第21話 数学嫌いでお悩みの方への数学小話

「今回のお悩みはスイートアリッサムさんからいただきました。『どうしても数学だけは好きになれません。何か数学を好きになる方法はありませんか』ということです。わかる、わかるぞ。俺も数式見てたらこんがらがるし、数学なんて人生で役立つのか疑問だし」

 ある日の放課後。雑談部では毎度のごとく桔梗が誰とも知れない悩み相談を華薔薇に持ちかける。

「嫌いなら、嫌いでいいじゃない。わざわざ好きになる必要はあるかしら」

 華薔薇は他人の趣味嗜好に口出しする気はない。好きなら好き、嫌いなら嫌い、あるがままで構わない。

 時間や労力を使ってまで、趣味嗜好を変える必要はない。自然と培われたものを「好み」というのだ。

「そうだよな。別に数学ができなくても人生困らないだろ。計算なんて学者か機械に任せればいい」

「そうね、数学ができなくても問題ないでしょうね。苦手な分野は得意な人に丸投げしたらいい」

 社会には多種多様な人種と職業がある。計算が得意な人や計算を本業にしている人がいる。困った事態になれば、それらを頼る。当たり前のことだ。

 日常生活を送るだけなら、数学は必須ではない。算数レベルで事足りる。

「華薔薇も実は数学が苦手か? 別に数学ができなくても人生に大きな影響はないだろ」

「それはどうかしら? 数学、というより算数が得意な子供が人生の勝ち組になる、という研究はあるわよ」

「えっ、そうなの。それじゃあ、俺は負け組人生を送らなくちゃいけないじゃないか」

「時には諦めも肝心よ」

 ピーボディ大学の研究によると、子供の頃に数学の才能があると成人後にも活躍する人が多い。

 アメリカの共通テストを受けた子供の中から数学の上位1%を選びぬき、40年後に全員の経歴を追いかけた。

 すると、幸福度や満足度が非常に高く、平均年収も男性が1500万円、女性が900万円、さらに週の労働時間は50時間以上。

 たくさん働いて稼ぎながらも幸せに暮らしていることが判明した。

 さらに細かく見ると、25%から40%が博士号を取得。4.1%が大手の大学で職を持つ。2.3%は有名ブランドや大企業で重職についていた。2.4%は弁護士になっていた。

 参加者の多数が学術論文を発表し、少数は書籍を出版していた。

 男女問わずに子供の頃に数学の才能を認められると創造力が高く、仕事ではリーダーの地位に着きやすい。給料も高く、人生の満足度も高い。

「数学の能力が高いと、買い物の際に買うべきか貯金すべきかの判断が容易になる。お金の使い方に衝動性がなくなる。要は人生を通して常に合理的な判断を下せるから、人生勝ち組になる」

「ぬおぉぉぉ、羨ましい。俺も勝ち組になりたい!」

「それなら今からでも数学の勉強をすることね」

 何かを始めるのに遅いなんてことはない。ましてや桔梗は高校生である。今から勉強して数学能力を高めれば、人生いくらでも巻き返せる。

「よっしゃぁぁぁ、俺は今日から数学を勉強するぞっ! でも、数学全然好きじゃないんだよぉ!」

 いくら決意しようが、好き嫌いを一朝一夕で変えることは難しい。肥満体型を気にしている人がダイエットを決意しても続かないように、苦手なことを始めるのは難しい。

 人生のプラスになると頭で理解しても実際に行動となるとハードルが高い。

「仕方ないわね。それなら今日の雑談は数学のちょっとした小話を雑談しましょう。考えさせられるような、楽しめる数学の小話を」

 数学が好きなら理解できるオイラーの等式の美しさを滔々と説明しても、数学を苦手としていたら頭に入るはずもない。

 身近な数字の面白さを雑談するくらいが雑談部には合っている。

「300年以上未解決だったフェルマーの最終定理がいかにして証明されたのか。こういった話も大変面白いのだけど、今回はパスね」

「名前くらいは知ってるけど、小難しいのはやめてくれ。余計に数学が嫌いになる」

 フェルマーの最終定理とは、フランスの裁判官ピエール・ド・フェルマーが見つけた。3以上の自然数nについて、x^(n)+y^(n)=z^(n)となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理。

