第15話 無意識にしている下手な頼み方と知ればできる上手な頼み方

「頼む!」

 ある日の放課後。雑談部の部室に桔梗の大声が木霊した。

「超困ってて、これが上手くいかないと俺の人生がお先真っ暗なんだ。学校に行けず、働くこともできない。泥水を啜って生きていくしかないだろう。どうか助けてくれ!」

 これでもかと桔梗は華薔薇に頭を下げていた。普段は誰かの悩み相談を持ち込むが、今回ばかりは桔梗のピンチのようである。

「……」

 誠心誠意頼んでいる桔梗に対し、華薔薇は無言。いや、反応の一切がない。

「確かに、華薔薇には関係ないから、尋常ないくらい申し訳ないけどお願いしたい。華薔薇だって忙しいだろうし、本来ならお願いするのは筋違いだと思う。本当に悪いけど、お願いしたい」

 情に訴える内容から一変、今度は何度も頭を下げながらの懇願だ。

「…………」

 情に訴えようが、頭を下げようが華薔薇は無反応だ。

「華薔薇以外に頼める人がいたらよかったんだけど、俺のネットワークには華薔薇しかいなくて。雑談部に持ち込むのはよくないとは思っているんだけど、華薔薇ならどうにかしてくれると思って」

 特別感を出して華薔薇の優越感をくすぐる戦略。

「……」

 あの手この手で桔梗は鉄壁の牙城を崩そうと画策しているが、華薔薇は無反応を貫いている。防御に一切の傷すら寄せつけない。

「やってみたら意外と楽しいかもよ。それに普段と違う景色が広がっているから社会勉強になる。絶対、面白い奴もいるから友達の新規開拓にバッチリだ。ハッピーな気分になれること間違いない」

 押してダメなら引いてみよ、と桔梗は利益を強調してみる。胡散臭いセールスのようになっていたが、桔梗は気にしない。

「…………」

 どれだけ利益を説明されても眉ひとつ動かさない華薔薇。あまりに動かないから、知らない人が見たら精巧に造られた等身大の人形に話しかけている男子高校生だ。

「華薔薇ならササッと終わらせられる簡単なお手伝いだよ。20分、いや15分、いやいや華薔薇なら5分もかからない簡単なお手伝い。用事の途中に顔を出してくれだけでいいからさ。すぐに終わって、疲れることもないから」

