第32話 世にも不思議な動物たち

「おつかれー、華薔薇。今日はお悩み相談はなしだ」

「にゃー」

「は、は、はっ、華薔薇がネコになってるぅぅぅっ!」

 ある日の放課後。

 雑談部の部室に入った桔梗は中の光景を見て叫ぶ。普段華薔薇がいる場所にある机の上に三毛猫が鎮座している。

 人間がネコに変身するなんてあり得ないが、いつも華薔薇がいる場所にネコがいたので桔梗は華薔薇がネコになったと勘違いした。

「いや、華薔薇がネコになるはずないよな。ってことは迷子?」

「何があったかと思えば、ネコが迷い込んでいたのね」

 桔梗の叫びは廊下にいた華薔薇にも聞こえていた。意味の分からない内容に「また、いつもの発作ね」と呆れていた。

「ああ、華薔薇、そうなんだよ。俺が来た時には机にネコが鎮座してたんだよ。どうすんの?」

「少なくとも雑談部が解決する案件ではないわね。生徒会に頼みましょう」

 速やかに華薔薇は生徒会に連絡する。時期に引き取りに来るとの言質を取る。

 生徒会が来るまでは雑談部で預かることになる。


「可愛いな。名前とかあるのかな? 首輪とかないし野良かな?」

「かなり大人しいわね。見知らぬ人に囲まれて怯える様子もなく、くつろいでいる。桔梗と違って大物ね」

 ネコは元いた場所から動かず、毛繕いに精を出している。大物なのかのんびりしているのか、これだけでは判別できない。

「撫でても大丈夫そうだな。よーし、いい子だから、逃げないでくれよ。お、おおう、ふわふわんでさらっさらだ。滅茶苦茶気持ちいい」

「にゃーん」

 ネコはもっと撫でろとばかりに桔梗の手のひらに体を擦り付ける。

「かなり人に慣れているようだな」

「そのようね。おっと、急に飛びかからないでちょうだい、危ないわよ」

 ネコが逃げないことを確認して、華薔薇も近づく。ネコは机から急に飛んで、今は華薔薇の腕の中に抱かれている。

「やっぱり動物はいいわね。可愛いし、見てるだけで癒される。桔梗とは大違いよ」

「そこで俺を引き合いに出す理由はないだろ。癒されるで止めろよ」

 華薔薇の最後の一言は確実に余計な一言であった。ネコを目の前にして華薔薇も判断能力が疎かになる。

「いいなぁ、いいなぁ、俺もネコ抱きたい。それで思う存分、肉球を撫で撫でしたい!」

「桔梗は肉球の正式な名称を知っているかしら?」

「えっ? うーん、考えたこともなかったな。さっぱりわからん、っていうか肉球が名前じゃないんだ」

「正式には蹠球(しょきゅう)よ。覚えておくように」

 足裏部に見られる、盛り上がった無毛の部分の名称が蹠球。

 構造としては前足の裏の中央の大きめの肉球を掌球。

 掌球の周りに並んだ5つの肉球を指球。

 掌球の上部にある肉球を手根球。

 後ろ足の中央の大きめの肉球を足底球。

 足底球の外側に4つ並んだ肉球を趾球。

 肉球とまとめて呼ぶが、ちゃんとそれぞれに名前がついている。

「肉球には獲物に気づかれなくするために足音を消す役割がある。それに足裏には地面の振動を感じ取って、音を聞くための重要な器官でもあるの」

「へぇ、そうなんだ。肉球ってプニプニしてるだけじゃないのな」

「つまり、足の裏は非常に敏感よ。だから、人間の都合だけで触らないこと。もしかしたら、ネコにはいい迷惑かもね」

「……お、おう。そう言われちゃ、肉球プニプニはまたの機会にするよ」

「んにゃーん」

 お前わかっているじゃないか、とばかりに華薔薇に抱き抱えられたネコが返事する。

 足の裏で感じ取った振動が音として聞こえるのは、骨伝導で耳に伝えるからだ。

 特にゾウは30キロメートル離れた仲間と足踏みでコミュニケーションが取れると言われている。動物によって足裏は重要な機能を担っている。

「今日はネコもいることだし、動物について雑談しましょうか」

「おっ、いいねぇ。俺も動物大好きだぞ」

「奇遇ね、私も動物は好きよ。でも、桔梗という名前の人間は好きじゃないけど。あら」