 しかし、この定理はフェルマーは驚くべき証明を見つけた、と記述を残したが、本の余白がなかったために証明を書き記すことはなかった。そのため長らく証明されない未解決問題だった。

 長年の時を経て、1995年にアンドリュー・ワイルズが完全に証明するまで未解決の定理であった。

 ちなみにフェルマーは確率論の基礎を築いた人物としても有名である。

「まずは桔梗に問題です。『1+1=』の答えはなんでしょう?」

「そんなのわかりきってる、2だろ」

 さしもの桔梗も高校生。小学校一年生レベルの問題で躓く無能ではない。

「正解。桔梗でもこれくらいは余裕よね。でも『1+1=』の答えが2にならない数式は世の中にはたくさん存在するのよ」

「はぁ、なんだそりゃ。『1+1=』は田んぼの田、みたいなことか」

 なぞなぞなら確かに桔梗の答えは正解だ。今回は数学の問題なので、田は正解にならない。

「それとも何か、一人一人の力を合わせたら、力は3にも5にも10にもなるみたい話か?」

「それも違う。今回の『1+1=』は真正の数式。だからなぞなぞやチームの連携とは違う」

 『1+1=』は色々と応用があるが、言葉遊びをするわけではない。条件に基づいて計算する数式である。

「それでは桔梗に問題。『1+1=』の答えが10になることがあります。それはどんな条件で計算をしたときでしょうか?」

「えっ、『1+1=』が10ってありえないだろ。どう考えても10にはならない。なぞなぞだったら、まだ手かがりもありそうだけど……」

「もちろんなぞなぞじゃないわ」

 なぞなぞとは違うがなぞなぞの考え方は応用ができる。素直に考えていても答えに辿り着くことはない。柔軟な発想が必要である。

「ノーヒントだと埒が明かないわ。だから桔梗にヒントをあげる。この数式が成立するのは桔梗が好きなものと関係している」

「俺が好きなもの? それって美女? つまり華薔薇のことか」

「違うわよ。私が美女じゃないってことじゃなくて、ヒントが美女じゃないという意味よ。だから、私を見つめてもヒントにならないわよ。桔梗の好きなものと言えばゲームでしょ」

 華薔薇は自他共に認める美少女。故に美女と言われても謙遜しないのが華薔薇である。

「ゲーム以外にも使われているけど、ゲームのシステム面で使われているわ」

 『1+1=』を10にするにはゲームのハード面ではなくソフト面が関係している。

「うーん、わからん、降参だ」

 ゲームのシステムの話をされても桔梗には知識がない。あくまで桔梗はプレイヤーだ。キャラクターの操作やアイテムの情報は知っていても、キャラクターが動く理由やアイテムが表示される理由を考えたことがない。

