最終話 選んだ道

「──さん…雫…さん」


何処かで声が聞こえる。それは暗闇の中で次第にはっきりとしていき、雫由みゆは徐に瞳を開いた。あたりは既に明るく日が昇っていて、意識を失っていた事に気づくまで時間はかからなかった。


「雫由さん!無事でよかったです。一時はどうなる事かと……」


目の前には心底ほっとした様子の纈がいる。その様子から、ゆはたは雫由を探しにここまで来てくれたのだと一瞬で理解出来た。


「ご、ごめんなさい。私、書物を見つけて抜け出してしまって……」


体を起こして雫由は辺りを見回す。起きた出来事をどう説明するべきか必死に思考を巡らす。何か情報になるものは無いだろうか。そこまで考えた時、わたるの御守りを握りしめていることに気づく。


「……あの、纈さん。私、これを元の場所に返して欲しいと言われたんです」


おずおずと御守りを見せる。纈は受け取ると食い入るように御守りを凝視した。瞳には驚きや焦燥、戸惑いが燻って見える。


「これは、僕の神社の物ですが何故ここに……」


そこまで言うと纈は合点がいったように大きく頷き、御守りを懐へと仕舞う。そして過去を懐かしむように目を細めた。


「この御守りは、弥が十になる頃に両親が送ったものなんです」

「そう、だったんですね……私、夢か現か分からないんですが、弥くんにあった気がして。まず部屋で書物を見つけて──」


事の顛末を話そうと雫由は必死に順序だてる。だが、雫由が説明するまでもなく、纈の理解は早かった。


「その書物は、『幽言を聞き、霊験をみる』というものですよね。貴女はそれを読んでここに来たのでは?」


図星だった。雫由は一度俯くと叱責を覚悟してそのまま顔を上げた。


「はい……気づいたんですね」


事実を包み隠さず吐露する。綾織神社に向かった事やそこで聞いた鈴の音のこと、山に向かったら書物通り霊験──弥を見てそこで聞いた事も全て。


「なるほど。そんな事が」

「信じて下さるんですか?」

「そうですね……確かに普通は真か疑うかも知れませんが、先程雫由さんからもらった御守りが物語っていると思います」


穏やかに言うと纈は社に目を向けた。


「幸せになってほしい、ですか。弥らしいですね」


寂しげな横顔。纈は過去を追憶しているのだろうか。雫由は弥が行方不明になった当時のように、何も言わずにただ纈の横に並ぶ。暫時流れる緩やかな沈黙。それを先に破ったのは纈の方だった。


「弥は僕に許嫁が決まった時に、雫由さんのことを話していました。僕達には幸せになって欲しい、祝言のときは、自分が役に立つんだ……と」


纈の切なげな声に心が痛む。きっと弥は雫由と纈の式を誰よりも楽しみにしていたのだろう。たった一回の誤ちで、取り返しのつかないことになる。その言葉を本当の意味で理解した気がする。


「ですが雫由さん、貴女は無事でよかったです。倒れていたのを見つけた時は肝が冷えましたが」


最後の一言が少し強まったのは気のせいではないだろう。


「ご、ごめんなさい。あの──」

「無事も確認できましたし、そろそろ戻りましょうか」


お咎めを覚悟していた雫由はあまりにも自然な纈に思わず呆然とする。抜け出した挙句、山で倒れて迷惑をかけたというのに、纈はいつも通り穏やかだ。ひとつ先を歩く纈の背中を見ながら雫由が居た堪れない気持ちになっていたその時、一度もお礼を告げていないことに気づき雫由は纈に顔を向けた。


「纈さん……探しに来て下さってありがとうございます」


勢いよく頭を下げた雫由に纈は驚いたように目を見開いて──次の瞬間、柔らかな笑みを零した。


「いえ、探すのは当然です。それに貴女には祝言の事で長年負担をかけてしまっています。ですのでこれくらいは──」

「ち、違うんです」


言葉を遮る。纈は昨日の雫由の様子を見て言っているのだろう。だからこそ本心は今伝えなければならない。震える手を握りしめ、雫由は纈を見上げる。


「私は恋から逃げていたんです……本当は何処か心の底では纈さんに対しての気持に気づいていました」


ふとした時に纈を見てしまうのも、安心するのも一緒に居たいと思うのも、弥と話し終えた今思えば全部恋の現れだった。


「けれど、纈さんは冷静で私よりもしっかりして。私は纈さんと釣り合わないのだと何処かで自信をなくしていたんです。自分の気持に気付かないふりをしていました」


真剣に想いを伝えてくれた纈。危険な山へ探しに来たり、雫由を一番に考えてくれていた。にも関わらず逃げていた自身に嫌気がさす。もう逃げるのではなく、気持ちに向き合わなければいけない。


「……不束者ですがよろしくお願いします」

微笑を浮かべて纈の手を取る。柔らかな風が緩く結いた雫由の髪を靡かせる。それは祝福の風のように。

「……雫由さん、それで後悔はないんですか?」

「はい──しません」


 懸念するように聞いてくる纈に思わず軽く吹き出す。数刻前にあった弥も同じ事を聞いてきた気がする。兄弟はやはり似ているのかもしれない。思えば、自身の想いに向き合えたのも弥との会話があったからだ。

(……自分で選んで進んだ道できっと幸せになる。だからその時はまた──)


またここに来て今度は幸せな姿を二人で弥に見せにいこう。届かずにすり抜けて消えてしまう鏡花水月に微睡むことのないように。弥が思い描いた未来がただの幻想で終わらないように。


「そろそろ帰りましょう。雫由さんのお父上も心配しておりましたし」


想いを確かめるように互いに手を取りあう。


  "ありがとう,,


一歩踏み出したその時ふと囁くような声が聞こえた気がして、雫由は帰り際に鳥居を一瞥した。鳥居は朝日を反射し、傍に立つ樹の葉が爽やかな夏の香を乗せて風に揺らいでいた。

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《作者から》

読んでくださっている方ありがとうございます!!これで一応完結にはなりますが、実はもうひと展開入れようと思っているので10月中にまたここに番外編(3話ほど)を投稿し、更新しようと思います!

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鏡花水月に微睡む 東雲紗凪 @tutunome

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