 桔梗にとっては難しくとも華薔薇には簡単にできる。問題が容易く、疲弊することもない。

「……」

 簡単、容易、手間暇かからない、と些細なお願いであっても華薔薇は無反応のまま。

「雑談部のよしみで助けてくれよ。雑談部に足を運んで、雑談してる仲じゃん。この前は部室の鍵を開けたりしたしさ。少しくらいお返しがあっても罰は当たらないよ」

 持ちつ持たれつの関係でお願いする。桔梗が一方的に貸しているなら、借りを返してもらえるかもしれない。だが現実は厳しい、むしろ桔梗が常に借りる側。

「……………………」

 当然、華薔薇は無反応。華薔薇が取り立てても文句を言えないくらいに桔梗は与えられている。もっとも華薔薇は些細な利子を徴収する暇人ではない。

「くそっ、どうしてこんなに頼んでいるのにダメなんだよ」

「どうやら品切れのようね。桔梗にしては頑張ったようだけど、私の心は一ミリも揺れ動かなかったわ」

 華薔薇は桔梗を助ける義理はない。それなのに心も揺さぶれないようでは、頼みは聞いてもらえない。

「なんでだよ。俺が何かしたかよ、そんなに俺を助けたくないのかよ。こっちは熱心に頼んだのによ。何が悪いってんだよ!」

 桔梗が吠える。一生懸命にお願いをして、すげなくあしらわれては憤りも仕方ない。

「何が悪いって、そんなの決まっているでしょ」

「何だよ、態度か、顔か、それとも金が必要か」

「全部違う。そもそも頼み方が悪い」

 桔梗は様々な言葉を弄して頼んだが、その悉くが華薔薇を不愉快にさせる。

 気分を下げる相手の頼みなど誰が引き受けようか。もし受けるとするなら、弱味を握られているのだろう。

「じゃあさ、俺に頼み方を教えてくれっ!」

 腰を90度に曲げ、両手を顔の前で合わせる。今の桔梗にできる最大限のお願いだ。

「まあ、いいでしょう。今日は頼み方について雑談をしましょう」

 華薔薇が桔梗の哀願に心打たれた、なんていう奇跡はなく、これからもひどいお願いをされるのは勘弁願いたいからである。

 お願いされる度に不快になりたいとは思わない。受ける受けないを別にして、お願いされる立場なのだから、気分くらいはよくなりたい。

「まず言いたいのは、桔梗のさっきの頼み方はどれもこれもダメダメだった。むしろ私の機嫌を損ねるためにわざとやっていると疑ったくらいよ」

「わざとなわけないだろ。俺は真心込めて頼んでいたんだ」

 作為的だったらまだ救いがあった。桔梗の頼み方は悉くがダメなパターンを踏襲していた。

「真心を込めようが、頼み方が間違っていたら、相手を不快にさせるだけ。当然頼みは聞いてくれないし、相手から頼まれることもなくなるでしょう」

「うげっ!」

「それでは桔梗の頼み方がいかに間違いだったか教えてあげましょう」

「は、はい……」

 しょぼくれる桔梗。先程のやり取りを全否定されて落ち込む。悪い頼み方をしていたのは仕方ない。知らないなら、これから覚えていけばいい。


「さて、桔梗は最初に自分が苦境に立たされていることを殊更強調していたわね。共感というのは確かに頼みをする上で大事だけど、やり過ぎると逆効果よ」

 桔梗は最初、人生お先真っ暗や、泥水を啜って生きていくなど過酷な環境を主張した。

 適切な共感は協力を引き出せるが、度が過ぎてしまえば共感から遠ざかる。

「共感を引き出すには助けてもらう相手に想像してもらうこと。瓶の蓋が固くて開けれなくて手を赤くする、これくらいなら相手も想像できる。誰もが一度は経験しているから、困難を取り除いてあげたいと手伝ってくれる」

 しかしやり過ぎると逆に相手は引いてしまう。瓶の蓋を開けるだけなのに、血だらけの手を見せられたら、そんなに大変なのかと手伝ってもらえなくなる。二の足を踏むに違いない。

「あくまで適切な表現で頼むのよ。わかって?」

「わかった。やり過ぎ、ダメ絶対、だな」

 理解しているか怪しい桔梗だ。やり過ぎなければ問題ないので難しくない。実践を通して学んでいくしかない。

「共感でダメだった桔梗は次に、頭をやたらと下げていたわね。この謝る頼み方もダメなパターンよ」

「それもダメなの!? 実際頼む側からすると申し訳ないしさ、自然と俺は出ちゃうぜ」

 申し訳ない、本当は頼みたくない、忙しいのは重々承知している、等の言葉を用いられると、仮に頼みを受けるにしても気分はよくない。

 仕方ないから引き受ける頼み事にはコントロールされた感覚が付きまとう。人間は自分でコントロールできるときは気分がよくなるが、誰かにコントロールされているとモチベーションや幸福度が下がる。