「仕方ないわね。『1+1=』を10するには、二進数で考えるのよ」

「にしん、すう」

 桔梗のアクセントだと魚のニシンを吸うことになってしまう。

「二進数とは0と1ふたつの数字で表現される数字。0と1しか使えないから、普段使っている2は2として表現できない。だから二進数では桁上がりして10と表す」

 0と1だけで表すのはコンピューターの世界では当たり前。対して普段日常で使っている数字は十進数という。なぜなら0から1はの数字で表し、9の次に桁上がりするからだ。

「へぇー、そんな数字があるんだ。知らなかった」

「十進数の10は二進数だと1010。十進数の50は二進数だと110010。という具合に表現される。だから二進数で足し算をしたら『1+1=』は10になるのよ」

「いやー、勉強になるな。そんな面白い話なら、いくらでも聞けるぜ」

 桔梗の好奇心はかなり高い。授業のような退屈な話は聞けないが、雑学だったり、面白い話だったらいくらでも聞ける。

 内容が面白ければ勉強が区にならないタイプである。

「勉強になったのね。それじゃあ、私からプレゼント。二進数で1010111、この数字は十進数ではいくつでしょうか。次回までの宿題ね」

「ちょっ、いきなり宿題かよ。メモしてねーよ、もう一回言ってくれ」

 やれやれ、と肩を竦めてリクエスト通りにもう一度二進数の数字を述べる華薔薇。ちなみに宿題を忘れたら雑談部は出禁である。

「宿題は大丈夫ね。それなら次の『1+1=』の答えは101よ。発想の転換で解けるから小学生でも答えられる。むしろなぞなぞに近いかしら」

「『1+1=』を101にするのか。しかも俺でも答えられる保証付き。これはなんとしても解きたいな」

「理屈がわかれば、101以外にも1001だったり、10001にもできる」

 普段なら気にかけない部分に注目できれば、この問題は解ける。

「うーん、101ってことは、ひとつは1をそのまま使って、もうひとつの1が100になったと考えられる。んー、1が100になるなんて、ありえるのか?」

「いい線ってるわよ。その調子よ」

「ょっしゃ、合ってると思うと余計にやる気出てきた。すぐに解いてやるから首を洗って待ってろ」

 この問題は1を100にすることができれば正解になる。桔梗の考え方は間違っていなかったので、華薔薇は素直に応援する。

 ちなみに首を洗って待つの意味は、処罰や制裁などを受ける覚悟をすることなので、華薔薇には当てはまらない。

「くそっ、どうやったら1を100にできる。わからん」

 苦戦しているようなので華薔薇は追加でヒントを出すことにした。

「これくらいかしらね?」

 華薔薇は両手を突きだし体の前で肩幅より大きく広げてみせる。よく見ると手を立てていることが大ヒントだ。

「ん? えーっと、何やってんの華薔薇さん」

 華薔薇の微力は残念ながら桔梗には通じなかったようだ。

「はぁ、もういいわ。ヒントも有効活用でかないようじゃ、待ってても無駄ね。どうやら私と桔梗のスケールは大きく違う。ヒントがヒントにならない」

「あっ! もしかして俺っ、わかっちゃったかも」

「そう、なら聞かせて」

 何かを閃いたらしい桔梗に最後のチャンスを与える。もし間違いなら強制終了が待っている。

「1を100にする方法、それは1メートルにしたらいいんじゃないか。つまり、『1+1=』を101にするには、えーっと、どうすればいいんだ?」

 がくっ、と膝から崩れ落ちる華薔薇。正解の直前まで進めておきながら、ゴール直前で梯子を外された気分。

 意気揚々と正解コールを準備していた自分が恥ずかしい華薔薇だ。

「どうしてっ、そこまでいって、正解がわからないのよぉぉぉ!」

 珍しく華薔薇が叫ぶ。しかも心の底にある人間の根元の魂からだ。

「うわっ、うわっ、うわっ、どうした華薔薇。いきなり叫んで」

「それは桔梗のせいでしょうがっ! ……全く、私の期待を裏切るのだけは一流ね。ふふっ」

 大声を出しているが華薔薇に怒りの感情はない。そもそも桔梗に求めているのは自分とは違う考え方。桔梗の視点が華薔薇とはかなりずれていることを期待している。

 だからこそ、期待を裏切られる行為は華薔薇の求めていること。それでも今回の裏切りは想定の斜め上を越えて、盤面をひっくり返すような想定外である。

「あー、もう正解言っていいよね。『1+1=』を101にするには単位を想像したら簡単よ。普段の数式は単位を意識することがないから気づかないけど、『1+1=』と書かれていたら単位は同じと無意識に考える。しかし今回のは違う。1メートル+1センチメートル=は何、という問題よ」

 数式に指定がなければ同じ単位を使用していると思ってしまう。しかし単位が意図的に隠されているとしたら、答えは変わってくる。

「ほへぇ、1メートルは100センチメートル、つまり問題は元から『100+1=』になっていたんだ。だから答えも101か。かぁー、すげぇな」

 素直に感心する桔梗。ここで屁理屈だなんだと口答えしないあたり柔軟性が高い。

「もっと他にはないのか、普段の授業もこんな楽しいなら、やる気も出るってもんだぜ」

「普段の授業でも楽しさはあるのよ。それに気づいていないから、退屈に感じるの。教えられたことを覚えるだけじゃ、退屈でしょうね」

 教師の良し悪しもあるが、授業を楽しむ要素はたくさんある。なぜこうなったのか、これを応用する方法はないだろうか、何かが隠されていないか、などを考えれば自分で勉強する楽しさを自分にプレゼントできる。

