第22話 本をたくさん読んで内容も忘れない読書術

「今回のお悩みは、えっーとデルタ・スクルプ……トーリスさんから、なんだこの名前。ともかく、相談内容は『本が大好きです。なので本をもっとたくさん読みたいです』……だって」

 ある日の放課後。

 雑談部の部室で桔梗が誰かの悩みをぶちまける。ただし今回の内容が桔梗とは無縁のものなので気乗りしていない。

「それこそ、本を読んで学びなさいよ。私に聞く暇があるなら、本を読んで知識を吸収しなさい。答えは本の中にある」

 本が読めないならともかく、本が好きならわざわざ雑談部に相談するより、本を読めばいい。読書術に関する書籍はごまんとある。全くもって不可解な相談である。

「そんなこと言わずに、読書に関する雑談しよう。デルタなんちゃらさんももしかしたら本が読めない状況かもしれないじゃん」

「本が読めない? たとえば、どんな状況?」

 本が好きでも必ずしも本が手に入るとは限らない。それに本を読むスピードが亀の歩みより遅くて、話した方が早い可能性もある。

「お金がない、とか」

「それなら図書館に行きなさい。無料で貸し出ししてるわ」

「時間が足りないとか」

「それなら読書以外に時間を使わなければいい。余計なものを取っ払えば1日の内14時間くらいは確保できる」

「あー、えっと、ほら、目が悪い、とか」

「それなら医者に行きなさい。眼科医に見てもらわないと、読書以前の問題」

「むむっ、漢字が読めない、とか」

「それなら先に勉強するか、勉強しながら読みなさい」

「ぐぬぬ、他には思いつかない。降参だ」

 桔梗は相談者の味方をしようと奮闘するが、いかんせん知識が少ない。即座に華薔薇に反撃されて撃沈する。

「お金がないなら知識でカバーする。時間がないならお金でカバーする。でもね、知識をカバーするには知識しかない。時間とお金をかけないと知識は手に入らない」

 時間とお金の不足は知識という名の創意工夫で乗り越えられる。しかし、知識がない、つまり無知な人間は時間をかけてもお金をかけても、成果は上げられない。

 無意味なことに時間とお金の労力をかけても、積み上がるのは無意味だけ。塵も積もれば山となるが、ゴミの山をいくら築いても使い道はない。

「デルタ・スクルプトーリスに言えるの本を読みなさい、以上」

 本を読めば自ずと答えは見つかる。なら本を読めばいい。幸いなことに本好きなのだ、最初のハードルはクリアしている。

「話が戻っちゃった。じゃあ、今日は何の雑談をするのさ?」

「そうね、読書に関する雑談をしましょうか」

「天の邪鬼すぎるだろぉぉぉ!」

 それはそれ、これはこれである。デルタ・スクルプトーリスの相談と雑談部の活動は関係ない。

 悩み相談には本を読め、と提案したにすぎない。雑談部は読書にまつわるネタで雑談する。このふたつに因果関係はない。

 たまたま華薔薇が悩み相談に関係しそうなことを毎回雑談しているから勘違いしそうになるが、本来桔梗が持ってくる悩み相談と雑談部の雑談内容は一切関係ない。


「えーっと、読書に関する雑談だっけ」

 気を取り直した桔梗が仕切り直す。

「さっき言ったでしょ。もう忘れたの、鳥頭なの? バカなの? ワーキングメモリがお粗末なの? ニューロンの繋がりが希薄なの?」

「ちゃうわい、誰かさんに散々振り回されたせいだろ。っていうか俺の言われようが散々じゃねぇか」

 なんだかんだ続けてきた雑談のおかげで華薔薇の言いたいことを理解している。昔ならニューロンもワーキングメモリも知らなかった。

 着実に桔梗は知識を増やしている。