「謝っていいのは、大きなミスをしたとか、埋め合わせが必要な場合だけ。頼みを聞いてもらうときに謝る必要は一切ない。覚えておきなさい」

「わかった。今後は謝りながら、頼むことはしない。ありがとな」

 謝るよりも、感謝を伝えれば満足感が高くなる。局所的に核心を突く桔梗だった。

「第三の頼みは、私にしかできない、とか言って優越感に浸らせたかったのかしら? 多少私の気分がよくなるかもしれないけど、桔梗の言い訳よね」

「ソンナコトナイヨ、オレ、スゴイトオモッテル」

 一方的に頼むのは悪いから言い訳めいた頼み方になってしまう。気が進まないが仕方ない、と捉えられてしまい、助ける側も達成感が得られない。

 信頼による助け合いに取引という冷たい無機質な異物が入り込めば、助ける気も失せてしまう。

「助けを求めることが気まずくても、言い訳はしてはいけない。相手を信頼しているなら、尚更よ」

 時間がない、お金がない、等の言い訳は最悪だ。自分がどのように見えるかではなく、相手がどんな気持ちになるかを考えると建設的だ。仲が近しいほど、時間やお金を言い訳にすると信頼感を失う。

「次からは言い訳しない。ムダな装飾を省けばいいんだ」

 頼む側に自分を正当化する言い訳は必要ない。助けてもらうのに、自分をよく見せようなど烏滸がましい。

「第四に、楽しいやハッピーになれる、と言っていたようだけど、これもダメ。メリットを強調してお得感を前面に押し出したようだけど、やり過ぎよ」

 頼む側が殊更にメリットをアピールすると頼まれる側は興ざめする。人間ならメリットに心揺さぶられるのは仕方ないが、押しつけられたり、決めつけられたりすると、助けてあげたい気持ちが萎む。

 手伝ってくれたらイベントに参加できる、くらいでいい。何か楽しいことが起こると予期させれば、後は勝手に想像を膨らませてくれる。何を得られるかは受け手の想像に任せればいい。

「嘘じゃないんだ。華薔薇が楽しめること間違いなしだよ。いろんな人が来るからお眼鏡に適う人の一人や二人はいる。絶対に満足できる、保証する」

「桔梗が私の何を知っているというの。そのメリットは本当に得られるか甚だ疑問よ」

 勝手に決めつけられてご立腹の華薔薇。新しい挑戦や新規の人脈を華薔薇も否定する気はない。むしろどこに原石が転がっているかわからないので、定期的に見識の及ばない催事やボランティアに参加もしている。

 証拠もないのに絶対に希望が叶うというのは言いすぎだ。興が削がれるもの仕方ない。

「絶対損はさせないんだ。だからーー」

「くどい!」

 華薔薇に一喝されて、渋々口を閉ざす桔梗。

 どれだけメリットを主張しても、華薔薇には逆効果だ。一度興味を失ったら、もう一度興味を持ってもらうのは至難だ。

「第五に簡単なことをアピールしていたわね。もちろん、これもダメ。頼みが大きいと引き受けてもらえない懸念から、頼みを小さく見せたのでしょう」

「そんなことはないって、華薔薇なら実際に簡単だと思ったからだ」

 桔梗の考えが華薔薇に正確に伝わるとは限らない。簡単な頼みをしていると普段から簡単な頼みしかしていないと、侮られているように感じる。

 頼み方が悪ければ、この程度のことしかできない奴と下に見られる。信頼関係が崩壊するのも秒読み段階だ。

 しかも、頼んだ側はなぜ信頼関係が崩壊した理由に思い至らない。よかれと思ってしていた簡単な頼み事が原因だとは少しも勘づかない。

「頼むなら大きく見せるのも、小さく見せるのもダメ。ありのままが一番」

「ふむふむ、ありのままの姿を見せて、ありのままの自分を見せるだな」

 それは違う、華薔薇のツッコミが炸裂する。

 気のせいか部室の気温が下がったのか、少し寒気を感じるのだった。

「第六の頼み方、雑談部のよしみとか、借りがあるとかなんとか。私はね、この頼み方が一番ーー」

 不愉快だった、と憎悪を含んだ言葉を付け足す華薔薇だった。

「……っ!」

 不意の悪意に桔梗の背筋が凍る。額からは冷や汗が流れ、直立不動の姿勢で固まる。蛇に睨まれた蛙状態だ。

「借り、というのは確かに大きな原動力になる。でもね、殊更借りを強調されたら不愉快よ。過去の借りを思い出させて、頼みを引き受けさせるのは一種の脅迫よ。相手が気弱だったら押し通せるかもね」

