第17話 老化を止めて若々しい体を永遠に

「朗報です。今回のお悩み相談はなんと日輪高校の先生からです。華薔薇の影響力には脱帽だな」

「先生が生徒に悩み相談するの? 立場が逆でしょ、とんだ悲報よ」

 ある日の放課後。

 雑談部にて、案の定桔梗は誰とも知れない悩み相談を持ちかける。しかし今回の相談者は教師である。

 桔梗は素直に教師からも頼られる華薔薇を称賛するが、本来教師とは生徒を導く存在である。

 教師が生徒を頼るようでは本末転倒。教師の質が問われる事案だ。

「まあまあ、とりあえず悩み相談の内容を聞いてからでも遅くないんじゃないか」

 生徒ならではの意見が聞きたい可能性がある。教師では皆目検討のつかない若者の流行を知りたいのなら、手っ取り早い解決策ではある。

「そうね、聞くだけ聞きましょう。もしかしたら雑談部じゃないといけないかもしれないわ」

「よし、きたっ。今回の相談者は化学教師の友禅先生からです。『寄る年波には勝てず、最近は事ある事に衰えを感じます。孫の成長も見届けたいので長生きしたいです。老いに勝つ方法、もしくは老いを遠ざける知識を伝授してくだされ。どうにも、老いたくないのぅ』だ、そうです」

「知るかっ! 少なくとも雑談部が答える相談じゃない」

 日輪高校の化学教師、友禅菊十郎(ゆうぜん きくじゅうろう)。

 長年教職につき、数多の生徒だけでなく教師も見送ってきたベテラン教師。穏和な性格で生徒教師を問わずに慕われている。高齢で背中も曲がっているため、一部の生徒からはおじいちゃん先生と呼ばれている。

「そもそも専門が化学なら、自分で調べなさいよ。女子高生の小娘になんで聞くのよ。どう考えたって私より化学、生理学、医学の知識は豊富だし、専門家との繋がりだってあるでしょう。私に聞く意味がわからない」

 専門家が自分の研究している分野の質問をずぶの素人にしている不可解さ。本来教えるべき立場の教師が生徒に尋ねているようでは教師失格だ。

「まあまあ落ち着いて華薔薇。おじいちゃん先生も忙しいんだろ」

「忙しいを言い訳にして、自分の研鑽を他人に委ねるの? とんだ耄碌じじいね。今すぐ教職を辞して、老人ホームに入居した方が生徒のためよ」

 普段よりも辛辣な発言に桔梗も気圧される。自分のことなら受け入れられても、他人のことにはどう反応していいのかわからない。

 華薔薇の意見に賛同しても、友禅先生を擁護しても、どちらにしても角が立つ。雑談部では滅多にない板挟み状態に桔梗は狼狽えるしかない。

「おじいちゃん先生はいい先生だよ。あんまり言い過ぎるのはよくないぞ」

「はっ、いい先生なら自分の立場くらい理解しているでしょ。自分の勉強の面倒を見れない人に教えられる生徒が可哀想よ」

 勉強ができない人に勉強を教わる。こんなに非効率的なことはない。勉強を教わるなら、勉強ができる人が最善だ。

 少なくとも学ぶ姿勢を忘れた人に教わっても仕方ない。旧時代の遺物を押しつけられても、現代では役に立たない。過去の常識は現代の非常識、過去から成長していなければ最先端の知識とはかけ離れている。