「おい、こらっ! また、余計な一言を追加すんじゃねぇ。無駄に俺が傷つくだろ」

 桔梗が反論している頃、ネコは華薔薇の腕から逃れ日の当たる窓際に移動する。部室は人間用に作られているので、床も机も暖かくない。

「それで、何か言ってたしら? ネコに夢中で聞いてなかった」

「……もう、いいです」

 雑談部としてあるまじき失態。華薔薇は抱っこを逃れたネコを追いかけて桔梗の話を聞いてなかった。会話を主とする雑談部で話を聞かないのは部のアイデンティティを揺るがす。

「そう。なら、気を取り直して、桔梗に動物ついて話してもらいましょう。豆知識でも雑学でもトリビアでも、何でもいいわよ」

「実質一択じゃねぇか。でも、そうだな、動物の知識だよな。うーん、オオカミはかっこいい」

「…………はぁ、桔梗に聞いた私のミスね。桔梗から何か意義のある言葉を引き出すのは不可能よね」

 桔梗とて、会話が下手ということはない。ただ、知識を求められるとスマートな回答は得られない。

 今回ばかりは桔梗と雑談するより、ネコとじゃれ合う方が有意義な気がする華薔薇だった。

「はぁ、桔梗に期待するのはやめましょう。バカだから仕方ないわね。そういえばバカで思い出したのだけど、オオメジロザメは淡水でも生きられる強靭な腎臓を持っていたり、ホオジロザメは獲物を奇襲する知能を持っていたり、大変素晴らしい生き物だけど、桔梗と同じくバカなサメもいるのよ」

「その思い出され方は不服だが、滅茶苦茶面白そうじゃねぇか。俺ってば興味津々、サメの生態を教えてプリーズ」

 華薔薇の頭の中では、バカという共通点で桔梗とサメを結びつけて記憶から引っ張り出した。

 既に持っている知識と新たな知識を結びつけると記憶に残りやすい。勉強のテクニックが垣間見えた。

「海に生息する普通のサメは淡水域に侵入すると体内に水が溜まって最終的には破裂する。しかし、オオメジロザメの腎臓は強靭で、血液から塩分を含んだ尿素をどんどん除去するから、淡水域でも生きていけるサメよ」

「淡水にも行けるって単純に住める場所が増えるんだよな。獲物を広範囲から探せて、天敵からも逃げやすそうだ」

 行動範囲が広くなるとエサをいろんな場所から調達できる。さらにセーフエリアが見つかる可能性も高くなる。行動範囲は生存戦略に直結する。

「亜熱帯から亜寒帯まで世界中に分布するホオジロザメは体長が6メートルを越えて成長する。そんな大きな体を維持するのにゾウアザラシは打ってつけ。大きくて栄養もあるから、一頭獲れば一年過ごせるご馳走よ」

「一頭で一年も!? そりゃすごい」

「とは言えゾウアザラシも大きい個体は3トンにも及ぶ。真っ向勝負はホオジロザメも分が悪い。そこで知能を発揮するの、ホオジロザメは深い場所から一気に急上昇して、ゾウアザラシを奇襲する。一撃を入れても油断せず、むやみに襲いかからない。弱らせて確実に仕留める」

「動物たちの頭脳戦だな。正に弱肉強食の世界だ」

 奇襲しないと勝てないホオジロザメには、反撃されてゾウアザラシの傷跡が残っている個体も多い。

 獲物ではあるが、恐れもする存在なのだ。

「桔梗には到底不可能な駆け引きね」

「またか!? 今日は何回貶されるの?」

「オンデンザメ、もしくはニシオンデンザメは本能の赴くままに獲物を食べる。トナカイやホッキョクグマがお腹から出てくるケースもあるそうよ」

 食い意地の張ったオンデンザメはとにかくなんでも食べる。魚類、イカ、タコ、甲殻類、海産哺乳類、生物の死骸までも食す。

「バカというより食い意地が張ってるのが正しいかもね。オンデンザメがすごいのは食い意地だけじゃない」

「獲物を食べるために歯が進化したとか?」

「サメは鋭い歯を持っているのは間違いない。でも不正解。オンデンザメがすごいのは生命力。ニシオンデンザメは成熟するのに150年、体長が5メートルの個体は400年前後生きているそうよ」