 借りというのは相手にコントロールされている感覚に陥る。謝る頼み方のようにコントロールされるとモチベーションや幸福度が下がる。

「何より不愉快なのは、まるで私が桔梗に借りがあると思われていること。……本当に屈辱だわ」

 桔梗が雑談部を訪れるのは桔梗の意思だ。華薔薇がお願いしたことは一切ない。それなのに華薔薇が桔梗にお願いしているような物言いは不快極まりない。

「いいこと桔梗、私が桔梗に何かをお願いすることはない。そして鍵の開け閉め程度のことで借りだと思わないように。器が知れるわ」

 鍵の開け閉め程度で何か手伝った気になっているようでは大した人間ではない。

 ケツの穴の小さい男には華薔薇も感謝する気が失せる。

「むしろ私が借りを取り立てないことに感謝しなさい」

「いつも助かってます、華薔薇様、ははー」

 両膝をついてひれ伏す桔梗。時代劇の一場面のようである。役柄は華薔薇が女傑の姫様で、桔梗が冴えない家臣だ。

「ふふっ、面を上げなさい。その返しに免じて許すわ」

「ありがたき幸せにございまする」

 華薔薇の表情に笑みが戻る。本気で憎悪していたわけではなく、半分はポーズだった。最初から適度な所で切り上げる予定だったので、桔梗の芝居かがった演技は都合がよかった。