 考え方ひとつで授業は退屈にも楽しくもなる。

「次の『1+1=』の答えは11。さて桔梗はこの問題を解説できるかしら?」

「11か、さっきみたいに単位を変えるってのはなしだよな」

 先程のように1センチメートルと1ミリメートルなら確かに答えは11になる。しかし華薔薇が同じ問題を出す理由はない。

「もちろん、別の理由で『1+1=』を11にできるわ。これも発想の転換ができれば、桔梗にも答えられる。心してかかりなさい」

 答えをすぐに教えていては成長しない。自分で考えて、苦労して答えを導き出した方がより頭に残る。

「11にするんだよな。11は1と1を組み合わせたもの。そこらに攻略の鍵がありそうだ。数字の11を分解したら1と1、数字の1と1を足したら11」

「その考えは間違っていない。後はその理由を説明するだけね。今度こそはちきんと最後まで正解してよね」

 先程と同じ展開は望まない。雑談部は芸人の集まりではないので、同じことの繰り返しは必要ない。

「うーん、足すのはわかったけど、どう説明したらいいんだ。数字の1ともうひとつの1を足したら、11になる」

「足すを言い換えてみなさい」

 焦れったく思いながらも優しくヒントを出して見守る華薔薇。華薔薇には最初から答えが見えているので、ヒントを出すくらいしかできない。

「しっくり来る表現があるはず」

「うーん、わからんから、とりあえず片っ端からやってやる。1を加える、合わせる、与える、付ける、増やす、ぎゅっとする、がっちゃんこ、きっちり、ぴったり、しっかり、握手、ひっつける、……うーん、しっくりこない」

 桔梗は思い当たる候補を列挙していくが、答えらしい答えをみつけられない。

「ひっつけるなんかは結構いい線よ。○はあげられないけど、△はあげてもいいわ」

「ひっつけるが近い。くくる、接続、繋げる……? もしかして数字を繋げている!」

「正解。……よかった、今回は正解に辿り着けた」

 華薔薇の心境は子供の初めてのお使いを見守る親だ。見ていて正解に辿り着けるかハラハラする。

「『1+1=』を11にするには、数字ではなく文字として考えるとわかりやすい。1という文字に1という文字を繋げると11という文字になる。これは文字列結合といって文字列の後ろに文字列を足して新しいひとつの文字列にすること。用は後ろにくっけているの」

 プログラミングをやっていたり、表計算ソフトを利用する人なら知っている。データを扱う人からすれば当たり前のテクニックである。

「文字列結合はそれこそ文字で表した方がわかりやすい。たとえば、『石+油=』何?」

「石と油なら石油だろ。うわっ、滅茶わかりやすい」

 1や11はどうしても先入観から数字に見えてしまう。決して間違いではないが、文字として扱うこともできる。

「『1+1=』が数字なら答えはそのまま2だけど、文字列として扱うなら11になるということ。覚えておきなさい」

 『1+1=』という数式も見方を変えれば全く違うものに変貌する。

「文字なら後ろにくっつける、確かに覚えた」

「さて、次に紹介する『1+1=』の答えは1よ」

「それって、足してないじゃん」

 見たままを述べるなら『1+1=』の答えが1なら、もうひとつの1が消えたことになる。それは数式として不完全である。

「これは論理演算で説明できる。論理演算では式に含まれる1は真、0は偽として扱われる。式のいずれかに1が含まれていると出力値、つまり答えは1となる」

 『A+B=』という式があったら、論理演算では4パターンになる。

 『0+0=』は0。式に1が含まれていないので、答えは0。

 『1+0=』『0+1=』はいずれも式の中に1が含まれているので、答えは1。

 『1+1=』も式に1が含まれているので、答えは当然1になる。

 論理演算の中でもこのような式を論理和(OR演算)という。

 論理演算には他にも、演算する全ての値が1(真)のときのみ1(真)を出力する、その他では0(偽)を出力する論理積(AND演算)も存在する。

「なんか面倒な計算をするんだな。そんなのいつ使うんだ?」

 こんな計算もあるんだよ、と説明されても使い道が想像できない桔梗。先程までの『1+1=』は答えを目で見ることができたので理解しやすかった。

 また、距離や文字といった日常生活に溶け込んだものを使っていたので想像もしやすかった。一方、論理演算は目で見て理解できる代物ではない。

「論理演算はいろんな場面で使われているけど、桔梗の身近なものでいうと、ゲームのフラグ管理ね」

「フラグ……管理、はて?」

「たとえば論理和だと、ゲーム中にイベントが発生したとする。A、Bの2つのイベントがあって、次に進めるためには、どちらかを攻略しないといけない。イベントを始める前はフラグは『0+0=0』の状況だけど、Aというイベントをクリアすると『1+0=1』になって、条件クリアとなって、Bイベントをクリアせず、次に進める」