「くわぁー、400年かよ。またまたスケールの大きな話だな」

 主に深海に生息している。大きさの割りに筋肉の水分が多く、俊敏に動かせない。そのため動きが鈍く泳ぐスピードは遅い。

「世界には俺たちが想像もつかないような生き物がうじゃうじゃいるよな」

「知られているだけで地球には175万種確認されている。未知の生物を含めると地球上には500万種から3000万種いるとされる」

 既知の生物種の内訳は、哺乳類は約6000種、鳥類は約9000種、昆虫は約95万種、維管束植物は約27万種となっている。

「たまげたな。全然想像できねぇや」

「桔梗のちっぽけな脳みそじゃ、そこが限界でしょうね。そうそう、ちっぽけな脳みそで思い出したのだけど、脳すら再生させる驚異的な再生能力を持った生物がいるの」

「その連鎖的に思い出すのはなんなの? 今日はそんな日なん?」

 本日の華薔薇はネコに半分気を取られているので、次に話す内容を頭の中で構築できてない。そのため行き当たりばったりに雑談を進めている。

 ネコの可愛さが華薔薇の思考能力を奪っているのだ。ちなみにネコは日向で気持ち良さそうに寝ている。

「っていうか、脳も再生するのかよ。トカゲが尻尾とか、ヒトデの腕が再生する話は聞いたことある。でも脳が再生するのは初耳だ」

「ウーパールーパーよ。正式名称をメキシコサンショウウオ。桔梗も名前は聞いたことくらいあるでしょ」

「知ってる知ってるアホロートルって奴だろ」

 アホロートルは間違いではないが正確でもない。アホロートルはメキシコサンショウウオに限らず、トラフサンショウウオ科で幼形成熟(ネオテニー)した個体の総称である。

「過去にブームになったこともあるウーパールーパーは足や尻尾失っても再生可能。脳や心臓の一部が欠損しても一ヶ月ほどで元通りになる」

「一部だけなんだ。さすがに全部失くなったら再生も無理か。それでもすげーのは間違いない」

 いくら再生能力が高くても脳や心臓がごっそり失えば再生できない。当然死んでしまう。

 ウーパールーパーといえど自然の摂理には逆らえない。

「でも、どうしてウーパールーパーは再生するんだ?」

「ネオテニーが関係している。ネオテニーとは、性的には完全に成熟するけど、体がずっと幼生や幼体の性質が残ること。要は子供は作れるけど、体は大人になりきっていないのよ」

 甲状腺ホルモンの投与によって生体に変態させることも可能である。逆に言えばホルモン異常があれば、人間もネオテニー化する場合がある。

「一般的な生物の細胞は最初は何も役割を決められてない細胞、これを未分化な細胞と呼ぶ。一度役割を決めると未分化な状態には戻らない。脳なら脳細胞、心臓なら心臓細胞として一生を終える。ウーパールーパーはたくさんの未分化な細胞を持っている。体の一部を失っても、未分化な細胞が手なら手、足なら足という風に分化してくれるから、再生できる」

 ネオテニーという特殊な性質を持つからこそ、高い再生能力を獲得したのである。

 研究段階なので詳しいことは分かっていないが、深い関係があるとされている。必ずしもネオテニーが正解とは限らない。まだまだ解明が待たれる。

「面白いな。素材をたくさん持ってるのか。石とか鉄を加工して武器にしたら戻せないから、予備をたくさん持って、武器が壊れても新しい武器をすぐに作れるように準備しているんだな」