「ねぇ、桔梗。私が天香久山、畝傍山、耳成山って言ったら、ちゃんと『それは大和三山、さんざん違いやねん』ってツッコミをしてくれる?」

「無理に決まってるだろ! 華薔薇は俺に何を期待してるの? っていうか今日の華薔薇ボケすぎ。ボケの渋滞が起こってるからっ!」

 大和三山とは、奈良県の、奈良盆地南部と飛鳥周辺にそびえる三つの山の総称である。

 桔梗には大和三山の知識は皆無。ボケられてもツッコミは期待できない。

「うん、やっぱり桔梗は桔梗ね」

「なんかよくわからん間に納得された。でも、読書の雑談ができそうだ」

 雑談部が横道にそれるのはよくあることたが、始まる前からアクセル全開は珍しい。桔梗の体力も根こそぎ持っていかれた。

「な、なあ、速読ってやつができたら、本を一瞬で読めるんだろ。たくさん読むには好都合じゃん」

「桔梗が言ってるのはいわゆるフォトリーディングというやつね。一瞬でページ全体を把握して読み進める読書は完全に否定されているわ。人間には不可能ね」

「えっ、無理なの?」

 2016年にカリフォルニア大学が速読に関する論文を発表した。読書において目の動きは全体の10%以下しか影響がなく、重要性は低い。つまり眼球を素早く動かす速読術は存在しない。

 また速読の世界チャンピオンにファンタジー小説の速読を試してもらったところ、感想が「最高の一冊。子供たちの創造力を書き立てるだろう。けれども子供たちを悲しませるシーンもあった」と述べたそうだ。

 これでは本当に内容を理解しているか怪しい。本に目を通しただけで、内容を理解しているのは言いがたい。

「科学的には速読の練習は時間の無駄ね」

「そんな夢も希望も可能性もない結論なんて嫌だ」

「他にも速読を否定する研究はあってね。1999年のオールドドミニオン大学は男女150人を集めて、半数にフォトリーディングのレクチャーを一週間行い、もう半数には何もしなかった」

 フォトリーディングの訓練を受けた人と受けてない人を比べて、どのような違いが表れるかを調べる実験である。

「結果から言うと両者に違いはなかった。文章の理解力、読書スピードは普通に読む場合と同じだったそうよ」

「やっぱり夢も希望も叶もない」

 フォトリーディングが否定されただけで、たくさん読書する方法が否定されたわけではない。普通に読むより格段に早く。しかも内容も理解する読書術は存在する。

 まだ夢も希望も可能性も潰えていない。

「夢も希望も可能性も捨てるにはまだ早いわよ。なんのための雑談よ、しっかり本をたくさん読む方法は用意している」

「よかった。神は俺を見捨てなかった。この場合は神じゃなくて華薔薇が見捨てなかったのか」

 かなりの遠回りをしたが、やっと桔梗が知りたかった本題に入る。

「一回で内容を理解しようと思わないで、三回読んで理解する」

「三回も読んだら時間が余計にかかりそうだぞ」

「そんなことはない。最初は15分で一冊を通し読みする。1ページ辺り5秒くらいね。タイマーを使って時間を区切ると集中できる。これは時間内に読み終わらないといけない目的意識が集中力を高めてくれる」

 明確なタイムリミットがあると能力を全振りするので早く読める。

「いやいや、1ページ5秒だと何も頭に入らないだろ」

 桔梗の疑問も無理もない。5秒で理解できる内容なら、そもそも読む必要がある本なのか疑わしい。

「最初の段階では完全に理解する必要はないのよ。自分にとって大切な内容が書かれていそうな箇所をピックアップするのが目的よ。つまり読まない部分を飛ばす作業とも言える」