 雑談部なのに言論の封殺をしていては本末転倒。雑談を邪魔する行為全般は基本的に長続きしないのだ。

「行きすぎた共感、謝る、言い訳、メリットの押し売り、簡単アピール、借りの脅し、これらがダメな頼み方のパターンというのは理解したわね」

「俺はよかれと思ってたんだ。華薔薇を不快にさせるつもりはこれっぽっちもなかった、気に障ったなら、謝る。ごめんなさい」

 桔梗に華薔薇を害するつもりはなかった。ただ作戦の悉くが予定とは裏腹に悪い方向へ向かった。

「ダメなパターンは理解したから、早く思うがまま操る頼み方を教えてくれ」

「思うがまま操るのは洗脳よ。私がこれから雑談するのは、あくまで頼み事を引き受けてくれる確率を上がる方法。他人を支配するようなゲスいのと違う」

 人を思うがまま操るには心理学の専門知識と相手の詳細が必要になる。雑談部で雑談するには荷が重い。

「なんだ、残念。でも、頼みを聞いてくれるなら、華薔薇も快く引き受けてくれるようになる。どっちしろお得だぜ」

 華薔薇から教わったテクニックを華薔薇に利用していては意図がバレバレである。知らないよりは引き受けてくれるかもしれないが、都合よくことが運ぶとは思えない。


 ここからは上手な頼み方の始まりだ。

「上手な頼み方ひとつめは、仲間意識よ」

 人間の脳は他者と共存する機能が備わっている。人類の生存競争に勝ち抜くために必要な能力である。誰もが生まれた時から所持している。

「桔梗は雑談部のよしみ、という言葉を使っていたけど、これは正解ね。同じ集団に所属しているのは、重要なアイデンティティになる」

「よかったぁ、いいこともあったんだ。全否定は辛すぎるからな。少しは報われる」

 真っ黒な画用紙に白い点がひとつあると一際目立つ。桔梗の心境も同じ。

 いくら一点がよかろうと、その他が悪いようでは全体が悪い。

 テストで、×が99個並んだ後に正解の○がひとつあっても、テストの成績は1点だ。異分子に注目するのは当然だが、全体が悪いのなら、結局のところ埋没してしまう。

「偶然正解を出しただけで喜ばないように。桔梗の頼み方が最悪なのは変わらないのよ」

 いろんなパターンを試せば、ひとつくらいはヒットする。任意の行動ならともかく、偶然では褒めようがない。

「せめて失敗から学びなさい。失敗が許されるうちに」

 失敗から学び、次の成功に繋げたら、それは失敗ではない。成功のための糧。

「わかった、これからどんどん失敗を量産する。アフターケアは頼んだ、雑談部の仲間として」

「断る」

「しょんにゃー」

 失敗はしないに越したことはない。結果として失敗するならともかく、失敗を目標にしてはいけない。

 また、華薔薇が桔梗の尻拭いをする義理はない。仲間意識を強調しようと、桔梗の頼みを断るのは必然だ。

「人は無意識に他人を仲間や敵にカテゴライズするのよ。同じ集団に所属していることを仄めかすと頼みを聞いたもらえるようになる」

「えっ、じゃあ、敵だと頼んでも無意味なのか?」

「そんなことはないわ。たとえ敵であろうと、共通点を指摘すると仲間意識が芽生えるわ。スポーツで敵対していても、同じスポーツをする選手。意見が対立しても、達成する目標は同じ。一人の異性を巡って競争していても、スマホの機種が同じなら、仲間意識が芽生えるのものよ」

 人は、敵に対して厳しいが、仲間は贔屓する。一度仲間にしてしまえば、頼みは聞いてもらえる。

 共通点はどんなに些細でも効果がある。学校なら、クラスメイトや部活動、同じ公共交通機関を利用しているだけでいい。持ち物ならスマホやハンカチ、時計、鞄、全く同じは難しいが、色や形が同じのものはある。

 普段の会話でさりげなく指摘すると相手は知らずに仲間と思うようになる。仲間からの頼みは簡単には断られない。

「華薔薇との共通点か。同じ部活に同じ学生、後はなんだ?」

「共通点探しが絶望的に下手ね。普段の観察力がショボいから、その程度しか出てこない」

「いやー、はっはっはっ」

 共通点を見つけられず、笑って誤魔化す桔梗だった。仲間意識を持たれても困るので、華薔薇から共通点の指摘はしない。

「陳腐だけど、一緒にという言葉を使うのをオススメするわ」

 一緒に、と聞くだけで、他者との結びつきが感じられる。誰かとの繋がりは仲間意識を呼び起こす。

 ただ手伝ってください、というより一緒に作業しましょう、と誘った方が引き受けてくれる確率が上がる。

「共通の目標があるとチーム内に助け合いの雰囲気を作れる。助けてもらいたいなら、チームの目標を決めることね」

 同じ目標を持つ人に敏感に反応する。その人が成功するか、失敗するかで自分の指標になる。

 誰かが失敗すると自分も失敗する可能性が高くなる。自分が失敗する

イメージが膨らむので、失敗を回避するために積極的に手伝うようになる。

「あれ、雑談部の目標って知らないな」

 ふとした疑問が桔梗に生じる。悩み相談を持ち込んでいるが、悩み相談を解決する場所ではない、と桔梗も重々承知している。

 なら、一体、雑談部の目標はなんだろう。

「いつも言っているでしょ、ここは雑談部、面白おかしくお喋りする場所」

「ああ、なるほど。それが雑談部の目標だったんだ」

 特に引っかかりなく納得する桔梗。

「仲間意識だけじゃ動いてくれない人もいる。そんなときは自尊心をくすぐってやりなさい。あなたにしか頼めない、とでも言えばイチコロよ」

 人は根本的にいい人と思われたい欲がある。誰かを助けることで欲が満たされる。特にあなただからという特別感が一層自尊心を刺激する。

 お金や物は代替可能に対して、あなただからという言葉は代替不可能を示唆している。自分にしかできない、自分以外に助けられる人はいない、これらは自尊心を高める要因になる。