「その認識で大きな間違いはないでしょう」

 鉄なら鋳潰して再利用可能だが、細かいことは気にしない。華薔薇も桔梗も学者ではないので、正確性より分かりやすさを重視する。

「脳や心臓の一部を失っても復活するのはすごいけど、やっぱ死んでも復活するのが夢だよな」

「イエス・キリストは磔刑に処されてから三日後に復活したそうよ」

「うーん、キリスト教徒には悪いけど、死者蘇生は眉唾だろ。信用がない」

 桔梗は一般的な日本人らしく無宗教。聖書を悪く言うつもりはないが、信じられないのが素直な感想だ。

「あらそう? 生物の中には死んでも復活する種もいるわよ」

「死んでも復活する生物ね、そんな夢みたいな生物がいるはず…………えっ!? いるの?」

「いるわよ。ベニクラゲのことよ。ベニクラゲは直径4ミリから10ミリの小さなクラゲ。温帯から熱帯にかけて世界中の海に生息している」

 ウーパールーパーの再生能力は驚異的だが、寿命は長くて10年。世界にはウーパールーパーを凌ぐ生命力を持つ生物がいる。

「一般的なクラゲは死んだら海水の中に溶けてしまう」

「クラゲって溶けるの!?」

「クラゲの体の96%から99%は水分。死んでしまうと細胞の結合を維持できないから、溶けてしまう。体の大きなクラゲだと一部が残ったりするわ」

 食用のクラゲは塩漬けにされているので形が残っている。何もしなければ、溶けるのは間違いない。

「ともかく、一般的なクラゲは溶けるけど、ベニクラゲは死ぬと団子状の塊になって、二日から三日で再びクラゲの姿に戻る」

 ベニクラゲは食べられたり、欠けたりしない限り死なず、若返りを繰り返す。

「生まれて、成長して、子孫を残す。普通のクラゲは子孫を残したら終わりだけど、ベニクラゲは子供に戻って、また成長する。この無限サイクルがベニクラゲを不老不死足らしめている」

「いいな、俺もベニクラゲになりたい」

「ベニクラゲの大きさは直径4ミリから10ミリ、つまり桔梗は木っ端微塵に切り刻まれたいのね」

「違ぁぁぁう。不老不死の方、大きさじゃない! 誰が米粒になりたいと思うんだよ」

 桔梗も切り刻まれたくない。そもそも人間が切り刻まれたら死ぬ。まだまだ叶えたい夢がある桔梗はこんなところで死ねない。

「人間が不老不死に近づくには、食事、運動、睡眠の3つは欠かせない。変な幻想を抱く前に確実にこなすことね」

 人体に関することなら、食事、運動、睡眠の3つにしかるべき対応をしていれば、大きな失敗はなくなる。

 革命的で画期的な技術にすがりたくなる気持ちはわかるが、地道にコツコツするのが大切だ。

「はいはい、わかりましたよ。俺は地道に頑張って生き延びますよ」

「いい心がけね。生き延びると言えば、やはりクマムシは外せないでしょう。宇宙空間に放り出されても生き延び、151℃の高熱にさらされても、マイナス273.15℃の絶対零度でも死なない。真空だろうと、75000気圧でも楽々耐える。水がなくなっても休眠状態になって、復活を待つ。それがクマムシよ」