「おじいちゃんだし、老眼なんだよ。本を読むのも一苦労すると思うぞ」

「老眼ですって? 老害の間違いでしょ。若者の未来のために一刻も早く教壇から降りてほしいわ」

 学ぶ方法はいくらでもある。目がダメなら耳で。耳がダメなら手で。手がダメなら足で。

 諦めなければ勉強できる。知識はいつだって、どこでだって手に入る。

「いやいや、おじいちゃん先生に辞められたら色々困るでしょ」

「私は困らないわ」

 学校から一人の教師がいなくなっても華薔薇の生活に影響はない。自分から学べるので教師がいなくても困らない。

 教師が必要ならインターネットの授業で代用できる。むしろ群雄割拠の世界で頭角を現しているのなら、そんじょそこらの教師よりも重宝される。

 わざわざ学校の教師でなければならない理由はない。

「おじいちゃん先生の何が気に食わないんだよ。老いたくないのは当然だし、新しい知識を求めて生徒に頼んでいるだけだろ」

「老いたくない、その感情は当然だと思うわ。私だっていつまでも若々しくいたいと思うもの。知識を求めて誰かにお願いする、学ぶ姿勢を忘れないのはとても素晴らしい。でもね、私が気に食わないのは決定的に履き違えている点よーー」

 華薔薇の批判は老いたくない感情でも、学びを忘れない姿勢にも向いていない。

「ーー教師が生徒に教えを請うなんて言語道断」

 学ぶ相手が間違っている。

 華薔薇の批判はこの一点に尽きる。

「教師が生徒から学びを得ることはあるでしょうし、生徒に聞きたいこともあるでしょう。でもね、化学教師が化学のことを生徒に聞くのは決して認められない」

 なんのための教師なのか?

 教師は少なくとも自分の教える分野のエキスパートでなければならない。人には限界があるため、知らないこともある。知らないことが自分の専門分野なら、まずは自分で勉強しないといけない。

 教師は生徒の身近なお手本。これでは反面教師である。

「専門外ならともかく、専門分野を素人に聞くなんて前代未聞よ」

 自分で調べるより、専門家に聞いた方が早いことはある。今回の件は、専門家が素人に尋ねている。

 これには華薔薇も憤る。

「これで私の気に食わない理由はわかったでしょ」

「理由はわかった。でもさ、俺も老いについては知りたい。やっぱよぼよぼのじいちゃんにはなりたくないもん」

「はぁぁぁー」

 わかった、ととても長い溜め息の後に華薔薇は今回の雑談テーマを老いに決める。

「老い、つまり老化とは何か。根本から雑談しましょう」

「いやー、雑談は滅茶ありがたいけど、さっきまでの剣呑な雰囲気からいつもの雑談トーンは落差がありずきて戸惑いを隠せないぜ」

 華薔薇の感情表現は半分はパフォーマンスである。傍目には情緒不安定に見えるが、コントロールしての結果だ。支配領域内でいくら暴れようが、全て想定の範囲内。

 あくま華薔薇の主観では問題なくとも、桔梗からすれば怒髪天を衝く形相から瞬時に落ち着きを取り戻した。何が起こっているのか理解不能なのは不気味である。

「老化と聞いて一般的にイメージするのは肉体の働きが衰えることでしょう」

「お、おおう。体力が落ちたり、腰が曲がったりな」

 桔梗の困惑は華麗にスルーして、華薔薇は雑談を始める。桔梗も慣れたもので、体は困惑を隠せていないが口は達者に回る。

 口を回すには考えなくてはならない。いつしか桔梗は華薔薇の豹変のことに気を取られなくなる。

「では問題、体力が落ちたり、腰が曲がったり、筋力視力聴力その他諸々が低下する原因、つまり老化はなぜ起こるかわかるかしら?」

「老化の原因? 年取ったら勝手になるんじゃないのか。でも、その言い様だと原因がわかっているのか」

「ええ、老化の原因はいつくかわかっている。DNAの損傷、テロメアが短くなる、エピゲノムの変化、タンパク質の恒常性の喪失、ミトコンドリアの機能衰弱、幹細胞が使い尽くされる、などの要因が老化と密接に関わっている」

「へぇー、内容は全く理解できなかったけど、それらの原因に対処していけば老化を撃退して、長生きできるってことでいいよな?」

 風邪を引いたら風邪薬を飲むように、老化にも対処方が存在する。

「その通り。老化は病気よ、適切な処置をすれば治せる」

「マジか! 早速教えてくれ」

「焦らないで。対処法を知る前に、老化のメカニズムについて雑談しましょう」

 鼻息の荒く桔梗が華薔薇に迫るが、容易くいなす。メインディッシュにはまだ早く、前菜から順番に進めていくのがマナーだ。

「老化とは何か、一言で説明するならDNAが損傷して使い物にならなくなること。DNAは絶えず細胞分裂を繰り返しているけれど、使い物にならない細胞が増えれば体の状態を最善に保てなくなる」

