第2話 兄の本性と追放

 スキルを授かってからというもの、生活は比べ物にならないほど変化してしまった。


 まず自分の部屋がなくなった。儀式の翌日、メイド達から「エクス様のお部屋は庭の倉庫になりました」などと言われた時はてっきり冗談かと思ったが、どうやら本当だったらしい。


 以降は埃くさい倉庫に一人、何をすることもなく放置されるようになる。しかも屋敷には出入り禁止である。ベッドもないので床に寝る。なんて不衛生な暮らしなんだろう。


 魔法を教えてくれる先生は来なくなった。歳が離れた妹達がいたが会うことはできない。メイド達も父もここへは来ない。しかし、たった一人だけやってくる者はいた。


「大丈夫かい、エクス」

「兄さん! 来てくれたんだ」


 兄であるドレインが微笑みを浮かべて倉庫の入り口に立っている。俺と同じ黒髪で容姿も似ていた。いつも身なりに気を使い、温厚な性格で家族や他の貴族達からも評判がいい。


「いやはや、大変なことになってしまったねえ」

「うん。これからどうすればいいんだろう。父上は御立腹だし」

「もうどうしようもないんじゃないか?」


 この一言で、俯いていた俺は顔を上げる。言葉尻に鋭い刃物のような何かを感じたからだ。


「お前は魔法が全然使えない。魔導貴族の次男なのにさあ。でも安心したよ。もしお前が普通に魔法を使えるようになっていたなら、俺が次期当主になれない可能性は十分にあった」

「に、兄さん?」


 兄の瞳には今まで目にしたことのない激情が宿っている。父の瞳にもあった燃えるような色だ。憎悪が俺の体全身に浴びせられているような気がした。


「エクス。お前は本当におめでたい奴だな。物心ついた時から、目障りで堪らなかったんだよ! お前の存在が」

「なに言ってんだよ兄さん……俺は今冗談を言い合っている気分じゃ、」

「冗談ではないぞ。真面目な話をしているんだ」


 少しの間頭が真っ白になった。しばらくして鈍器で殴られたみたいなショックが全身に巡っていく。兄さんは俺にいつだって優しかったのに。乗馬や剣、貴族作法を笑顔で教えてくれたのは嘘だったのか。


「こういう真似が、お前にできるか」


 兄は右手を上げて指をこちらに向けている。彼から黒いオーラが湧き上がっているようだった。それは錯覚だったけど、兄の指先に小さな氷刃が作られていることは気のせいじゃなかった。


「アイス・ランス……」

「うむ。まあ俺は発展途上だからな。ちょっと小さな槍になっちまう。でも、お前にはこれでもお釣りがくる」

「え?」


 言うなり実の兄は、弟に氷の刃を飛ばした。

 普通の槍よりは確かに鈍く短い。上位の魔法使いともなれば吹雪さえ起こせるというが、ドレインはその領域には遠く及んでいない。


 だが、アイス・ランスは人を殺す程度なら充分に効果を発揮してくれる。


「ぐあっ!?」


 俺は無抵抗だった。そして肩口に突き刺さる冷たい感触に、身も心も震えてしまう。


「へへへ。こいつぁいい。お前なんかこの先どんな目にあったって、大して気にする奴もいないもんな。殺さない程度に魔法の実験台になってもらうぜ」

「あ……う……何で」


 なぜなんだろう。兄の豹変が現実として受け入れられない。薄暗い倉庫の中で黒い怪物に変貌したかのようだった。


 ドレインの去っていく後ろ姿から目が離せない。いったいこの先どうなってしまうのだろうか。


 ◇


 それから一週間、俺はドレインに魔法で痛めつけられ続けていた。屋敷の外には絶えず警備兵がいるから、逃げることもできず、隠れることもままならない。


 結果として、全身に痣や火傷が増えていく日々を過ごしていたんだ。


 何もしていないのに疲れきっていた。カビの臭いが立ち込める倉庫の扉を開く音がして、俺ははっと目を覚ました。


 兄がまた魔法で痛めつけようとしているのか。しかし奴ではなかった。立ち上がって身構えていると、小柄なメイド服が眩しい光で輪郭だけ見えていた。よく見ればメイドは五人ほどいるようだ。


