第11話 クイズをさせられました

「まだですかねぇ、キョウ先輩」

「もうすぐ来るんじゃね、待ってりゃいいよ」

 ある日の放課後の雑談部にて二人の生徒が主役の登場を待ちわびている。

 一人は放課後の利用頻度が高い桔梗。

 もう一人は放課後に部室に来るのが稀な自称レアキャラな風信。

 二人は放課後早々に雑談部へとやって来ては、主役の華薔薇を待ちわびている。

 放課後にすることもなかった桔梗は早々に雑談部へやって来ると、偶然入口で風信と遭遇し、そのまま二人で華薔薇を待つ運びとなった。

 そのため珍しく桔梗が華薔薇を待つという普段とは逆の構図が出来上がった。

「それにしても遅いですね。バラ先輩は何をしているんでしょうか?」

「そういや、華薔薇ってどんな生活してんだろ? 雑談部以外、何してるか全く知らん。謎な女だな」

 桔梗と華薔薇の接点は雑談部しかない。クラスが違うので授業で見かけることもない。休み時間にすれ違うくらいなら、あるだろうが桔梗に覚えはない。

「えっ!? もしかして華薔薇ってぼっちなのか?」

 世界の真実に気づいたレベルの驚き。桔梗には世紀の大発見であった。

「ないですないです。普通にバラ先輩は慕われてますよ、先輩にも後輩にも。キョウ先輩が知らなさすぎなんです。もうちょっとバラ先輩を見てあげてください」

「よかったよかった。華薔薇がぼっちだったらどうしようか焦ったぜ。悪いがネコよ、俺はいつだって華薔薇を見つめてる。いや、魅いられてる。あの美しさは見てて飽きない、眼福だな」

 華薔薇の容姿が抜群なのは風信も一部の隙もなく同意する。しかし風信の本題は中身の話。常にアップデートされる知識、引き付ける話術、何事にも動じない精神、的確な雑談、何よりたゆまぬ努力こそが華薔薇の真骨頂。見た目の美しさに目を奪われているようではまだまだだ。

「本当にバラ先輩はすごいです。優雅に見える白鳥も、水面下では必死に足を動かしてします。とっても努力しているのですよ。その努力している姿なんて誰にも一切見せませんが」

「ネコは華薔薇が好きなんだな。うんうん、努力は素晴らしい。待てよ、華薔薇ってぼっちだから、遊ぶ時間がないから、全て努力に全振りしてるのか。まさか、そんな、なんて可哀想なんだ」

 風信としては華薔薇の中身がすばらしいことをプレゼンしたのだか、何故かぼっちの方向に舵を切っている。そんなはずじゃない、と呆然となる。

「桔梗に同情される謂れはないのだけれど」

 全く失礼な男ね、とご立腹の様子で華薔薇が部室に入る。

「私には世界中に友達がいるのよ。学校内や精々SNSの繋がりしかない桔梗と同じにしないで」

 華薔薇の交遊関係はかなり広い。インターネットで簡単に世界と繋がる時代では国境は簡単に飛び越えられる。英語ならアメリカやヨーロッパだけでなく、アジア圏の人も話者が多い。

「誰が可哀想よ。私は毎日好きなことをして、成長して、新しいことに挑戦してるのよ。桔梗よりよっぽど幸せな人生を送っているの。桔梗と比べられるなんて屈辱よ」

「やーい、やーい、キョウ先輩詰られてやんの」

 ここぞとばかりに風信が追撃する。

「そこまで言わんくてもいいじゃん」

「いいえ、必要よ。本来私と桔梗は交わるような世界に生きていないの。学校のクラスメイトと放課後遊んでいる桔梗と、世界中のイベントに参加している私。見ている世界が違うのよ」