「ほう、細胞分裂は昔習ったな。もう覚えてないけど」

 DNAや細胞分裂という単語は中学生の化学で習う。桔梗も当然通った道である。覚えているかは別として。

「使い物にならない細胞が増えることが老化よ。つまり重しを背負っている状態と言い換えれる」

「それじゃあ、DNAってのを損傷させないのが大事なんだ」

「確かにDNAを損傷させないのは大事よ。でもね、細胞がDNAを複製するたびにDNAはなんらかの形で損傷する。その数なんと、一日で二兆回」

「に、二兆だって。いやいや多すぎでしょ。そんなんじゃすぐにボロボロだ」

 あくまで二兆回は体内でDNAが複製される際の損傷の数。実際には紫外線や化学物質、外傷などの外的な要因でもDNAは損傷するので、二兆回より多いのは確実だ。

「道路で転んで膝を擦りむいても傷は治るように、DNAの損傷を治してくれるのがいるのよ。それがサーチュイン、長寿遺伝子とも呼ばれるものの一種」

 長寿遺伝子と呼ばれるのは、動物の平均寿命と最大寿命を延ばすことが証明されてきたからだ。さらに健康な生涯を送るための機能も備わっている。

 また、サーチュインは体内の状況をモニタリングしており、食事量や運動量に目を光らせ対応している。その他にも厳しい環境にさらされたら、じっとしているように指示を出して、身を守らせる。

「じゃあサーチュインが頑張ってくれたら、DNAの損傷が治るから、老化しない……でいいんだよな?」

「合っているわ。サーチュインがDNAを修復するより、DNAが損傷するスピードが早いと老化する。とても単純な図式なのよ。要はサーチュインを鍛えてやれば老化とは無縁ね」

 ただしやりすぎは禁物である。サーチュインには元々居場所があり、仕事をしている。DNAの損傷が激しいと色々な場所から出動がかかり、出向いて修復する。

 あまりに酷使するとサーチュインは元の居場所を見失ってしまう。そうなると元の場所にはサーチュインがいなくなり、DNAが損傷しても修復するものがいなくなる。

 サーチュインがいないと損傷は放置されるので、DNAは使い物にならなくなる。また、モニタリングして指示を出す存在がいないので、元の場所での作業が滞るようになる。

「そんな働き者のサーチュインをどうやって鍛えるんだ?」

 桔梗は目を輝かせてパナソニックの次の言葉を待つ。

「間違いなく確実にサーチュインを鍛える方法、それはーー」

「それは」

「食べる量を減らすこと」

 体の健康維持に必要な量は食べても、それ以上の摂取を控える。要はカロリー制限である。

 常に体内をモニタリングしている長寿遺伝子はカロリーの少なさに危機を感じ取りサーチュインを働かせる。

 サーチュインが現場に出向いて確認しても、カロリーは健康を保つのに十分な量があるため、すぐに元の場所に戻る。

 現場に出向いて作業せずに帰還する、このサイクルがサーチュインを鍛える。DNAの修復までしていては時間がかかるし、元の場所での仕事に影響が出る。

 現場に出向いて確認だけして、すぐの帰還は時間がかからない。適度にサーチュインを働かせるのでトレーニングになる。トレーニングを続けることでサーチュインは鍛えられていく。

