第6話 祝福されしドラコンの花嫁

 アリシアはいま酷く混乱していた。なぜここにブロイドがいるのかと、なぜ自分に剣を向けているのかと……


「ブロイドさま? これは一体?……」


「やあアリシア、君をねドラゴンから取り返しに来たんだけど、でもなんかずいぶんと奇妙な事になっている様だねえ」


「よせ人間、アリシアを傷つけるな!」


 ラフィンドルは動きを止めた。ラフィンドルだけではない、いまこの場にいる者すべてがブロイドを見つめ成り行きを見守っている。


「ごらんよ、ドラゴンが本当に焦っている。君を花嫁にしたとか言っていたから半信半疑で人質にとってみたけれど、こりゃ驚いた!」


「は、離して下さい! 私は疑いもなくラフィンドルさまの花嫁です、帰るつもりもありません!」


「おいおい、何だかこれじゃあ僕が悪役みたいじゃないか。君のレイオン伯父さんに頼まれて助けに来たというのにさ」


「伯父さまに? なら伯父さまにもお伝え下さい、私とラフィンドルさまの事はもう放っておいて下さいって」


 ラフィンドルはいま怒りを覚えていた。死んでこいと自分たちで送りだしたアリシアを、今度はまたそれを返せという人間たちの身勝手さにだ。

 アリシアをまるで物か何かの様に扱うその態度が不快極まりない。こやつらは一度でもアリシアの気持ちを考えた事があるのだろうか──


「人間よ、もう一度言う、アリシアを離せ」


「ほう、ドラゴンさん、そんなにこの娘が大事ですか?」


「己の花嫁を大事に思わぬ者がどこにいる」


「アハハ、こいつは傑作だ。ドラゴンと人間の夫婦とか、気持ち悪すぎる!」


 ブロイドはこう話している間にも次の一手をどうするかと考えている。アリシアを人質にしたまま脱出するのが一番無難ではある。だがその後がどうなるか……


 それに、このドラゴンのアリシアへの感情を利用しないのは惜しい。上手く利用してドラゴンを殺せたならば自分は英雄だ、そうなれば出世は思いのままだろう──


 愚鈍な者が欲に囚われれば、それは無謀と化する──いまのブロイドがまさにそれであった。


「そうですね……そんなにアリシアが大事なら、ドラゴンさん、あなた死んで下さい」


「…………」


「なっ? 何を仰るのですかブロイドさま、馬鹿なことを!」


 ブロイドはアリシアの首筋に当てた剣に少し力を込め、その薄皮一枚を破って細い血を流させた。


「ドラゴンさん、僕は本気ですよ? いまアリシアを生きて連れ戻せても、あなたがあとで花嫁を取り返しにでも来たら僕たちなんて簡単に殺されてしまう。ならいまアリシアを道連れに死んでも同じことです」