「エクス様。お父様がお呼びです。さあ、お屋敷までおいで下さいませ」


 メイド達は無表情な人形のように、ただ静かに俺の前を先導して歩く。まったく、この人達まで変わってしまったものだと考えていたが、危害を加えてこないだけマシだった。


 ほんの一週間入っていなかっただけで、屋敷の中が懐かしく感じる。玄関の扉が開かれ、他のメイドや執事、警備兵達がただ突っ立ってこちらを見つめていた。挨拶はないが、誰もが強い好奇心に駆られているような気がした。


 しかし、彼らの視線はあまり気にはならない。これから自分がどんな仕打ちを受けるのだろうかと、そればかりが気になっていたからだ。


 廊下を抜け、階段を上がり、とうとう屋敷の王の部屋へとたどり着いた。両開きの扉を、二人のメイドが息を合わせて開いた。彼女達はここから先には進まないようだ。


 逃げ出したくてしょうがなかったが、行くしかない。どんな目に遭うのか分からない恐怖を飲みこんで部屋に入る。


「失礼します。エクス・キール。ただいま参りました」

「おやおや。随分とまあ、埃っぽい男になってしまったようだな。お前にはお似合いか」


 父は正面の椅子に腰掛けたまま、不機嫌そうに俺を見上げている。テーブルの上には何かの書類の束が乱雑に広がっていた。


「呼び出した理由は他でもない。先日、お前は役立たずであることが確定した。それは認めるな?」


 俺は何も答えない。認めたくはなかった。それに、本当に役立たずと決まったわけじゃない。


「ほう。答えんのか。貴様は無知で無謀で無駄に魔力だけが高い、無価値で無自覚な出来損ないだ。認めるな?」


 まるで大人気ない人だと思う。魔法が使えないことは確かに認めざるおえない。しかし、どうしてここまで。


「……私は、確かに優秀な魔法使いとしての力を得ることは叶いませんでした。ですが、この身はまだ終わったわけではありません。まだまだ時間があります。魔法使いではなくても——」

「黙れ!!」


 突然の大声に体が強張る。父は見たこもないほど殺気に満ちた睨みをきかせながら立ち上がり、大股で迫ってきた。


「魔法使いではなくてはならんのだ! 我がキール家は! お前の教育にいくら金を注ぎ込んだと思っているんだ!? 役立たずの為だと分かっていたなら払わなかった。お前はもはや我が魔導貴族を名乗ることは許されん。幸いにして後継はいる」


 父の目は血走り、今にも食ってかかりそうなオオカミのようでもあった。俺はただ俯いているしかない。


「エクスよ。お前などワシからすれば何の価値もない。底辺かつ醜悪、低能かつ論外。貴様のような動き回るだけのゴミは追放してやる! さあ出ろ! 今すぐお前にふさわしき地に送り出してくれるわ」


 胸ぐらを掴まれ、俺は屋敷の外まで連れ出された。そのまま馬車の荷台に放り込まれ、あまりにも唐突に実家での生活を終えることになったんだ。


 これじゃあまるで罪人じゃないか。確かに期待に応えられなかった。それは認めるしかない。でも、あんまりじゃないのか。


 馬車はいつも乗っているものとは違い、とても古かったことを覚えている。所々幌が破れて、馬が少しでも足を速めると荷台全体が軋んで壊れそうな予感がした。


 こんな状態で連れられていく先は、きっと地獄に違いない。あの町に辿り着くまで俺は悲観的な考えを捨てられなかった。


 でも、今にして思えば追放されて良かったのだと思う。ここから俺の人生は大きく変わっていったのだから。

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