 世界を股にかける華薔薇と学校で完結する桔梗。二人は同じ学校に通っているだけの関係だ。

 二人が立っているステージは規模も設備も大きく違う。ライブハウスと武道館を比べるようなもの。どちらが影響力が大きいのは一目瞭然だ。

「なんだよ、俺たち同じ学校の生徒だろ。そんなに違わないだろ」

「違いますぅ、キョウ先輩とバラ先輩は全然違いますぅ」

「なんだよ二人して、寄って集って俺をいじめやがる。はいはい、華薔薇はすごい、とてもすごい、超すごい。これでいいんだろ」

 二対一は分が悪いと踏んだのか間を置かずに降伏宣言する桔梗。

「……やれやれ」

 華薔薇が静かに憂いの声を漏らす。

「グッジョブ、バラ先輩」

 華薔薇が大々的にアピールをしていた理由は自慢したかったからではない。少し前から部室の入口にいた華薔薇は風信と桔梗の会話を聞いていた。

 桔梗は入口に背を向けていたので華薔薇に気づいておらず、風信だけが気づいていた。あっ、と驚かせるために部室に入らないようにハンドサインを送った。

 二人の会話の中で、桔梗が華薔薇を過小評価していることがわかり、風信はアイコンタクトで桔梗をぎゃふんと言わせてとお願いした。

 結果、タイミングを見計らった華薔薇が突撃し、自慢が炸裂した。

 華薔薇の誤解が少し溶けて風信もご満悦だ。

「それで、珍しくネコがいるようだけど、何か用事?」

 部室の定位置に着いた華薔薇は放課後に滅多に顔を合わさない来訪者に問いかける。十中八九目的あっての来訪だろうと予測する。

「それはですね、キョウ先輩の語彙力を試そうかと思って、今日は部室に来ました」

「俺のごいりょく?」

 何も話を聞いていない桔梗は突然の主役抜擢に驚く。さらにに語彙力がなんなのかわからず二重に驚く。

「キョウ先輩も雑談部に所属して結構な日数が経過してますよね。雑談を通じて昔よりもボキャブラリーが豊富になっているはずです。だから、それを試そうと思い立ちまして、本日は放課後に雑談部にお邪魔することにしました」

 桔梗も雑談部に入部してから数々の雑談を経験した。真面目に取り組んでいれば様々な知識や言葉を増やしているに違いない。

「具体的には?」

「今からですね、キョウ先輩に画像を見せます。その内容を口頭でバラ先輩に伝えてもらいます。クイズ形式にしましたので、バラ先輩がキョウ先輩から聞き取った内容を吟味して答えてください」

 クイズは難しくしましたので、キョウ先輩は答えられないと思います、とナチュラルにディスる風信だった。

「ネコはクイズで遊びたいだけでしょ」

「まあ、そうとも言います(てへっ)」

 風信はクイズで遊びたいというのは正確ではない。正確にはクイズを使って桔梗で遊びたい、だ。あざとい仕草も可愛いも華薔薇を騙すに至らない。

 二人の裏に隠された実情に全く気づかない桔梗は、単純に面白そう、とはしゃぐのだった。

「まあ、桔梗が乗り気のようだし、付き合いましょう」

 華薔薇が若干上からなのは、本来雑談部の活動とはかけ離れているからだ。語彙力を雑談と結びつけてはいるが、実際はただのクイズだ。クイズがしたいならクイズ研究会に行くべきだ。そんな思いがあるからわざわざ付き合ってあげると態度に出てしまった。

