイメージは該当なし。

 いつ、は何でもいい。スマホを触ったら、漫画を読み始めたら、上司に話しかけられたら、時間ができたら、など。条件は特にない。

 ただ、誘惑にかられそうな時に設定すると、誘惑をはね除けて望ましい行動を取れるようになる。

 目標達成の障害の前に設定するのが一番だ。

「目標を達成したいなら、さっさとカレンダーに予定を書くことね。忘れるようならリマインダーを設定したらいい。便利な機能は使わないとね」

「……結局、俺のイメージについてはノーコメントなのね」

 雑談部の進行は華薔薇に委ねられている。桔梗がどうにかして、主導権を握らないと雑談部で発言を押し通すことはできない。

「予定を入れて目標のために活動を始めたら、適宜フィードバックをして進捗を確認しないといけない。これを怠るとやる気がなくなって続かなくなる」

「なるほど。ダイエットが目的なら1kg痩せた2kg痩せたって確認することだな」

「それも悪くないのだけど。すぐに目に見える成果ばかりじゃないのよ。ダイエットなんて1日2日じゃ、ほとんど変化がない。それなのに数字を追うと進捗が感じられない」

 数字は分かりやすい指標となるが、ダイエットはそれなりの期間をかけて行うもの。数日では成果を感じられず、やる気を削ぐ原因になってしまう。

「ダイエットなんかは望ましい行動をした回数を数えるのがベストよ。運動をした、食事を減らした、スイーツを食べなかった、これらの行動を記録して数を積み上げていくのが大事よ。カレンダーに○とか数字を書き込んで見えるようにしなさい」

「そっか、目標のための行動の回数を書くんだ。お手軽だし、後から確認するのも楽だな。それなら俺でもできる、今日からやってみよ」

 長く続ければ続けるほどに数が溜まっていくので、数を途切れさせないためにも行動するようになる。

 やる気がなくなる原因は多数あれど、自分の成果が見えないことも関係している。これは何のためにやっているのだろうがか、そんな思いが続ける気力を奪う。

「目標までの道のりは、残っているものに目を向けなさい」

「それってどういうこと? さっきは進捗を確認しろって言って、次は残ってるものって矛盾してない?」

「確かに積み上げたもので進捗を確認するのは大事。でも所詮は過去のこと。それらに囚われてはいけない」

 努力が目に見えると嬉しくなる。それに満足していては先には進めない。

「たとえば、桔梗が100個の英単語を覚えないといけないとする。桔梗は毎日家に帰ってから勉強して、50個の単語を覚えました。さて、桔梗はこの時、どう思う?」

「そりゃ、頑張ったなぁと思うだろ。それにまだ50個もあるのかって憂鬱になるんじゃね」

「それよ。まだ50個もあると思える思考が大事。もう50個も覚えたと過去に目を向けると早くに達成感を覚えてしまって、気が緩む。結果、目標達成ができない」

 学生を対象にした実験で明らかになっている。

 試験を控えた学生を二つのグループに別け、片方には「覚えなければならないことが52%残っている」と伝えた。もう片方のグループには「すでに48%は覚えました」と伝えた。