「食べたい、でも食べることが寿命を縮めることになるなんて、神様はなんて試練を与えたんだ」

「慣れれば問題ないわよ。それに食事に真剣に向かい合えば、食事の満足度は上がる。むしろ余計なものを食べなくなって一石二鳥ね」

「うう、長生きするにはひもじさに耐えないとならないのか。それで、どれくらい食べる量を減らしたらいい」

 桔梗はお腹を押さえる。

 食事は人間の三大欲求に数えられる。その食事を減らすというのだから、辛さは計り知れない。

「カロリーで言うなら、20%をカットしたらいいわ。でも毎回計算するのは大変だから、おすすめは断食ね。勝手に食べる量が減る」

 生命維持に欠かせないカロリーから15%~20%を減らすとカロリー制限の効果が出る。ただし毎食カロリー計算する手間と時間が必要になる。

 その点、断食なら食べる回数、もしくは食べる量を一定数減らすだけでいい。毎回のカロリー計算が不要なのはありがたい。

「そんな断食なんて、絶対お腹空くじゃねぇか。やりたくないぜ」

「慣れよ、慣れ。最初は空腹が辛いでしょうけど、慣れれば何も感じなくなるわ」

 断食が辛いのは最初の一週間から二週間程度。一度慣れてしまえば、以降は空腹感を忘れていく。断食していることが当たり前になるので、わざわざ空腹感に襲われない。

「毎日簡単にできる断食が16時間断食。これは一日の内、16時間は食事を摂らないで、食事の時間を8時間以内に収める手法」

 朝食を抜いて昼食を12時に食べたら、20時までに夕食を食べ終える。食べていい時間を8時間以内に制限する断食である。

 一定期間の空白を作ることでエネルギーを使い果たすことになる。するとサーチュインが危機を感じ取り働き出す。

「それなら、いけそうだ。朝、寝過ごして食べずに学校に来ることもあるからな。その延長線と思えばいけなくもない」

「ちなみに、断食中に口にしていいのは水、お茶、ブラックコーヒーだけ。断食は老化を防ぐだけじゃなく、ダイエット、血液のサラサラ化、頭がよくなる、睡眠の改善、美肌になる、などの効果も期待できる。やって損はないから……」

 華薔薇はメリットをプレゼンするが、無理強いすることはない。

 断食の研究の大半は健康な人、もしくは肥満体型の人、かつ成人している人で調査をしている。未成年での研究は少なく、負担が少なからずあるので成長期に行うのは細心の注意が必要だ。

「やるなら自己責任でやりなさい」

 成長期でも体調を崩す人と崩さない人がいる。人それぞれに合う合わないがあるので、一概に否定する必要もない。

 あくまで体調と相談しながらなら問題ない。体調が悪化するようなら止めればいい。

「うわっ、最後は無責任になった」

 責任を持てないものは持てない。華薔薇は専門家ではないので絶対に正しい保証はない。

「断食にはいくつか方法があってね、一週間に一回~二回だけ24時間何も食べないイート・ストップ・イート法や、好きなだけ食べる日と全く食べない日を交互に繰り返す日替わり断食、なんてのもあるわ。覚えていればいつか役に立つでしょ」

 また運動とセットにすると食欲を減らすことも期待できる。

 筋トレと組み合わせると脂肪は落ちても筋肉は落ちない。割れた腹筋でマッチョをアピールするのに最適な手段である。

「食事以外にもサーチュインを鍛える方法は他にもある。それは運動よ」

「出た、運動。運動のメリット多すぎひん」

 運動のメリットが多いなら、運動さえしていれば万事解決である。

「運動をする人はテロメアが座りがちな人より長いことが研究で明らかになった。桔梗はテロメアを知らないでしょうから、簡単に説明すると。細胞の染色体の末端に存在していて、細胞分裂の回数を決めている。このテロメアは細胞分裂を繰り返す毎に短くなる。テロメアがとても短くなると染色体がむき出しになって、細胞が壊れてしまう」

 靴紐の先端のアグレットが壊れたら靴紐がほどけるように、テロメアが短くなると染色体をまとめられなくなる。

「要はテロメアが長いと細胞は若い。テロメアが短いと細胞は老いている」

「そのテロメアってのが運動すると復活するのか」

「残念だけど、運動ではテロメアは長くならないわ。あくまで短縮を遅らせるだけ」

 テロメラーゼという酵素でテロメアを伸ばすことができる。直接接種しても胃で分解されるだけでテロメアは伸びない。テロメラーゼ遺伝子を抑えているタンパク質を取り除く必要もあるので、人間への活用はまだ遠い。