 言い換えてしまえば、数量限定の商品と同じだ。限定品には希少価値がある。

「それって、俺も言った覚えがある。全然華薔薇には響かなかったぞ」

「桔梗の場合は言いすぎ。自尊心をくすぐるより、胡散臭さが前面に押し出されていたわ。あんまり強調するようだと、裏があると勘ぐるものよ。何事もほどほどが一番ね」

 押しが強いと無意識に引いてしまう。

 相撲のように押し出すゲームなら強いが、人付き合いでは適度な距離感が大切なのは言うまでもない。

「残念にも仲間意識や自尊心でも動かない人は一定数いる。そんな人には手応えを感じてもらうと動いてくれるわ」

「手応え? コリコリした食感とか」

「それは歯応え。じゃなくて、自分の行動で誰かや何かに影響を及ぼしている感覚を覚えさせたり、イメージさせることで頼みを引き受けてもらいやすくなる」

 研究でも証明されている。

 実験では、被験者に二つの慈善団体を提示し、どちらに寄付をするかを決めてもらう。

 ひとつは恵まれない子供に寄付をする。もうひとつはマラリアが蔓延する地域に蚊帳を送るために寄付をする。

 実験の結果、後者の方が寄付が集まった。また、寄付の額が大きいほどに幸福度が上がること確認された。

 困っている人の立場が明確だと、助けるイメージが容易なため手応えがわかりやすい。そのため行動に移す人が多くなった。

 この結果は見ず知らずの人より、知人や友人を率先して助けることを説明できる。助ける側が、助けた後のことを想像しやすいからだ。

 得られる結果が想像できると、人は動く。さらに、助けるためにより労力を割いた方が幸せを得られる。

「お願いする際にそれとなく状況を説明したり、助けてもらったら何が起こるかを説明すると、頼みを聞いてくれる」

「結果を想像させるんだな。それじゃあ、テスト勉強に付き合ってよりも、テストで高得点を取りたい、みたいなこと?」

「いいと思うわ。前者はテスト勉強に付き合っても時間が取られて、得られるメリットが感じられない。対して後者は、返却されたテストを見て喜ぶ姿が想像できる。これは手応えとして十分よ、よくできました」

 華薔薇が珍しく桔梗を手放しで褒める。

「素直に褒められると照れる。だが、華薔薇から素直に褒められると、裏があるんじゃないか心配だ」

「失敬ね。いいことがあったら私だって褒めるわよ」

 日頃の行いなのだろう。

 華薔薇は褒めるより、ぶっちぎりで貶すことが多い。桔梗の脳裏には褒められた記憶がとんとない。

「それと、どんな頼みかははっきり伝える必要があるけど、助けられる方はどんな方法で助けてもらうのか文句を言ってはいけない。時間がない中で時間を融通してくれてる場合もある」