 伝えた言葉の意味は同じでも、前者のグループはやる気が後者のグループより格段に高かった。

 やり遂げた内容にフォーカスを当てると達成感を得てしまい、やりきった感覚に陥るのでそこから進まなくなる。

 他の目標に目移りして、結果的にどれもが中途半端に終わってしまう。

「あれ、俺ってナチュラルに目標達成できる思考の持ち主だった?」

「みたいね」

「ふふーん、どうだ見直したか?」

「そうね。今まで達成した目標があるなら、敬意を表しましょう」

「…………えっーと、ちょっと待って、今思い出すから…………」

「…………」

 時間切れ。

 目標達成の思考の持ち主でも使わなければ宝の持ち腐れ。

 桔梗が華薔薇から敬意を表されるのはいつになることやら。

「目標達成したことがない桔梗に質問。目標を達成するのは簡単、それとも難しい?」

「今まで散々目標達成の方法を雑談したんだ、目標達成は簡単だ」

「残念ね。桔梗はこれからずっと目標達成はできない」

「なんでっ!?」

 質問に答えただけでどうして目標達成ができない烙印を押されるのか、まるで理解できない。

 桔梗は不服を現すためムスッとした表情で腕組みをする。

「目標は簡単に達成できると考えると、慢心してしまうのよ。必要な準備をサボるから失敗するのよ。格下の相手と思って油断してたら、負けるわよ」

「言われてみれば、そうかも。ネット対戦でランクが下の奴と当たって、余裕ぶっこいてたら負けたんだよ。くそっ、油断しなかったら余裕だったのに」

「それはそれは、ウサギとカメね」

 当然のごとく桔梗はウサギだ。油断していいのは全てが終わってから。ウサギもゴールしてから居眠りをすればよかった。

「ぐぬぬ、言い返せぬ」

 慢心、油断、過信、驕り、自惚れ、思い上がりは失敗へ一直線。目標は常に高く、簡単に達成できると思ってはならない。

「目標達成は困難だと自分に言い聞かせなさい。不安に思ったことを書き出して、障害の大きさを見積もり、適切に対策する。目標達成には必要よ」

 悲観的な人はたくさんの不安に襲われるが、その都度対処法を考えていけば着実に前に進む。

 たくさん不安があるから自分はダメなんだと思わず、対策をすることで自分は何が来ても大丈夫と思うことが大切だ。

「目標のために努力をすることは自分の成長に繋がる。だから成長することに意識を向けなさい。人は努力次第でいかようにも成長するのよ」

「成長つっても生まれつきで決まるだろ」

「そんなことはないわよ。賢さ、性格、身体能力、これらは努力で伸ばせるのよ。私だって昔は下から数えた方が早い成績だったわよ」

「えっ、嘘だろ!? 華薔薇が成績ド底辺だなんて」

「私だってそんな自分が嫌だから、努力して変えたのよ。生まれつきの能力なんて当てにならないのよ」

 華薔薇も生まれた時からすらすらと覚えた内容を話せるわけではない。物覚えも悪ければ、運動も苦手だった。

 劣等感の塊だったが、嫌な自分を変えるために千差万別のテクニックをとにかく試した。中には効果がないもの、効果が微妙だったものもあったが、それらの経験が今の華薔薇を形作っている。

「だから桔梗も今あるものより、これから何をしたいか考えなさい。人はいつからでも、どんな時でも変われるのよ」

「そっか、俺も変われるのか。何か勇気が出てきたぞ」

 本当に変われるかは当人の努力次第。変わろうという意思がなければ変わらない。

 環境や行動を変えれば自ずと人は変わる。

「変わりたいなら、失敗の言い訳を自分以外に求めないことね。失敗したのはリーダーがちゃんとしなかったから、暑かったからダメだった、周りがうるさくて集中できない、こんな風に自分以外で言い訳してると、一生成長できない」

「自分以外がダメなら、自分ならいいってことだよな」

「そうよ。努力の方向が間違っていた、戦略がズレていた、計画が甘かった、反省をして次に活かすことで成長する」

 外部に言い訳を求めると自分は悪くない、悪いのはあいつだとなる。反省も後悔もしない。成長しないので、永遠に同じ場所に留まり続ける。

 対して、自分のせいにすると、努力を続けられる。反省も後悔もするのでパワーアップして帰ってくる。

 自分でコントロールできる範囲に原因があれば、成功も自分の努力次第でどうにでもなる。この思考が目標達成に寄与する。

「何かまずいことが起きたら、まずは自分の何が悪かったか考えること。そして反省して対処法を模索する。これで次からは同じ失敗をしなくなる」

「言われてみれば単純な構造だな。失敗したら修正、これを永遠と繰り返すわけだ」

 泥臭くてもちょっとずつでも進んでいれば、いつかはゴールにたどり着く。ただ、それだけの話だ。

「まっ、その簡単なことができないから、人間は苦労しているのよ」

「世界はいつだってシンプル、物事を複雑にしてるのはいつだって人間ってわけだ。くぅー染みるねぇ」

 そんな大それた発言はしていない、と否定する華薔薇。感性の違いはいかんともしがたい。

「基本的に習慣は環境を整えることが大事に変わりないが、意志力を鍛えて損はない。意志力が強いと誘惑をはね除け、進んで目標を取り組めるようになる。目標達成をアシストしてくれるに違いない」

「意志の力を鍛えるのか。寝不足になると分かっていてもゲームをせずにはいられない。そんな時に意志力があれば、ゲームをしなくなるんだよな」

 ダイエットをしている時にスイーツが出ても意志力が強い人は我慢できる。意志力が弱いと我慢ができない。

 どちらの人が目標達成できるかは明白である。

「この意志力は気の進まないことをやっていると鍛えられる。エスカレーターやエレベーターを使わず階段を利用する、猫背に気づいたら背筋を正す、集中力がスマホに奪われたらスマホを手放す。取り組む価値がある行為を続けていれば、知らず知らずに意志力が鍛えられる」

