⑤ 野良ネコについていた生き物

 真田先生が働いているドリトル動物病院は、学校の近くにある。

 私は先生におねがいして何度か病院を見学させてもらったし、ユートもゴンちゃんをつれてきているらしいからまようことなんてない。

 ただ、一つ問題がある。

「いるかどうかは運しだいかも……」

「え。そうなのか?」

 ユートは首をかしげる。

「病院は十二時に患者さんの診察が終わっても、その後にあずかっているペットの手術をしたりするから、午後二時くらいから本当の休憩になるんだって」

「なるほど。探しものと火事の通報で今は午後三時半。休憩中かもってことか」

「うん。午後の診察が始まる四時くらいまで誰もいないかも。先生、いるといいな」

 私は期待をこめて裏口のインターホンを鳴らしてみる。

 すると反応はすぐに返ってきた。

『おや、ヒナちゃんじゃないか。ちょっと待って。今開けてあげよう』

 ドアを開ける先生はいつもの白衣とちがう。

 医療ドラマの人たちみたいにスクラブ――半そででVネックのシャツを着ていた。

 先生は私たちが四人でいること、そして子ネコをだいていることに目を丸くする。

「みんなで遊びに行く予定だったけど、ネコを拾っちゃったのかい?」

「いえ、実は――」

「ああ、待って。それよりもこの子にはノミがついているっぽい。ヒナちゃんには日ごろ、お世話になっているからね。ひとまず検査とかはしてあげるから上がって。それから、この子を抱っこしたのは何人?」

「……? 私とリンちゃんの二人だけですけど」

「なるほど。ネコのノミがついちゃったかもしれないから二人は着がえたほうがいいね。かえの服を用意するよ」

「ゴンちゃんもはいって大丈夫ですか?」

「診察室であずかったペットを見ることもあるから問題ないよ」

 真田先生はテキパキとまねき入れてくれた。

 ふつうの家みたいな玄関からドア一枚をくぐったら別世界。

 待ちあい室や診察室からは見えない処置室につながっていた。

 ここが病院の中心で、入院室や手術室の札がかかった部屋も見える。

「うわぁ、高そうな機械がいっぱい……。それに足を引っかけそうなコードがたくさんある」

「歩きにくくてごめんよ。でも、どの機械も百万円とかしたりするから絶対に足を引っかけて転ばないでね」

「ひゃくっ!?」

 私たちは身をよせあってそれから距離を取った。

 そうして待っていると、真田先生は奥の部屋からTシャツを持ってきて私とリンちゃんに手わたしてくれる。

「ネコはあずかるから、あっちの部屋で着がえておいで。ネコやイヌにつくノミはね、人からも血を吸ってかゆくさせるんだ。ぬいだ服は診察の間に洗って、乾燥機にかけてあげる。そうすれば服についたノミも落とせると思うんだけど、かまわないかい?」