「なんだ、伸びないのか。それじゃあ、どれくらい遅らせる?」

「研究では10歳近く若かったそうよ。桔梗も運動したら小学生並みの体になるわね。頭の出来とちょうど釣り合うじゃない」

「誰の頭が小学生並みだ! 俺は受験に合格した高校生」

「またまたぁ、ご冗談がうまいこと」

「冗談じゃなぁーい!」

 華薔薇と桔梗の頭脳は月とスッポンくらい違うが、桔梗も歴とした高校生。裏口入学などの卑怯な策は弄していない。実力で日輪高校に入学している。

 ただし学科によって必要な偏差値が違うのは言うまでもない。

「私の冗談じゃないを否定するためと、ふざけるなという意味の冗談じゃない。見事なダブルミーニングね。腕を上げたね」

「違うから、ふたつの意味なんて込めてない。そんな変な解説しないでくれ。とっとと、運動が老化に有効な話をしてくれ、どんな運動をどれくらいしたらいいのか、ためになる話をプリーズ。運動の素晴らしさを語っておくれ。さあさあ」

 ダブルミーニングを狙っての発言ではなかった桔梗は赤面する。たった一言に即座にふたつの意味を持たせる高等テクニックを覚えた気はない。

 たまたまの結果を掘り下げられて居心地が悪くなる。恥ずかしさを隠すために捲し立てる。

「恥ずかしがることないのに。でもリクエストに応えてあげましょう。理想の運動は高強度インターバルトレーニング、HIITと呼ばれるものね」

 High Intensity Interval Training。

 全力で体を動かす、休むを繰り返すトレーニング。脂肪を燃やす効果が高いことで有名であったが、近年ではアンチエイジングに影響を与えることで知名度を獲得している

「20秒全力で動いて、10秒休憩する。5セットもすれば効果が出てくるから、時間がない人にもおすすめよ」

「全力ってどのくらいだよ? そもそも何をもって全力だよ」

「最大心拍数の80%~90%に達すればいいのよ。簡単な計算だと220から自分の年齢を引いた数が最大心拍になる。私たちだと165~185くらいになるように動くことね」

 最近のウェアラブルデバイスなら心拍数を計測する機能が備わっている。実際に数値を重視するなら、購入しても損はない。

「わざわざ測定するのが面倒なら、息が荒くなって一言二言しか喋れない状態が、最大心拍数の90%の目安よ」

「かなりきつそうだな。でも運動でそこまで行くの難しくない?」

「HIITをするなら、バーピー、エアロバイク、マウンテンクライマー、など色々あるわよ。種類もたくさんあるから、自分に合ったトレーニングを探せばいい」

 バーピーはスクワット、腕立て、ジャンプの動作を一連に行う運動。

 エアロバイクは自転車型のフィットネス。ペダルに任意の負荷をかけて強度を調節する。

 マウンテンクライマーは両手を地面につけ、頭から足まで真っ直ぐになる姿勢を取り、左右の足を交互に上半身側へ引きつける運動。

 心拍数が上がる全力の運動なら問題ないので、短距離ダッシュや腿上げでも構わない。他にもジャンピングジャック、スクワットスラスト、ワイドスクワット、ジャンピングスクワット、クランチ、レッグレイズ、様々な運動があるので、必ず目的に合ったトレーニングがみつかる。

「なんといってもHIITは一日4分からでも効果があるから、時間を言い訳にできない。それに全て自重トレーニングで済ませられる。わざわざジムに行かなくても自宅できる。これで桔梗も理想のボディをつかみ取りなさい」

