第3話 新生活の始まり

 今にも壊れそうなボロい馬車に揺られること三日。俺は一度も足を踏み入れたことがない町へと降ろされた。


 馬を操っていた男は哀れんでいるような目を向けた後、すぐに去っていった。あっという間に一人になってしまい、呆気に取られるばかりだ。


 荷台には餞別代わりのお金が乱暴に置かれていた。ざっと見積もって1000Gといったところか。多分一日の食代だけでほとんどなくなってしまう程度の金額だ。


 とにかくここで生きていくしかないらしい。最初は不安と悲しみに包まれたスタートだったと思う。入り口の立て札には町の名前が刻まれている。


 立て札には【大陸一平和な町、ラークスパーへようこそ!】と書かれていて、いかにも楽しそうな可愛い男の子と女の子が描かれていた。うーん、何だか嘘っぽいなぁ。


 ◇


 大陸一平和なのかどうかは分からないが、ラークスパーはとにかく大きな町だ。後で知った話だが住民はおおよそ二万人は住んでいるとか。


 そんな大きな町に移り住んで一ヶ月が経とうとしている。俺は家を継ぐという目標もなくなり、しばらくはただぼーっと毎日を過ごしていたように思う。


 でも、とにかく生きていくにはお金と住まいが必要だったので、必死になって仕事を探し、そして働き続けていた。ドブさらいや畑仕事、あとは街中で募集している力仕事などだ。みんな日雇いだったから、どうしても収入は不安定になる。


 それと、仕事の内容以上に苦労したのは人付き合いだ。どうやら魔導貴族という特殊な家柄で育っていた俺は、常識に欠けているところがあるらしく、面接でも実際の仕事でも、なにか噛み合わないところが頻繁にあった。

 だからどこに行っても俺は周囲から浮いているような存在だった。


 まあ、なんとか仕事自体はやれているから問題ないとは思うのだが、悩みは他にもある。ラークスパーは家を借りると家賃が高く、とても生活していけるような状況ではなかった。

 その為、農家の人にお願いをして、馬小屋の隅っこを借りて寝泊まりをしていたんだ。


 一ヶ月前までの豪邸貴族生活は、まるで夢だったんじゃないかと思ってしまう。

 今では何のために自分が生きているかすら分からなくなっていた。

 父のことも兄のことも、そしてスキルのことすら考えなくなっている。


 しかし、時として転機は訪れるものだ。

 ある雨の夜だった。俺は建築関係の仕事のお手伝いを終え帰り道を歩いている。どうして親方は仕事中に怒鳴ってきたのかという疑問に頭を悩ませていた。


 そんな反省や後悔を洗い流すように雨は勢いを増していき、すぐにズブ濡れになってしまう。俺は石畳の大通りを抜け、近道である路地裏の酒場通りを走っていた。


 人気のない路地裏を駆けていると、数人の男達が狭い通路を塞いできた。


「おい、そこのお前。ちょっと止まれ」

「え、俺?」


 男達は全部で五人ほどいる。みんな俺と背格好も変わらない人ばかりだったが、一人だけフードを目深に被っている男がいた。


「ちょっと聞きたい事があるんだよ。お前にさ」

「はあ。じゃあちょっと雨宿りできるところで、」

「いいや、ここでいいんだ。質問はたった一つ、すぐに終わる」


 フードの男がこちらに歩み寄っているうちに、他の連中はまるで俺を逃がさないとばかりに取り囲む。

 え、え? 何だろう。嫌な予感がするぞ。


「お前はエクス・キールで間違いないな?」

「え……」


 顔ははっきりと見えないが、俺にこういった知り合いはいない。きっと初対面だろう。なんで俺のことを知っているのか。実は父からもうキール家を名乗ってはいけないとも言われていたので、肯定するわけにはいかなかった。


「人違いだと思う。じゃあ俺はこれで」


 会話につきあっていること自体が宜しくなさそうだったので、リーダーと思われるフード男の脇を通り過ぎようとしたが、がっちりと肩を掴まれてしまう。


「待てよ。俺たちにゃあ分かってるんだ。嘘はつかないほうが身の為だぞ。もう一度聞く。エクス・キールで間違いないよな?」


 こいつらは一体なんだ? 俺は少しばかりムッとしていた。


「しつこいな。違うと言って——」


 視界に映ったのは銀色の光。その時瞬きをしていたらきっと死んでいただろう。危機を感じ取った俺はとっさに後方へと身を引き、その一振りをかわしていた。


 たっぷりと水を吸った布の服に斜めの線が入っている。奴は剣を振るったのだ。


「いきなり何をする!」

「黙れ。お前には死んでもらう! お前ら、行くぞ!」


 五人の男達は全員が鉄製と思われる物騒な剣を引き抜き、こちらへと駆けてきた。生まれて初めて感じる本物の殺意に、身をすくめてしまいそうになる。


「くそ!」


 だが、俺はどうにか足を動かす事ができた。理不尽な仕打ちに対する怒りが勝っていたようだ。こちらは丸腰な上に相手は五人。どう考えても勝ち目のない戦いなら、すぐに逃げなくてはならない。


 路地裏を走り回り、右に左に曲がりつつ進む。このまま馬小屋へと逃げ帰っても、こいつらを撒けなければ殺されるだけなのだろう。だったら人混みへ向かうしかないが、あいにくと夜中は人通りが極端に減ってしまう。


 それにしてもなんて物騒な町なんだろう。看板に偽りありだと改めて感じていた時、ふと屋根の上を奴らのうち一人が駆けていることに気がついた。


 なんだよそれは。もしかして大道芸人出身なのか? とか踏み込んだ質問をしたくなっていたが、そいつがまた道を塞ぐように飛び降りてきたから焦りは膨らむ。フードの男だった。


 こいつらはもしかして殺しのプロなんだろうか。だったら俺なんかじゃ到底かないっこない。どうしたら生き延びられるのか。

 魔法はどうしても覚える事ができなかった俺に、戦える力があるとしたらたった一つだ。

 一度も試した事がないが、ダッシュ斬りとやらを使ってみるほかない。


 とっさに落ちていた木の棒を拾う。残念ながら都合よくいい武器が落ちていたりはしなかった。しかも背後から足音が迫っている。

 俺は思いきり走りながら、がむしゃらにフードの男に向かって棒を振り上げた。

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