「えっ、そうなんですか? おねがいします!」

「ワーオ。そういうのはぜんぜん頭になかったねー?」

 野良の動物を拾うことがどういうことなのか授業で少しは聞いたけど、まだまだ注意すべきことが足りなかったみたい。

 子ネコをしっかりと胸にだいてきた私とリンちゃんはおどろきで顔を見あわせて、Tシャツを借りる。

 すぐに着がえて戻ると、先生は私たちの服を洗濯機にかけてくれた。

 そして始まるのは猫のノミ取りと健康チェックだ。

 先生はネコの目を見たり、体の触診をしたり。動物病院ってこんなことをするよねっていうイメージ通りの検査をしていた。

 その次は処置台に連れていってシャンプーをするみたい。

 この台には流しがかくれているけれど、ふたがあるおかげで台としても使える――私たちとしては家庭科室の調理台が思いうかぶ造りだね。

 洗ったあとは、にゃあにゃあとイヤがって鳴くネコにドライヤーがけをしていった。

 うでをよじ登ってにげようとするところがまたかわいい。私とリンちゃんは台にすがるように近くで見つめた。

「事情は優斗くんから教えてもらったよ。煙を多少吸っていてもこのくらい元気に動いているなら問題ないと思うから安心して」

「本当ですか? そこが心配だったからよかったです。ユートもよかったね?」

「ああ、少し安心したよ」

 あれだけネコ助けを率先していたユートなので、自分から伝えたらしい。

 ドライヤーが終わると真田先生はとてもきめが細かいクシでネコの毛をとかした。

 そのクシはノミ取り用なのか、ゴマつぶみたいに小さな虫や毛にからみついていたひっつき虫――草の一種が取れていった。

 ノミはバッタみたいにジャンプすることで有名だよね。

 ぴょんぴょんはねてどこかに行っちゃうので、先生はそれが取れる度にセロハンテープにくっつけていた。

 最後にノミダニ駆除剤と書かれたスプレーをネコにかけて処置が終わる。

 不満げに体をよくかいたり、なめたりしていたけどこの子の気持ちどう変わったかな?

 じっと見つめてみると、子ネコらしく楽しそうな色ばかりになった気がする。

「ノミダニ対策はこれでいいとして、問題はこれからのことだね。ここまでの処置は二、三千円ですむから日ごろのお礼にサービスだ。でも、この先の検査とかワクチンまで含めると絶対に万単位になってくるから大人と一緒に話をするべきだよ」

 私たちだけでやってきたし、大人に話が通っていないのは見透かされたんだと思う。

 先生はやさしく忠告してくれた。

 すると、ユートは台から落ちないように先生が手をそえている子ネコをだき上げる。

「俺が親に言って飼います。それと、一つ質問してもいいですか?」

 自分が責任を持つって行動であらわしたみたい。

 ここまではっきりと主張するとは思っていなかったのか、先生は少しひるんだ様子でうなずきを返した。

 いつもは先生の処置を遠くから見るだけのユートにしてはめずらしい姿勢だと思う。

 でも、なんだろう?

 先生の診断に安心している私たちに比べて、ユートはまだ不安がっている色だった。

「もっと大きな病院だったら、もっと精密な検査とかができるんですか?」

「ちょ、ちょっとユート。そういうのは失礼だよ!」

 悪い予感が当たったかもしれない。

 ユートは真田先生のことをいつも下っぱの先生とか、小さい病院の先生とか言っていた。

 反対に、自分は大きな動物病院の先生になると言っていたことからも真田先生を悪い見本くらいにしか考えていなかったんだと思う。

 私はきびしい顔のユートと、真田先生をあわあわしながら見比べてしまう。

「そこは少し悩ましいな。そもそも小さな病院と大きな病院は役割がちがうんだよ」

「役割がちがうって、どういうことですか?」

 ふむと考え顔の真田先生に、ユートはオウム返しに問いかける。

 私としてもそのちがいはよくわからなかったし、タクとリンちゃんもパッとしない様子で肩をすくめていた。

「例えば自分のことを思いうかべてくれるかな。今まで風邪や下痢でなやんだことはあるだろうけど、骨折とか手術は受けたことがないよね? それと同じで、小さな病院は軽い病気、大きな病院はむずかしい病気を治療するって感じで分担しているんだよ」

「えっ、そうだったんですか?」

 耳鼻科とか、内科とか。

 そういうちがいくらいなら私も聞きおぼえはあったけど、症状のむずかしさで分担までしているとは意外だった。

 真田先生は「実はそうなんだよ」と笑いながら続けてくれる。

「だから簡単に言えば小さな病院はたくさんの命を助けつつ、むずかしい病気を早く見つける役目で、大きな病院はそれを治す役目って感じなんだ。こういうものを一次診療、二次診療なんて言い分けてもいるね」

「じゃあ真田先生はたくさんの動物を助けたいから、大きい動物病院じゃなくてこういうところで働いているんですか?」

「だいたい、そんなところかな」

 動物病院の先生は動物を助けてくれるあこがれの大人って印象しかなかった。

 たくさんの命か、助けるのがむずかしい一つの命か。

 そういう別々の目標を持って働いていたなんて、もっと尊敬が深まりそうだよ。

 じゃあ、このネコみたいに身近な命を助ける獣医を目指していそうなユートは先生の言葉をどう受け止めたんだろう?