「えっ、読まないの。なんで、本は読むためのものだろ」

「読書の目的は欲しい情報を得るために行うのよ。読む前から知っている情報、関心と興味と必要がないものは読み飛ばしてもいい」

 本を読む前に目的を明確にしていると作業が捗る。読書が遅い理由のひとつは読まなくてもいい部分を読むことにある。寄り道をしていたら遅くなるのは当たり前。

 目標を決めたら、目標にまっすぐ突き進むのが一番。

「本は全部読まないといけないルールはない。お腹一杯になったらご飯を残すのと同じで、本も必要な分だけ読んだら、後は残せばいい」

「読まなくていいんだ。そうやって聞くと少し気が楽になる」

 本を買ったら最初から最後まで目を通さないと気が済まない人種が一定するいるが、そんなのはただの時間の無駄。地面に穴を掘って、そのまま穴を埋める行為と同じだ。

「1ページを5秒で読むのにテクニックがあってね、漢字だけを読む。漢字の方が平仮名より情報量が多いから、漢字だけでも内容は9割方理解できる」

 平仮名は漢字の補足になっている場合がほとんどなので大元を理解すれば問題ない。それに一度で理解する必要はないので、多少の読み飛ばしは許容範囲だ。

 本の内容次第ではカタカナも拾う必要がある。臨機応変に読み方を変えるのが本を読むテクニックだ。

「たとえば、商店街、行、鶏肉、白菜、買、五百円、釣、十円」

「なるほど、なんとなく理解できた。商店街に行って、鶏肉と白菜を五百円を出して買ったらお釣りが10円だった、みたいな」

 なんとなく内容が理解できたら自分にとって大事な情報なのか判別できる。不必要なら飛ばし読みの対象だ。

「内容を理解する際にもポイントがあって、つまりを意識する。著者の言いたいことはつまりホニャララだ、と頭の中で内容の結論を意識すると目的に沿った内容か瞬時に判別できる」

「えーっ、そんなん高速で読みながらできんって、無理無理無理」

「慣れよ、慣れ。章節の大見出しや文中の小見出しを読んだら大体言いたいことはわかるようになっているのよ。だから最初から無理だと言わずに挑戦しなさい」

 つまりで結論を出すと目的に沿った内容か判別しやすくなる。その後の読書の優先順位に繋がる。目的があると集中力も持続するので一石二鳥である。

「つまり華薔薇が言いたいのは、内容を読みながらまとめなさい、だな」

「その通り。ちゃんとできてるわ」

「俺ってばやればできる子」

 なんだかんだで基本的な能力が高い桔梗はやればできる。特に雑談部に入部してからは華薔薇に鍛えられているので、一段と会話スキルは磨かれている。

「そして読んでいる最中に気になる部分があったら、ドッグイヤーをつける。後から読み返す際の印ね」

「えーっ、それって本に折り目がつくから嫌なんだけど」

 本の端を折って栞の代用にすること。折り目がつくことで見た目が悪くなったり、痛んだりすることがある。

「本の目的は欲しい知識を得ること。大事に保管することじゃない」

 飾って眺める美術品ならともかく本の大事な部分は中に書かれている情報。

「粗雑に扱えと言っているんじゃないの。たくさん読むには一分一秒も無駄にできない、ということよ」

「はーい、わかりました」

 返事だけは一人前の桔梗だ。

「これで一回目の読書は終了。漢字読みとつまりを意識したら大体の内容は把握できている。だから二回目は再確認のための読書」

 一回目の読書で重要な部分にドッグイヤーがついている。二回目ではドッグイヤーの部分を中心に読み進める。

「二回目の読書では読みながら思ったことを直接本に書き込んでいく。感情を書き込むことでより覚えておけるようになる。脳は喜怒哀楽などの感情があったほうが記憶に残りやすいようにできている」

 さらに自分の経験や体験と絡めるとより一層覚えれるようになる。こういった感情を伴う記憶をエピソード記憶と呼ぶ。

「つまり俺はこの話を聞いてなるほどと思った、これでいいのか?」

「ええ、そうよ。桔梗がなるほどと納得したなら、そのまま本に書き込めば記憶に定着しやすくなる」

 最初は『へえ』『なるほど』『面白い』などの単語で構わない。読書を続けていればボキャブラリーも増えるので『上京して緊張した日を思い出す』『これは次回のプレゼンで使える』などの具体的な内容がスラスラ思い浮かぶようになる。