 頼み事の結果が十全なものとは限らない。しかし相手も時間、お金、人脈を駆使して動いてくれている。なのに結果に文句を言っていては相手の気分を害する。

 満足のいく結果が得られないのは、事前にはっきりと目的を説明しない方が悪い。助ける側、助けられる側に齟齬があるということだ。

「そりゃそうだよな。助けられる奴が横柄だと、助けたくないな」

「全く、その通りよ。桔梗も同意してくれて嬉しいわ」

「いやいや、当然のことを言っただけだよ」

「殊勝な態度を心がけないとね」

「そうだな、へりくだるのはよくないな」

「………………………………」

「えっ、なんだよ!?」

「…………ふぅ、なんでもないわ」

「いやいやいやいや、何かあったんだろ!」

 だから、なんでもない、と華薔薇は再度何もなかったと主張する。

「気になるだろうがっあああ!」

「うるさいっ、雑談部は決して大声を上げる部活動じゃないのよ。もっと普通のトーンでお喋りしなさい」

 察しなかった桔梗が悪いのか。

 ぼかしてはっきりと説明しない華薔薇が悪いのか。

 二人きりの部室には是非を判定する第三者はいない。結果として、両者はモヤモヤを抱えたままになる。

「……ごほん、気を取り直して、人に頼むときに注意すべきは仲間意識、自尊心、手応えの三点を忘れないこと」

 普通に頼んだら手伝うか断るか迷うような頼みなら、みっつのテクニックを使えばイエスを引き出せる。

「わかった。俺って雑談部だよな、ちょっと華薔薇に手伝ってほしいことがあるんだ」

「お断りよ」

「華薔薇にしかできないことなんだけどさ、一考してくれない」

「拒否します」

「助けてくれたら、俺ってば超ハッピーなんだけど」

「嫌よ」

 いい頼み方を速攻で実践するも、桔梗の戦績は芳しくない。

 華薔薇に元からテクニックがバレていることや、華薔薇が桔梗を助ける義理がないため、頼み方で改善しようが華薔薇は動かない。

「なんでだよっ! 頼みを聞いてくれるんじゃないのかよっ! 即断即決で救いの手を払いのけられた。折角聞いたのに意味がなぁい」

 最初から断る気満々な華薔薇を動かすには付け焼き刃のテクニックではどうにもならない。

 あくまで今回の雑談はちょっとした頼みや、頼みの成功率を上げるテクニック。誰彼構わず、内容に関わらず、頼みを聞いてもらう万能なテクニックとはほど遠い。

「華薔薇ぁぁぁ、もっと他に頼みを聞いてくれる方法はないのか?」

「仕方ないから、おまけで教えて上げる。メールやSNSのメッセージでテキストで頼むより、対面して直接頼んだ方が圧倒的に断られにくいのよ」

 メールの頼み事の場合、信頼の構築が難しい。また頼み事が真剣か下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる作戦かの判断もつかない。

 対して対面していると気まずさや恥ずかしさから断る割合が減る。その場で断らないといけないので、余計に断りづらい状況である。

 メールは時間をかけることもできるし、気まずさを感じにくいので断りやすい。

「今聞きたいのと違うぅぅぅ。滅茶対面しながら頼んだのに断られてるよ、俺っ!」

「ふふふっ」

 桔梗はどうにかして華薔薇に頼みを聞いてもらいたいが、華薔薇は端から受ける気がない。

 いくら桔梗が策を巡らそうが焼け石に水。むしろ華薔薇は奔走する桔梗を見て面白がっている。

 桔梗が策を巡らして奔走すればするほどに華薔薇は楽しめる。

「うがあああ、どうすればいいんだよっ!」

「頭をフル回転させて、全知識を総動員すれば、いいことあるかもね?」

 華薔薇が可能性を示唆するが、あくまで可能性である。実際に行動に移す確率は限りなくゼロに近い。

「神様仏様華薔薇、なんかいい方法をプリーズ」

「私からは、もうないかな。だから神様か仏様に頼みなさい。さっきのテクニックを使って」

 底意地の悪い華薔薇と一人相撲している桔梗。

「神様仏様、俺は初詣には神社でお賽銭してます、他に頼れる人がいないんです、頼みを聞いてくれたらとてもハッピーになれます。だから、俺に新しい頼み方のテクニックを伝授してください。この通り」

 桔梗が体の前で合掌する。華薔薇はニコニコしながら目の前の喜劇を鑑賞する。知人に面白い喜劇があるとオススメしたいくらいに気に入っている。

 桔梗劇団の公演があるなら、プレミアムチケットを予約開始と同時に購入するだろう。

「……そういえば、」

 ふと、華薔薇は疑問に思う。

(桔梗の頼みはなんだったかしら?)

 聞き忘れたのか、そもそも桔梗が話していないのか、華薔薇も思い出せない。

(ま、いっか)

 目の前の喜劇に比べたら、桔梗の頼み事の内容は取るに足らない些末事。

 華薔薇はいつまでも桔梗の空回りする姿で愛おしむのであった。

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