 普段から辛辣な華薔薇だから、桔梗も風信も上から目線でも気にしない。慣れているので気にも止めない。

「キョウ先輩もやる気みたいですし、さっそく始めましょう」

「爆速で解いてやるぜ」

 風信があらかじめ用意してきた画像を桔梗に見せる。華薔薇は少し位置を離して、念のため画像を見ないように目を閉じる。

「えーっと、何々、食材が一杯並んでるな。これらの食材から作られる伝統料理を答えよ、だって。つまり食材の名前を言っていけばいいんだな」

「その通りです。では、はりきってどうぞ。特に制限時間は設けていませんので、ゆっくり考えても大丈夫です」

 バラ先輩の堪忍袋の緒が切れなければですが、と風信は他人事のように付け足す。

 華薔薇もクイズに同意した以上、理不尽に怒ることはない。あまりに桔梗が不甲斐なければ別だが。

「一番大きいのが、魚だ。トマトに玉ねぎもある。あと緑色の葉っぱも」

「一番大事な魚の名前がわからないと答えられないでしょうが!」

「どうどう、バラ先輩。その不便さを楽しむゲームですよ」

 どんな魚を使っているかで料理を絞れる。しかし肝心の魚がわからないと華薔薇もどうしようもない。

「魚の大きさはどれくらい?」

「まあまあ大きい」

「何色?」

「赤っぽい」

「他に特徴は?」

「えっとだな、わからん。魚っぽい魚だぞ」

 いくつか質問してわかったのは赤色の魚というとこ。赤色の魚なんて無数にいる。他のヒントは伝統料理ということ。

「赤い魚でしょ。カサゴ……の伝統料理は知らない。アカムツ……は一応塩焼きがあるけど、伝統料理じゃない」

「はい、アカムツの塩焼きではなありません。残念。バラ先輩、頑張ってください」

「桔梗、魚以外の食材をもう一度教えて?」

「おう、トマト、玉ねぎ、葉っぱまでは言ったから、ピーマンもあるな、後は白い粉がある。多分塩か砂糖だと思う。透明な液体も二種類ある」

 情報が増えたが答えに繋がるものはない。塩や砂糖を使うのは当たり前なので、意味はない。他に調味料として液体が二種類あるそうだが、詳細不明ではどうしようもない。

 お酢、みりん、酒、白ワイン、出汁、と種類は豊富だ。他にも絞り汁なども加えると選択肢は無数にある。

 特定できないのならヒントの役割は果たしていない。

「絞りきれない。仕方ない、ローラーするか。キンメダイの煮付け」

「ブブー、違いまーす」

 コイのうま煮。つけあげ。ブリ大根。からかい煮。ばらずし。へしこ。カツオのたたき。ルイベ。イクラの醤油漬け。なめろう。タコ飯。エイの煮こごり。法楽焼。えび天。じゃこ天。どんこ汁。なれずし。

 魚に関する料理をあげたが、いずれも不正解。無数にある中から正解を選ぶのは無謀だった。

「バラ先輩、本来の趣旨と外れるのでローラー作戦は禁止です」

 元々桔梗の語彙力を試すという建前がある。華薔薇の知識でごり押しするゲームではない。

「それもそうね。桔梗もひとつひとつ詳しく説明して」

「華薔薇も大分苦戦してるな。画像が見れたら一発なんだろうけど」

 誰のせいで苦労しているのか、問い詰めたい気持ちを抑えて、華薔薇は聞き役に徹する。

「魚なんだけど、形はのっぺりしていて、よく見るとヒレが黒っぽい」

「……もしかして、アクアパッツァかしら。アクアパッツァなら野菜も使う。調味料がオリーブオイルだとしたら、辻褄は合いそう」

「違います。でも、かなり近づいてます。ローラーするより断然いいです」

 風信の声色から一部の予想が当たっていると想像できる。ローラー作戦では日本料理のみ列挙したが、それが不評というのなら正解は海外の料理となる可能性が高い。

「赤、魚、野菜、伝統料理…………バカラオ?」

「ブブー、不正解です。そもそもバカラオはタラを使います、全然赤くないです。料理は確かに赤いですが、トマトの赤さです」

 ばかりはタラの塩漬け、もしくはそれを用いた料理を指す。ノルウェーではタラやエビをトマトソースで煮込んだ家庭料理がある。

「バラ先輩、八方塞がりですか? もしよかったらヒント出しますよ」

「……赤い魚、タコの輸出が多いのは中国、モロッコ、モーリタニア、メキシコだったかしら。メキシコはタコス、魚は関係ない」

 何かヒントはないかと関連する言葉を広げていく。

「グアテマラ、エルサルバドル、コスタリカ、ダメね。そもそも伝統料理を知らない。コロンビアはバンデハ・パイサ、アヒアコ、アレパだったかしら。どれも該当しない。ペルーはロモ・サルタードやアンティクーチョは肉料理、あっ……見つけた、でも、あれって……」