「さて、三回目はどうするかというと、アウトプットを中心に読み進める。二回目で直接書き込んだ内容を中心にノートに書き出していく」

 ノートに書き出す際はどのように知識を自分の行動に繋げるかを考える。具体的に使える場面や自分の経験と絡めているとより覚えやすくなる。

「ここでようやく、アウトプットなんだ」

「本当に大事な情報だけを覚えればいいから、一回目と二回目の読書で厳選するのよ。そして厳選した部分だけ覚える」

 本の内容の大半は不必要である。本当に必要なのは実は少ない。必要な分を必要な量だけ記憶に残すので、一冊の本を読み切るのが早くなる。

「それで一体、ノートに何を書くんだ?」

 思ったことをそのまま書き連ねていても記憶の定着に一役買ってくれる。しかし、ポイントを押さえたらより効果が高くなる。

「まず第一に読書の目的を書くこと。目的意識がはっきりすることで集中力が高まる。目的意識の項目は読書前に書いてもよくて、そうするとやる気にも繋がる」

 ゴールが見えていると人は頑張れる。これだけ進んだ、後はこれだけ、という思いが原動力になる。目的もなく、進むべき道がわからないのに走り続けるには限界がある。

「次に書くのは書籍のタイトルとか読んだ日付、読書時間のメモ。気になるなら著者の名前ね。主に整理のためのメモする。タイトルは言わずもがな、日付を記載すると習慣化の一助になる。読書時間も以前と比較することで成長を実感できる」

 見返した際の素早く情報にアクセスするための印の役割になる。知識を永遠に忘れないのは不可能、思い出したい時に簡単にアクセスできるように工夫する。

「つまり目的意識をはっきりさせて本のタイトルを残せばいいんだ」

 一番大事なのは本から得られた新たな情報。本のタイトルを忘れても、中身を熟知していることが大切だ。

「ここからは本の中身のアウトプットをする。重要なポイントを箇条書きにしていく」

「箇条書きでいいの? もっと書かなくていいの?」

「ダラダラ書いても仕方ないもの。20文字以内にまとめること」

 文字数が少ないと記憶が定着しやすいので、短くまとめるのが肝要だ。

 長文になっているということは頭の中で整理されていない。余計な情報があるので、記憶にも残りにくい。

 箇条書きする際はできる限り不必要な飾り物を削ぎ落とす。自分の言葉に置き換えてまとめると尚よい。

「ギャップを意識するとより効果的よ。元々持っていた知識と新たに得られた知識に差があると好奇心を刺激してくれるから覚えやすくなる」

「そっか、ひとつの出来事を説明するのに作者によって表現が変わる。あの人は賛成だったけど、この人は反対だったら、確かに覚えるな。それに俺と反対意見を持ってる奴は気になる。これがギャップか」

 人間の脳は興味や関心があることに触れると好奇心が刺激される。すると脳内の報酬系と呼ばれる部分が活性化する。報酬系は海馬の隣にあるので、報酬系が刺激されると海馬も影響を受ける。すると海馬が活性化して、記憶力が上がる。

 細かいテクニックの積み重ねが将来大きな差になる。

「箇条書きも終えたら最後に具体的なアクションや行動プランを書いていく。実際の使い道を書くことで自分の中に落とし込める」

 最後の具体的な内容が書けないなら、頭の中が整理できていない可能性がある。重要な情報と理解していても、自分の行動と結びついていない。

 今一度考え直す必要があるかもしれない。

「たとえば、アウトプットはギャップを意識、とでも書けば具体的でしょ」

「1ページ5秒で読む、気になったら折り目をつける、とかでいいのか?」

「そう。自分だったらどのようなアクションを起こすかを書けば覚えやすくなる。それに実践して身につけば御の字」

 読書の目的は知識を溜めることにあらず、知識を実践して人生を少しでもよくするのが目的だ。

 読むだけで満足しているようでは読書家としては三流。

 知識を覚えて備えている読書家は二流。

 知識を実践して自分のスキルとして身につけて、ようやく一流。

「どれくらいの量をノートに書けば覚えられる?」

「ノートに書くのは量より質よ。目的に合わない本なら、そもそも読む必要がない。少ししか得られるものがなかったら、わざわざ書き出すこともない。ノートに書くのは必要な分だけ」