 他にも利き手じゃない方の手を使うことでも意志力は鍛えられる。

「分かっちゃいるけど、簡単にはできないんだよな。何かいい方法はないか?」

「最初は道具の力を借りたらいいわ。姿勢の歪みを検知してくれたら教えてくれる機械や、スマホの利用時間が一定を越えたら通知してくれるアプリ、忘れても強制的に思い出させてくれる文明の利器を活用すること」

 慣れない内は条件を設定しても忘れてしまう。音や振動で教えてくれると、一緒にやるべき行動を思い出す。少しずつ慣れていって、最終的には習慣になっている。

「意志力は生活しているとどんどん消耗していく。お昼に何を食べるかでも意志力は消費するし、笑顔を絶やさないことでも減る。もちろんストレスを受けても減る。だから定期的に回復に努めるのが重要よ」

「意志力を回復させるにはやっぱり休憩が必要?」

 回復と聞くとすぐに休憩が思い浮かぶ。

「休憩も悪くないけど、ゆっくり休憩する時間がない場合もある。そんな時は意志力がすごい人を思い浮かべるだけでも、意志力は回復する。我慢強い人、誘惑に負けない人、芯がある人、意志が強い人を思い浮かべると大きな手助けになる」

 私もこれに助けられたわ、と華薔薇は言葉を続ける。最初から何でもできる天才ならともかく、一般人は一つ一つ鍛えて成長するしかない。

 成長は大きな自信となって、人とは違う成功を手にできる。

「うーん、誰だろ意志が強い人? 華薔薇のブレのない芯の強さとか」

「あら、ありがと。でも、桔梗の胸の内に私がいると思うとゾッとするわ。だから他の人に当たって。ああ、でも、他の人も不憫だから桔梗は誰も思い浮かべないのが世間のためね」

「俺への当たりがきつくない!? 褒めてんだから、いいじゃねぇかよ。少しくらい見逃してくれよ」

「褒めたら、何でも許されるのは大間違いよ。桔梗が見ず知らずの女性に「おっぱい大きくて、腰はくびれて、いい体してますね」なんて褒めてみなさい。即セクハラで訴えられるわよ」

 褒めるというのは発言する側の主張だ。受け取る側の感情は無視されている。

「……しゅん。反省したので許して下さい」

「理解したならいいのよ」

 いたたまれなさから桔梗が普段より二回りも三回りも小さく見える。

 堂々としてる華薔薇は迫力があるので、実際より大きく見える。どんな無茶な理論も堂々とするだけで説得力が増すので不思議だ。

「意志力を回復させる時間が取れるなら、笑うのが効果的よ。笑うことで意志力は復活するし、活力も漲る。だから、笑える動画をいくつかストックして、疲れた時に見返すとその後の集中力が桁違いよ」

「笑いで意志力が回復だって! 何それすげーいいじゃん」

「桔梗の場合、授業の前の休憩時間に数分でいいからお笑い動画でも見なさい。授業への意欲が全然違うから」

 笑いには各種効果が確認されており、笑う人はモテたり、笑うと独創性が高まったり、笑うと集中力が上がったり、笑うと炎症を抑えてアンチエイジングに効果があったり、と笑いの効果は計り知れない。

 休憩時間をSNSのチェックに使って、休憩時間なのに余計に疲弊するより、お笑いを見て笑っているのが一際有益である。

「お笑いを見て意志力が回復するから調子に乗って限界まで追い込むのはダメよ。意志力にも限界はある。使いすぎれば枯渇する。追い込みすぎるとヘトヘトになっちゃって、逆に効率が悪くなる」

「なるほど。やりすぎはダメなんだな」

「やりすぎるとやる気なんかもなくなっちゃうからね。でも、疲れないのも問題。意志力を鍛えるには適度に疲れるくらいじゃないと意味がない。筋肉の超回復と一緒で、ある程度傷つけないと元より大きくなってくれない」

「ムズいな。やり過ぎてもダメ、楽過ぎてもダメ。にっちもさっちも行かないな」

「それは自分で試すしかない。人によって適量は異なる。1日が終わって余裕を感じるなら負荷を増やす。ヘトヘトになってやる気が起きないならやり過ぎ。最初は一つ一つ試して、自分の限界を知ることね」

 自分にできることを知るのは大切だ。できることを知っているとできないことに時間を使って無駄にすることもない。そしてできないことを受け入れることも大事だ。

 できないことを一所懸命やってもできない。できないことでイライラし、不満を溜めて最後に爆発する。

 人間は得てして不可能なことに挑戦して失敗する。空を飛べると信じて、高い場所から飛び降りても地面に落下するだけ。人は空を飛べないと知っていたら、まず飛び降りはしない。