 体長0.5ミリから2ミリほどの大きさで、熱帯から北極や南極、深海の海底からヒマラヤの高山地帯まで、あらゆる場所に広く分布している。

「おいおい、クマムシとやらの環境適応能力はえげつないな。俺もどんな環境でも生きていける力が欲しいぜ」

「桔梗がどこにでも湧くのは勘弁してよ。ただでさえ鬱陶しいのに、行く先々で桔梗を見かけるなんて憂鬱だわ」

「俺は一人だよ。世界中に分布しないぞ!」

 桔梗が分裂する想像をして滅入る華薔薇。ネコに心奪われて、やはり思考が普段とは違う方向に進んでいる。

「なーう」

「あら、起きたの? 本当に君は可愛いねぇ」

 華薔薇は嫌な妄想を打ち払うべく、ネコを撫でる。顔回りをゆっくり撫でてやれば、気持ち良さそうに目を細める。

「ここが気持ちいいの、そうかそうか。ここがいいんだね。よしよし」

「…………」

 凛とした普段の姿から想像できないくらい甘々な態度に桔梗が固まる。普段のイメージと違いすぎて、どう声をかけていいのか分からない。

「これが、ネコの魅力か」


「さて、何を雑談していたのだっけ? あんまり思い出せないわね、まあ、いっか」

 一通り撫でられて満足したネコは現在部室を探検中。気の赴くままにちょっかいをかけている。

「桔梗は何か動物のことで聞きたいことはあるかしら?」

 ネコと戯れて上機嫌な華薔薇は桔梗の疑問を解消するべく問いかける。

「いつも毒舌な華薔薇が優しいだって……もしかして偽物か!?」

「失敬ね。人の好意を無下にするなんて、地獄に落ちなさい」

「華薔薇はやっぱり華薔薇だったぁ!」

 優しい華薔薇も悪くないが、桔梗は見慣れない姿より、普段の攻撃的な華薔薇の姿に安堵する。

 桔梗の華薔薇に対するイメージは固定されている。新たなイメージは受け付けない体になってしまった。

「そうそう、毒舌ついでに生物の毒の話をしてあげましょう。毒と聞いて桔梗はどんな生物が思い浮かぶ?」

「毒か、そうだなヘビ、サソリ、クモとかかな? 後はフグだな」

 ヘビやサソリは毒を持つ筆頭生物だろう。

「フグが毒を持つようになったのは仲間を守るためよ」

 華薔薇が選んだのは爬虫類でもなく節足動物でもなく、魚類のフグだった。

「俺と同じで仲間思いなんだな。でも毒と仲間を守ることにどう関係があるんだ?」

 桔梗とフグが同じ仲間思い、に引っかかる華薔薇だったが、スルーする。

「フグの毒というのは自らの体内で生み出すのではなく、プランクトンが持っている毒を体内に溜め込むことで利用している」

 ヘビなどは体内の消化液を進化させて毒にしている。フグなどはプランクトンが持つ毒をせっせと集めて武器にしている。一般的なフグには毒を自ら作り出す能力はない。

「マジかよ!? フグって毒の収集が趣味だったのか」

 フグは進化の過程で毒を溜め込む力を手にした。決して趣味で毒を集めていない。

「フグの趣味は横に置いて。フグの毒が仲間を守る所以は、フグを食べた生物は毒で死ぬか、体調を崩すことになる。すると生物は学ぶの、フグは危険だって。だから、フグは自分が食べられても、同類は食べられなくなる」

「なるほどなぁ。一度痛い目に逢うと次からは警戒するってことか」

「問題があるとすれば、学習能力のないバカには通用しないのよ。フグを食べて体調を崩しても、フグの危険性や姿形を忘れるようなおバカさんには全く意味をなさない」

 仲間を守れるのは相手に学習能力がある前提。危険な生物にわざわざ手を出すのはバカだけ。

 フグが進化の過程で毒を溜め込む能力を手にしても、バカには勝てない。

「ちょっと疑問なんだけど、フグって毒を集めるんだよな。それって危なくない?」

「テトロドトキシンという神経毒は人間なら1ミリグラムから2ミリグラムで死に至る。でも、フグには無害よ」

「そりゃそうか。自分で集めて、自分で苦しんでたら世話ないな」

 人間の場合、ナトリウムイオンチャンネルと呼ばれるタンパク質と結びついて、細胞間のやり取りをする神経がやられる。

 しかしフグのナトリウムイオンチャンネルは人間とは異なるので、テトロドトキシンは作用しない。

 テトロドトキシンが作用しないと言えど限度があり、人工的にテトロドトキシンの濃度を高めるとフグも死んでしまう。

 もちろん自然に取り込む分には平気である。

「フグの中でもハコフグは別よ。ハコフグはテトロドトキシンを持たない代わりに、パフトキシンという神経毒を作る」

 フグの中でもハコフグは自らの体内で毒を作り出す。プランクトンから毒を溜め込む機能は持ち合わせていない。

「フグの毒が一種類じゃないってことだな。いろんな名前を言われても俺は覚えられないぞ」

「覚えて欲しいのは別のこと。ハコフグの毒は自分にも有毒なのよ。補食されそうになって強いストレスを受けると皮膚から分泌するのだけど、自分も敵も死ぬ。まさに死なばもろとも」

