第8話 遺跡の魔物達

 ほんの一時間ほど前までは酒場にいたが、今は険しい森の中を歩き続けている。鬱蒼としげる草が顔にかかり、ヘタをすると頬を切ってしまいそうだった。


「おいエクスとやら、もうへばってんじゃねえのか」

「大丈夫です」


 先頭を歩くラングは時折振り向くと、最後尾にいる俺を見つけてはため息を漏らしていた。そんな姿を見て何がおかしいのか、ジリアーナさんはクックと笑う。


「辛くなったら言ってくださいねエクスさん。私もね、実は少々息が上がってきたところなんです」


 実はこの場にはもう一人いる。ラングの相棒を務めているという魔導師ジョンという人だ。年齢にして四十後半といったところだろうか。スキンヘッドの強そうな戦士とは、もう二十年以上の付き合いらしい。


 ここまでの道のりも結構なものだった。馬車を借りて隣村まで向かい、近くにある山道をひたすらに登り続けていたんだ。疲れないほうがおかしい気がする。


「おっと! 見えてきたじゃんか。ラング、あそこなんだろ?」

「おうよ! どうやらゴブリンどもは十匹くらいらしいんだが、かなり狡猾だって噂だ」

「隠れましょう。奴らが出てきましたよ」


 ジョンの声に従い、一同は木陰に身を隠した。走れば一分もかからないほどの距離に古ぼけた遺跡の入り口が見える。そこから二匹ほどのゴブリンがやってきて、しきりに周囲を警戒していた。


「け。まるで自分の縄張りだと言わんばかりだよな、あいつら」


 ラングは小さく舌打ちして、手にした斧に力を込めていた。ゴブリンは現代では相当に数が減っているが、そのずる賢さと意外な身体能力の高さで生き延びている種族らしい。二匹とも小さな盾と棍棒を持ち、皮で作られた鎧を着込んでいた。


「ジリアーナさん。あなたは何も隠れる必要などないのでは?」


 ジョンが不思議そうに首を傾げている。


「いいんだよ。あたし達が大体やってる基本ってやつを、まずはエクスに見せてやりたいのさ」

「え、俺に……ですか」


 俺には彼女の考えがどうも分からなかった。


「さて、私の魔力はそこまで高くありませんから、今使用していてはもちませんよ。ローコストな眠りの魔法も距離的には難しいでしょうし。どうしますか?」


 ジョンは相手を眠らせる魔法を使えるのか。内心羨ましくて堪らなくなったが、ここは嫉妬しているような場合ではない。

 ジリアーナさんは長く透き通るような紫髪を掻き分けると、背中に隠れていた細く小さな弓を手に取る。


 そうか。正面から向かっていくのではなく、遠くから見張りを倒してこっそり侵入するつもりなのか。確かに、そのほうが効率はいいし危険も少ない。


「あたしとラングで一匹ずつ仕留めよう。まあ、上手くいくかは分からないけどね」

「上手くいかなきゃ困るだろうがよ。仲間を呼ばれちまうぜ。エクス、俺にも弓だ」


 荷物持ち係として参加している俺は、すぐに道具袋から彼用の弓と矢を取り出して手渡した。受け取ったラングはすぐに目標めがけて構えをとっている。スキンヘッドの逞しい背中が隆起してるようだ。


「こうしよっか。さん、にい、いちで矢を放つ感じ」

「まあ、大体はそうしているよな」


 簡単な相談が終わり、ジリアーナさんもまた弓を構えた。彼女の構えには、ラングのようないかにも戦士然とした猛々しさはない。代わりに何か美しいというか、無駄なものを削ぎ落とした芸術のようなものを感じた。


 俺はまだ彼女が剣を抜いて戦ったところを見たことがなかったが、きっと今日は嫌でも目に焼きつけることになるだろう。二人とも弓を引き切っている。きっと一番ドキドキしていたのは俺だったと思う。


 気がつけばジリアーナさんは合図を言い終え、細くしなやかな指先から矢を離していた。ラングが矢を放ったのも彼女とほぼ同時だった。


 しかし、事は俺が予想していた楽観的な事態とは少々異なっている。ジリアーナさんの矢は少しだけ上にしなるように飛び、ゴブリンの額をあっさりと貫き即死させた。前のめりに崩れ落ち、何度か痙攣した後に間違いなく死んだ。


 ここまではいい。だが、ラングの矢はもう一匹いるゴブリンの胸部分に浅く刺さり、殺すまでには至らなかったのだ。


「あっとー。一匹残っちゃったね。ってことは」

「くそ! 俺としたことが」


 生き残ったゴブリンが悲鳴を上げる。するとほんの数秒足らずで四、五匹のゴブリン達が遺跡から駆け出て、矢を放った方向へと迫ってくる。つまり俺たちの所に。


 ジリアーナさんは愉快そうに口元を緩めている。そして右肩に預けていた一本の長くしなった剣を抜いた。剣身は海よりも深い青色をしている。


「くそったれ! 向かってくるなら好都合だぜ。あんな奴ら、この俺様一人で仕留めてやらあ!」


 片膝をついていたラングが立ち上がり、斧に唾をかけて走り出した。まるで人の皮を被った猛牛だ。そしてすぐさま剣や槍を持ったゴブリン達と乱戦になる。


 人と魔物との戦いは遥か大昔より続いている、終わりのない残酷なショーだという貴族がいる。確かに、初めてみるその殺し合いは見ていて気持ちの良いものではない。


 ラングが斧を振り回せば、ゴブリン達は必死にかわしつつ、彼のどこかしらを斬りつけようと狙う。剣と槍と斧を躊躇なく叩きつけあい、お互いが少しずつ消耗していくのだ。


 遺跡から更に魔物の増援がやってくる。しかも今度は六匹だ。ラングが豪快に振り回す姿を、ちょっと遠間からジリアーナさんは眺めていた。彼女はどうしてすぐに加勢しないのかと思っていたが、どうやら斧を豪快に振り回す戦士の邪魔をしないように努めていたようだ。


 彼女はラングとの交戦から少しでもゴブリンが離れると、音もなく接近して容赦無く首を刎ねた。無駄が一切なく、まるで流れ作業を手抜きしながらやっているみたい。


 ただ、ラングは少しずつ息が上がってきているようにも見える。彼は大丈夫だろうかと俺は内心焦りを覚えたが、その時ジョンが何かをつぶやいていることに気がついた。


 次に思ったのは、彼の口ずさんでいる意味不明な言葉が懐かしかったことだ。魔法を使うには必ず詠唱を唱える必要がある。彼が放とうとしているのは、俺が覚えたくても覚えられなかった魔法の一つだった。

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