 賢明な人はライト兄弟のように飛行機を作って空を飛ぶ夢を叶える。できないことをすっぱり諦めて、できることを組み合わせて別の道を模索するのが賢い選択だ。

「自分の限界か。俺は雑談部から帰ったらいっつもヘトヘトなんだけど、華薔薇はもう少し手加減してくんない?」

「えっ、嫌よ。どうして私が桔梗に合わせないとならないの。むしろ、桔梗が忍耐力や精神力を鍛えなさいよ」

 華薔薇はできない人に合わせる気はない。そもそも雑談部はただの部活動だ。誰かに強制されるでもない。桔梗が雑談部に居続けるのは桔梗の意志だ。

「くそったれぇぇぇ! だったら雑談部を徹底的に利用してやる。俺の意志力を築く土台にしてやるぜぇ!」

 桔梗が雑談部を利用、いや悪用しようと華薔薇は関知しない。華薔薇が好き勝手やるように、桔梗も好き勝手やって問題ない。

 お互いに利用すれば文句もあるまい。

「最後に一つアドバイス。やめるべきことより、やるべきことに集中しなさい。ダイエットなら、間食をしないより今日の運動は何をしよう、と考えるのよ」

 アメリカの心理学者ダニエル・ウェグナーが行った有名なシロクマの実験がある。

 参加者にシロクマの生態の映像を見せる。参加者を三つのグループに別け、それぞれのグループに別々の指示を出す。

 Aグループは、シロクマのことを覚えておくように、と伝える。

 Bグループは、シロクマのことを考えても考えなくてもいい、と伝える。

 Cグループは、シロクマのことは絶対に考えないで下さい、と伝える。

 一定期間の後にそれぞれのグループにシロクマのことを聞くと、最もシロクマのことを覚えていたのはCグループだった。

 考えるなと言われると人はついつい考えてしまうので、逆に参加者はシロクマのことを覚えていた。

「やめようやめよう、と頭で何度も繰り返すと逆にそのことばかりに意識が向いちゃうの。だから、お菓子を食べない、お菓子を食べないと言い聞かせるとお菓子が気になって仕方ない。いつしかお菓子に手が伸びる」

「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ、と思うと逃げたくなっちゃうってことか」

「……ええ、そうね。そうかもしれないわね」

 華薔薇は桔梗の小ボケを綺麗にスルーする。

「目標達成したければ、準備を怠るなという話よ。やる気に頼らないこと、やる気には波があるから、やる気が底辺の時でもできる環境を用意することね」

「つーか、目標達成のテクニックって色々あるのな。明確な目標、予定を先に入れたり、残っているものを考えたり、簡単だと油断しなかったり、意志力を鍛えたり。これだけあれば、目標達成するのも夢じゃないぜ」

「効果のあるテクニックを使えば、目標達成する確率は2倍にも3倍にもなる。だから知識はすごいのよ」

 華薔薇と桔梗に差があるとするなら必要な知識を知っているか知っていないかの違いでしかない。

 必要な知識を必要な場所で使える華薔薇は効率よく物事を進めていける。

 知識のない桔梗は行き当たりばったりで物事を進めるので、間違いが多く効率も悪い。

「よっしゃ、俺は華薔薇をぎゃふんと言わせるだろ、試験で赤点回避するだろ、もっともっと悩み相談を解決できるようになるぜ」

「ああ、一つ言い忘れていたわ。というより、当たり前すぎて言う必要がなかった。大きな目標は一つに絞りなさい。複数同時に大きな目標を掲げると目標そのものを忘れてしまう。忘れ去られた目標を達成するのは絶対に不可能」

「そ、そんなぁ……」

 桔梗の口から情けない言葉が漏れるが華薔薇は気にしない。

「目標達成は一つ一つ着実にこなすことよ」

 絶対に達成したい目標を一つ決め、その目標を達成したら次の目標に進む。あれもこれも同時にこなせる器用な人は稀少だ。

 自分が特別で他の人より、器用な自信があるなら挑戦してもいい。十中八九失敗に終わるだろうが。

「目標が複数あるなら優先順位をつけて順番にこなしなさいな」

「マジかぁ。どれも同じくらい大事なんだけど、どうやって優先順位つけんの?」

「自分で考えなさい」

「ええー、無理だって。優先順位の付け方の雑談してくれぇ!」

「うーん、いつか気が向いたらねっ」

「そんなぁ…………がっくし」

 膝から崩れ落ちる桔梗。誰かの悩み相談に関する雑談はしても、自分の悩みに関する雑談はされない。

 雑談部は面白おかしくお喋りする場所だが、華薔薇の恣意で活動している。

 桔梗は一人の悩みを解決する代わりに自分の悩みを一つ増やして、本日の雑談部の活動は終了するのだった。

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