 気になって目をむけていると、息をのんで固まっているすがたが目にうつった。

 ――と、そんなとき、ピーピーと洗濯終了の電子音が私たちの耳にとどいた。

 シャンプーやノミ取りで意外に時間がたっていたみたい。

「おっと、洗濯が終わったみたいだね。二人とも、着替えてくるといいよ」

「あ、はい! タク、ゴンちゃんをよろしくね」

「うん、了解。暴れないようにがっちりつかまえておくよ」

 ゴンちゃんは基本的にいい子なんだけど、こんな高そうなものばかりの場所ではこわいもんね。

 大人しくお座りしている頭をなでて私たちは洗濯物を取りにいく。

 来たときみたいに別の部屋で着がえていると、リンちゃんはむうと考え顔を見せた。

「どうかしたの?」

「ユートってさ、ヒナちゃんのことが好きで真田先生にシットしていたのかと思ったけど、それだけじゃなかったんだなぁって思って」

「えっ!? シットって、そんな……!?」

「なんかねえ、努力してない人をイライラしてみている感じだったんだろうなって今思ったよ」

「あ、ああ……、それはそうかもね」

 野外活動とか修学旅行の夜みたいに、恋愛話になるかと思ってびくっとしちゃった。

 うん、リンちゃんの言うことはよくわかる。

 たぶん、さっきのユートはそれが感ちがいって気づいたんだと思う。

 大きな動物病院の先生のほうがえらくて、たくさんの動物を助けられる。だから小さな病院の真田先生は努力不足。

 そんな風に思っていたのに、実は自分が目指しているすがただってわかったんだもん。ショックだよね。

 これからどんな反応をするんだろう。

 タクとゴンちゃんをはさんでケンカみたいなことになっていなければいいんだけど。

 少し不安に思いながらもどってみると、真田先生は机の片づけをしていた。

「ユート。それ、なにを見ているの?」

 ユートのそばにはペットを持ち運ぶケージがあった。たぶん、子ネコが車とかにおどろいて逃げないように病院のケージを貸してくれたんだと思う。

 ただ、そこにはいった子ネコをじっと見ているわけじゃなかった。

 ユートはなぜか小さなタッパを一つ持っていて、興味深そうに天井にかざしている。

 その正体が気になって、私たちもつられてのぞきこんだ。

「さっきのノミとダニと、毛にからまっていた草だよ」

「ひゃあっ、気持ち悪いっ! ホワイ!? なんでそんなのをもらうの!?」

 はいと差しだされるタッパのなかで動く豆つぶたちを見たリンちゃんはびくりとしてタクの背にかくれてしまう。

 うん、どうりでタクはぎこちない顔でこっちを見ていたわけだね。

 リンちゃんは、しっしと手をふるんだけどユートはどうも悪ふざけをしている顔じゃななかった。

「前、ゴンにダニがついたときと同じだ。去年は父さんがそれに興味を持って調べ始めて、俺も自由研究でまとめたやつ。てきとうな自由研究をするくらいなら、また同じことをしたいなって思ったんだよ」