 わざわざ読んだのだからという理由だけで、価値を探す必要はない。価値を見つけられなかったのなら、自分にとってそれだけの本だ。ノートの空白は空白のまま、埋める暇があるなら別の本を読めばいい。

 逆に目的に合う本なら時間をかけてノートに書き出す。得るものが多い本も同様に時間をかけていい。

 ページ数が少なくても内容が濃い本はある。ノートに書き出す作業は大事なので、時間やノートの大きさに左右されてはいけない。成長や成果に直結するので省くと損失しかない。

「要するに気になったことをバシバシ書き出すのか」

「最初はそのくらい気楽に臨めばいいでしょう。やっていくうちに段々洗練されていく」

 最初は本の内容をそのまま書き出していても、いつしか自分の意見や他の本との違いが浮き彫りになってくる。

「とりあえず、やってみる。最初は難しく考えない」

「よしっ、今日から俺も……俺も、やりたいのは山々なんだけど、本を読む気になれない」

 読書に馴染みがないとアウトプット以前の問題だ。読書に対してのハードルが高い。

「桔梗は何か知りたいことはないの?」

「そりゃ、色々あるさ。勉強できる方法が知りたい。お金持ちになりたい。女子にモテたい。イケメンになりたい。ムキムキになりたい。後、華薔薇のスリーサイズが知りたい」

「さらっとセクハラを混ぜるなバカ。教えるわけないだろ」

 華薔薇は桔梗を軽蔑した視線を送る。いくら雑談部といえど個人のプライベートに関する雑談はしない。

「ケチっ!」

「誰がケチよ。むしろセクハラで訴えないだけ、ありがたく思いなさい」

 華薔薇がケチなど言語道断だ。華薔薇が雑談している情報は値千金。もし桔梗が同じだけの情報を自力で集めようとしたなら、時間と労力は計り知れない。

 ただの雑談で価値ある知識を得ている桔梗は自身の恵まれた環境を自覚すべきだ。

「とにかく、私のスリーサイズ以外は本を読んだら得られるもの。それをモチベーションにして、読書に励みなさい」

 書き出したノートのページが一枚、二枚、一冊、二冊と増えていく度に成長を実感できる。

「ノートが増えれば、自分はこれだけやってきた、と自信になるから、とにかく実践すること」

「……そこまで言われちゃしょうがねぇ、俺はやればできる子だってことを証明してやるぜ」

 偉そうな桔梗の態度が華薔薇の癪に障る。やる気に水を差すのは忍びないので、ぐっと堪える。

「他にも読書をすると非認知能力が高まる」

 非認知能力はやり抜く力、やる気、諦めない心、コミュニケーションスキル、予測力といった言葉にするのが難しいスキルのこと。急速に変化する社会で生き抜く力として世界中から注目が集まっている。