「お、おう。前向きに善処することを検討する可能性は捨てきれない」

 運動習慣がない人にはかなりきつい、もしくはギブアップするくらいハードだ。しかし、続けさえすれば効果は保証されている。

 慣れてきたら負荷を上げることで短時間で済ませられる。

「……これは、やらないな」

 桔梗が運動しようがしまいが華薔薇には関係ない。だらしない体をしているようでは、雑談部の敷居が跨げない可能性があるだけだ。

 自分に厳しく、他人にも厳しいのが華薔薇だ。

「もっとお手軽な方法もあるわよ」

「そんな方法があるなら先に言えよー、このこの」

 わざわざ辛い運動をしたくない人に朗報な方法がある。食事を減らす努力も、運動して汗をかく必要もない。

「寒さに身をさらすのよ」

 寒さでサーチュインにスイッチが入り、褐色脂肪細胞が活性される。褐色脂肪細胞は長寿との関連がある遺伝子だ。

 冬にシャツ一枚で夜を過ごすだけでいい。低体温症や凍傷はやりすぎだが、鳥肌、体の震え、歯がチカチカする程度なら危険ではない。むしろ長寿への一歩だ。

「それだけでいいの? これからは布団や毛布は被らないでいいんだ。超楽にできるって素晴らしいな」

 褐色脂肪は加齢とともに減っていくので若い内からやっていると特に効果が高いと思われる。

 寒さが苦にならないなら、こんなにお手軽な方法はない。

「なあなあ、食事、運動、寒さ、全てやったらどれくらい長生きになる?」

「さあ、知らない? ちなみに現在の世界記録は122歳よ」

 大還暦を迎えた唯一の人物でもある。

「122歳か、想像もつかねぇ」

「長寿と言ったらホッキョククジラが有名よ。211歳と分析された個体もいたそうよ」

 人間からすると200歳は化け物クラスの長寿だが、自然界にはもっと長寿な生き物がいる。

 カリフォルニア州のホワイト山脈のヒッコリーマツの樹齢は数千年を越えている。

 ベニクラゲは体の一部から完全に再生することができるため、不老不死のクラゲの異名を持つ。

「200オーバーはえげつない。にしては華薔薇は淡々としてるな」

「だって私は、天寿を全うするまで死ぬ気はないもの」

「ふーん」

 桔梗は気のない返事で答える。そもそも天寿の意味を知らないので、ピンとこないのだ。

 長寿の祝いで61歳は還暦、77歳は喜寿、88歳は米寿、100歳は紀寿、121歳は大還暦、などがある。

 天寿を全うするは、病気にならず寿命が尽き果てて自然死する、という意味で使用されるが、元々は長寿の祝いのひとつである。

 250歳のお祝いが天寿である。

 華薔薇は250歳を越えるまで死ぬ気はない。

 夢物語に思えるが、中国には256歳まで生きたという超長寿の伝説の人がいる。現在の医療と老化の研究が組み合わされば、決して夢物語ではないのかもしれない。

「ちなみに、もっと簡単にできる老化対策なんてあったりしませんかね」

 とても申し訳なさそうに桔梗は訪ねる。食事を減らすのも、運動するのも、寒いのも忌避するわがままな人が長生きする、そんな夢みたいな方法があるなら知りたい。

 ダメで元々。都合のいい魔法はあるはずがない、桔梗はあるわけないでしょ、と怒られるのを覚悟で尋ねる。

「あるわよ」

「そうだよな、そんな都合のいい魔法もビックリな方法なんて……えっ、あるのかよ! 魔法がビックリするようなご都合主義万歳な方法があるの?」

「老化を治療する薬が、ふたつほどあるわよ。毎日服用するだけで若返りが期待できる夢のようなものがあるのよ」

 薬なので、用量用法を守って飲むだけ。食事を減らす、運動する、寒さに耐える必要はない。薬効にて細胞の活性化を得られる。

「ひとつはメトホルミン。これは元々糖尿病患者に処方される薬なんだけど、一部の患者には糖尿病の治療以外の効果が現れた。認知症の低減、がんの予防、などの健康上のメリットがいくつも確認された。研究を進めていく内にカロリー制限と似た効果が確認され、老化治療の薬として期待されている。しかし問題があって、糖尿病の患者以外にメトホルミンが処方されることがない。つまり、一般人は購入不可能なのよ、買えるようになるのを待つしかない」