「おお、答え後わかったのか」

「セビーチェ」

「大~正~解。答えはペルーの伝統料理セビーチェでした。食材はタイ、赤玉ねぎ、ピーマン、香菜、塩、レモンの絞り汁、オリーブオイルでした」

「ちょっと待ちなさい。セビーチェは白身魚の他にタコやエビ、シーフードを使った料理よ。タイ以外に魚はなかったじゃない。まさか桔梗が見逃したの」

 大事な情報を見逃したのではないかと、華薔薇が桔梗を睨みつける。

「画像には魚は一匹だけだって、間違いない」

 思わぬ飛び火に即座に弁解する。

「あっ、すいません。タコやエビも用意してたんですけど、魚は同じ皿に用意したので、上に乗っているタイで下のタコやエビが隠れていました。よく見るとタイが盛り上がってます」

「そんなんわかんねぇよっ! 誰が食材が隠されてるなんて邪推すんだよ」

 桔梗の怒りもさもありなん。今回の問題は悪意がある。食材を隠すのは悪意にまみれている。華薔薇も風信を擁護する気はない。予想以上に苦労したのは華薔薇も同じだ。

「いやー、すいません。つい作ってるときに楽しくなっちゃって。度が過ぎました。反省です。次からは普通ですよ…………多分」

 一度ついた不信感は簡単に払拭はできない。今後の風信は疑われても仕方ない。

「気を取り直して、キョウ先輩への問題です。こちらをご覧ください。ちゃんとバラ先輩に伝えてくださいね」

「えーっと、何々。この作品の正式名称を答えよ、だってさ。真ん中に手足を広げた人がいて、そこから四本のオレンジ色の光が出てる」

 作品という言葉だと、それが絵画、写真、彫刻、建物、工芸、陶芸、華道など、多岐に渡るため判別できない。まずはどのジャンルか知る必要がある。

「ストップ。そもそも作品は何? 絵なのか、像なのか、雑貨なのか」

「多分、絵だと思う。とりあえず立体物じゃないのは確定してる」

 クイズを用意したのは他でもない食材で食材を隠す前科の持ち主。実は立体のものを平面に見せかけている可能性は否定できない。

 一応、絵画作品という前提で進めるが、他の可能性を排除せずに想像を巡らす華薔薇だった。

「えっと絵の左側には男性がいて、帽子かな? 丸っぽい何かを持ってる。右側には女性がいて、近くに大きなフォークがある。真ん中の下の方には木でなんかが組み上げられてる」