 どちらか一方をクリアすることで0が1になる。式の中に1が含まれていたら答えも1になる。答えの1に反応して次に進めるようになる。

 これがAとBの両方のクリアが必要なら論理積を使う。

 Aをクリアしてもフラグは『1+0=0』になる。式に含まれる全てが1にならないと、答えも1にならない。つまりBもクリアしないと『1+1=1』にならない。

「へぇ、ゲームってそうやって進行を管理してるんだな」

「そうよ、0が1になったら次に、この繰り返しでゲームのストーリーは紡がれている」

 実際には様々な条件が複雑に絡み合ってあるので一概には言えない。強引にまとめると華薔薇の言葉で説明できる。このような暴挙も雑談部ならではである。

「頭を柔らかくして考えてほしいのだけど、『1+1=1』には別解がある。数学的な話じゃなくて、ちょっとした余興ね」

「余興だって俺は大歓迎だ。堅苦しい方が勘弁願いたい」

 そもそも桔梗は論理的な話や重苦しい話が好きじゃない。誰とでも気軽に話せる雑談をご所望である。

「水の入ったコップがあります。別の場所にも同じく水の入ったコップがあります。それぞれのコップを持ってきて大きな器に水を注ぐと何ができるでしょうか?」

「そんなの簡単だろ、器に入った水」

「その通り。つまり、ひとつの水の塊にもうひとつの水の塊を足すと大きなひとつの水の塊になる。これが『1+1=1』の別解ね」

 感覚的な話になるが、水の入ったコップに水を注いでも水の入ったコップのままだ。水水の入ったコップにならない。

 数量のわからない同じものを足すとひとつの大きな同じものになる。実際には量が増えているのに数字が増えない。

「増えてるのに増えたことを認識してない。いや、増えたことは理解しているのに、増やさない。うーん、ややかこしいな」

 これはちょっとした余興である。わざわざ深掘りする必要はない。こんな考え方もあるんだ、と気楽ね姿勢で聞くのが吉である。

 合同式を使えば『1+1=』の答えを0にできるが、高校数学の範囲なので詳細は数学の授業と教師に任せる。

「いかかだったかしら、『1+1=』の様々な可能性は?」

「非常に楽しかったし、そんな考えがあるんだって面白かった。あーあ、普段の数学の授業もこれくらい愉快だったらいいんだけど……」

 数学の授業が楽しくて面白いことばかりしていると内容が進まないので、それはそれで困ったことになる。

 授業には学習指導要領という教育課程の基準が定められている。そのため教師が好き放題するのは難しい。

 授業がいくら面白くて満足が高くても受験に落ちたら非難轟々なので、教師も無茶な授業計画は立てられない。結果として面白味のない授業ができあがる。

「授業が面白くないのは私に言われても困るわよ。改善したいなら教師に直接言いなさい」

「えーっ。華薔薇は授業が面白いのか? やっぱ勉強ができる奴から見たら、面白く受けられるのか?」

「授業が面白いかなんて、私は知らないわよ。出席はしてるけど、授業なんて聞いてないもの。わかるわけないわよ」

「ん? んんー? えっ、聞いてないの?」

 華薔薇は授業はきちんと出席しているが、高校の授業内容は全て頭に入っているので、基本的には聞いておらず、別のことをしている。

「知ってることを教えられても意味ない。出席しないと単位がもらえないから出てるだけで、内容を聞くためじゃない。時間の無駄だから別のことをしている。何か間違ってる」

「えーっと、それっていいの……?」

 いいか悪いかを判断するのは華薔薇ではない。迷惑をかけていないから良しとするのか、不真面目な授業態度を悪とするかは教師の裁量次第。

 少なくとも華薔薇は授業態度が悪くて内申点を下げられようが後悔はない。時間と内申点を天秤にかけたら時間の方が大きく沈むだけだ。

「豪胆だな。我が道を行く華薔薇かっけぇぜ!」

「……どういたしまして」

 効率を重視した結果なので、褒められても嬉しくない華薔薇である。

「羨ましいなぁ、授業を聞かなくても理解できる頭脳。俺もそんな頭脳が欲しいな」

「欲しいの? なら方法を教えましょうか」