「なんだよそりゃ。自分の出した毒で死ぬなんて、間抜けじゃん」

 ハコフグを狭い水槽で複数飼う際には注意しないといけない。一匹がストレスで毒を分泌すると、仲間も被害を受ける。全滅もありうる。

「なんていうか、フグって健気だな。自分で自分の首を絞めたり、仲間のために毒を溜め込んでもバカには通用しなかったり。散々だな」

「そうね、桔梗のように学習能力のないバカは自然界には一定数いる」

「待てぇい! 俺はそこまでバカじゃない。ちゃんと学習してるからな」

 そうかしら、と華薔薇は首を傾げる。華薔薇から見た桔梗は同じ間違いを何度も繰り返している。成長を感じられない。

「まあ、桔梗が成長しようが足踏みしようが私には関係ないことね。自然界にいる学習能力のないバカはアルパカよ」

「あのもこもこした奴らってバカだったのか。可哀想に」

「桔梗は知っているかしら、五十歩百歩やどんぐりの背比べ、目くそ鼻くそを笑う」

 華薔薇からすればどっちもどっちだ。

「ちくしょー。そりゃ華薔薇から見たら俺もアルパカも変わらないだろうよぉぉぉ!」

「フシャー」

「おー、よしよし、大丈夫よ。……いきなり、大声を出さないでちょうだい。ネコが怯えるでしょ」

 机の足に体を擦り付けていたネコが桔梗の大声に飛び上がる。人に慣れていても急な大声には驚く。

 華薔薇が抱えて背中をゆっくり撫でて落ち着かせる。

「すまなかった」

「大声を出したら、ネコが怯えるなんて分かりきったことでしょ。やっぱり桔梗は学習能力がないんじゃない」

「……ぐっ!」

 思わず反論しそうになる桔梗はぐっと堪える。同じ過ちを繰り返したら、それこそ学習能力がない。

「……あっ」

 周囲を見回して、脅威がないと理解したネコは華薔薇の腕から飛び出して、部室の散策に戻る。

 ネコという生物は自由気ままである。ちょっと寂しい華薔薇であった。

「ふぅ、アルパカは動物園では癒し系として人気があるけど、学習能力が皆無なのよ。どれくらいかというと、世話をしてくれる飼育員の顔も覚えられない」

「おいおい、ご飯をくれる相手を忘れちゃうのかよ。飼育員が切ないな」

「南米に生息するアルパカの天敵はピューマなんだけど、アルパカは少しでもピューマの気配を感じると一目散に逃げ出す。これは生涯変わらない」

 生物が生まれながらにして取る行動を生得的行動という。対して経験や学習によって取る行動を習得的行動という。

 人間は習得的行動の割合が多いが、アルパカはほとんどが生得的行動で生きている。

 アルパカは経験や学習とは無縁の生物なのだ。

「だからこそ、生き延びられた一面もあったりするから、生物は面白いのよ」

 とにかく危険を避けた結果、アルパカは生き延びた。天敵から逃げることに関しては随一だ。

「動物園の人気者はいい身分だな」

「それでは桔梗に桔梗に質問、動物園で人気のあるカピバラ。温泉に浸かっている姿も有名なカピバラは実はどんな性格をしているでしょう?」

「えっ、カピバラ。そうだな、やっぱりのんびりしてるイメージがあるから、温厚なんじゃないか」

「残念、不正解ね。カピバラは実は陰険よ」

「嘘だろ。全然想像つかないぜ」

 人を見かけで判断してはいけないように、世界最大のネズミにも隠された一面がある。

「カピバラはネズミの仲間、いわゆる齧歯類では最大の大きさ。オスは体長が1メートルを越える、体重も40キログラム以上。元々はアマゾン川流域の温暖な水辺で群れを作っている」

「嘘!? カピバラってアマゾンにいるの。それが驚きだよ」

 そもそも動物園でカピバラを見ても原産地を考えることはない。キリンやゾウならサバンナをイメージするが、ネズミがどこに生息しているかはイメージが湧かない。

 原産地では食肉として捕獲されていたこともある。現在では狩猟を禁止している国が多い。

「そんなカピバラなんだけど、仲間以外には徹底抗戦よ。群れに新しいカピバラを入れたら、それは血を血で洗うバトルが繰り広げられる。毛が全てむしり取られることもある。桔梗と同じくハゲちゃうのよ」