 拙いながら一生懸命に説明する。

「手足を広げた人とオレンジ色ね。左右に男女がいる。もう少し情報が必要ね」

 絵画は無数の存在する。有名なものから無名のものまで。実際に見ていないから想像で補うしかないため、情報は少しでも多い方がいい。

「真ん中の上の方には赤っぽい、ってまた赤かよ。まあ、赤っぽい扉? がある」

「大分情報が出てきましたね。どうですかバラ先輩、わかります?」

「おおよそ、見当はついたわ。おそらく真ん中のさらに上には手を広げた人がいるんじゃないかしら?」

 おお、正解、と桔梗は画像を見ていない華薔薇に感心する。

「これは簡単だったわ。答えは『ペルピニャン駅』よ」

「バラ先輩、正解と言いたいんですが、不正解です。キョウ先輩はもう一度、問題を読んでもらっていいですか」

 不正解を突きつけられて華薔薇は訝しむ。想像通りの絵画なら『ペルピニャン駅』で間違いない。サルバドール・ダリが制作者だって知っている。

「問題を読んだらいいんだな。この作品の正式名称を答えよ、だ」

「そういうことか! やってくれるね、ネコ」

 華薔薇なら意味を理解してくれると確信していた風信はしたり顔だ。ついていけない桔梗にはさっぱりだ。

「サルバドール・ダリ制作の『ペルピニャン駅』は一般的な呼び方で、正式名称があるのよ。しかも世界一長い絵画のタイトル、としてね」

「はい、その通りです。ではバラ先輩、正式名称をどうぞ」

「ふぅ……『”ポップ、オップ、月並派、大いに結構”と題する作品の上に、反重力状態でいるダリを眺めるガラ、その画面には冬眠の隔世遺伝の状態にあるミレーの晩鐘の悩ましげな二人の人物が認められ、前方にひろがる空は、全宇宙の集中するペルピニャン駅のまさに中心で、突如としてマルトの巨大な十字架に変形するはずである。』……でしょ」

「素晴らしい、正解です。お見事です。圧巻ですね」

「めっちゃ長いタイトルだな。つーか、よく覚えれるな」

 世界一長い絵画のタイトルは伊達ではない。

「『ペルピニャン駅』の手を広げている人はダリ本人だとされているわ。女性はダリの妻のガラだそう。桔梗が扉と言ったのは蒸気機関車ね」

 対称軸を組み合わせ、効果的に光を描写している。ダークブラウンやイエローが配色された構図は、ペルピニャン駅は宇宙の中心と考えたダリの思想の表現だそうだ。

「ここまでは難しい問題でしたが、次の問題は身近にあるものの名前です。ひとつひとつは簡単ですので、次々に問題を出しますね」

 仕掛け満載のクイズを出して、どの口が言うのか、という悪態は飲み込んで次のクイズに備える華薔薇。

「まずはこちら」

「ふむふむ、手の甲が写ってて、親指が反っててできるへこみ」

「解剖学的嗅ぎたばこ入れ」

 親指の付け根。ふたつの腱に挟まれた、親指を反らせたときにできるくぼみのこと。

「バラ先輩には簡単すぎでしたね。次も簡単です」

「見たことある。新品の靴下を留めてる、あのちっこい金属のやつ」

「ソッパス、もしくはソクパスね」

 靴下用のクリップ。爪先とゴム口の二ヶ所で靴下をまとめる。脆いため、使い捨てである。

「バラ先輩に隙はありませんね」

「今度は靴か。靴紐の先端についてるあれか。えっ、あれも名前あんの?」

「それはアグレットよ」

 靴紐の先端についているプラスチックや金属の小さな覆い。紐がほつれるのを防ぎ、穴に通しやすくするためにある。

「次はキョウ先輩でも知ってる可能性ありますね」

「なんだなんだ、あっこれはあれだよ、商店街の福引きで使うやつ、ガラガラだろ」

「新井式廻轉抽籤器よ。帽子屋を営んでいた新井卓也氏が客への抽選サービスのために開発したもの」

 新井卓也氏は特許申請しており、認められている。しかし現在では特許権は切れている。ちなみに関東ではガラポン、関西ではガラカラと呼ばれるのが一般的。

「じゃんじゃん行きますよ」

「おっ、うまそう。肉まんかな、それともあんまんかな、それの下についてるペラペラのやつか」

「ああ、グラシン紙ね」

 グラシン紙があることで中華まん同士や蒸し器と引っ付かなくなる。中華まんから出る水分が接着剤の役割を果たすので、グラシン紙がないと悲惨なことになる。

「次も食べ物問題です」

「食パンか、うーんと食パンの袋を留めてるクリップか。水色のやつ」

「バッグ・クロージャー。アメリカの特許商品ね」

 アメリカのクイック・ロック社の創業者フロイド・パクストンが開発した留め具だ。日本では埼玉県川口市にある工場でのみ製造されている。

「またまた食べ物からの出題です」

「魚の形をした醤油が入ってる容器」

「ランチャーム」

 お弁当などて見かけるポリエチレンの容器。名前の由来はランチとチャーミングを合わせたもの。駅弁の普及とともにランチャームが広く採用され、百貨店でも採用されことから、日本全国から注文が入る人気商品になった。