 ムキになって先生とケンカしているかと思ったけど、意外にもすっきりと終わったみたい。

 たしかそれは去年の夏から秋の話。

 動物のしっぽみたいなハンディモップを散歩コースにある草むらにつっこんで、取れたものを虫かごに集めていた。

 私はゴンちゃんの散歩をさせてもらいながらつきあったからよくおぼえてる。

 はた目から見たらすごく変な虫取り作業だったんだけど、ユートはそれを立派な形にして発表したんだよね。

「モップにくっつく虫とか草の絵と説明を書いた自由研究だよね。散歩につきあったときはコンクールで表彰までされるものなんて思わなかったなぁ」

 私は表彰まで、虫取り中にむけられた他人の目がはずかしかったとしか記憶にのこってなかったよ。

 ユートのお父さんはお医者さんなだけあって、参考にした図鑑も本格的なものだったみたい。

 真田先生たちの授業でも、すごくいい研究だったってほめちぎられていた。

 でも、虫をきらう子からの評判は悪い。

 今だってリンちゃんはうえぇと顔をそむけていて、タクはそれを大丈夫? と気にしてる。

「それに、ちょっと気になるんだよ。このあたりにいるはずの虫をまとめきっていたからコンクールでも評価がよかったはずなのに、このダニは見たことがない特徴だし」

 だからまた調べたいみたい。

 ユートはうたがうように目を細めてタッパのダニを見ていた。

 そうこうしていると、私たちがはいってきた病院の裏口からがちゃりとドアを開ける音がした。

「お疲れさまですー。あら、急患ですか?」

 やってきたのは動物看護師さんらしい女の人だった。

「あ、そういえばもう午後の診療時間ですか!?」

 洗濯が終わったってことは一時間くらいたっているってことだもんね。

 時計を見てみると、もう午後四時すぎ。診療再開にあわせて看護師さんとかがもどってきたんだ。

 なごやかにしていた真田先生は背筋をシャキっとのばす。

「いえいえ! 『動物飼育推進校』の子たちで、拾ったネコの相談を受けただけです。処置とかについては自分から院長に伝えますね」

「ああ、『ドリトル先生の目』を持っているっていうヒナちゃんですか。たまに顔を見ていましたね。こんにちは」

 看護師さんは私ににこりと大人の表情をむけてくる。

 私はあわてておじぎを返すんだけど、仕事人としてのやり取りを前にすると居心地がとても悪くなってきた。

 ユートたちも同じものを感じていたみたいで、私たちは顔を見あわせる。

「真田先生、どうもありがとうございました! おじゃまにならないうちに私たちは帰ります!」

「悪いね。飼い方の相談にはのるから、その子ネコを大切にしてあげてほしい」

「親を説得して、明日にでものこりの検査をできるようにします」

 視線にあわせてかがむ真田先生にユートははっきりとうなずきを返した。

 そして私たちは来たときと同じく高そうな機械とそのコードに気をつけて病院を出る。

 あと一時間もすれば家に帰るようにっていう夕方のチャイムが鳴るし、子ネコもいるので私たちは自然と家にむかって歩き始めた。

 けど、このまま終わるのはリンちゃんにとってどうも遊び足りないみたい。

 散歩が足りない犬みたいにうずうずとしてる。

「うぅー。今日はもういい時間だし、アソビ館はおあずけってことだよね? ネコのためなら仕方ないけど」

「それなら、うちでゲームをしてもいいんじゃない?」

「あ。タク、ナイスアイデア。それもすてがたいねっ!」

 リンちゃんはそれもあったかとひらめいた顔になる。

 こうして表情がくるくる変わるのはそばから見ていると、こっちの気分まで引っぱられて楽しくなりそう。

 でも、子ネコがはいったケージを両手でかかえるユートには聞こえていないみたい。

 ゆれでネコがすべらないようにと慎重にバランスを取っていた。

 すこし無言の時間がすぎると、ユートもようやくこっちに目をむける。

「悪いけど俺はパス。ネコのことでまずは母さんから説得しないと」

「そっちもあったねー。あたしたちもついていっておねがいしようか?」

「いや。こみ入った話もするだろうし、一人がいいかな」

 ネコ一匹飼うのだって、長ければ二十年間の世話を考えなきゃならないんだもん。

 他の家の人がどうたのんだって話がややこしくなるだけだよね。

 リンちゃんもユートから返されると、「そっか」となっとくしていた。

 もしできることがあるとしたら、ユートの家がどうしてもダメだったときからだと思う。

 クラスのだれかがネコを飼いたいとか言っていなかったかな?

 そんなことを考えていると、タクと目があった。

 そうだね、ユートにまかせきりはイヤだからゲームのためって言って集まろう。

 もしユートが親を説得できなかったときにどうするかの意見でも出しあっておけば明日からすばやく動ける。

 そうして私たちはいったん解散したのでした。

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