25. 至るべき世界

 しばらくの間、誰も何も言わずにいた。うずくまった麗美の脛をコンクリートの床が冷やしていく。不意にミイアがその傍へそっと歩み寄り、優しく語りかけた。

「ごめんなさいね、驚かせちゃったわね。怒っているわけじゃないの。ただ、わかってほしいのよ。私たちはなにか難しいことをしようとしているんじゃなくて、明日もきっとすてきな日になるんだって心から信じる、それだけのことをしたい人たちの集まりなの。けど、ウィロックもあんなに強く言わなくたっていいわよね。怖がらせてごめんなさい。……それとね、あなたは知っているかしら、月の裏側には無数のクレーターがあるの。たくさんの隕石がぶつかった跡よ。けれど、ここから見える月はあんなに綺麗でしょう? 私たちはね、見えないところでどんなに傷ついていても凛とした顔を見せる、あの月のようにありたくて、それだから月を大切にしているの」

 心の内へと沁み入るようなその声を聞くうちに、麗美の頰には熱い涙が伝っていた。

「さ、顔を上げて。大丈夫、大丈夫よ。私たちはあなたを愛してるわ」

 言われるまま麗美がゆっくりと顔を上げると、そこには柔らかく微笑むミイアとウィロックがいた。差し出されたミイアの手を握り、立ち上がる。

「理解してくれたようだね。ほら、行こう。我々は君を歓迎する」

 ウィロックに先導され、ミイアに手を引かれながら、麗美はエレベーターに乗り込んだ。視界は涙ですっかり霞み、ただミイアの手の温もりのみが感じられた。

 三階に着くと、ウィロックは手でエレベーターの扉を押さえ、先に出るようミイアと麗美に促した。ミイアは麗美を連れて廊下を進み、突き当たりにあるガラス造りの観音扉を押し開ける。そして部屋の奥、豪奢な椅子に腰かけた長髪の男性に向かって深く一礼した。その横に控えている姉の姿を見たとき、麗美は自分がなんだかひどく安堵していることに気がついた。

 遅れて部屋に入ってきたウィロックが仰々しい所作で扉を閉め、ミイアと麗美の前へ歩み出る。

「ルート猊下。御月様の名において、岡宮麗美に光を与えることをお許しください」

 ルートはゆっくりと頷いてみせた。室内の薄暗さもあり、その表情はわからない。ウィロックは壁際のキャビネットから何かを取り出してミイアに渡す。彼女はそれを受け取り、麗美に「さあ、目をつぶって」と言った。麗美は言われたとおりにまぶたを閉じる。

 何やらあたたかな気配と共に、ミイアの指と細く冷たい金属の感触が首すじを辿った。わずかに身じろぎをすると、美しい声が耳元で囁く。

「心配いらないわ。力を抜いて、少しだけ息を止めていてね」

 麗美はそれに従う。次第に頭がぼうっとしてくるような気がして、ふと、まぶたの裏に神々しくさえ思われる光が見えた。ミイアの言葉が体じゅうに響く。

「今からあなたはミレーネ、ミレーネ・キオザ。私たちの大切な家族よ」

 ミイアの手が首元から離れると同時に、ミレーネはふらりとその胸の中へ倒れ込んだ。あら、とミイアは微笑み、エイミーを手招きして呼ぶ。

「よかったわね、エイミー」

「はい、本当にありがとうございます……!」

 エイミーはミイアの腕から妹の体を引き取り、そっと抱きしめた。嬉しさから生じる涙が目尻に光る。

 ミレーネの首には三日月型の飾りがついたペンダントが巻きついていた。

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