「買えんのかーい」

 どんなに素晴らしい薬でも手に入らないのなら意味はない。絵に描いた餅がいくら美味しく描けても食べることはできない。

「安心して、次に紹介するのはNMNというサプリよ。だからネットでポチれる。しかもNMNは有名人も飲んでいるようなサプリで、効果も期待できる。マウスにNMNを与えた実験があってね。高齢のマウスにNMNを与えたところ、一日で3キロ以上の距離を走るようになったのよ」

「えっーと、マウスの3キロって、どのくらいだよ?」

 人間で実験する前にマウスで実験するのは研究の常だが、桔梗にはマウスの基本的なデータはない。

 3キロがどれくらいすごい距離か理解できない。

「若いマウスの一日の総走行距離が1キロを越えない程度。人間に例えるなら、おじいちゃんが……そうね、友禅先生を思い浮かべて。友禅先生が一日に42.195km(フルマラソン)を3回完走する、といえば想像できるかしら」

 あくまで、たとえ話である。

「はぁぁぁぁ! おじいちゃん先生がフルマラソン完走。しかも3回かよ!」

 マウスと人間では同じ効果が得られるとは限らないが、十分に期待できる結果だ。

 実証段階なので効果は完全には保証されていないが、たくさんの研究者が絶賛しているのも事実だ。

「そんなすごいサプリがネットで買えるって、ヤバくない」

「欠点があるとするなら、値段ね。決して安くはない」

 ドラッグストアに売っているサプリと比べても数倍の値段がついている。また純度が高いものだと桁がひとつ変わる。

 老化の問題は自分の努力によって解決するか、お金の力で解決するかである。ちなみに両方の解決策を実践するのが確実性が高い。

「将来的には安くなるだろ」

「そうね、効果が証明されてたら、こぞって求める人が増えるでしょう。需要が増えれば供給も増えること間違いなし」

「えぬえむえぬが安くなるまで、食事を減らしながら、高強度インターバルトレーニングをしつつ、寒さに身をさらしながら、気長に待つよ」

 サプリに手を出すのは自分でできる努力がなくなってからでいい。まずは生活習慣を改善してからだ。

「いやー、未来は明るいな。長生きできたら時間に追われることもないんだろう。科学技術の進歩に万歳だ。科学に足を向けて寝られないな」

 将来的には老化する要素が体内から取り除けるようになったり、免疫力が上がるワクチンで癌とは無縁になったり、老化をリセットできるようになるかもしれない。

 具体的にいつ老化を恐れなくなる日が来るかはわからないが、現在の人類は不老という名の果実に手が届くところまで来ている。

「いやー、ほんと今日はためになったよ。さすがにサプリを越える魔法はないよな?」

「少なくとも私は知らないわ。現状はまだ実験段階だから、いずれ画期的な若返り術が発見されるでしょう」

 世界では今現在も遺伝子を解析したり、人体を研究したり、医療の発展が進められている。

 今日明日にでも世界を覆す新発見が発表されるかもしれない。

「いずれ……か。でもさ、おじいちゃん先生はいずれだとダメなんだ。今からどうにかしないと」

「食事、運動、寒さ、この三点をやるしかないでしょ。特にHIITの効果は高齢なほど顕著になるからね。それか老後資金をサプリに突っ込むか、ふたつにひとつよ」

 老化は十代から始まるが、高齢になってから対策を始めても効果はある。今すぐ始めれば健康寿命を延ばせるだろう。何もしなければ自然に老いていくに任せるしかない。

「手厳しいな。華薔薇はおじいちゃん先生に何かアドバイスとかないのか」

「……友禅先生にアドバイスねぇ。そうねーー」

 友禅菊十郎の長生きしたいという悩み相談が今回の雑談の始まり。きっかけをくれた友禅先生にアドバイスでお返しをしよう、という思いから桔梗は尋ねる。

「ーー特にないかな」

「……あっ、はい」

 桔梗のお節介は気休めにもならない。

 こうして雑談部の本日の活動は微妙な空気のまま終了するのだった。

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