「まだまだあります、食べ物問題」

「食べ物好きすぎだろ。これはレストランで見るな。カレーを入れる、擦ったら魔人でも出てきそうなあの器」

「グレイビーボート」

 カレーと関わりのありそうなインドで誕生したと思いきや発祥はイギリスである。元々はグレイビーソースを入れるための容器だったが、カレーと一緒に伝わったため使用方法が誤解されたようだ。

 カレーを救うおたまのような形のものをグレイビーレードルという名前がついている。

「食べ物問題は終わりました。ここまで全然詰まってませんね。さすがバラ先輩。キョウ先輩もなかなかのアシストです」

「これはドラマで見たことある。裁判の時にカンカン叩くやつ。一度は叩いてみたいな」

「うーん、ガベルね」

 裁判や議会などで用いられる儀礼用の小型の木槌のこと。日本の裁判で使われることはない。世界的にはオークションで使われている。

「これまで全問正解。素直に脱帽です」

「次は、これプチプチじゃん。潰すと楽しい、段ボールに入ってるクッション」

「気泡緩衝材」

 簡単に清掃できる壁紙を開発しようとしたが、誤って空気が入ったことで生まれた偶然の発明品だ。

 ちなみに八月八日はプチプチの日である。

「次かラストです。最後は難しいですよ」

「ん? えんぴつか。えんぴつと消しゴムの間にある銀色のやつか」

「フェルールよ」

 えんぴつと消しゴムを繋ぐ金属の金具のこと。日本語では継手と呼ぶ。

「まさかまさかの全問正解ですか。天晴れですね」

「これだけベタ問だと間違えるのが難しいくらいよ」

「ベタ問って?」

 クイズの定番問題。クイズでよく問われる問題をベタ問と呼ぶ。

「問題の選定が悪かったのよ」

「いやー、付け焼き刃の知識じゃ、敵いませんね」

「安心しろネコ、俺はひとつもわからなかった」

 桔梗が無知をアピールする。風信を慰める意図でもあったのだろうが、風信は特段落ち込んでいない。

「調べたらすぐにわかるけど、そもそも調べようとしないとわからない問題なのは確かね」

 興味があれば調べる。日常生活で困ることもないので、興味がなければ調べることもない。クイズとは大半が役に立たない知識だ。

「次が泣いても笑っても最終問題です。先に言っておきます、この問題は正解させる気がありません。かなりの難問です。でも安心してください、答えがないような理不尽な問題ではありません。ちゃんと答えはあります」