 身につければ価千金のスキルだ。

「言葉にできないようなスキルが身につくから読書はいいことづくめ。私からすれば読書しない人種の方がどうかしてる」

 数百円から数千円で世界中のありとあらゆる知識に触れられるのだ。読書には無限の可能性がある。

「よーっく、わかった。華薔薇の意見は理解した」

「あら、そう。嬉しいわ。だったら私の意見を代弁してくるるかしら?」

「つまり、あれだろ、読書したら臨機応変な態度を取れる、だろ」

 非認知能力が高いと人生の困難において柔軟に対応できる。桔梗の代弁は間違いではない。

「実際さ、どのくらい本を読んだらいいんだ。いきなり何百冊も読めとか言われると、流石に心が折れるぞ」

「読書に終わりはない、というのが私の信条だけど、桔梗の求めている答えとは違うのでしょうね」

 知識は毎日のように増えている。読めば読むだけ血肉になるが、初心者にいきなり大量の本を読めと伝えても気後れするだろう。

「目的によるけど、専門家とまともに話したければ、そのジャンルを最低でも1メートルは読みたいわ」

「えっ、1メートル? ちょっと意味がわからん」

 何冊と聞いてメートルで答えられたら混乱するのも無理はない。冊とメートルでは単位が違う。

「特定のジャンルの本を並べて、幅が1メートルを越えるくらいになると専門家とまともに話せるというものよ」

「1メートルってそういう意味!? そんくらい読まないとダメなんだ」

 桔梗は両手を1メートルくらいの幅に広げる。そして、その広さに驚愕する。

「まじで! 滅茶苦茶大量に読まないとダメじゃん」

「そうよ。でもね、専門家と比べるとまたまだよ。あくまで専門家の話についていけるレベル。対等に意見交換したいなら、もっと量は増えるわ」

 専門家の知識量は1メートルなんて薄っぺらくない。何十メートル、下手したら何百メートルに及ぶ知識量になる。

「桔梗が求めているのはこれも違うでしょう?」

「あっ、ああ。俺は専門家との対話なんてこれっぽっちも望んでない。俺はとりあえず、特定のジャンルに精通するだけの知識で十分だ」

 桔梗が求めているのは特定のジャンルを一通り知ること。専門家とのディスカッションは興味がない。

「とりあえず、基礎を学べる本を三冊。奇数にするのは、対立する意見が出たときに奇数だと多数決で取れるから」

 著者か違えば意見が異なるのは当然。その際、読んだ冊数が偶数なら意見が五分五分になる可能性がある。奇数なら必ずどちらかが優勢なのかはっきりするので、知識の乏しい最初は多数決で優劣を決める。

 知識が増えて自分の判断が下せるまでは奇数冊の購入をオススメする。

 基礎を読了すれば物知り程度には思われる。

「そうなんだ、一冊だと反対意見がわからない。二冊だと賛成と反対の引き分けになる。だから三冊か。合理的だな」

「基礎を学んだら、次は中級レベルね。これは最低五冊は読みたいわ。中級レベルになると、テーマが一気に増える。多様な意見を取り入れるには最低でも五冊、欲を言えば十冊くらい読んでもいい」

 基礎は簡単なことしか書いてないから、意見が割れることは少ない。しかし中級になってくると著者の意見が多いに反映されたり、細かいジャンルまで深掘りされるので、情報量が一気に増える。

 ジャンルのおおよそをカバーするには最低でも五冊は読みたい。ここまでければ、そのジャンルに詳しい人と思われる。

「次に上級レベル、つまり専門書ね。これは三冊程度でいいでしょう。内容が事細かに書かれているけど、自分にとって必要なポイントは少ない」

 専門家とのディスカッションを望むなら熟読の必要があるが、精通するだけなら必要な分を必要な量だけ読めばいい。

 専門書を読み漁れば周囲からは一目置かれる存在になる。

「へぇ、読書するって大変なんだな。まさか精通するだけで十冊以上も読まないといけないなんて」

「全然多くないわよ。所詮十冊よ。本物からしたら素人に毛が生えた程度でしょう」

 特定のジャンルを十冊読んでも得られるのは氷山の一角。常に読み続けないと置いてきぼりにされる。

 だからこそ読書に終わりはない。

「うへぇ、そんなにたくさんは読めないよ」

「ますば一冊読んで、ノートを取ってきなさい」

 千里の道も一歩から。何事も始めなければ前に進まない。

「しゃあねぇ、俺も雑談部の一員だ。雑談力向上のために一肌脱いでやる。これから俺は読書王になる」

「やれやれ」

 華薔薇は桔梗の言葉に肩を竦める。

 通常、大量の読書をする人を表現する場合、本の虫やビブリオマニアが妥当である。

「まあ、気負わず、無理しない程度に頑張りなさい」

 おう、と返事だけは一人前の桔梗であった。

 一冊くらいは読み終わるでしょう、と華薔薇は桔梗に少しだけ期待する。

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