「俺はハゲてねぇ! ふっさふさじゃい」

「今は、ね」

「嘘だろ!? 俺は将来ハゲることが確定しているのか。嫌だ、ハゲは嫌だ」

 華薔薇も未来のことは分からない。桔梗がハゲるかどうかの確信なんてない。それでも意味深に呟けば、桔梗の不安を煽ることは造作ない。

「もしカピバラが仲間に迎え入れられても、序列は最下位。桔梗と同じね」

「誰が底辺陰険ハゲ野郎だ。俺はクラスで人気者の陽キャだ」

「自分で言うのは不安の裏返しかしら? 認めたくない事実があるのね」

 自分を大きく見せたり、強く見せるのは不安の裏返し。本当に自信のある人は訂正に留まる。ムキになることが弱さの証明だ。

「……ぐすん、もう嫌だ、こんな部活」

「そうそう、カピバラと桔梗の共通点がもう一つある。それはバカよ。カピバラは身の危険を感じると水の中に逃げる習性がある。でも、水の中に飛び込んだら安心しちゃうの、たとえ自分の体を隠せない水溜まりくらいの大きさでも」

「えっ、嘘だろ。丸見えの状態で安心するのか。頭隠して尻隠さず状態じゃん」

「えっ、嘘!? 桔梗が正しく諺を使ってる……今日は槍でも降るのかしら」

 桔梗の珍しく知的な行いは華薔薇を大きく驚かせる。

「これくらいお茶の子さいさいだ。見縊るなよ」

 桔梗の主張は驚きすぎて硬直している華薔薇には届かない。

「驚きすぎて次に話す内容が飛んだわ。桔梗だって時には正しいことも言うわよね」

「時にはって何だよ。俺はいつだって正しい」

 あー、そうね、と華薔薇は桔梗の言葉を流す。華薔薇が雑談部で桔梗に求めていることは正しさではない。面白さだ。

「んなぁーぅ」

「あら、どうしたの。お腹が空いちゃった?」

 ネコが華薔薇の足に体を擦り付ける。甘い声でおねだりするが、華薔薇はネコ用のご飯の持ち合わせがない。

 人間の食べ物を与えて体調を崩されても困るので、可愛くおねだりされても与えられない。

「もう少し待っててね。ご飯はもうすぐやって来るから」

 生徒会にネコの引き取りを頼むと同時にエサの調達も頼んでいる。生徒会の役員が来るまでの辛抱だ。

「抜け目ねぇなぁ」

「ネコってすごい生物でね、適応能力が高いから都市の生活に向いている。単独で狩りをするから、自身の大きさの3倍の相手だって倒す」

「意外とハンターなんだな。猫じゃらしで遊ぶ姿は可愛らしい反面、確かに鋭さを感じさせるな」

 家で飼われているネコにも狩猟本能は残っている。油断すると飼い主が怪我する原因になる。ネコの運動やストレス発散は大事だが、気を付けたい。

「ネコは人間に飼われることを選択した生物でもある。イエネコの祖先は中東のリビアヤマネコで、人間と接点を持ったのはおよそ9500年前から4000年前とされる」

 中国のおよそ5560年前から5280年前のものと見られる遺跡からは人の遺骨の他にネコの骨も見つかっている。昔からネコは人類と共存していた。

「人間が蓄えた食料庫はどうしてもネズミの被害に悩まされる。そこを野生のネコがネズミを狙って住み着くようになる。食料が守られるということで、人間はネコを歓迎した」

 ネコは人間が家畜化した生物ではなく、ネコの都合によって人間と寄り添う道を選択した。

「へぇ、人間とネコにそんな物語があったんだ。俺もネコを飼いたくなってきた」

「桔梗がネコを飼う? ふふっ」

「何がおかしいんだよ」

「人間がネコを飼うのではなく、この世界はネコが人間を支配しているのよ」

「……えっ!?」

 ネコが可愛いからネコを飼うのではない。ネコを可愛いと思うように仕向けて、人間がネコを飼うようにしたのがネコの戦略だ。

 人間はネコにコントロールされている。

 固まる桔梗を余所に雑談部に生徒会の役員が訪れる。ネコが生徒会に引き取られ、癒しタイムは終了だ。

 ネコがいなくなって気の抜けた華薔薇は雑談部の活動を終了させる。


「俺はネコに支配されている……?」

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