「へぇ、食材を隠したり、長い正式名称を問題にしておいて今さらね。正々堂々が裸足で逃げ出すわよ」

 風信のわかりやすい挑発に嫌味で応える華薔薇。目には見えない熾烈な争いが巻き起こる。

「次がラストか、どんな問題だろ。楽しみだな」

 華薔薇と風信が苛烈なバトルをしている中、桔梗は暢気にクイズに思いを馳せる。

 結局、シンプルにゲームを楽しむのがベストだ。

 のほほんしている桔梗に毒気を抜かれる二人だった。

「楽しみにしているキョウ先輩を待たせるのも忍びないですね。それでは最終問題を始めましょう。ラストクイズの画像です、どうぞ」

 桔梗が最後の画像に目を通す。華薔薇が最終問題に正解できるかは桔梗の語彙力にかかっている。

 華薔薇は目を閉じて、桔梗と風信の言葉に集中する。最終問題も正解して全問正解で終わらせるために。

「女性が写ってるな。かなり綺麗な人だ。それで、この人は誰? だって、名前を答える問題みたいだ。白い服を着てる若い女性の絵だな。困ったな、これ以上の情報がない」

 どうにか画像の内容を伝えようと桔梗はつぶさに観察するが、そもそもの情報が少ない画像なので伝える内容がない。ない袖は振れないのは仕方ない。

「なるほど。極端に情報が少ない絵なのね。シンプルな絵が残っている人を探せと。確かに難問ね」

 苦戦を口にする姿と裏腹に華薔薇は内心楽しんでいる。解けるレベルの難問に挑む行為がそもそも楽しく、難問を正解した喜びはひとしおだと知っている。

 難問で壁にぶち当たろうと挫ける弱い心は持ち合わせていない。

「さすがにバラ先輩も苦戦してますね」

「そんなことないわ。これから華麗に正解するから、指を咥えて見てなさい。桔梗、まず女性は日本人? ヨーロッパか、中東か。肌色から見当つくでしょ?」

「多分ヨーロッパの人。肌は白くて……よく見ると髪の毛が茶髪か金髪だな。頭にも白い布を巻いてるから、この画像だと髪の毛の色はわからん」

 ヨーロッパの若い女性。白い服を着ている。髪色は茶色か金色。まだまだ情報が少ないので候補は数知れない。

「大体の年齢は何歳くらい?」

「うーん、俺たちと同じくらいか、少し上だな。30は確実に越えてない」

 若い頃の絵なのは間違いない。当人が何歳まで存命していたかはわからない。若くして亡くなったのか、天寿を全うしたのかは不明だ。

「白い服はドレスなのかしら? ドレスなら飾りがついてない?」

「うーん、これってドレスなのか? なんか服というより布って感じ。上半身しか写ってないから、判別できん」

 ドレスを着ていなくて上半身しか写っていない。全身が写っていない絵となると候補は絞れる。ただし画像が未加工なら、という前提が必要だ。

「その絵はいつ頃書かれたと思う?」

「めっちゃ古いって印象もないし、最近の絵の感じもしないんだよな。15世紀とか、16世紀なんじゃないの。自信はないけど」

 無限の選択肢の中から選ぶ場合、大雑把な情報でもありがたい。答えに辿り着くにはまだまだ時間がかかる。

「……………………」

「あれれ、黙りこんで、もしかしてギブアップですか」

 風信の煽りを無視して考え込む華薔薇。頭の中ではヨーロッパの白い服を着た若い女性を検索しているが、結果は芳しくない。

「すまねえ、俺がもっと上手く伝えられたら……」

 桔梗も粉骨砕身取り組んでいるが、そもそも伝えられる情報が少ないから仕方ない。

「何かないか、服を着てるから腕すら見えないし、振り返ってるから体の前の方も見えないんだよな……」

「待って!」

 何気なく呟いた桔梗の言葉にパナソニックは大きく反応する。

「振り返っている? どんな風に振り返っているの?」

「えっ!? えーっと、体は向こう側を向いてて、首から上だけがこっちを向いてる感じ」

「……わかった。その女性の正体がわかったわ」

 答え合わせまだでも、確信を持っている華薔薇。間違えるはずないと自信満々である。

「嘘ですよ。そんな簡単にわかりませんよ」

 難問に設定した風信は華薔薇がもっと頭を悩ませると思っていた。もっと時間がかかるか、最悪ギブアップすることさえ想定していた。たった数分で解ける問題ではない。

「さすが華薔薇、さっそく答えを教えてくれ」

「最初は若い女性、白い服だからマリー・アントワネットやマリア・テレジアあたりを想像したのよ。ひっかけでジャンヌ・ダルクとか、エリザベス1世もあり得るなと思ったわ。ポンパドゥール夫人、デュ・バリー夫人、果てにはシモネッタ・ヴェスプッチの可能性も検討したのよ」