「人間よ、アリシアを離せ。そして立ち去れ、それで話は収まる」


「収まりませんよ、あなたが現れたおかげで僕は冷飯食ひやめしぐいの三男に逆戻りだ。だが死んでくれれば僕はドラゴン殺しの英雄になれるんです」


 アリシアは悲しいなと思った。あんなに明るくて一緒にいると嬉しかった人だったのに、ブロイドの心にも闇があったのかと思うと心が痛んだのだ。


 だからと言って自分が犠牲になるのはもう嫌だった。

 そうだ、やっと見つけた自分の幸せを、やっと見つけた未来への希望を奪われてなるものか! たとえ運命に逆らってでも──


「さあドラゴンさん、あなたが死ぬかアリシアが死ぬか、どちらか一つを選んで下さいよ」


「そんなのどちらも選ばせませんッ!」


 そう拒絶したアリシアはラフィンドルに教わった魔法で火球を作りだすと、それをブロイドの顔へと叩き付けた。


 不意をつかれ顔の半分を焼かれたブロイドは叫び声を上げ、思わずアリシアを手放す。

 その一瞬の隙を見逃さずアリシアはラフィンドルへと駆け出した。


 しかし、焼かれなかった方のブロイドの目がその後ろ姿を捉えていて──


「何をするかっ、この女ッ!」


 アリシアの背中を剣で深々と斬り裂いたのである。


「アリシアッ! おのれ人間めッ!」


 ラフィンドルの口から真っ赤な炎がこぼれた途端、それが一閃となってブロイドの身体を包み込む。


「ギャアアッ!」


 そして一瞬のうちにその身体は灰塵かいじんとなって消え果てた。

 それを見た騎士と兵士たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出して行ったようだ。


「アリシアっ、大丈夫かっ!?」


 ラフィンドルは巨体揺らしながらアリシアの元へと急ぐ。


「ラフィさま……」


「ここだっ、俺はここにいるっ! 今すぐ魔法で治療をしてやるからな? 気をしっかり持つのだ、よいなっ?」


「ふふ、そんなに慌てたラフィさまを見るのは初めてです……私、何だかちょっと嬉しいかも……」


「今は話すな、気力を保つことに集中せよ、それで魔法の効果が変わってくる」


「はい……」


 だがアリシアの意識はその返事とは裏腹に遠退いてゆき、そのまま気を失ってしまったのであった────



 その日からずっとラフィンドルは魔法で治療を続け、ようやく剣で斬られた傷口が塞がる気配を見せたのは二日後のことだった。

 だが傷はかなり深いところまで届いている致命傷である。まったく安心できる状況ではない。


 人間の身体とはこうも脆いものなのかとラフィンドルは歯噛みした。ドラゴンの身体なら瞬く間に回復する傷なのにと……


 もともと人間の身体は魔法との親和性が低い。故にその身体に詳しい人間の回復師にアリシアの治療を任せることも考えた。

 しかしラフィンドルは自分以上の魔法を扱える者は人間の中にはいまいと諦める。


 いまは魔法をかけ続けその効果が現れるのを祈るしかなかった──




 アリシア奪還に失敗した兵士と騎士たちは、ロマーダ伯爵邸へと戻っていた。


 いま邸内ではブロイドの助勢として同行した騎士たちが、事の顛末をアリシアの伯父であるレイオン・ロマーダ侯爵に報告している。


「ブロイドの奴めが……アリシアを、儂の可愛い姪を斬ったと申すかッ!」


「は、はい……即死とも思える深手でしたので、我々も奪還を諦めて戻ってきた次第です……」


 みるみる顔を赤くし鬼の形相となったレイオンは、その恐ろしい外見とは裏腹な静かな声でイザーネを近くに呼ぶ。

 だがイザーネは腰が抜けたように一歩も動けずにその場で口を震わせた。


「わ、私のせいじゃない……」


 レイオンは剣の柄を握りながら立ち上がると、「なら誰のせいだ」と問いながらイザーネへと近寄る。


「そ、それは……」


 しかしイザーネがそのあとの言葉を続けることはなかった。何故ならいま、その首が床に転がっていたからだ。


 こうして継承者を失ったロマーダ伯爵家は取り潰しとなり、イザーネの二人の子供たちは追放の身となったのである。




 シトシトと昨晩からの冷たい雨が、今朝も洞窟の外では降りしきっていた。

 そんななかアリシアは四日目にして昏睡から目を覚ましたようだ。


「ラフィさま……」


「アリシア、目が覚めたか?」


 しかしそれは治療が効いてのことではない。依然としてアリシアは死の境にいた。


「私まだ、生きていますの?」


「ああ、もちろんだよ、俺が花嫁を死なせると思うかい?」


 するとアリシアは僅かに微笑む。

 その微笑みの意味はラフィンドルには分からなかったが、とても切ないように思えた。


「ねえラフィさま……」


「ん? なんだね?」


「私を、ラフィさまの花嫁にしてくれて、ありがとう」


「ああ、俺こそ幸せ者だ。千二百年も生きてきたが、こんなにも幸せなのは初めてだよ」


「ラフィさまは、とても長く生きてこられたのでしたわね……私はまだ、たった十六年ですわ」


 そう言った後アリシアは少し息苦しそうにして、小さな咳を続けた。


「さあ、もう寝なさい、話はまた今度にしよう」


 心配そうにラフィンドルはそう促すのだが、アリシアは静かに首を横に振ったのである。


「いいえ……いま寝たらもう、起きられないような気がします」


 それはアリシアの最後の我が儘わがままなのかもしれないと、そう思えたラフィンドルは言葉を失ってしまった。


 そして、とうとう自分は決断しなければならないのだと悟る。

 アリシアが昏睡している間、ずっと考えていた一つの事を──


「そうか、ならアリシアに俺の秘密を聞かせてあげようか」


「まあ……ぜひ聞かせてください」


「うん、実はね、俺は子供の頃は人間だったんだよ」


「ウフフ、冗談ばっかり」


「そう思うかい? でもね、本当の話なんだ」


 ラフィンドルは昔に自分を変化させたドラゴンの祝福の話をアリシアにした。

 その後に祝福について研究した結果、それが呪いであったと判明し、今では自分もそれを扱える事も。


「呪い、だったのですか……」


 アリシアは話を聞いて疲れたのだろう、少し呼吸が荒い。


「うん、呪いだ。恐いかい?」


「いいえ、ちっとも。それに私にとっては呪いではなくて、やっぱり祝福ですわ」


「どういう意味かな?」


「だって……ラフィさまがドラゴンでなかったら、私はラフィさまの花嫁にはなれませんでしたもの。だから祝福なんです」


 うつろな目をして話すアリシアの視界は、なぜだか急に暗くなっていく。


「ラフィさま……どこにいますの?」


「ここにいるよ、アリシア」


「私……ラフィさまに……お別れを言わなくちゃ……」


「まて! アリシアっ!」


 ラフィンドルはアリシアに必死で魔法をかけ、ギリギリに命を繋ぎ止める。


「アリシアはもし、自分がドラゴンになってしまったら嫌か!?」


「フフ……ラフィさまは……おかしなことをきますのね……嫌かだなんて……そんなわけがあると……思いまして?」


 アリシアはかすかな微笑み浮かべ、消えそうなほど小さな声で言ったのだった。


「だって……私はドラゴンの花嫁ですもの」


 その瞬間、ラフィンドルは決断した。


──祝福あれと。




 ♢*♢*♢*♢*♢




 ある旅人がすれ違う農夫に訊ねた──あの山の峠を越えたいのだが、そこにはドラゴンが棲んでいると言うのは本当かね?


 その農夫は答える──ああ、本当だ。つがいのドラゴンが棲んでいなさるよ。


 それを聞いて、なんて恐ろしいと顔色を変えた旅人に農夫は笑って言った──恐ろしいだって? とんでもねえ。あの山に棲む番のドラゴンはもう何百年もの間、穏やかに暮らしていなさるんだぜ?


 すると大空で翼を羽ばたかせた番のドラゴンが、白い雲間にちらりとみえる。


 農夫はそれを見上げて言った──ごらんなさい、今日も仲良く夫婦で散歩をしていなさるよ。


 なんともまあ幸せそうじゃないかね。



〈了〉

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祝福されしドラゴンの花嫁~継母に虐げられている伯爵令嬢の私は、婚約者にも見捨てられドラゴンへの生け贄と成り果てる~ 灰色テッポ @kasajiro

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