「マジっ! 教えてください、一生のお願い」

「とても簡単よ。授業中に勉強して、授業中以外も勉強して、寝る前も勉強して、朝起きてから勉強したらいいのよ。ほら簡単でしょ」

 賢くなる方法はひとつしかない、勉強すること。華薔薇は長い時間を勉強に費やしたから豊富な知識を手に入れた。単純に人より多く勉強したから、人より知識が多いだけ。

「それは無理だってぇっ!」

 悲痛な叫びを上げて天を仰ぐ。

 一朝一夕では身につかない、だからこそ何事も時間と労力をかけたものが強い。

「仕方ないわね。特別にもうひとつの方法を教えてあげましょう」

「他の方法があるのか。なんだ、それは、教えてくれ」

 諦めかけたその時、新たな希望が見つかる。桔梗にとって華薔薇は悪魔であり、天使である。不吉も幸福も運んでくるのは、いつだって雑談部の華薔薇だ。

「流れ星が光っている間に願い事を3回唱えることよ」

「神頼みだぁぁぁ!」

 華薔薇は他の方法があるといっただけ。効果が保証されているとは一言も言っていない。

「私は神様に頼み事をするのはまっぴらごめんだけど」

 欲しいものは自力で手に入れる華薔薇は神様に頼まない。だから神様が存在しないだとか、神頼みを否定する気はない。桔梗が流れ星に願い事を託そうが関与しない。

「はぁ、やっぱり地道にコツコツ勉強するしかないってことだよな」

「否定はしないわ」

 何はともあれ華薔薇は地道にコツコツやってきたタイプだ。ある日突然に才能に目覚めた過去は存在しない。地道に積み重ねた結果が今の華薔薇を作り上げた。

「仕方ないから、今日から勉強するよ。そしていつか、歩く百科辞典と呼ばれて見せる」

「それはとても素晴らしい決意ね。なら、私も手伝ってあげる」

 歩く百科辞典にどれくらいの価値があるかわからないが、決意そのものは素晴らしい。感銘を受けたのか華薔薇も素直に助力を申し出る。

「さっきまで数学の話をしていたから、覚えておきたい数学者を教えてあける」

「よっしゃ、どんとこい」

「三平方の定理で有名なピタゴラス。浮力とてこの原理を発見したアルキメデス。素数を発見するアルゴリズムを見つけたエラトステネス。フィボナッチ数列で有名なレオナルド・フィボナッチ。微分積分と万有引力のアイザック・ニュートン。ヤコブ、ヨハン、ダニエルのベルヌーイ一家。数学のサイクロプスの異名を持つレオンハルト・オイラー。たくさんの法則に名を残すカール・フリードリヒ・ガウス。ガロア理論のエヴァリスト・ガロア。ロシアで初めて女性で大学教授の地位を得たソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカヤ。天才的な閃きからインドの魔術師の異名を持つシュリニヴァーサ・アイヤンガル・ラマヌジャン。まだまだ語り足りないけど、これくらいは覚えておきなさい」

「ぷしゅー……」

 あまりの情報の多さに口から煙を吐き出す桔梗。功績を省いた名前だけで、この体たらくでは先が思いやられる。

「あ、そうそう。アルキメデス、ニュートン、ガウスの三人で世界三大数学者と呼ばれているから、合わせて覚えておきなさい」

「む、無理。もう入らない。がくっ…………」

 情報の多さに目を回した桔梗は机に突っ伏す。

「やれやれ、この程度で音を上げてるようじゃ、歩く百科辞典には永遠になれないわよ」

 仮に桔梗が歩く百科辞典になれても、スマホの中には歩く百科辞典以上の情報が詰め込まれている。華薔薇は歩く百科辞典に魅力も価値も感じない。

「ぅ、うっ……」

「これじゃあ、今日の雑談は続けられないわ。仕方ないからお開きね」

 大量の情報でパンクした桔梗はどうやら情報の波に飲まれて意識をシャットアウトしたようだ。悪夢を見ているのか、それとも数字に追われているのかわからないが、時おり嫌だ、来るな、やめろ、などの発言が見受けられる。

 華薔薇に桔梗を待つ理由はないので、ほったらかしたまま雑談部の部室を後にする。


 桔梗が再起動したのは日も暮れた闇夜の時刻であった。

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