「…………」

 想像以上に苦労しているようで言葉もでない桔梗。

「でもね、振り返っている、と聞いて、私はひとつの絵画を思い出したの。フェルメールの代表作『真珠の耳飾りの少女』を」

 オランダの画家ヨハネス・フェルメールの代表作。『青いターバンの少女』とも呼ばれている。マウリッツハイス美術館に所蔵されている作品だ。

 真珠の耳飾りをつけ、青いターバンを巻いた少女が肩越しに振り返る作品。とても有名で見たことがある人も多い。

「ネコは『真珠の耳飾りの少女』を知っているでしょ。思い出して、とてもよく似ていると思わない、問題の画像と」

「……ええ、とても似ていると思います」

「だって真似て描いた作品だと指摘されているもの」

 実際にフェルメールが真似をしたかは定かではない。構図や振り返る様子、ターバンなどの共通点は多い。

「もったいぶる必要もないでしょう。答えはズバリ、ベアトリーチェ・チェンチよ」

「……ふう、正解です。まさかまさかですよ、調べた作品が有名な作品の元になってたなんて、知らなかったです。こんな簡単に答えられるはずじゃなかったんですよ。バラ先輩の知識には圧倒されます」

「リサーチ不足ね」

 グイド・レーニの『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』がフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』と似ている話は美術業界では有名だ。決してマニアックな情報ではない。インターネットの検索で簡単に調べられる内容だ。調査能力が低いと目の前の情報に飛び付いてしまい、それが全てだと勘違いして、他の情報を調べなくなる。

「その通りですね。以後気を付けます。……バラ先輩をギャフンと言わせられると思ってたのに、残念です」

「問題のチョイスは悪くなかったわよ。私がギリギリ答えられる範囲だったもの。もう少しマイナーだったら危ういでしょう」

 華薔薇と風信は互いに健闘を称え会う。そこに待ったをかけるのが桔梗だ。

「ちょっと待て、いい雰囲気を壊すのは申し訳ないが、ベアトリーチェ・チェンチって誰やねん」

「それはね」

「それは?」

「自分で調べなさい。ひとつ言えるのは、その絵の通りに美しい女性よ」

 雑談部の活動といえど、なんでもかんでも雑談することはない。

「なんだよ、それ。じゃあ、ネコ教えてくれ」

「バラ先輩が雑談しないなら、これ以上言うことはないです。キョウ先輩が調べる他ありません」

 風信もクイズを作成する段階でベアトリーチェ・チェンチについて調べた。どのような生涯を送ったかのあらましは知っている。しかし、華薔薇が雑学を拒否したなら、同じく従うまで。

 桔梗がベアトリーチェ・チェンチを知るには自分で調べるしかない。

「ちぇー、少しくらい教えてくれてもいいのに。ケチだなぁ」

「ケチで結構。桔梗にケチと思われても痛くも痒くもない」

「言えてます。キョウ先輩からの評価なんて犬に食わせましょう」

 二人して俺をいじめるなっ、と桔梗は叫喚するも、当の二人はどこ吹く風。風のない日の湖面のように凪の状態。

「いやー、今日は楽しかったです。色々悔しい思いもしましたが、大満足です。反省すべき点も多々ありましたが、やることやったので帰ろうかと思います」

「あらそう、それじゃあ今日の雑談部の活動はここまでね」

 ベアトリーチェ・チェンチのことでモヤモヤしている桔梗を尻目に、華薔薇と風信は帰り支度を済ませる。

「くそっ、俺も帰る」

 満足の華薔薇、大満足の風信、歯痒い桔梗、三者三様の様子で雑談部の活動は終了した。


 ベアトリーチェ・チェンチ。

 1577年2月6日、イタリアのローマで生まれる。

 母親は7歳の頃に死去。家族は父、兄、そして父親の二番目の妻(義母)がいた。

 父親に虐待されていたベアトリーチェは兄、義母、召使いの協力を得て、父親の殺害を計画する。

 1598年9月8日夜、ベアトリーチェはアヘン入りのワインを父親に飲ませて眠らせ、撲殺する。死体をバルコニーから落とし、事故に見せかけた。

 しかし捜査の手からは逃れられず、ベアトリーチェらは逮捕される。有罪判決を受け、死刑を宣告される。

 市民からは教皇に嘆願書が寄せられたが、聞き入れられなかった。

 1599年9月11日、ローマのサン・タンジェロ橋広場にて断頭台の露と消えた。

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